下
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「後ろの建物に日傘がいるんだな? あぁ、そういや見覚えがあるぜ、ここ」
ドッペル野朗を追い、過去へと戻った瞬間。その成功の余韻に浸る間もなく自分の目の前に広がったあり得ない光景。そして、その額に大粒の汗と苦悶の表情を浮かべるドッペル野朗。自分も超能力者の端くれだ、見た瞬間、総てを悟った。コイツが何をしようとしているのか。そして、自分が何をするべきなのかを。
「例え残りカスの、残り僅かなESPだろうと無いよりマシだろ? 自分も加勢する… ふんがっ!」
隣のドッペル野朗に倣って、此方もバリアの念動力に加勢する。例え世界は違えど、同じゐ異誠意という存在だからだろうか、不思議な事に、その念壁の波長は寸分違わず見事にマッチし、バリアに補正が加えられる。
「… 貴様、よもやこんな過去くんだりまで俺様を追ってくるとは。ふん、少しは見直してやっても良い」
「おいおい勘弁してくれ。野朗のツンデレなんて気色悪いだけだっつーの。ましてや自分と同じ顔の奴に同じ声で言われるなんてホラーもんだぜ」
「フン。貴様、知っていたか? 日傘に言わせると、俺様と貴様はひらがなの《ゐとぬ》らしい。似ているようで全く異なる存在。俺様とお前は、そういうものらしい」
「あん? てめぇ、こんな時に何を言って」
瞬間、コイツが何を言いたいのかを悟った。悟ってしまった。それはたぶん。奴と自分が同じ存在だからではなく、同じ目的を持った同士だったから。
「限界だ。どうやら、貴様等劣化コピーと違って俺様の場合、裏ミッター解除もその効果と反動が段違いらしい」
「おいおいおいおい、嘘だろ? どーすんだよ!? 自分一人じゃどう考えても…」
「思い出せ。ここはあくまでも貴様にとっての過去だ。貴様は、どうやってあの建物から脱出した? どうやって日傘と二人で助かった?」
「… どうやってって、そりゃ… ESP? 使って… 建物の内部から壁作って」
!!!!
何故、これまで忘れていたのだろう。
自分はこの時代、この日、この瞬間、あの建物の中で、初めてESP能力を発現させたんだ!!
「どうやら、俺様はこれまでらしい。これから最後の仕上げをしてやる。だから良く聞け。俺様のESPは編集。それは平行世界を渡り歩く力であり、過去へとダイブする力であり、理解の力で有り、制御の力であり、念話の力であり、限界解除の力であり、念動力の力であり… それらを自在に編集可能にする力だ」
「お前、まさか」
「悪いな。裏ミッター解除のおかげで、既に残りカスに近い能力しか残って居ないが、まだ念動力は健在だ。こいつを、今から後ろの建物のこの時代のガキの貴様に向けて送る。俺様のESPを、奴に編集する」
そう言い、壁の維持を自分一人に任せ、ドッペル野朗がふいに人差し指を立て、静かに念じる。
「糞…… もはや、まともにコントロール出来るだけの力すら残って居ないらしい。俺様の力の全部を、貴様以外にもあの建物に居る全員に断片的に送っちまった。だが、まぁいい。肝心なガキの貴様に、無事念動力が行き渡ったようだ」
今、誰かにとってとてつもなく重要なことをさらりといってのけたような気がするが、もはや聞き返す余裕も無いこの状況。
「馬鹿だよな、俺様も。どうしてこんな姿になるまで頑張ってしまったのか…。所詮俺様はゐで貴様はぬ。淘汰される側と生き残る側か。ふん。貴様に忠告だ、良く聞け、最後の世界のゐ異誠意… 日傘が何故不運体質だかわかるか?」
分かるわけが無い。
むしろ、それを知るためにそれを何とかするために、自分はえすぴー部へと入ったのだが。一人でのバリア制御は、そう呟く事すら許してくれないらしい。
「日傘が生き残る世界は、俺様が経験した百の世界の中でも、この世界のみ。だからこそ、その他総ての死んでいった日傘の業やカルマをその身に一人で背負い込む事になる。それが原因だ。百通りの世界があったら、百通りの人生が在る。だが、日傘だけは違う。そんな極々当たり前の理から外れちまった存在なのさ。そういう規格外のESPを背負い込んでしまっているのだ、日傘の奴は。だからこそ、誰かが護ってやらなきゃならない。イヤ、貴様が護ってやる必要が在る… 分かるな? それが貴様の役割だ。俺様には出来ない、貴様にしか出来ない役割。後の事は、過去と未来。お前で… お前たちで、やれ」
ガラスにひびが入るような、そんな嫌な亀裂音が辺り一面に響き渡る。終わりを告げる音。自分とドッペル野朗との関係。この大災害のやがて終わりを告げる音。
「どうしてお前は…」
「どうして? そんなの決まっているだろう。日傘を愛しているからだ。それ以外に、理由は無い。だからこそ。ゐ異誠意、一人の漢として。九十九の総意として。貴様に日傘を託す」
ああ、そうか。
そういう意味では、九十八のゐ異誠意達の後悔が、俺様にこの強大なESPを与えたのかもしれないな。
それだけを言い残し、持ちうる総てを使い果たした奴のバリアは砕け散った。それは即ち、濁流に身を任せるという事に他ならず。
ドッペル野朗は… 総てを浚う混濁流の渦中へと、その姿を消した。
「勝手に… 託してんじゃねーよ」
九十八に託された一。その一に託された一である自分。総ては、日傘を救うために。たった、それだけのために紡ぎ出された《ゐ異誠意》と言う名の意思の連鎖。
やがて、自分のESPも残り僅かになったその瞬間、後方の建物から強いESPの波動を感じた。それはつまり、ドッペル野朗から少年時代の自分へと託されたESP能力の覚醒。
力強く、美しい波動。確かに託された想いが、受け継がれた意思が、そこにあったように思えた。
これで大丈夫。もう大丈夫だ。そう確信しながら、意識の緒が少しずつ解き放たれていくのを感じた。
珍妙な先輩方に襲われて、奇妙な部活に入部させられて、激辛寿司食わされて、ドッペル野朗と対立して、こんな過去くんだりまでやってきて、ESP全部失って、こんだけボロボロになって。
柄にも無く、こんだけ頑張ったんだ。
日傘。帰ったら、また、お前の下らない話と、アホみてーなその笑顔を、見せてくれ。帰ったら、さ。
どうやら自分も、ヒャッハッハ。本当に今更だけどよ。どうやら自分、やっぱりお前の事が好きみてーだから。だからこそ、さぁ、帰るぞ。
………… あれ? ってか、結局自分これ、どうやって元の時代に帰ればいいんだ?
第五訓 END