上
最終訓「愛螺武勇」
歴史の修整力、と言う言葉がある。あるらしい。イヤ、確実にある。
歴史の修整力。またの名を次元の犬、ティンダロスの猟犬。例えるならば、神の見えざる力。時代と時空を超えて追ってくる粘着質で嫌味な概念そのもの。
あらかじめ定められた個々の筋書きを運命と準えるのならば、その筋書きを愚直に遂行させんとするのがこの力の本質だと言える。
あるらしいなどといいう何とも弱腰な言葉尻を使用したのは、流石の俺様も実際に過去へとタイムスリップしたのはこれが初めてだったから。何が起こるかわからない。強大なESPを持つ俺様にとっても、それが在りのままの本音だ。
対して、確実にあるというなどという何とも断定的な言葉を使ったのは、今、正に、この瞬間に… 俺様が《それ》を目の当たりにしちまっているからに他ならなくて…
「ああ、神よ。今日は何て酷い一日だ!!!」
賽は投げられた。
俺様が少年に声を掛けた瞬間、この世界の過去は書き換えられた。九十九の世界から一の世界へ。
少年が少女を無事に探し出し、海岸線から程なく離れたとある建物の屋内へと逃れたのを見届けた後。俺様の役割はまだ半分も終わっていないのだということを思い知らされた。思わずそう叫ばずにはいられない程度には。
俺様の記憶が確かなら。そこはどの世界においても《安全地帯》であるはずだった。他に比べ地震による被害も少なく、津波もここまで届かなぬ安全地帯。その、筈だった。
そんな俺様の浅はかさな思慮を嘲笑うかのように、高笑いを浮かべる姿が容易に想像出来るように、醜く顔を歪ませて悪魔の微笑を浮かべるかの如く。津波は、奴らのいる建物の、そんな眼と鼻の先まで迫っていた。
「ふん。我ながら、最後の最後まで実に手間の掛かる」
乗りかかった船。そんな一言では言い表せないような決意と覚悟と清清しさが、俺様の中にはあった。もう、何も恐くない。もう、何も恐れない。一度、そうすると決めたのならば最後まで貫き通して見せろ。抗ってみせろ。あがいてみせろ。もがいてみせろ。自分自身に、そう言い聞かせながら。
「自然の力だろうが、腐れ神様の意思だろうが関係ない。元々、平穏無事に終わるとは思っていなかったし、あいつの居ない元の世界に戻るつもりも無い。ただ単に… アイツの笑顔がもう一度だけ見たかった。そして、アイツにはこれからも笑っていて欲しい。例えそれが、俺様の側でなくとも、だ」
超能力者だろうが、変人だろうが、聖人だろうが。漢が命を張る理由なんて、いつもちっぽけで単純明快。例えこの津波事態を無かった事に出来なくとも。俺様の持ちうる全力を持って、後ろの建物だけは… この命に代えても、護ってみせる。
我がESP全出力開放。
数刻前、あの廃屋でもう一人の俺様の念力を防ぎきったあの念壁の何十倍、何百倍の大きさと頑強さを伴い、我が背後にそびえる建物を覆い隠す巨大なドーム上の念壁を生成。
『津波が来るぞぉおお。何かにしがみ付けぇ!』
『せいちゃん、せいちゃん恐いよ』
『落ち着け日傘。自分がついてるだろ』
『ハッハッハ。これ、ワタシ死んだカナ?』
『…』
『けっ、こんなとこでオッ死んでたまるかよ』
テレパスにて屋内の様子を確認。多少混乱を来たしてはいるが、今はそれでいい。
短期予知により、津波到着までの時間と耐えるべき時間、速度を計算。
海の底深くで地震が発生した場合、海底が上下に揺さぶられる事によって海底から海面までの総ての海水自体も上下する。それにより生み出されるエネルギーは極めて巨大。
出来る事ならば、二度と聞きたくも無かった轟音と共に、濁流が時速250キロの猛スピードで迫り来る。例えるならば、新幹線並のスピード問いう奴だ。そいつが40メートルの高さ併せ持って俺様に勝負を挑む。
… 三秒、二秒、一秒。
荒れ狂う混濁流が、今、正に、建物の数十メートル前にて仁王立ちで待ち構える俺様に襲い掛かる。
「足りない足りない足りない! そんなもので俺様のESPを、この壁を突破できると思ってんのか? ヒャッハッハッハ」
荒れ狂う自然の猛威が、俺様を完膚なきまでに捻じ伏せんばかりに蹂躙を始める。蹂躙は、一方的であればあるほど良い。俺様の全身を襲う圧倒的で絶望的なエネルギーの波。その度に、何度も何度も何度も何度も何度も何度も意識を失いかける。その度に全身を奮い立たせ、血反吐を吐きながら再度力を込める。だが、足りない。そう、足りない。圧倒的に。何が足りないか? だと。勿論、俺様の力が、だ。
それはつまり、どれだけの覚悟と想いを持ってしても、決して届かない未来がある。叶わない夢がある。切り開けない路がある。
いいのか? それでいいのか? 本当に?
「いいわけ、あるかぁあああああああああああ!!!」
裏ミッター解除。
劣化コピーのあの女に出来て、天才の俺様に出来ない筈が無い。例え総ての力を失おうとも、例え、この場で死ぬことになろうとも俺様は微塵も後悔はしない。だが、この場でアイツ等を救えなかったら… それじゃ、死んでも死に切れない!
「まだだ、まだやれる、俺様はまだやれる。持ってけ、俺様の中の総てを。総てを今この瞬間だけに、奴らを護る力に!」
一秒毎に、俺様の中の力が音を立てて崩壊していくのが分かる。十秒毎に、俺様の中の魂が削られていくのが分かる。一分毎に、俺様の中のゐ異誠意を構成していた何かが消えていくのが分かる。
それでも足りない。まだ足りない。例え総てを犠牲にしても圧倒的に足りやしない。一度は戻りかけたものの、徐々にヒビの入る我がバリア。更に勢いを増す腐れ大津波。能力と体力の底が見え始める俺様。
……… !!! 万事休す? 馬鹿言っちゃいけない。
どうやら、真打ってやつは最後の最後に登場するものらしい。あぁ、糞。なんて羨ましい奴。全く、人の気もこんな努力も苦労も知らない癖に。
バチバチと派手な音と閃光を引っさげて、俺様と全く同じ顔、身体、声を持ったさっきまで互いに殺しあっていたゐ異誠意が俺様の隣に突如として現れる。
キョロキョロと辺りを見回した後、俺様の顔を睨みつけながら、一言。
「ブァーーカ。何を一人でカッコつけてるんだ、てめーは。過去に戻って何をしやがるのかと思ってりゃ、お前、本当に馬鹿な奴だな。自分と同じ顔して、本当、大馬鹿野郎だぜ」