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ゐ異えすぴー  作者: 汐多硫黄
第五訓 「以夷制夷」
10/13



          ◆ ◆ ◆



「はぁ、はぁ、糞っ。追いついてやったぜ、ドッペル野朗!」

 目の前には瓦礫の上に横たわる日傘の姿と、何度見てもなれることの無い自分と瓜二つの顔。

「ドッペル野朗とはご挨拶だな。だが存外早かったではないか。正直見直したぞ。有象無象の低レベル超能力集団でも、最低限の薄っぺらな矜持だけは持ち合わせていたと見える」

 学園から程なく離れた廃屋。未だに多くの廃屋が立ち並ぶ、そんな廃墟にこの男は潜伏していた。

 五堂先輩の大まかな行動予知と、真中先生のテレパシーで中継を結びながら、自分はこの場所を発見した。だが、当然の事ながら発見する事が目的じゃない。

「てめぇ、日傘になにしやがった!」

「熱くなるな。俺様と同じ声と顔でそんなセリフを吐かれると虫唾が走ってかなわん。それに、コイツはただ眠っているだけだ… 今のところはな」

 自分と同じ顔でそんな不敵な笑みを浮かべられ、正直虫唾が走ると言わざるを得ない。だが、今はそんな事はどうでもいい。こいつに、このドッペル野朗に今から見せ付けてやらなければならない。奴を上回る覚悟ってやつを。そして、奴に一発ぶちこんでやらなきゃならない。協力してくれたえすぴー部の先輩方のためにも、日傘のためにも、そして何より、自分自身のために。

 

「日傘が眠っていたのは丁度良かったよ。こんな姿、あいつには絶対見せられないから、な!」

 掌に力を込めて、念じる。五本の指の先端にそれぞれの神経を集中させるイメージ。それらを一本の線で結び、編みこむイメージ。一朝一夕だろうが、付け焼刃だろうが、その後の事など関係ない。今はただ、あいつをぶん殴って日傘を救う事だけを考えろ。

「さっきまでの自分だと、お、もう、な、よぉおおお!!!」

 何の勝算も無く、ただ単にのこのことここまでやってきたわけじゃない。

あいつは一人でも、此方には協力してくれる強力な人たちがいる。日傘を救うためだったら、何だってする。例えそれが、今の自分を捨て去る事になろうとも。

 掌から射出される波動は、これまでの自分の力の数倍の威力。数倍の出力。数倍のESP。つまり当然の事ながら、余裕ぶっこいて能書きを垂れていたドッペル野朗は、なす総べなく瓦礫の中へとぶっ飛んでいった。

 だが、当然これで終わりじゃない。こんな程度で終わるようなら、えすぴー部があれほどまでにあっさりと全滅させられるわけが無いのだから。 

「貴様。この短時間で何をした? ヒロインのピンチに怒りでパワーアップ? 乙女の涙で形勢逆転? そのようなご都合主義、今日日流行らぬのではないか?」

 案の定、ドッペル野朗は瓦礫の山から這い出てくる。まるで何事も無かったかのような涼しげで嫌味な顔を携えて。今、この瞬間ほど、自分の顔が憎いと思った事はないだろうさ。 

「よりにもよって無傷かよ。はぁ、悲しいぜ… あんたは他の世界の自分らしい、とは言え、こんな悪人ズラした最悪野朗が自分の姿だ何てな」

「そのセリフ、そっくりそのままお返ししよう。悲しいのは俺様の方だ。所詮有象無象のモブが幾ら血反吐を吐いて努力をしようと、所詮はその程度という事」

「言ってろ!!!」

 PK能力の真骨頂。辺りは瓦礫の山、とどのつまり、弾なら幾らでもあるってことだ。波が波で相殺されるというのならば、物理的なこの方法ならどうだ。もはやどっちが悪人だか分からんやり方だが、日傘を助けるためならなんだってやる。勝負に綺麗も汚いもないのだから。

 両掌に力を集中させ、自分の周りの瓦礫を一斉に宙へと浮かせる。

「ほぅ。いいぞ、もっと粘ってみせろ」

 その言葉通り。浮かせた瓦礫を奴の姿目掛けて一斉射出発射照射。

轟音が轟き、屋内に粉塵が舞ったものの、日傘は起きる様子を見せない。そんないつも通りの姿に少し安堵を覚えると共に、目の前に張られた完璧とも言える防御壁に対し、大いに落胆する。自分が、あの合格発表の日らんま先輩の竹刀を防ぐためにみせたあのバリアの、何十倍も完璧な念力による波動の防御壁。こんな事が出来るのは、そう、自分が知る中では当然ながら一人しか思い当たらない。

「無傷ですか、そうですか」

「無傷? 違うな。みろ、俺様の頬から少しだけ血が出ているだろう? ヒャッハッハ。はい、良く出来ました」

 かすり傷。自分にとっての全力は、奴にとってその程度のものらしい。かつて、これ以上の絶望があっただろうか? まぁ、一度だけあったけど。

「見得る。見得るぞ、ゐ異誠意。貴様は馬鹿だなぁ。我ながら大馬鹿野朗だ。何をやったのかは知らないが、貴様、自分を捨てる気だな? 自身のESPを捨て去る気だな? 身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ、か。くだらん」


 強大な敵を前にして、突然のパワーアップ。


 そんなご都合主義が、ありえるはずも無く。代わりにあった手段。部長が用意した手段。それは、らんま先輩の真の力を利用するというものだった。

 らんま先輩の力の真骨頂は、限界を断つ事。言わばリミッターの解除だ。それをESPという概念自体に利用する。その人の持つESP能力の裏の裏までを一気に引き出す力。

 

 部長はそれを《裏ミッター解除》とか言っていた。

 だが、そんな美味しい話に裏があるのは当然というわけだ。そう裏ミッターだけに。したり顔でそう言い放った部長の顔は、今でも鮮明に脳裏に焼きついている。


とどのつまり、解除された裏ミッターは、もう二度と、元には戻らないという話。ESP能力総てを捨て去る覚悟を持って得られるのは、ほんの短時間だけの、ワンランク上の《超》超能力。別段、未練なんて無い。この力に未練なんて無い。本来この力は、日傘を護るためだけに使用すると誓った力だ。だからこそ、あいつを救うために捨てるのならば、何の未練もない。


「もういい。だが、ここまでやってきたそのちっぽけな矜持に免じて、貴様に余興を見せてやる。俺様は、今から《過去》へと行く。俺様がこんな果ての世界へと来た一番の目的理由がそれだ。当初、生きている日傘を見つけるのが一番の目的だった。だが、いざそれと対面した今は違う。今はな、許せないんだよ」

「許せない? お前、何を言って」

「俺様はな、生きているコイツが、日傘という存在が許せない。一の遺体と九十八の墓標を見てきた俺様は、どうしても許す事が出来ない。俺様の世界ではなく、他の世界でもなく、この世界だけ。たった一つのこの世界でだけ生き残り、俺様ではなく… 貴様にだけその微笑を見せる日傘を許しておけない。それが、俺様のものにならないというのならば…… その存在を抹消させてもらう」

 これまでの余裕を微塵も感じさせない、そんな怒声にも嘆きにも似たセリフを一気にまくし立てたドッペル野朗は、いつの間にか日傘の横に移動していて、その額に、自身の人差し指をあてがう。

「平行世界へ移動することなど造作も無い。何故ならそれは、眼に見えない、感じられないだけで、いつだって隣に存在しているからだ。だが、過去へと飛ぶのは違う。訳が違う。限られた強大な力ある人間が、その覚悟と数々の条件やハードルを突破した時のみ、次元の犬《理の修整力》へ抗える… 貴様らは、俺様の力が単に平行世界を渡り歩く力だと思っているようだが、断じて否だ。時間を止める、一時停止? 違う! 時間を戻す、巻き戻し? 違う! 時間をとばす、スキップ? 違う! 時間を早める、早送り? 大いに違う!」

 日傘へとかざした掌から、虹色の閃光があふれ出すと同時に、周囲の空気がピリピリと振動する。

「様式美として、別れの餞に教えてやる。俺様のESPは《編集》だ。貴様等凡百の能力とは訳が違う。この世の理を変える事の出来る、変える可能性の在る神にも近しい唯一の能力」

 空気だけじゃない。廃屋の中、総てが揺れる。揺さぶられる。瓦礫も地面も、自分自身も。

 閃光はやがてドッペル野朗の全身を包み込み、屋内の外へと溢れ返る。虹色の閃光だけが総てを満たす空間において、最後に奴がぽつりと呟く。

「日傘、愛している。その存在をこの世の総ての世界から消し去ってしまいたいほど」

 …。

 光はやがて収束し、後に残されたのは自分と未だにすやすやと夢心地ないつも通りの日傘だけ。

 

 これで終わり。オテントウ様が東から西へ沈むために。日傘がいつものように笑っていられるように。何より、自分自身のちっぽけな矜持のために。当然そういうわけにはいかない。これで終わるわけには、大いにいかない。


『部長。聞こえるか、部長… ってか聞こえてたか?』

 心の中でそう呟く。或いは脳内で、かもしれないが。

『うむ。ばっちり総てな。やはり、思っていた通りこうなってしまったナ』

『みたいだ。やっぱ自分のESPじゃ、力で奴に対抗出来ないみてーだ。犠牲を払って数ランク上げたとしてもな。それに、過去へとんでっちまったぜ、あのドッペル野朗』

『ハッハッハ。そもそものレベルが違ったな』

 笑い事じゃないっつーの。というよりテレパシーで馬鹿笑いをするな。真中先生のテレパシー能力を介して、先ほどの会話や今この場の会話をリアルタイムでやりとりしている。別段ケータイを使えば済む話だが、出力を上げた今の自分のESP能力だと、ケータイなどの精密機器に障害が発生してしまうゆえの策だ。

『lay up against for rainy day 備えあれば憂いなし。安心し給え少年。ここまではワタシの予想したとおりの展開だったろ?』

『まぁ、流石っつーかなんつっーか。その通りですけど。恐いくらいに気持ち悪いくらいにあんたの思惑通りですけど』

『ハッハッハーw そう褒めるな。照れてしまうではないか。例えどの世界の君の事だろうと、ワタシにはお見通しなのだヨ★ それはそうと、どうだ? 君に、出来そうか?』

 出来そうか? そんな部長のワードが意味するところは一つ。ドッペル野朗と同じように、過去へいけそうか? というもの。

 これは、奴と同じ《ゐ異誠意》という存在だから出来る事。他の誰でもない、奴と同じ顔、同じ体、同じ声を持つ自分でなければ成し得ない事。

 

ESP総てを捨て去る覚悟を持ってして、例え一時であろうと、極限まで持ちうるESPを高めた意味。それは、奴の痕跡の波を追って、自分自身も過去へと飛ぶためである。


 これだけが、日傘を護るための。日傘という存在自体を護るためにおける究極の行為。最後の行為。


『ここから先は総て君次第だぞ、誠意少年。君が過去へと渡る事が出来なければ、そこでオシマイ、the endだ。君に残されたESPはもはや君のものではない、時間制限の力だ。つまり、君に残された時間は… イヤ、恩羽くんに残された時間は、もはや数刻。無いに等しい。だからこそ、君に最後に一つだけ言っておく。ワタシは、勝算のある掛けしかしない。これ以上のテレパス能力は、君の力を発現するための障害になりかねない故、ここで通信をきらせてもらう。少年、健闘を祈るヨ◆』


 ドッペル野朗を追う前の作戦会議で、部長は言っていた。唯一、あの男と対抗できる可能性を持つのは、他ならぬ自分自身しかいない、と。奴と同じ存在である自分自身を置いて他にはいない、と。

 同じという事。起源が同じという事。存在自体が同じという事。同じESP能力を、その才能を眠らせている可能性が在るという事。或いは、別の、《全く別の理由》をもって。

 

 奴と同じように、すやすやと人の気も知らずに暢気に涎までたらして、至極幸せそうな寝顔を浮かべる我らが姫君の額へと、そっと指先をあてがう。ふと、らんま先輩の自己紹介時の言葉を思いだす。


《ESP能力って奴は、本当はもっと適当なもので、出来ちまうと思えば、何だって出来ちまうような、そんなもの》


 その言葉通り、先輩は劇辛ロシアンルーレットの際、自身の味覚のリミッターをはずして見せた。それが今の裏ミッター解除能力発現に繋がり、そのおかげで、こうして奴を追う事が出来ている。

 五堂先輩のおかげで奴の行動や場所をある程度予測出来たし、先生のおかげで遠く離れても支持を仰ぐ事が出来た。そして、部長のおかげで、部長の作戦や指示のおかげで、こうして日傘の身柄を確保する事が出来た。 

 だからこそ、だからこそ、最後の仕上げは、それだけは自分自身の力でやり遂げなければならない。日傘と二人で、またあの変人だらけの部室へと帰らなきゃならない。

 

 日傘の今と、未来を護るために。過去へと… 飛ぶ!!!

 

 体中の血液が煮えくり返るように熱い。燃えるように全身が熱い。かざした手から日傘の過去と、ドッペル野朗の残滓を読み取り理解し、時間軸の輪を構築していく。持てる力を最大限に、掛かる負担は最小限に。ハードルの下を潜り抜け、物理法則を蹴り飛ばす。一度きり、たった一度きりでいい。日傘の過去へ、否、ドッペル野朗の向った先へ。自分の中に眠る総てのESPを使いきってもいい。例え片道切符でも構わない。あの野朗の元へと。制約に制約を重ね、力を一点に絞り上げる。

 出来る出来ないじゃない。やるかやらないか。総てを、あえて差し出せるかどうか。

 奴の時と同じ、虹色の光が身体を包んでいく。過去へと導く光。言われなくても分かる。

 行き先は、きっと…



           ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 この空、この青空。そして空気の流れ。そう、ここだ。間違いない。左手の電波腕時計の電波を受信し、この世界の基準のものへと合わせる。時刻は三時前。


 その人間の過去の記憶と体験をコンパスに。そして自分自身の体験を地図に。それらをシンクロさせ執り行う過去へのダイブ。生きている日傘が存在して初めて成立する俺様のタイムトリップ能力。どうやら、俺様の初時間旅行は大成功のようだった。

天才故、当然の結果だが。

 と言っても、悠長に余韻に浸っている時間的余裕は無い。可及的速やかに、今すぐ行動しなければならない。そうだ、奴を、この世界のこの時代の恩羽日傘の行方を探し当てなければならない。果たして奴は、どこにいるのか? どこに向っているのか? 

「だが、忘れる筈も無い。この時の俺様は… 日傘を一人海岸へと残し、街へ向った…」 


 この世界の、この過去の俺様も、そして日傘も同じような行動を取ったとは限らない。ただし、俺様が行ったこれまでの九十八の世界においても、全く同じ行動が執り行われていたという経験則から察するに、この世界においてもそこは同じである可能性が高い。逆に言えば、そこから先こそが、一と九十九とを隔てた大きな違いという名の《何か》があったに違いない。

 俺様は、それを見極める。そして、納得したい。

だがしかし、そしてしかし。その様を、この俺様がみすみす見過ごすとは限らない。忘れるな、最後の世界の恩羽日傘、そしてゐ異誠意。貴様らの命運は、この俺様が握っているという事を。


 憎たらしいくらいの青空の下。俺様は海岸へと向う。その一歩一歩と共に、かつての記憶という奴が鮮明に蘇ってくるのを感じる。思い出したくもない、忌まわしき記憶という奴が。

 


 この大災害の日… いや、あの大災害の日。俺様は、日傘を失う代わりにこのESPを得た。

 何故俺様は日傘を失わなければならなかったのか。何故俺様はこんな重荷を背負うはめになったのか。何故、俺様は欲しくもないこんな力を手に入れてしまったのか。数年を掛け、まるで日傘の存在を忘れ去るように。俺様はこの自身に課せられた力を制御し使いこなす事に没頭した。だが、この力を操れば操るほど。我が力の計り知れない深い深い底を見ようとすればするほど。日に日に、過去への拘り。否。日傘への執着は強くなる一方だった。


 他の平行世界を渡り歩いてみて、幾つか分かった事があった。

 他のどの世界のゐ異誠意という存在も、日傘を失った事。

 他のどの世界のゐ異誠意という存在も、その日以来人間的に堕落し、見るに耐えない人間の屑に成り果てていた事。

 他のどの世界のゐ異誠意という存在も、俺様のような特別な力を持っていなかったこと。そう、この世界を除いては。 


 何故俺様にだけ《編集》という数あるESPの中でも更に異質となる強大な力を手に入れてしまったのか? 総ての物事に意味があるわけではないし、運命などという言葉は吐き気がするほど大嫌いだ。だが、それでも俺様は納得したい。総てを納得したい。そのための、そのためだけの数年間だった。


 だからこそ。

俺様の身体。そして思考。志向。至高。指向。

 

まるでそうすることがごくごく当たり前で、当然で、至極自然な流れのように。

まるで、そうまるで運命がそうさせたように。俺様の足は、日傘の待つ海岸ではなく… 《街》へと向っていた。


 例え地面が揺れようが、俺様の足は止まらない。

 例え標識が倒れてこようが、俺様の足は留まる事を知らない。

 例え窓ガラスが割れガラス片が降ってこようが、車同士が衝突しようが、壁が倒れこんでこようが、俺様はその歩みを止めない。


『地震だぁあああ』  

『きゃぁああああ』

『落ち着け、落ち着いて行動しろ』

『どこでもいい、しがみつけぇえ』

『うわああああああ』


 人々がその地震の大きさに戸惑い。恐怖し、あちらこちらで慌てふためている。


 恐らく、千通りのゐ異誠意が居ようと、三千通りのゐ異誠意が居ようと。結果は同じだったのだろう。

だれかがそうしなければならない。

だれかがそうしなければならなかったんだろう。

ああ、そうか。俺様は… 自分は… きっと、ただ単に。その先が見たかっただけなんだろうな。

まるで、理不尽にも打ち切られてしまった漫画の続きを願うように。きっと、その先の先を、見たかっただけなんだよ。


 気がつくと俺様は…。


 とある少年の側へと近づいていた。

少年は、目の前の俺様のことなど意に介さず、周りのことなど全く気にしていない風に、ふと何かを思案した後、その足を皆と同じく避難所へと向けようとする。


 俺様と少年を別つ距離は、そうだな、たった数メートル。ほんの五メートルくらいだろう。

永遠にも似た距離。きっと、少年は避難所に向かうことで助かるのだろう。きっと、少女はたった一人海岸を彷徨い、その身体を冷たい十字架へと変えてしまうのだろう。救いのない話だ。本当に、どこまでも救いがない。


 だからこそ。


 本当は、本当はどういうことなのか? 俺様に与えられた役割を。或いは、自分自身理解してしまっていたのかもしれない。この最後の世界に来た瞬間から。

 本当に、何て損な役回りだ。

散々、血反吐はくほど努力して… この魂をすり減らして… 毎日毎日、あいつのことだけを考えて。世界を渡り歩いて。とうとう過去にまで足を踏み込んで。馬鹿だよ。俺様は、大馬鹿野朗だ。決して、自分のものにはならねぇってのにな。






「オイ、糞ガキっ!!! てめぇが助けねーでどうするんだ!! アイツを護るんだろうがぁあああああああああああ!!!!!!!」






 何て事は無い。


 結局、俺様はこの日、この瞬間、これを言うためだけに生かされ、生きてきたんだ。俺様のESPも、俺様という存在も、総てはたった一つの世界の、たった一人の日傘を救うために、たった一人のガキんちょに、たった一言。そう怒鳴ってやる事だけが、俺様の役割だったんだ。復讐? 日傘の存在を消す? 日傘を見殺しにする? 馬鹿言っちゃいけない。俺様は、いや、《ゐ異誠意》ってどーしょうもない存在は、例えどの世界だろうと、どんな力を持っていようと、アイツ無しじゃ生きていけないのさ。あいつを護る事でしか、自分の存在意義を見出せないような、幸せを見出せないような、そんな偏屈な奴らなのさ。俺様たちという存在は。

 

 一瞬だけ、鳩がガドリング喰らったような顔をしていた少年は、すぐに何かを決意した顔を見せ、避難所とは反対方向へと走って行った。


 何て事は無い。


 とどのつまり、この世界の日傘を生かしたのは 他でもない 俺様自身だったって話。

 運命を変えるために本当に必要な事は、平行世界を渡り歩く力でも、強大な念動力でも、過去へと遡る力でもなく。

 

たった一言。たった一思案。


 

 こんな未来があったって、いいじゃないか。

 そう強く、強く思う事。たったそれだけ。たったそれだけのシンプルな話だったとさ。



 

 第五訓 END




《今日の四字熟語》


「以夷制夷」(いいせいい)

 自国の武力を行使しないで外国同士を戦わせ、外的の圧力が自国に及ばないようにする事。第三の力を使い、利を図る事。夷を以て夷を攻む。


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