グロス・オーバーと沈む夕日
ユーノは快活な少女だった。
そして16歳と、見た目ほど幼いというわけでもないらしかった。
まだあどけなさの残る顔立ちを内側に軽くウェーブしたセミロングの髪が縁取っているのも、彼女の幼さに拍車をかけている一因に思う。
民族衣装のような、所謂ネイティブ柄のワンピースに、なんと素足。この世界ではさして珍しいと言うほどではないが、あの素早さの理由はここにもあるのかもしれない。
話しを聞くに、彼女は離島でひっそりと暮らす部族の娘で、つい先日村が盗賊に襲われたのだと言う。
そして盗賊たちは村人達を全員縛り上げ、村長である祖父の持つ大切な宝石を奪って行った。
一人森に身を隠していた彼女はその後をつけ、盗賊達の乗ってきた船に忍び込み、今回の宝石奪還に至るとのことだ。
つまり、彼女はこの町に来て日が浅く、この町の風景も、名物も、もちろん立地も、何も知らないのだ。
ユーノは初めて見るものに逐一目を輝かせた。景色に目を奪われ、真っ直ぐ歩くこともおぼついていない。
俺には見慣れた景色も、彼女にとっては全てが新鮮に感じられるのだろう。
さらに、出店を見るのも初めてなようで、
「ナニアレオイシソウ」
洗脳されたかのごとく屋台に吸い寄せられていってしまう。
ゆらゆらと屋台へ向かう彼女の脳天に、「はぅまっち!」チョップを一発かます。
なにすんのー、と恨めしそうな眼差しを向けられる。
「お前はお金もないのにいろんなものに反応しすぎなんだよ」
「だってあんなに美味しそうなのよ!?」
「はいはい、港はこっちだよー」肩をつかんで体の向きを無理矢理変えさせ、歩みを進めさせる。
「鬼!悪魔!ロリコン!人でなし!」
ひどい言われようだった。俺はロリコンじゃないから。さっきのはジョークだから。
屋台から離れて行くと、少しずつユーノの目が潤んでいく。
そして、上目遣いで俺に訴えかけてくるのだった。
沈黙。
……。
はあ、と小さめのため息で負けを認める。
「ひとつだけ…。ひとつだけ好きなの買ってやるから、それで我慢しろよ」
「ほんとに!?」まってました!とばかりに表情を輝かせる。あれが無言の圧力か。
「ほんとほんと。買ってやるからほら、どれがいいんだよ」
言うが早いか、わーい!と言いながら屋台に向かって走って行く。
やれやれと頭をかきつつ、心の何処かでこの状況を楽しんでいる自分がいるのも、また事実だった。
俺は、このゲームを相当にやり込んでいる。だが、ユーノとのイベントをプレイヤーとして体験したのはほんの2、3回だったはずだ。
ストーリーの本筋には関係ないサブイベントだし、そもそも俺はこのゲームの《ある要素》にそこまで魅力を感じていなかった。
―――しかしどうだ、実際にこの世界へ来てみると、その価値観すら揺らぎかねない。
屋台で買った名状しがたい焼きそばのようなモノも平らげ、しばらく歩いていると、彼女はなんと歩きながら寝始めた。
こんなに器用な真似ができる人間がいるのか……。
そう思いつつ、通行人にぶつかりそうになる彼女を、盗賊から逃げ果せた安心が今になってきたのだろうと思うと叩き起こすこともできず、しょうがないから背におぶって行くことにした。
またしばらく歩き、ようやく港に到着した。
ユーノをおぶって歩いたせいか、少し足が疲労した感じがする。
途中もぞもぞ動いていたが、結局到着まで起きなかった。
と、「ううん……」という生々しい声が耳をくすぐる。平常心。
波の音が耳を打ち、ようやく彼女は目を覚ましたらしい。
あくびをし、伸びをし、目をこすり、辺りを見回し、ようやく現状に気付く。
「なに、これは!?少女誘拐!?強姦!?からの強制売春婦いたっ!」
後頭部の頭突きで黙らせる。開口一番にとんでもないことを口走る女だ。通報されたらどうするつもりだ。
「まったく……。ほら、ついたぞ」
「ほんとだ!」
背中から飛び降り、彼女は大きく深呼吸をした。
なかなか真似できない行為だ。俺は磯の香りがどうも苦手だった。
彼女は磯の香りに何処か懐かしさを感じているのか、優しい表情で俺の方を向いて言う。
「ありがとう。ここまで案内してくれて。迷惑かけっぱなしで……一馬って優しいね」
いや、違う。これは磯の香りに懐かしさを感じているからじゃない。そうだ、これが、このゲームの真骨頂。《ある要素》の正体。
「おじいちゃんの宝石が傷一つなく戻ってきたのも、一馬のおかげだよ。これも、本当にありがとう」
乾いた声で言う。
「別にいいよ。早く島のみんなのとこに帰ってやりな」
頷き、数歩後ずさり、彼女は頬を赤らめる。
「うん。あのね、最後に聞いてほしいことがあるんだ」
やめろ。よせ。だめだ。
これはもうゲームじゃない。単なるイラストと、テキストと、スピーカーから聞こえる音声じゃないんだ。
ある要素の正体。それは、
《異性無制限攻略システム》―――。
即ち、このゲーム内の女性はもれなく攻略――つまるところ恋愛――対象であるということ。しかも、イベントなどで命を助けたりすると、急速に好感度が上昇するのだ。
「あたし、一馬のこと―――」
その先を言おうとする彼女を、俺は強引に肩に担いで、船着き場に泊まる小舟に放り投げる。
船頭に100G渡し、言う。「出してやってください」
突然のことと落下の衝撃で何が起こったか分からないユーノは「いてて…もう、ひどいよ!」と起き上がり、
「あ…」ようやくそこが船の上だと認識する。
船は少しずつ、船着き場から離れようとする。
この世界の本来の住人ではない俺に、いついなくなるか分からない存在の俺に、恋愛をする資格なんて無い。そうでなくとも、俺は今……
「悪い」しゃがみ、ひらひらと手を振る俺。
そこに、彼女はなんと船から落っこちそうになるほど身を乗り出し、俺の頬に、不意をついてキスをした。
あ……。
呆然とする俺に、彼女は言った。
「ありがと。またどこかで逢いましょ!あと、ふくろに入ってる宝石のカケラ、よかったらもらって!」
いたずらっぽく笑い手を振る彼女を乗せた船は、ゆっくりと水平線に向かい、小さくなっていった。
火照る彼女の顔は真っ赤になっていて、それはまるで、夕日が海に沈んで行くようだった。
雲一つない快晴の今日なら、さぞ綺麗なマジックアワーがみれたことだろう。
大きくひらけた港からは、階段状に高くなっていくこの国の様子が一望できた。
最上にそびえ立つ、《月光の宮殿》。
更にその上、天から降り注ぐ川、《ヘヴンズ・ティアー》。
それがつくる12の河川のひとつ、ジューン川。
その川にかかる、俺の飛び降りた大きな橋―――
その他にも、数々の絶景がそこには存在していた。
小さくため息をつき、俺は歩き出す。
「すごいゲームだよ、ほんとに」
この、《グロス・オーバー》は―――。
俺はある日、このグロス・オーバーというゲームの中に迷い込んだ。
脱出する方法は分からない。
だからとにかく俺は、このゲームの中心である《勇者一行》に合流して、ストーリーの本筋に紛れ込んでみようと思っている。
さらに、このゲームをクリアしたあと、勇者一行に与えられる《奇跡の珠》。
その珠に願えば、あるいは―――。