黒電話
1.出会
眞姫那虎生はソファーベッドにもたれて仔猫の育て方をスマホで調べていた。
「生後三ヶ月ってところかな?そのくらいだよな・・あの母猫と兄弟はどこへいったやら」
酒屋の裏路地にある段ボール箱の束をねぐらに三毛猫が子猫を三匹連れうろうろしているの姿見かけたのが三ヶ月ほど前だった。虎生が近くの銭湯からの帰り道、自動販売機のビールを買って取り出そうとしゃがみ込むと小さく蹲っている仔猫を見つけて慌てて首に巻いたタオルで包みあげ赤ん坊を抱くように一人暮らしの部屋まで連れ帰ってしまったのだった。
自分でもどうしてこんなことをしたのかよく分からずランニングシューズの空き箱にバスタオルごと入れてテーブルの上に置いて財布を持つと
「よーち待ってなちゃいね〜おまんま買ってきてあげるからねっ」187cmに96kgで、大学時代はラガーマンの男が気恥ずかしいようなことを言いながら階下のコンビニまで出かけていった。
二十八歳の商業写真家で近くの百貨店のカタログやECサイト向けの商品や中元・歳暮の食材の撮影を生業としていた。職場のスタジオは元町波止場ビルヂングという築百年以上のクラシカルな建物の一室であった。今住むコンビニ上のマンションからは歩いて数分の距離あった。つまり、この元町一帯で彼の生活圏は完結していたのだった。独り身の生活には全く問題のない環境だ。
虎生はコンビニから戻るとバスタオルを巻いたまま子猫を流しへ連れて行くとぬるま湯でやさしく手洗い始めた。子猫は嫌がりもせずに気持ちよさそうに目を細め彼に身を任せていた。ドライヤーで乾かすと毛並みに艶が出てふわふわの子猫が出来上がった。キッチンの床に小皿を置きミルクを注ぐとぺろぺろと舐め始めた。それを背中を丸めじっと見つめた。
「さあこれはいかがでちゅか」キャットフードを皿に捻り出すと目の前に置いた。クンクンと匂いを嗅ぐとパクりと口に放り込みムグムグと食み出した。そしてあらかた食べ終えると幸雄を見てお辞儀をして新しいタオルが引かれた靴箱に戻りころりと眠ってしまったのだ。
彼はニヤニヤと笑みを浮かべ先ほど買ったビールをプッシュと開けるとゴクゴクと飲み干した。ソファーベットにごろりと横になると、すやすやと眠り始めてしまったのだった。
スマホのスヌーズ音で目を覚ますといつものように歯を磨いてお湯を沸かし始め、ふと足元を見てハッと驚いたのだった。子猫が擦り寄ってきているではないか
「ああっ!」しゃがみ込むと「踏まなくてよかった〜わちゅれていたわけじゃないよ。寝ぼけていただけでちゅよ」抱き寄せて
「コーヒー飲んだら獣医さんところで調べて貰おうね」頬を擦り寄せた。
「???しかしどうして猫なんか拾ってきちゃったんだろう?そのせいかな?変な夢見たし・・・確か神戸駅の方に動物病院あったよな」
デイバックにタオルに包んだ猫を入れると通勤用の自転車で西へと神戸駅の方まで走り出したのだった。
2.職場へ
「おはようございます!」
元町波止場ビルヂングの入り口の骨董・古道具店の女店主、銭形響子へ挨拶をして階段を上がって行こうとした。毎朝のルーティンで彼女はこのビルのオーナー、つまり家主様だ。虎生の眞姫那フォトスタジオは二階でこの階段を上がった先の部屋だった。
「おはよう眞姫那くん、また悪いんだけどさ午前中暇してない?」
「またいつもの店番ですか。いいっすよ撮影は午後からなんで」
この家主様は店子を従業員のようによく利用している。まっフレンドリーと言えば聞こえはいいが横着な性格だった。
「あら、それ何?」
彼女の目がきらりと光った。背中には撮影機材を背負ながら昨日から使い続けているタオルを胸の前に抱き抱えている虎生に気がついたのだ。
「すいません、つい猫を拾っちゃって、飼ってみようかなとか」
ゴニョゴニョと言うと
「いいじゃない、独り身男にはいい話し相手になるかもよ」
「この子は喋ったりしませんよ。スタジオと家で共同生活しますのでよろしく」
響子はニヤリと笑うと「ちょうどよかったわ、仕入れた商品の中に猫用のケージがあるのよ。ちょっと待ってなさい」とバックヤードに行くとすぐさま、サイズ感がちょうどいい籐籠を持って戻ってきた。
「五千円でいいわ、買って行きなさいよ。そうそう今日のバイト代替わりにあげるわ。よかったわね」
つまりタダ働きさせるつもりのようであった。そんなこととは裏腹に人のいい虎生は
「ちょうどよかったす。このあとホームセンター買いに行こうと思ってたんです」
しかし買い物はこれだけではなかったことに気がついたのは彼女がいなくなってからであった。猫を飼うには準備がいるものだった。
スタジオに荷物を置くと扉に”下にいます”と貼って店に戻ると外出の準備をした彼女がいた。
「お昼までには戻ってくるからよろしくね」と客のところへ買取に出かけていってしまった。店番とは言ってもこの店は夕方まで客がほぼ来ない。郵便や宅配便の受け取りくらいしか番をすることがないのが実際だ。
レジ台にしている洋風の飾り机の上に子猫を乗せ眺めながら考え事をしていた。
「名前つけてあげないとダメだよなぁ〜ん・・ミケは見たままだし、んんんん」
上を向いたり首を捻りながら考えているうちにいつの間にか子猫は店の中をうろうろと冒険していた。
『ジリリリーン・ジリリリーン・ジリリリーン・・・・」
突然、昔ながらの電話の呼び出し音が鳴り出した。虎生は驚いてその音の出所を探すと陳列している黒電話をみつけたのだ。
「はい、もしもし・・・」つい受話器を取ると「チヨと呼んでくださいね。お願いします」可愛い女性の声が聞こえてきたのだった。受話器を握りしめたたまましばらく呆然としたが、ふと下を見るとその電話機のコードを子猫が咥えていたのだ。
「君が喋っているのかい」馬鹿げた話だが子猫に向かって問いかけた。「命を助けてくれてありがとうございます。あのままお腹が減って死んじゃうかと思ってました。あなたはマキナさんと仰るんですね。したのお名前は?」
「えっ、コウですけど。虎に生きると書いてコウです」机の上のメモ用紙に漢字で眞姫那虎生と書いて見せてみた。
「へぇ変わったお名前ね。じゃ”コウ”って呼ぶわね」コードを加えた口を開くと「ニャー」と鳴いた。
試しに「チヨ」と言うと再び「ニャー」と鳴いたのであった。受話器に向かってもう一度語りかけたが、チヨは店の中をまたも冒険し始めてしまった。
「こんにちは、響子さん」突然入り口の方から挨拶が聞こえるとチヨは慌てて虎生の足元に逃げてきた。
「あっ響子さんは昼過ぎまで出かけているんですよ。何かお急ぎのご用事でも?」
尋ねてきた人を改めて見ると袈裟姿の住職であった。
「いや別に用事じゃないんじゃ。近くに来たものでついでに挨拶にと思うただけじゃで。それじゃ失礼するよ」
出て行こうとするが住職なら心霊現象に詳しそうだと思い
「あっちょっと待てください。少し聞いて欲しいことがありまして変な話ですいませんが、この受話器から人の声がするんですがそんなことがあり得ますか」
住職はニヤリと笑うと「またこの店の商品に憑いたのかのぉ」
「?憑いたってどう言うことですか」
「いやのぉ使い古された道具というものには付喪神憑と言って不思議なことが起こるのじゃよ」
と言って電話機を持つとクルクルと回しながら眺めていたが「そうでもなさそうじゃの、ただこう言ったアナログな型式の機械というもは霊的な波長を受信することがあるのじゃよ。幽霊の声でも聞いたんじゃないかの」
びっくりしてチヨを見た。後ろ足で耳の裏をかいて背中を舐めていた。
「住職、お名前は」伺うのをすっかり忘れていたのだ。
「有馬の満腹寺の晴山じゃよ。お主も何かあれば相談を受けるぞ。ではな」と帰っていった。
それからも黒電話を眺めてはダイヤルを回したり受話器に話しかけたがいっこうに繋がることはなかった。
「ただいま、何電話で遊んでるの、ありがとう仕事は済んだわ。もうスタジオに戻ってもいいわよ」
「あっ留守中に晴山和尚さんがいらしてましたよ」
「そうなんて?」
「近く行きたからとおっしゃってました。よろしくって」
「変な坊さんでしょ。ただ役に立つこともあるのよ。こういう仕事してると」
「これ値札が二千円って書いてましたから」と電話機を持って二千円置いてスタジオに戻っていった。
3.夢
スタジオに戻りドアに鍵をかけるともう一度、チヨにコードを咥えさせて受話器を握って話しかけた。
「チヨ、もう一度話してくれないか」
「いいわよ、コウ。何が聞きたいの」
「君は幽霊か何かなのかい。どうして人の言葉を話せるんだ」
「わかんないわ。でもサナトリウムで治療していたの肺病の」
「えっいつの時代のことなんだ。肺病なんて今時」
「いつの時代?今は大正じゃないの」
「それは百年以上前だよ。今は西暦2026年、令和の時代になっている。もしかして君は大きなリボンをつけて着物に袴姿で革靴を履いていたんじゃないか」
「そうね女学校へ行ってる時はそんな感じかな。でもどうして知ってるの」
「いや昨日の夢に出てきたんだよ。そうだ!アナログな型式の機械は霊的な波長を受信することがあるんだよな」と言うと棚の奥から真っ黒なF1と白抜きで記されたカメラを取り出してSSSと書かれたフィルムを装填してカシャ、カシャとシャッターを一気に36枚撮り切った。カメラのあった棚から薬品を探し出すとスタジオにある小部屋に入っていった。部屋の上にあるランプが”現像中”と赤く光った。しばらくしてそのランプが消えると虎生が興奮した様子でチヨに「これが君じゃないか」少し濡れた白黒の写真を床に全て広げた。
猫の後ろにしゃがんで着物に袴姿の少女が写っていた。世間で言うところの心霊写真であった。コードを咥えたままのチヨが「あら、お写真撮るのお上手ね。元気な時の私よ」じっと写真を見つめていた。
虎生はソファーに崩れ落ちて「なんてこった・・・取り憑かれたのか俺は・・・」
4.実家に秘密あり
いざ共同生活を始めてみると幽霊なんて気にならなくなっていた。毎日仕事場から猫の籠と電話機を持ってマンションに帰ることが日常となっていた。結局もう一台、ネットで電話機を購入してしまっていた。
二週間ほどチヨと話しているうちに彼女の記憶と虎生の思い出にリンクすることがあった。
いつものように受話器を持って「それじゃ楠公さん(湊川神社)の前にある写真館で女学校入学の記念写真を撮ったて言うのか」
「そうよ。コウが撮った写真の格好でよ。そのあと発病して六甲山の療養所で暮らしたの」
「その写真館は俺の実家かもしれない。”眞姫那写真館”は震災までは神戸駅にあったんだ」
「不思議なご縁ね。もうその写真はないでしょうね」
「いやもしかしたら残っているかもしれない、この写真を見てご覧」
パソコンに眞姫那フォトスタジオを表示するとその歴史をクリックした。画面に戦前の眞姫那写真館が映し出された。
「チヨ、よく見てみな」画面をズームアップすると店のウインドウに飾られている写真にチヨがいた。
「あら、素敵、飾ってくれてたんだ」
「親父たちは今は鈴蘭台で写真館をやっているから探しに行こうか」
翌日、二人は電車で鈴蘭台の眞姫那写真館へ行った。
「あらどうしたの久しぶりじゃないの」
「母さん、親父は?」
「結婚式の写真撮影よ。式場と契約して今やうちの大収入源よ。猫なんか飼ってる暇があったら早く身を固めなさいよ」
「いいだろ。そのうちなんとかするよ。ところで倉庫で探し物するから父さんに連絡して夕飯食おうぜ」
「わかったわ」
店の2階にある倉庫は年代別にしっかりとネガと写真が整理されていたのでお目当ての探し物はすぐに見つかった。
段ボールに詰められた写真を居間でビールを飲みながらチヨと探すとお目当ての写真はすぐに見つかった。
「母さん、この写真覚えている?」
「あらこれ、もしかしておばあさまのお姉さんじゃない。よく見つけたわね」居間にあるアルバムを取り出して広げるとチヨによく似た少女が映っていた。虎生の曽祖母である。チヨに見せるとニャーニャーと何度も泣いた。どうやらその通りらしい。
「この写真を撮った縁でお祖父様と結ばれたって昔聞いたことがあるのよ。でもどうしてこの写真を探しにきたの」
と言ってその裏を見て思いっきり吹き出し笑い始めた。
「虎生ちゃん、そのいたずら書きのことを思い出したのね」と写真を裏返すと子供の字で
『ぼくの彼女 コウ』と書かれてあったのだ。すっかり忘れていたが初恋はチヨであった。これが不思議な出会いの顛末だった。




