46-1 幼少時の悪夢です
(夜凪視点)
恵まれた家庭に生まれて不満は無かった。
妖の常識も、昔は『そういう物』と普通に流せた。
あの8歳の頃も……そうやった。
土蜘蛛の山に簡単な使いで出された。
本当は嫌でたまらんかった。
膨らんだお袋のお腹に、俺の妹が居ったから。その子が、2、3日くらいで生まれる予定やったから。
「兄ちゃんだよー!」
俺の事を忘れんようにって、毎日お袋のお腹に話しかける子どもやった。
使いに出る前日の夜も、それは変わらず。
「はいはい。毎日言わなくても、生まれてから呼び方を覚えさせれば良いでしょう?」
「この前、倉庫番のおっちゃんが、1週間ぶりに家に帰ったら娘に『おじさんダレ?』って言われて泣いたって」
「ソレちょっと違う話じゃないかしら?」
そんなやりとりの最中に、部屋の襖が開いた。
「親父! お帰りなさい!」
「◯◯◯◯◯◯◯◯◯」
「夏休みの宿題? そんなの絵日記以外初日に終わらせてるし。だから後は、のんびり妹産まれるの待つ気でいたんだよ?」
「◯◯◯◯◯◯◯◯◯」
「分かってるよぉ。いつか立派な頭領になるには、他家との付き合いも大事って」
唇を尖らせる俺の頭を親父がぽんぽん撫でて、お袋が呆れたように妹の居る腹を撫でとった。
ソレが、未だまともで、普通に楽しかった頃の……家族との最後の記憶や。
家に帰ってくると、凄く変な雰囲気やった。
屋敷の使用人達が、ごっそり減ってた事。
お袋の側にいつも控えとった麦穂が居なくなってた事。
お袋付きの侍女が何人か怪我してた事。
そして……、
「私の赤ちゃんは? 何処?」
「奥様、お嬢様は……」
「ああ、そうだったわね。えぇ……そうだった。此処には居ないのよね? 分かってるわ。大丈夫、大丈夫よ……ぁ、いや……やっぱり嫌よおおお!! あの子は!? あの子は私が育てるわ!! 返して!! 返してええええ━━━━」
長い髪の頭を掻きむしって、ヒステリックに叫んで……お腹の薄くなったお袋が、正気を失っとった。
後で知った事や。人外の嫁になった人間は、多少の長寿と嫁入り先の妖の特性を受け継ぐ。天狗は雌の母性本能がヤバいくらい高すぎて、子どもが乳離れするまでは、本当は引き離したらアカンらしい。
簡単に言うと、お袋のようになるから。
治せへん訳や無いけれど、当時の俺はその光景が怖ぁてしゃーなく、お袋がどういう状況なんかも周囲に聞けへんかった。
俺は半泣きで親父のところに向かった。
━━怖い。お袋何で暴れてるの? 麦穂は? 倉庫番のおっちゃんも居ない。妹はどうなったの?
「親父!!」
廊下をひたすら走って、親父が仕事をしてる部屋の襖を開けた。
「あぁ、夜凪。お帰り」
俺は、その時鳥肌が立った。
「土蜘蛛の家はどうだった?」
━━違う。
「御当主の病に、届けてもらったあの薬は効いたと思うんだが……」
━━声も顔も同じだけれど、全然違う。
「あぁ、あそこの山のならず者退治の方に尽力していて確かめそびれたか?」
本当はこの時、俺は声を出すべきや無かった。
「……だ、れ?」
やのに、出してしまったから……、
「あぁ、面倒くさい。お前は、殺す訳には行かないのに」
視界が、手で覆われて真っ暗になった。
「止めろッ! 離せ!!」
バタバタもがいた。けれども壁に押し付けられるように片手で顔面を掴まれて持ち上げられた俺は、何故かそれ以上の抵抗がその時できんかった。
「隠居の天狗は何も言わなかったが……まさか気付かれていたか? まぁ良いか」
「妹ッ! 俺の妹どうした!?」
「あぁ? アレか。お前は知らなくて良い」
電流が体を走った。
痛みに意識が遠のいて。
違和感まみれの記憶に塗り替えられて。
間違った情報を頭に押し込まれて。
俺はこの後数年間を無駄にする事になる。
けど一つだけ。揺るがん物があった。
━━俺は絶対にいつか思い出したる。
お前が紛い物やって事を。
壁にめり込みながら俺がこんな事を思い出してんのはきっと、紫陽花女が朦朧としとる俺の頬に手を添えて、悪趣味にも愉しそうにじわじわ溶かしつつ━━ずっと死んでる思うてた妹の居場所を、妙な術で探ってる事に気付いたからやろう。
「う……せ……」
「イヒャ?」
こんな状態でも離さんかった脇差で腕を落としたのは、ほぼ無意識やった。
霊力を回して頬を直す。
あぁ、耳もちょい触られてたか。こっちはもう少しかかりそうや。
それは兎も角……コイツは、死んでも此処で2度と起き上がらんようにせな。
「もう俺は、奪わせへん」
あの日から、ずっとずっと怒りが燻ってる。
返せ。
まともな生活を返せ。
恵まれた裕福な家庭に生まれた。
金も、食べ物も、寝るところも、教育環境もある。
でもあの家は冷たい。
他にもあった大事なもんが、無くなったせいで。
妖であっても、家族と幸せに暮らす時間はあって然るべきやろ。
優しいお袋が居って。
まともな親父が居って。
使用人が誰もビクビク怯えてなくて。
可愛い妹が居る。
そんな生活を送るはずやった。
やから……、
「もう誰にも……俺の家族は、奪わせへんッ。奪う気やったら、テメェの骨ひとつ残らんように叩き潰すッ」
2回戦の始まりや。
けど……自分の呼吸が、ヒューヒューと、荒くなり過ぎてるのが分かる。
今度こそ死ぬやろうな……でも、唯では死なん。絶対に道連れにする。
ガンッ!! ゴンゴンッ!!
……何やこの音?
ガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンドゴォッ!!
「やっと あいた」
すぐ横の壁が、長方形━━本当に扉みたいに開いた。
聞き覚えのある子どもの声に。
そこから覗き込んだ俺と同じ色の瞳に。
今自分がどんな顔してるんか、分からへん。
「何で、何で戻って……?」
思わず震えた俺の声なんてお構いなしに、謎のワイヤーで腕を絡められた。
何やこれ? 力が抜ける!?
「鬼ごっこするよ。はい、こっちくる!」
…………え?




