35-1 兄ちゃんです
(三人称)
少年は長い階段をゆっくりと登っていた。
元は空を浮く御者の居ない不思議な馬車に乗せられてやって来たのだが、目的地の空島━━悠揚には無事に辿り着けたのだが、着いた途端、その馬車が動かなくなったのだ。故障したらしい。
階段を一段一段登る旅、桃紫の柔らかな短髪を、風がくすくす弄ぶ。
そんな彼の前を、一人の少女が軽やかに行く。
銀のボブショートの髪が、雪のようにきらめいて美しかった。
背は低いが、少年と歳は変わらないだろう。
「若様ー、そんなにのんびりだと、流石に遅れちゃいますよー」
階段を登りきった少女が呼びかける。
「ほら、急ぎましょ。お館様待たせたら、まーた意地悪されますぜ?」
後ろからトントンと駆け上がってきて、すぐ横に並んだ別の少年が言った。
麹塵色の少し長い髪を結って前に流している三白眼の少年だ。
その表情は、少し呆れ気味である。
そんな二人組に対して、桃紫の髪の少年は、些か疲労感の混じった笑みを浮かべて口を開いた。
「━━━━うーん……自分ら、そう言うけどねぇ」
京都か滋賀か、その辺りの柔らかさを感じる西の発音。
「気ぃ重くて……」
「まぁ、分かりますけど……」
「坊ちゃん、慣れてくだせぇ。今日断るなら、この先どんどん来ますから」
桃紫の少年は、大きな溜め息を吐いた。
声にこそ出していないが、何を考えてるかは筒抜けだ。
ずばり、『言わんとって』である。
「ほんま……ただの人間に生まれたかったわぁ……」
「またそんな贅沢を」
「……せやね。ごめんやで」
苦笑いになる少年と、隣を歩いていた少年。そして前を言っていた少女の動きが、
━━そこで同時に止まった。
「なんや……お客さんがようけ居るねぇ」
黒い影が、3人に襲い掛かったのはその発言とほぼ同時。或いは直後の事である。
狼か猿か。
どちらともつかぬ黒い其れらは、まず銀髪の少女が鋭くさせた己の爪で引き裂いた。
麹塵の少年は番傘で殴り、桃紫の髪の少年が鞘に頭身を収めたままの脇差で跳ね返す。
たったそれだけで、獣達はバケツでもひっくり返したようにバシャンと━━潰れて辺りに飛び散る。
下の段に叩き付けられる者。
石段の左右を埋め尽くす青い花の木々の幹に叩きつけられる者。
場所は各々異なるが、何匹も同じように散って行く。
「何なんやろか、こんなとこまで……」
「コイツ等マジでウゼェ……! 彩海ッ!」
麹塵髪の少年が声を張り上げたのは、最後の一体を屠ったと思われた瞬間だ。
もう一体迫っていた。
少年達の方を見ていたボブショートの少女の背後から、ソレは襲いかかる。
間に合わない、と。
見ていた二人も、少女本人も、その時は思った。
「……っぶな、何これ?」
ベチャッ。
蚊でも払うかの如く、一人の青年が其れを片手で叩いて潰すまで。
時が止まったように、彼女等は青年から目が離せなかった。
カーキの軍服は見覚えがあった。初雷領にある鞍馬邸勤めの、一部の者の制服だ。
ところで、制服効果という物がある。
モブですら3〜5割増し格好よく見える現象だ。
そんな効果を、金髪にアイスブルーの瞳を持つ、やたら顔の良すぎる高身長の青年が発揮したらどうなるか?
「お……王子しゃま♡」
「王子様が居るわ」
「実在するのかこんな王子が」
思春期の子ども達に、第一印象『王子様』で定着してしまった。
「大丈夫? 呪いとか持ってないっぽかったけど、当たったりしてないよね?」
「はわわ」
柔らかな笑みで少女を覗き込む、やたらめったら顔の良いこの王子。
現実は哀しいかな、元ヘタレ前髪こと藤紫である。
前髪を最近適度に切ったのだ。
……が、助けられた少女はそんな事知る由も無い。




