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31-2 帰ってきました

(藤紫視点)


 明らかに虐待と化している修行について話した時は特に印象的だ。


「骨が折れる? 血を吐く? だから? お母さんが何かしなくちゃいけないのかしら? それはお母さんが悪いのかしら? 違うわよね。可哀想な子……己の弱さも理解出来ないだなんて……可哀想だわ。貴方の為を想って先生方は厳しくしていらっしゃるのよ? 先生方の思いやりを無碍にしてはいけないわ。さてはお前、鍛錬の時以外は女中達に甘やかされているでしょう。汚らわしいこと……何て子なのかしら。先生方に謝って血でも何でも吐いていらっしゃい。お母さんはこれからお茶会に向かうの。死んではいないのだから、死にかけた程度で邪魔をしないでちょうだい」


 悪意無く正当化される加害に、吐き気が押し寄せたのは言うまでも無い。

 淡紅藤の上質な着物で横を通り過ぎていった女に、もう何も望まなくなった。

 乳母は「奥様は幼いのです。どうかお許しくださいませ」とよく後で謝りに来ていたが、アレは300年は生きている。何が幼いんだ巫山戯るな。


 そうこうしている内に、時々見るに見かねて助けたりしていた義弟が呪われた。

 僕はブラコンという訳では無いけれど、義弟━━白雨を助けたいという衝動に駆られた。


 親父殿は助けない。あれは相性一筋。愛妾を寵愛し、自分が愛妾に割く時間を長く確保する為にしか立ち回らない。

 愛妾は……親父殿に、どこかの遠方で監禁されてるらしいから、白雨の様子なんて耳に入らないだろう。入ったとして何も出来ないだろう。番じゃ無いらしいが、ヤンデレに見初められたばかりに、可哀想に……。


 少し話は逸れたが、白雨を見殺しには出来なかった。

 見殺しにすれば、僕はあの()と同類になる。ソレが嫌でたまらなかったから、蔵にあった禁術の巻物を拝借し、白雨が生死の境を彷徨っている間に呪いを自分に移した。


 どうせ死んでいなければ、あの女はいつも通り静観している。実際にそうだったが、修行(虐待)してくる連中と、白雨を丸め込もうとしている分家の寄生虫どもが調子に乗り始め、待遇悪化は加速した。


 思い出したくも無い仕打ちの数々。

 暗く陰鬱な日々が体内の何もかもを喰んで、病んでいた。


 俺が運命に出会ったのは、それから2、3年後の話だ。肌の色が所々黒くなり、元の容姿とは比べ物にならない醜さと自他共に認めていたから油断した。

 恥知らずにも夜這いに来た女中を秒殺した僕は、触れられたの寝巻きだけだったからセーフ……なんて開き直れなかった。

 誰かを殺したのはソレが初めてで、その女中は、とても信用していた存在だったからだ。


 気分を落ち着かせたくて、ふらりと庭に出た。

 もう十分な戦闘力が身に付いていたから、月世の庭は怖くも何とも無い。


 ふと、よく1人になりたい時に向かう柳の池の前まで来た時思い出した。

 僕や白雨を庇おうとして追い出された侍女頭が、あの池には秘密があると言っていたのを。


 ━━あそこには、龍族の成人の儀に使う鏡が捨てられているのです。


 成人の儀になんて興味が湧無かった。抑も成人の儀まで生きられると思っていなかったからだ。

 ただその鏡が何に使われたのかは覚えている。

 僕らのような『番』を感知する種族なら死んでも欲する━━番を見つけ移し出す道具。


 危険物と言っても過言では無いソレは、当主達の間のみで秘密裏に受け継がれていたが、親父殿が、僕が母親の胎内に居ると判明した日にその鏡を池に捨てたそうだ。

 多くの者は、勘に触る事があり、八つ当たりでいらない私物を投げ捨てたと思ったらしい。

 実際何を思っていたのかは、知る気も起きない。

 侍女頭が何故当主しか知らない鏡について知っているのか僕は気になったが、終ぞ聞く事は叶わなかった。


 そこまで綺麗な池では無い。

 だから入って態々回収しようとも思わなかったが、ソレは……池の中でも、十分効果を発揮した。

 ふらりと池に近寄ったその時、水面の一部が光って見えたのだ。


 覗き込んで、今まで感じた事の無い熱と鼓動に耳の奥で大きな音が鳴った。


 モノクロの世界に色が乗る。

 その子は、まだ赤子だった。

 紅玉や赤すぐりを思わせる綺麗な瞳を見て、すぐに天狗族の子だと分かった。

 珠のような赤子だと思った。

 本来なら寝返りも満足に打てない赤子は、可愛らしいとしか思わない筈なのに、


 そんなモノでは、到底納まらない━━大きく重すぎる何かを、胸中に抱え込み、確信した。


 呪いが解ける。

 あの子といずれ━━━━━━。


 そこまで考えて、自分が抱いた何かと、『いずれ』の先の想像に、吐き気と悲鳴を上げそうになり、押し留めた。


 おかしい。狂っている。気持ち悪い。


 けれども、その子から目を離せなかった。

 僕は時間さえあれば、その子の様子を池に見に来るようになった。

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