30-1 解呪します 後
「藤君」
呼んでから、私は彼の頬に両手を添えた。
「姫様? 何を……?」
言ったら、卒倒しちゃう可能性があるから敢えて言わない。
別の伝言はさせてもらうけどね。
私、この後きっと倒れるから。
「おわったら、白雨君とちゃんとおはなしすること」
右の片翼だけ広げた私は、そこに霊力を溜め始める。
毟り取る手は塞がっているから、
━━いっそ翼の骨から取れろ、と。
そう念じて。
「待って下さい! 待って! 本当に何す━━」
体の右側を、キラキラした光が月夜の空に昇っていく。
藤君が何も言わなくなったのは、無理もない事だ。
何故なら私は今そっと……前髪越しではあるけれど、彼の額に唇を触れさせたからだ。
多分、1秒くらい。
本当の本当に一瞬だけ。
でも確実に、音も無く消した翼の水晶の、破魔の力を全部注いだ。
呪いに免疫のある私の霊力を通して。
免疫程度じゃ、呪いは払えないけど、特効薬をぶち込めば別だ。
私みたいな特殊個体では無い妖にとって、水晶、翡翠、瑠璃は毒。常識だ。
けれども、龍という生き物ついて、一つ思い浮かべて欲しい。
よく水晶の玉を持って描かれていないだろうか?
前世でも、今世でも、それは変わらなかった。実際のところ違うのは、球では無く角である事。この世界の龍は、必ず妖の毒である何れかの鉱物で出来た角を持っている。
だこらこそ龍にとって、水晶の毒など何の障害にもならない。
効果は、中の呪いに的面だ。
……ま、だからこそ、本来なら命の危機に瀕するような呪いに掛かる事も無いはずなんだけどね。
イレギュラーって、何処にでも転がり込んでくるね、怖いわ。
多分、白雨君のさっきの言い分から察するに、藤君は質の良い角を持っているんだろう。でも、解呪には至らない。なら、量で攻める。更に私の流す霊力で相乗効果も促す。
量に関しては、うちお抱えの専門家達に藤君が相談済みの場合、もう試してるだろうから今回の肝は私の霊力になる。
……ちょっとだけ、まだ心配かも。あと、頬と耳にもしとこうか。
耳に口を微かにつけた瞬間、藤君の肩がピクリと震えた。
イケナイ事をしてる気になっちゃう。
でも額や掌に触れるよりも━━こうして口づける形の方が、集中したい時は効率が良い。
あ……藤君の唇、綺麗。
でも流石にそこは駄目。
「くちにはしないから、あんしんしてね」
そう囁いたのは、耳元だ。
駄目だなぁ、もうトロンと瞼が重くなってきちゃった。
霊力切れが近い。
側から見たら全然動いてないのにって思われるだろう。
でも自分の霊力を一瞬で、大量に流すのって結構体力を削るんだよ。
正直、これでダメならもう何やってもダメ。……一個だけ可能性が有るけど、
その手段は、私の体がまだ無理。
『その子は僕の━━━━』
……?
今の、何だろう? 2年前の、あの廊下に似てた気がする、けど……。
霊力が切れる寸前に、どうにか藤君達の霊力の圧だけ解いた。
けれど今流れてきた記憶について考える事までは出来なくて、私の視界は━━真っ暗になった。
***
(三人称)
星も、月の光も届かない厳重に封印されている部屋だった。
橙に揺れる灯籠が、三つの影を裂き、壁に揺れていた。
「また失敗でしたか」
華奢な女が静かに告げる。
着ているの日本の着物で有るにもかかわらず、その顔は西洋の喪服めいた黒いヴェールで隠されていた。
「兎の始末が出来なかったならば、せめて狛犬のお嬢様を、あのならず者達の手土産にしたかったのですけれど……」
「代わりを用意致しますか?」
そう聞いたのは、ただの真っ白な丸い面を着けている少女だ。
「いえ、辞めておきましょう。近頃、彼の方は、少しの事で大事な手駒の首を物理的に飛ばしますから」
彼女の視線は、その場にいた別の少女に向いた。黒いマスクに目深にキャスケット帽子を被っている為、やはり顔の見えない少女だ。
「其方はどうでした?」
「申し訳ございません、姉上。やはり初雷領の封印符が一度貼られた場所は、開く事が出来ないようです」
「そうですか、尽く……彼の方には報告出来ない結果ですね」
ヴェールの女に対し、2人は黙り込む。
「どうしました2人とも?」
2人は顔を見合わせると、互いに頷き合った。
「姉上、何故あの娘の下につく必要がありましょう?」
「あの娘の言動は、どう考えても気が触れています」
「……」
ヴェールの女は暫し無言のままだった。
だが口を動かすより先に、自分の背丈より低い位置にある2人の頭に手を置いて、ゆっくり優しく撫で始める。
「姉さんが不甲斐無いばかりに、ごめんね」
やや震えた、敬語では無い話し方だった。
2人は慌てて首を振った。
「姉上は何も悪くありません!」
「謝る必要などありません! 私達、気になってしまっただけ、でして……」
モニョモニョと言い淀む2人に、ヴェールの女は「無理も無いわね」と告げた。その声には、敬語の時の冷淡さはまるで感じられない。
ヴェールの中で、氷のように冷えた瞳が、温かさを取り戻す。
「あの娘の言動は確かにおかしい。
漫画だの、原作だの……荒唐無稽な話ばかりします」
「前世とやらもでは?」
「ああ、それはこの業界ではそこそこ有り得る話ですから」
顔の見えない2人だが、驚いている雰囲気は明らかだった。
姉と呼ばれたヴェールの女は、2人から手を離すや背後の扉に目をやる。その表情と空気は、鋭いものに戻っていた。
何枚もの札を重ねに重ね、一見、その扉が何製でどんな色をしているかなど分からない。否、もはや知らされていなければ、扉だと気付く者も居ないだろう。
「しかし、あの娘の目的と……私達の悲願の成就は、利害が一致していますから」
女はヴェールを取って、扉に近付ける。ヴェールが風に晒されたカーテンよろしく広がったかと思えば、あっという間に札塗れの壁は覆い尽くされた。
後に出来上がったのは、何も無い壁。
ヴェールを外した女の顔が、橙の中で顕になる。
「常世と現世は……必ずや断絶せねば」
風も無いのに揺れる灯り。
照らされた彼女は、まごう事無き人間であった。




