23-2 兎と天才です
(三人称)
社 誠志郎は、まず己の肉体を礎に精霊を封印した。精霊と言葉を交わせる妖など彼の周りには居ないが、彼の計画を進める上で、魔物殺しの当事者を野放しにするのはリスクが有った故に。そしてその次に、妻を家の中で殺害した。魔物を喚んだ事実を身内にだけ明かせば、誰も止めなかった。
だが彼の封印した精霊はかなりの大物だった為、並の封印術では数年で破られる事が明らかだった。
そこで80年に一度、生贄の儀を行い封印を補強する事にしたのだ。妻のかき集めた儀式に関する禁書が、社家の隠し部屋の一つを占領していた為、儀式のやり方は直ぐに導き出せた。封印されているのは妻の喚び出した魔物だと一族全員に吹き込めば、あっさり信じて協力した。そして、施したばかりの封印に補強など要らないのに、その事を誰にも気付かせる事なく話を進め、日和を第一の生贄にする事が出来た。
『湖に指輪を投げる日和は本当に綺麗だった。みっともなくワンワン泣き出したら嫌だなと思っていたんだけど、静かに少しだけ泣いていたんだ』
麦帆の脳裏に、あの隠し部屋で見た絵巻物が過った。
何処かの湖と思われる場所で、涙を流しながら立つ白無垢姿の女の絵。
━━見えなくなっていた部分に持っていたのは、指輪だったのだ。
「溝クソ野郎が……ッ」
『酷い言い草だ。全てを知った日和に死なれて、私はすごく悲しかったのに……。本当に……日和と寝た男と、日和に似た餓鬼を殺し終えるまで』
どこまで自分勝手で、他者を踏み躙れば気が済むのか。
社 誠志郎の言葉に、麦穂は煮え滾るような感情を長い溜め息でどうにか押さえ込む。
━━そして、
「水沫……殺れますね?」
『は? ……!』
そこで、ようやく現状の異様さに社 誠志郎は気付いた。
先程まで、麦穂ほどでは無いが確かに危険視し、排除しようとしていた男が、余りにも静かだという事。そして何より、麦穂がその男への攻撃を、岩に縫い付ける前から止めていた事━━操っていた術の糸が切れている事に。
焼けるような痛みが、音より先に来た。
赤獅子の胴を、より広い範囲に致命傷を与えるべく鉛玉が形を変えて貫通したのだ。
一発では無く、何発も。
胴を走るように当たり、貫通する弾の嵐。
直後、小さな影が弾の飛んできた方角とは反対側に見えた。否、正確には、弾が飛んで来た右側から、宙をぐるりと飛んで降りてくる瞬間を、赤獅子は見たのだ。
だが、そちらに気を取られている間に、赤獅子の片方の前脚が刻まれた。
「妖精を使役する術の応用といったところか」
少し離れたところに降り立つ麦穂が、そう呟いた。
前脚から脱出した麦穂の声と姿は、当然だが赤獅子を通して社 誠志郎に届いている。
彼は、彼女の頭上にある2本の耳を見て、術を破ったのは彼女自身で有ると同時に、誤算だったと言わんばかりの表情を浮かべた。
『お前……『月の兎』か……!』
一般的に脆弱とされる兎の妖の中には時折、仏の加護を与えられ生まれる戦闘に特化した個体が居る。
『月の兎』と呼ばれる彼等は、神話として語られている事も有り、カケラだが神格を得ている為、時間に個体差はあるが生半可な妖術など弾いてしまう。
「だったら何か?」
社 誠志郎のような反応は、正直彼女にとって見飽きた物である。口元の血を拭いながら、麦穂は「それよりも」と、言葉を続けた。
「次が来ますよ」
赤獅子が後ろを見る。二丁の拳銃を重ねて何か術を施した青年━━水沫が次に握っていたのは、一振りの打刀。
奇妙な術だと、彼は思った。だがその奇妙さに、彼はすぐ動くべきだった。
━━神速。
そう呼ぶに相応しい程の速さで、また再生する赤獅子の首を、打刀が落とす。
直ぐ再生すると分かっているのに、なぜ今更刀で首を落とすのか?
刹那、片目に激痛が走った。
『ア゛ア゛ア゛ァァァアア━━━━!?』
「やっぱ感覚を共有するのはそこだよなぁ?」
赤獅子を動かすための最低限の共有部分は、確かに目と耳だ。だが、目はそれを抜きにしたって急所である。故に、斬られたり刺されたりしても支障が無いよう痛覚の共有などしていない。
「ダイレクトに痛みが走るとは思って無かったけど、僥倖だよ」
呻きながら、残った目で打刀を見る。
赤獅子の目には『病』という一文字が見えた。
『なんだ? その刀は……』
「ハッキングと同じだよ。くっそ気色悪ぃ術式組み上げやがって。おかげでどんな術式が有効か分からなくて、こんな使い捨ての付与しかかけられなかった」
水沫の打刀が、砂のような塵になって風に飛ばされる。
『違う! 刀なんて何処からッ』
「作った」
その声が耳に届いた時には、赤獅子もとい社 誠志郎の視線は、水沫の手の中だった。
そこには、水沫が片耳につけていた小さなイヤリングがある。ソレが形を変え、二つに分かれ、今度は双剣に変化する。
━━小さな耳飾りから、何故?
浮かぶ疑問。しかし同時に思い出した事があった。水沫が麦穂の短刀を受け止めるために、薄いヴェールを柔軟且つ丈夫になるよう緻密に神通力を使用した事を。
此処で、社 誠志郎は気付くべきだった。
ある天狗の姫はこう言う。
神通力とは、『思い込み』が要であると。何かをするというイメージだけでは無く、『ソレは出来て当たり前』と、脳に刻みつけるのだと。
ハッキリ言ってしまおう。
それは、持って生まれた者の発言である。
神通力も、本来は大半の妖が使う妖術や、西洋の魔術と変わらないのだ。適切な量の霊力を練り、誤作動を起こさないよう、また異なる属性が反発し合わないよう術を構築し、霊力に付与して発動する。霊力は特に、神聖な気を含んでおり、常世の妖の気と反発しやすい代物だ。それは、さっさと練った霊力を放出しなければ最悪爆死する事を意味する。故に妖でありながら生まれつき霊力を持つ天狗が編み出した神通力は、実は大雑把になりがちなのだ。凝った術式を構築してる時間が無いから。
つまり、咄嗟に術式の付与まで行った水沫には、突飛した才能があるという事だ。
「アクセサリーまで与えたのは失敗でしたね」
その声は麦穂の物だった。
決して、社 誠志郎の心を読んだ訳では無い。何故なら、麦穂にそんな特技は無いからだ。だが、まるでそうしたかのように、麦穂は自慢気に言葉を続けた。
「そこの癖毛は、我が領きっての天才錬金術師です」




