4 浄化
「その後、親戚たちで遺品を整理していたのですが、誰かがもう必要ないものだと思ったのでしょうね。処分したらしく、酒杯がなくなったことに気づいてから、ずいぶんと日にちが経って……」
それが巡り巡って『縁』に置かれるようになったというわけである。
「こんな不思議なこともあるのですね」
ハンカチで涙を拭い、女性は笑みを浮かべる。
「実は今日は亡くなった両親の結婚記念日なんです」
「ええ、夫と二人でお酒を飲むと嬉しそうに仰っていました」
「そうですか……あの、この酒杯はおいくらでしょう。母の代わりに代金を支払います」
しばし考えた後、紗紀は、はいと頷いた。
紗紀は手にしていた酒杯を夫婦に手渡し、代金を受け取る。
夫婦は涙を浮かべ、何度も礼を繰り返し去って行く。
紗紀はふう、と息をついた。
「よかった。ちゃんと手にするべき人の元に酒杯は戻りましたね。本当に不思議です。この仕事、以前の鏡事件のように怖い思いをすることもあれば、今回みたいによかったなと思えることも」
紗紀は神社の境内に咲く桜の木を見上げた。
ふわりと花びらが舞う。
そういえば、以前も一空とこうして木を見上げたことがあった。
枝の間から覗く月がきれいだった。
あれは、長野の田舎に行った時だ。
二人で梅の花を眺めた。
「死者の残した思いを叶えてあげるのも悪くはないと思うようになりました。これは、一空さんや私のように、限られた人にしかできないことなんだと」
そこで紗紀は、自分を見つめている一空に気づく。
「も、もちろん、私はただ霊が視えるってだけで、一空さんみたいに、特別な霊能力があるわけでもないですけど……」
「だがこの世界は大変だぞ。何しろ、相手はこの世の者ではない。話をしても通じないこともよくある。いや、説得に応じる聞き分けのよい霊の方が少ない」
「そんなこと、生きている人間だって同じじゃないですか」
紗紀の言葉に一空は笑った。
「それに、この世に未練があるから成仏できないでいる。こちらの説得に素直に応じるくらいなら、とっくの昔にあの世にいってると思います」
「それでも、この仕事をやっていきたいと思うか?」
紗紀は呆れたように一空を見上げる。
「それはまだ……決めかねています。でも、霊能者になれってすすめてきたのは一空さんですよ」
「そうだったな」
「そうですよ」
紗紀はふうと息をつく。
「立ちっぱなしだったから疲れちゃった、家に帰ろう。一空さんはいったんお店に戻るんですか?」
「紗紀」
歩きだそうとしたところで、一空に呼び止められ紗紀は振り返る。
一空は見てごらん、というように桜の木の下を指さした。
視線の先、木の下に設置された腰掛けに、年配の夫婦が寄り添うように並んで座っていた。
紗紀は目を見開いた。
女性の方は、昨日『縁』に現れた女性であった。
その夫婦は、娘からの贈り物である酒杯を手にお酒を飲んでいた。
女性は上品な仕草で酒杯を両手で持ち口に含む。そして、男はくいっとあおるように飲み干した。
二人は互いに目を見交わし微笑むと、その場から消えていった。