1 桜咲く季節に
桜が咲く季節。
カウンターの側に置かれた椅子に座りながら、紗紀はぼんやりと店内から外の景色を眺めていた。
こうしていると、まるでバイトをサボっているように見えるが、お客さんが頻繁に来るわけではないから暇な時間が多いのだ。
今日も店の掃除はきちんとしたし、品物たちの埃も丁寧に払った。
やることをきちんとやっても時間が余ってしまう。
最初は掃除ばかりをやって時間を持て余していたが、最近は商品の勉強をするようになった。
時計、ランプ、グラスといった西洋アンティークの知識や、陶器の種類。指輪についている石のこととか、さまざまだ。
自分で調べて分からないことがあれば、一空に聞くこともあった。
目利きはできなくても、少しは商品のことを説明できるようになりたい。
そして、真剣に商品のことを覚えようとするなら、思っていた以上にこの仕事は難しい。しかしやりがいはある。
もちろん、一空は無理に頑張って覚えろとプレッシャーはかけないし、本当に暇なときは本を読んだり大学のレポートを書いたりした。
こんなんでいいのかな?
幾度となく、これでいいのかと一空に訊ねたが、一空は店番はあくまでも建前で本来は霊能者としての修行をするために来てもらっているのだから気にするなと言う。
ただ、ここにバイトに来てから、身の回りでおかしな霊現象に悩まされることも、むやみに霊を視ることも減った。
が、肝心の一空に言われた霊能者修行だが。
修行とはいっても特に何かをやらされているわけではない。
紗紀が最初に思っていたのは、精神統一で座禅を組まされたり、瞑想だとか、幽体離脱とか、はては無理矢理心霊スポットに連れて行かれ除霊しろとか、はたまた滝に打たれる荒行をさせられるのではないかと恐れたが、今のところ、そういったことは、まだない。
私を弟子にするつもりが本気であるの? と思うことも。
奥の部屋を見ると、一空はパソコンに向かって何かを打ち込んでいる。
紗紀は時計を見る。
閉店まであと五十分。
それまで何をしようかと考えていた時、店の扉が開いた。
足音も立てずに店に入ってきたその客は、五十代前半の年配の女性であった。
肩のあたりで切りそろえられた髪、少し痩せすぎかなと思われる身体つき。
上品な顔立ちをしているが、その顔色はひどく悪く唇も紫がかっていた。
よく言えば、楚々とした雰囲気。
悪くいえば、存在感の薄い印象。
「いらっしゃいませ」
挨拶をする紗紀に、年配の女性はこちらを向いて会釈をする。
女性は店内を見渡し、窓際に置かれた夫婦酒杯を手に取った。
桜の絵柄が描かれたものだ。
ところが、女性はそれを手にとったまま動かない。
「素敵ですよね。銀彩夫婦酒杯といって、九谷焼なんです」
紗紀は横から声をかけ、覚えたての知識をさっそく披露する。
女性は声をかけた紗紀を見てそっと微笑むと、再び酒杯に視線を落とす。
「色彩豊かな九谷焼のイメージとは違って、そちらの酒杯はきれいなグラデーションが特徴でしょう?」
「そうね。上品だわ」
「銀箔を貼り付けて釉彩を塗り、焼き上げた技法なんです。銀箔が剥がれないうえに、錆びないのが特徴で……とにかく柔らかい印象ですよね」
少しずつだが店に置かれている商品の焼き物の違いを覚えることはできたが、それ以上の詳しい知識を求められたら答えられない。
まだまだ勉強しなければ。
「ええ……」
と、答えた途端、女性は涙ぐむ。