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8 迷子の少女

 せっかくここまで来たが、確かな手がかりを見つけられず落胆する。

「ごめんね」

 紗紀は人形の頭を撫でながら声を落とす。

 工房を出た紗紀は、駅に戻るためのバスに乗った。


 はやく一空に会いたかった。

 窓際の席に座り、ぼんやりと流れていく景色を眺めていたが、やがて緊張が解けたのと、窓から差し込む日差しのせいもあって、次第に眠気に誘われていった。

 目覚めたのは運転手さんの終点です、と告げる声であった。


「うそ! 寝ちゃった」

 紗紀は急いでバスから降りる。

 降りて周りを見渡し呆然とする。

 ええと、ここどこ?

 駅に向かうバスに乗った筈が、降りたところは、終着地のバスターミナルだった。


「あの! 駅に向かうバスは?」

「駅? ああ、反対方向に乗ってしまったんだね」

 と、運転手は苦笑いを浮かべて答える。

「大丈夫。五十分後にこのバスがまた駅に向かうから」

「五十分後」

 紗紀はため息をつき、あらためて辺りを見渡すがやはり何もない。

 カフェか、ファミレスでもあればいいが、五十分も何もない場所にいても時間の潰しようがない。


 仕方がない、途中まで歩いて行こうかな。


 運動だと思えばいい。

 紗紀は駅に向かい歩き出した。しかし、知らない土地を一人で歩く心許なさに、やはりターミナルで待っていればよかったと後悔する。

 引き戻すにはためらう距離で、もはや前に行くしかないと足を進める。

 道路沿いを歩いて行けば辿り着ける。


 そのうちバスも来る。

 道に迷う心配はないが、それでも寂しかった。

 ふと、少し先の横断歩道で一人の少女が泣いているのを見かけた。

 年の頃は五、六歳。周りを見渡すが、親御さんらしき人物がいない。


 迷子かしら。


 紗紀はためらったが腰をかがめ、少女の顔を覗き込むようにして声をかける。

「どうしたの?」

 少女は涙を手の甲で拭いながら、紗紀を見返す。

美優(みう)ちゃんとけんかしちゃったの」

「美優ちゃん? ええと、お友達かな?」

 少女は違う、と首を振る。

「そっか……」


 うーん、どうしよう。困ったな。


 女の子は再び泣き出した。

「どうして、けんかしちゃったのかな?」

「美優ちゃんの大切なものをとってしまったから。少しだけ借りるつもりだったの。美優ちゃん、おこってる」

 他人が持っている物がよく見えて欲しくなる。子どもならではの喧嘩だ。


「じゃあ、仲直りしようね。もしかしたら、美優ちゃんも、そうしたいと思っているよ。美優ちゃんは優しい子?」

「優しい。大好き。とっても好き!」

 顔を上げ、にこっと笑う少女の顔を見れば、美優という子が本当に優しい子なのだということがうかがい知れる。


「ちゃんと理由を言って返せば、美優ちゃんは怒ったりしないんじゃないかな」

「ほんと?」

「うん。それで、借りたものってなあに?」

 泣くのをやめ、笑顔を浮かべる少女であったが、借りた物が何かを訊ねた途端、またしてもうつむき目に涙を浮かべた。


「返したいけど返せない。なくしちゃったの……あちこち探したけれど、どこにも見当たらない。それに、ここから動けないの。だから帰れない」

 意味がよく分からないなあ、と紗紀は困ったように息をつく。

「なくしたの? じゃあ、一緒に探そう。何をなくしたの?」


 しばし、少女は無言で紗紀をじいっと見つめていた。

「もう見つけた。やっと、美優ちゃんに返せる」

 ますます分からない、と紗紀は途方に暮れる。

「なら、帰ろうね。それに、こんな場所に一人でいたら車も通るし危ないよ。ええと、お母さんはどうしたのかな?」

 しかし少女は、お母さんはここにはいない、と首を振るだけであった。

「一人じゃ動けないの。お姉ちゃん、一緒にきて」

「え?」

 一人では動けないって、疲れたってことかな。

「ねえ、来て」


 どうしよう。

 バス、行っちゃうな。


 私もこれから家に帰るところなのよ、と言いたかったが、さすがに小さい子をここに残していくわけにもいかない。

 仕方がない。

「分かった。一緒に行こう。疲れて動けないのね。お姉さんがおんぶしてあげる」

「大丈夫」

「本当に大丈夫なの? 手を繋ごうね」

 少女は嬉しそうに笑い、紗紀が差し出してきた手をきゅっと握ってきた。

 その手の感触に、紗紀の胸がざわざわと、さざ波がたった。


「こっち」

 少女の手に引かれ、紗紀は人通りの少ない住宅街を歩いていく。

 夕飯の支度時ということもあってか、あちこちの家からお腹が空きそうないいにおいが漂ってくる。


 もはや、どこをどう歩いたのか分からない。

 元のバス通りに戻れるのかも、怪しくなってきた。

 それでも、幼い少女の手を離さずついていく。

 どのくらい歩いたのか。

 日も傾き、夕闇が訪れようとしていた。

 しだいに暗くなっていく空を見上げ、さすがに焦りを感じる。

 あんなに泣いていた少女も、歩き出してから一言も口を開かない。


「えっと、まだお家に着かないのかな? 遠いの?」

 こちらから話しかけても、振り返ろうともしないのだ。

 すれ違う人が訝しむ目でこちらを睨み、通り過ぎていく。中にはすれ違った後も振り返って見ている者も。

 様子のおかしい女が、子どもを連れ去ろうとしていると思われているのか。


 いいえ、違います。

 連れ去られているのは私なんです!


 もくもくと歩く少女の後ろ姿に、しだいに得たいの知れない恐怖を抱き始め、紗紀の歩みが遅くなるが、手を引く少女の力が子どものものとも思えないくらい強く、紗紀は前のめりになりながら歩いた。


 やがて、住宅街から離れたところに建つ家にたどり着く。

 ぐるりと囲まれた黒塗りの塀と立派な門構え。

 立派な家に紗紀はたじろいだ。

 家というよりも、お屋敷だ。

「ここは?」

「私の家」

「ここが?」

 少女は門に手をかけた。


 見るからに重そうな門扉は欅作りの一枚板。

 その扉が音をたてることもなく開き、少女に招かれ紗紀も屋敷の敷地内に踏み込んだ。

「立派なお家だね」

 門から屋敷の玄関まで敷石が敷き詰められ、門から入って右手には土蔵があった。


 少女に連れられるまま、さらに屋敷内へと進む。

「広いお庭……」

 手入れの行き届いた、池泉回遊式庭園はその名の通り、池もあり、滝まで作られ、あちこちに季節の花が咲いて、見るものを和ませた。

柚希(ゆずき)ちゃん!」

 突如、声がした。


 その声がした方を見ると、屋敷の居室の縁側で、膝を抱えて座っている一人の少女がいた。

 年齢は手をつないでいるこの子とあまり変わらないか、少し年下。

 少女は縁側から踏み石に揃えられた履物に足を通し、転がるように駆け寄ってくる。


「柚希ちゃん、どこに行っていたの! ずっと帰って来なくて心配したんだよ」

「美優ちゃんごめんね……」

 駆け寄ってきたこの子が、美優ちゃんだ。

「どうして謝るの? 本当に心配したんだから。会いたかったよ!」

「あのね、美優ちゃんの大切なものをなくしちゃったの。探したんだけど見つからなくて、それに、帰り方も分からなくなっちゃったの……でも、このお姉ちゃんのおかげで、探し物が見つかったし、家に帰ってくることができたの」

「うん」


 美優は手を目の前の少女の頭に置き、撫でた。

「美優ちゃん、大切な人形をとっちゃってごめんね」

「そんなこといいの。柚希ちゃんがあのお人形さんを好きならあげる。私は柚希ちゃんが無事に帰って来てくれたら、それでいいから」

 美優ちゃん、と震える声を発しながら、柚希は泣きながら美優に抱きついた。


 この子が無事、家に帰れてよかった。だが、何かがおかしい気がする。

 柚希ちゃんが、ずっと家に帰ってこなかったってどういう意味だろう。

 それに、帰り方も分からないと言っていたが、ここまで案内してくれたのは、ここにいる柚希本人なのに。


 ──あいたかった。

 ──かえりたかった。





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