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15 月がきれいだから

「田舎料理ばかりで恥ずかしいわ」

 と、祖母は言っていたが、かなり頑張ったのか、夕飯は食べきれない程のご馳走が食卓に並んだ。

 出された料理を一空は褒め称え、トキは嬉しそうに笑う。

 とくに、一空は山菜のてんぷらが気に入ったらしい。

 無口な祖父も一空と酒を飲むことが嬉しいのか、珍しく会話に混ざり笑っていた。


 楽しいひとときを過ごせた。

 その後、風呂に入り、客間へと案内された。

 ふざけて言ったのか、からかったのか分からないが、祖母は伊月さんと同じ部屋でいいわよね、と布団を二組並べようとしたが、慌てて却下し、部屋を別々にしてもらった。


 たとえ恋人同士であっても、結婚前なのだからそれはどうかと思う。

 それでも、同じ屋根の下に一空がいると思うと緊張した。

 いや、と紗紀は激しく首を振る。

 べ、別に意識しているとか、そんなんじゃないんだからね!


「寝よ!」

 紗紀は布団を顔まで持ち上げた。が、すぐに顔を出しため息をつく。

 そういえば、一空から詳しいことは聞いていない、というか聞きそびれたが、明日は何をするのだろう。

 女性の霊の正体を突き止めたいと思わないか、と言われここまで一空とやって来た。そして、女の霊が曾祖母の楓だと判明した。


 だが、正体を突き止めた後、どうするのかまでは説明されていない。

 単純に墓参りに来ただけとも思えない。

 正体を知って、それで終わりというわけではないだろうし、それだけのためにわざわざ一空が長野まで来たとは思えない。

 そもそも、店の方はどうしたのだろう。

 今日、明日は臨時休業にしたのか。


 いったん布団に潜り込んだ紗紀だが、がばっと半身を起こした。

 一空がいるということを別にしても、やはり眠れない。

 無理に眠ろうとしても無駄だと悟った紗紀は、スマホに手を伸ばしかけ、ふと外の方に視線をあてた。

 月明かりが障子越しから仄かに落ち、部屋を照らした。

 立ち上がり、障子を開け濡れ縁に出ると、庭に咲く垂れ梅の木が目に飛び込んだ。


 楓と一緒に写真に写っていた梅の木か。

「きれい……」

 濡れ縁から踏み石に揃えられていた履物に足を通し、庭に降りた紗紀は、梅の木の側まで近寄って行く。

 梅の木の下から空を見上げると、枝の向こうに丸い月が覗き淡い光がこぼれ落ちる。


 紗紀は空に向かって手を伸ばす。

 ふわりと梅の花びらが舞い、指先をかすめていった。

 ふと、背後で人の気配を感じ振り返る。

「ここにいたんだね。探したよ」

 背後に立つその人は、優しい微笑みを浮かべていた。

 ため息がこぼれる程の端整な容貌。月明かりのせいもあって、その男の姿は妖艶さを増した。


 紗紀は言葉を失ったまま、その場に立ち尽くす。

「どうした?」

「寝付けなくて……」

「実は僕もだ」

 こちらに歩み寄ってきた男が隣に立つ。そして、一緒に梅の木を見上げた。

 さわりと風が吹く。

 垂れた梅の枝が揺れた。


「きれいだね」

「はい……」

 相手の手がすっと伸び、髪に触れた。

 胸がドキリと鳴る。

 頬が熱くなり息が苦しい。

 きっと、耳まで真っ赤に違いない。

 夜でよかった。

 明るい場所だったら、顔が赤いのがばれてしまう。


 髪から離れた相手の指先に、ひとひらの花びらが挟まれていた。

「花びらが髪に」

 見上げると相手の顔が間近に、目と目が合い息を飲む。

 澄んだ瞳に、吸い込まれていきそう。

「……ありがとうございます」

「きれいだ」

「え?」

 花びらをつまんでいた人差し指と親指が離れ、ふわりと吹く風にさらわれていく。


 その指先が再びこちらに伸び、髪の一房を絡め取る。

「あの……」

 いつもなら、逃げてしまうところだけれど、相手の真剣な目に見つめられ、まるで呪縛にかけられたかのように動けなかった。


 戸惑いながら視線をさまよわせ、恥ずかしさにうつむく。

 頭上でふっと笑う声。

「そうだ。これを渡そうと思って」

 差し出してきた簪を受け取る。

 相手の指先に自分の指が触れた。

「あの……」

「愛している」

 信じられない言葉に、はじかれたように顔を上げる。


「僕と一緒になって欲しい。側にいて欲しい」

「でも、私はあなたとは……」

「必ず君と夫婦になれるよう両親を説得する。君以外の女性など考えられない。だから、僕と結婚してください」

 手にした簪を強く握りしめる。

 あふれる涙が頬に落ちた。

 胸が熱い。

 嬉しさに身体が震える。


「私もお慕い申しております。あなたのことが好きです。お側にいたいです」

「ああ、よかった」

 相手の顔に笑みがこぼれた。

 伸ばされた腕に引き寄せられ、ふわりと抱きしめられる。相手の胸に顔をうずめ、頬をすり寄せ目を閉じる。


 細身だと思っていたけれど、思いのほか肩幅が広いのね。

 筋肉質な腕と胸。私の身体がすっぽりと収まるくらい。

 それに、いい匂いがする。

 この匂い好き、と相手の腰のあたりに両腕を回し抱きつく。


「……か?」

「はい……愛して、ます。あなた、一緒、なりたい」

「なぜ片言」

「結婚してください」

「おい、大丈夫か。しっかりしろ紗紀!」

 肩を揺すられ、さらに頬をぺちぺちと叩かれて、ようやく紗紀はうっすらと目を開けた。


「へ?」

 間抜けな声が漏れる。

「正気に戻ったか」

「え? ちょ……伊月さんっ!」

 一空の腕に抱かれていた。

 いや、自分が一空の腰に腕を回し抱きついたことに気づく。


 ひー何やってんのよ、私!


 自分の行動に驚いていた紗紀は、思いっきり両腕で一空の胸を突き飛ばし身体を離した。しかし、突き飛ばした反動で自分の身体が後方に反り返って倒れそうになる。

「きゃっ!」

 すかさず、伸びてきた腕に抱きとめられた。

「気をつけろ」

 力強い腕に支えられ、紗紀の心臓がまたしても悲鳴を上げる。


 一空の手が離れても、何だか心がそわそわして落ち着かない。

「こんな時間にどうした? 眠れないのか?」

「い、伊月さんこそ」

「ああ、月が……」

 と言って、一空は緩やかに空を見上げた。

「きれいだから、庭を歩いていた」


 キザな言葉に、いつもの紗紀なら思わず吹き出していた。

 だが、真剣な顔で月を見上げる一空の横顔があまりにも美しく、落ちる梅の花びらをまとう姿もまるでこの世の人とは思えない妖しさがあって、胸のドキドキが止まらない。

 今にも消えてしまいそうな、儚い感じ。

 そこで、紗紀ははっとなる。


 この世の人とは思えないといえば……。


「伊月さん、今おかしな夢というか、体験をしました」

 紗紀は先程見た出来事を、思い出すような目で梅の木を見上げる。

「部屋から梅の木が見えて、近くで見てみようと思って庭に降りたら、突然男の人が現れて……」

 紗紀は自分の手のひらに視線を落とす。


 その手には一空が持っている筈の簪が、いつの間にか握られていた。

「簪……そう、男の人がこの簪を私にくれたの。どうしてこれが私の手に?」

 怖いくらい真剣な目で一空は紗紀を見下ろす。

「何? そんなに睨まなくても」

 一空は緩く首を振った。


「驚いた。紗紀は僕が思っていた以上に能力が高い」

「何の能力? もしかして霊能力?」

「ああ、おそらく紗紀の曾祖母である楓の記憶を追体験したのだろう。さっき、紗紀がどら焼きを食べていた時も、楓の記憶を視たのだろう?」

 紗紀は一瞬、言葉がでなかった。


「じゃあ」

「現れた男というのは楓が思いを寄せていた男だろう。その男の名前を覚えているか?」

 紗紀は頷く。

 確か、楓はその人のことを真蔵さんと呼んでいた。愛おしそうに。

「好きな人に結婚を申し込まれて、楓さんとても幸せそうだった」

 なのに、二人は結ばれることはなかった。


「簪……」

 紗紀は目を見開いた。

 ああ、そういうことだったのね。

「伊月さん! 分かりました。楓さんがこの簪にこだわる理由が。この簪は楓さんが思いを寄せていた人、つまり真蔵さんからの贈り物だったんです」

 祖母トキが見覚えがない簪だと言っていた意味も理解できる。

 夫からではない、別の思い人から贈られたこの簪を髪に挿すことはできなかったから。


「愛し合っていても結局二人は夫婦となることは叶わなかった。だから二人は互いに誓った。この世では無理でも、あの世で必ず結ばれようと。そして、真蔵さんはこうも言っていた、楓さんがこの世を去る時にこの簪を持っていてくれたなら、まだ僕を思っていてくれているのだと思い必ず迎えに来ると」

 そもそも、曾祖母が亡くなった後、この簪がどこにあったのかは不明だが、おそらく、何かの拍子で母が実家から東京に持ってきてしまった。そして、そのまま簪は行方不明となった。


 楓はこの簪を返して欲しいと願ったが、楓の思いを聞き入れられる人はいなかった。

「そして多少なりとも霊感があり、霊の姿を視られる私がこの簪を手にした時……」

 簪に込められた楓の思いが動き出した。

 曾祖母が私の前に姿を現し、訴えかけるようになった。私なら願いを叶えられると思って。


「でも変よね。とうの昔に真蔵さんって人も亡くなっている筈なのに、どうして楓さんを迎えに来なかったの?」

「それを確かめようと思う。そのためにも明日、楓さんの墓に行く。おそらく、それで解決するだろう。楓さんを成仏させることができる」

 よかった、と紗紀は安堵の息をもらす。


「あ、そうだこれ」

 紗紀は簪を一空に渡そうと差し出した。

「今は紗紀が持っていろ」

 紗紀は頷く。

 一空は静かに笑った。


「この簪が紗紀の手元に渡り僕と出会った。これも縁だな」

 呟いて一空は背中を向け歩き出す。

「縁ねえ」

 と、呟き紗紀は再び夜空の月を見上げた。そして、今度は一空の背中を見る。

 でも、あまり嬉しくない縁だったかも。

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