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12 簪の持ち主

「あのね、今日ここに来たのはおばあちゃんに聞きたいことがあったの」

 そう言って紗紀は、お楽しみのどら焼きに手を伸ばす、すると横で一空がまだ食べるのかと驚いた顔をしていた。

 一空の手土産のどら焼きを一口食べ頬に手を当てた。


 なにこれ、おいしい!


 生地もふわふわで柔らかいし、あんこも控えめで上品な味。生地に練り込まれた黒糖が深みを出し、あんこの甘みと調和していて絶品であった。

 まさか、噂のどら焼きを、こうして食べられるとは。

 紗紀は幸せそうな表情を浮かべる。


「それで、聞きたいことって何だい?」

「あ、うん」

 紗紀はどら焼きをいったん置き、一空に目で合図をする。

 簪は『縁』に引き取ってもらっているため、彼が持っているのだ。


 一空はバッグから白い布でくるんだ簪を取り出し、テーブルの上に置いた。

「おばあちゃんはこの簪に見覚えがある?」

 老眼鏡をかけ、まじまじと簪を見るトキを、紗紀は固唾を飲んで見守った。しかし、トキの答えは紗紀をがっかりさせた。


「さあ、見たことないねえ。これがどうしたんだい?」

 紗紀が実家から今のアパートに引っ越した時にまぎれてしまったように、母が父と結婚し、長野から東京に移った時にうっかり持ってきたのかもしれないと思ったのだ。


 この簪の持ち主は血縁者の誰かかも、と期待したが、あてが外れたようだ。

 ここまで来たが、手がかりは掴めなかった。

 落胆を隠せないでいる紗紀を、一空は一瞥する。

「差し支えなければ、古いアルバムがあれば拝見させていただけないでしょうか?」


 一空の提案に紗紀は目を輝かせた。

「伊月さん! その手がありましたね」

 簪の所有者が分からなくても、紗紀の前に現れた女性の霊がアルバムの中で見つかるかもしれない。

「ええ、かまわないですよ。待ってて、今持ってくるわ」

「手伝います」


 トキと一緒に立ち上がった一空は、いったん部屋から離れた。しばらくして数冊のアルバムを手に戻ってくる。

「この中から、紗紀が探している人が見つかればいいけれどねえ」

 紗紀はごくりと唾を飲み、アルバムをめくり始めた。

 一枚一枚、白黒の色あせた写真を見ながら、簪を挿した人物や、女性の霊と同じ顔をした人物はいないかを探してみるが、いかんせん写真が古すぎて見づらい。


 目を皿にして見ていた紗紀に、横で別のアルバムを見ていた一空がこれは? と一枚の写真を指さした。

「この簪!」

 古いということもあり、かなり見づらい写真ではあったが、梅の木の下で一人の若い女性が、あの簪と思われるものを髪に挿している写真があった。それに、あの女の霊と顔も似ている気がする。

「おばあちゃん、この女の人は誰?」

「おや、その人は私の母だよ。紗紀にとっては曾祖母だね」

 見て! と、紗紀は写真の中で笑っているその女性の頭を指さした。


 トキは再び老眼鏡をかけ、紗紀が指さす箇所を見る。

「この人が挿してる簪、これと同じに見えない?」

「言われて見ると、そうかもしれないねえ」

 あの女性の霊は、二十歳前後の若い姿をしていたが、紗紀にとってはひいおばあちゃんにあたる人だ。


 白黒の古い写真ではやはり見づらいのか、トキは眼鏡の縁を指で何度もずらしたりしながら焦点をあわせ、写真を食い入るように見つめている。

「確かに、紗紀ちゃんの言うとおり似ているかもしれないけれど、どうしてこの簪が紗紀の手に渡ったのかしらねえ」

 トキは首を傾げる。

「それに、あたしの母がその簪を髪に挿しているところを見たことがないのだけれど」


 紗紀は居ずまいを正し、身を乗り出した。

「ひいおばあちゃんの名前は何て言うの?」

(かえで)だよ」

 楓、と紗紀は口の中でその名を繰り返す。

「ねえ、ひいおばあちゃんのことを聞かせて?」


 そうだねえ、と呟き、トキは一口お茶をすすった。そして、遠い目で母親のことを思い出すように、とつとつと語り始めた。

「優しく穏やかな人だったよ。働き者で夫のために尽くし、子宝に恵まれ、よき妻であり母だったんじゃないかねえ。周りの人からも好かれていたと思う。でも……」

 トキは手に持っていた湯飲みを静かに置いた。


 でも?


「夫に一生懸命尽くした母だったけれど、母には本当に好きだった人が他にいたんだ。だけど、その人と結ばれることはなかった。そんなことを一度だけ、聞いた気がするよ」

「どうしてその人と結ばれなかったの?」

「詳しいことは知らないけれど。あの頃は今みたいに、自由に恋愛をすることはできなかったし、思い人と結ばれることは難しい時代だったからねえ。どんなに互いが好き合っていても、本人たちの意思とは別の事情で一緒になれないこともあったんだよ」


「そう、なんだ」

 食べかけのどら焼きを再び口に運び、紗紀は指先でなぞるように、梅の木の下で控えめに笑う曾祖母の写真に触れた。

 写真をなでていた紗紀の手が、曾祖母の顔に触れた瞬間、ふわりと甘い香りが鼻腔をくすぐった。

 梅の香り?

 目の前が揺らぎ、目眩にも似た感覚を覚え、ふっと、意識が飛ぶ。

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