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11 どら焼きと五平もち

「おじいちゃん! おばあちゃん!」

 庭先で出迎えてくれた祖父母に向かい、紗紀は手を振り駆け寄った。

「まあまあ、よく来てくれたねえ。元気だったかい」

 久しぶりに会った孫の手をとり、祖母、山崎トキは嬉しそうに目を細めた。


「私は元気。おじいちゃんも、おばあちゃんも変わりない」

「ああ、元気にやっているよ。ねえ、おじいさん?」

 トキは隣に立つ夫、政夫(まさお)に話しかける。

 祖父はうむ、と言葉もなく頷く。

 喋らないのも、無愛想なのも、決して不機嫌だからではない。

 昔から祖父はこんな感じなのだ。


「お父さんやお母さん、|《光紀》みつきちゃんはどうしているのだい? 何だか大変なことが一気に重なったみたいだねえ。大丈夫なのかい?」

 光紀とは、婚約者に二股をかけられた姉のことだ。

「うん……今のところはなんとか」

「そうかい。紗紀ちゃんも辛い思いを……」

「早く中に入れ」

 トキの横で祖父が素っ気ない口調で言い放つ。


 何度もいうが、機嫌が悪いのではなく、遠いところからやって来たのだから、早く家の中に入ってゆっくりさせてやれ、と言いたいのだ。

「あら、あたしとしたことが。さあさあ、おいで」

 そこでようやく、トキはあらためて一空に向き直りにこりと笑った。


「あらまあ、こちらが紗紀ちゃんの彼氏かい? これはまた、目の覚めるイケメンだこと。おや、テレビで見たことがあるような気がするけれど……気のせいかしら。もしかして有名人? まさかねえ。有名人がこんな田舎に来るわけがないもの。それにしても色男ねえ」

 トキは嬉しそうに目を細め、長身の一空を見上げる。


 まあ確かにテレビに出演しているし、ある意味有名人であることに違いない。

 それに、こんな田舎に来るわけがないと祖母は言うが、この間の心霊番組で一空は限界集落に出向き、除霊をしていた。

 むしろ田舎の村には行き慣れているのでは?

 いや、そんなことはどうでもいい。


「違っ! この人彼氏じゃない」

「うふふ。恥ずかしがらなくていいのよ。それにしても、紗紀ちゃんが彼氏を連れて来てくれるなんてねえ」

 トキは彼氏ではないという孫の言葉を信じない。

 それに追い打ちをかけるように、一空は深く頭を下げ、祖父母に丁寧に挨拶をする。


 その挨拶の言葉が。

「初めまして、伊月一空と申します。紗紀さんとは親しくお付き合いをさせていただいております」

 顔から火が出そうになった。

「な、何言ってんのよ! まだ会って……」

 会って三回目でしょ、と言いかけたが一空に睨まれ口を閉ざす。


 本当に目の前の超絶イケメンが、孫の彼氏だと信じたのかそうでないのかあやふやだが、トキは上機嫌に一空の背に手を添え家の中に入るよう促した。

「とにかく上がってちょうだい。遠いところをお疲れでしょう一空さん、お茶を出しますね」

「お言葉に甘えて」


 七十を越えてもやはり女。

 イケメンを前にトキは上機嫌であった。

「さあさあ、いらっしゃい」

 祖母に呼ばれ、紗紀と一空は家に上がる。

「立派なお屋敷ですね。お庭も素晴らしい」

 田舎の家は古いが、重厚で立派な作りであった。

「ただ古いだけの家ですよ。冬になると寒いのがねえ」


 玄関から入ると広々とした空間は土間。そこで靴を脱ぎ、すぐ側の部屋には都会の家では目にすることのない大きな囲炉裏が一基あり、天上から鍋や釜を吊す道具である自在鉤が垂れ下がっている。

 その先には横木と呼ばれる魚の形を模したものがあった。魚の形をしているのは火を使うところに水に関係したものを飾り、火事にならないようにするおまじないだとか。


 廊下も柱も黒光りして艶やかで、天上をまたぐ梁も太くて立派であった。

 囲炉裏の部屋を通り過ぎ、次の間にある部屋に案内された。

 ここがお客様をもてなす部屋である。

「よろしかったら召し上がってください」

 と、言って一空が手にした紙袋から取り出したものは、どら焼きが入った箱であった。


 瞬間、紗紀の目が箱に釘付けになる。

 ごくりと喉を鳴らした。

 唾を飲み込む音が、隣にいる一空に聞こえたらしい。横目でちらりと紗紀を見る一空は苦笑する。


 そう、ただのどら焼きではない。

『東京どら焼き御三家』とも言われている、どらやき。

 皮がとら柄なのが特徴で、優しい甘さのあんこをふわりと包み込み、ふわふわの皮は黒糖とはちみつが香る。

 連日大行列の名店のどら焼き。


「まあ、このどら焼き、以前テレビで見て、食べてみたいと思っていたのよ」

 長野に住む祖母も、このどら焼きのことは知っていたようで、嬉しそうににこにこと笑っている。

 それにしても、これを買うために一空は行列に並んだのだろうか。


 まさかね。


 並んでいる姿など、想像ができない。

「せっかくだから、さっそくいただこうかしら」

 どら焼きの箱とともにトキは台所へと消えていき、しばらくして湯飲みが乗った盆を手に戻ってきた。

「本当に遠くからよく来てくださって」

 どうぞ、とトキは一空にお茶を差し出した。

「ありがとうございます」

 さらに、座卓には五平もちと、一空の手土産のどら焼きが並んだ。


「これは、伊那地方の郷土料理、五平もちですね」

「あら、ご存じで」

「はい、いただくのは初めてですが」

「こんな田舎料理しかないけれど、よろしかったら召し上がれ」

「わあ、五平もち!」

 紗紀は嬉しそうな声を上げる。


「紗紀ちゃんが来ると思って作ったのよ。あんたはこれが好物で、昔からいつも軽く五本は平らげたわよね」

「五平もちを五本?」

 一空が呆れたような表情で紗紀を横目に見る。


「五本は大袈裟だから、そんなに食べないわよ」

「あら、そうだったかい?」

「そうよ!」

 ふっと笑う一空に気づいた紗紀は頬を膨らませた。


 どうせ、食い意地がはってるって思ってるんでしょ! でも、おばあちゃん手作りの五平もちは本当においしいんだから。


 この地方の五平もちは、わらじ状ではなく、餅状のご飯を直径約4、5センチの円柱状に丸め、表面に焦げ目が軽くつくまで焼き、串に刺す。それにほんのり山椒のきいたくるみダレをつけていただく。


 山椒の芽吹く頃、田舎に遊びに来た時は祖母と一緒に山椒を摘み、タレを作る手伝いをした。

 摘んだばかりの山椒がまた格別に香りがよく、タレにマッチするのだ。


「いただきます!」

 目を輝かせながら、五平もちを頬張る紗紀を見たトキは、呆れたように肩を揺らして笑う。

「食いしん坊なのは変わらないわねえ。でも、その紗紀がこんな素敵な男性を連れてくるなんて」


 うっ!


 五平もちが喉につまりそうになり、お茶を流し込む。

「おばあちゃん、ほんとに彼氏じゃ……」

 ない、と言いかけたが、無視された。

「さあ、一空さんも遠慮せずにどうぞ」

「いただきます」

 イケメンが餅を食べる姿もさまになっていた。


「おいしいです。くるみの味噌ダレに山椒がよいアクセントになっていますね」

 褒められたトキは嬉しそうだ。

 二本目の五平もちを頬張り、紗紀は疑わしそうな目で一空を見る。


 本当かな。

 無理してない?


 この手の人は、こういう他人が作ったものとか嫌がりそうだけれど、と思いじっと一空を見ると、彼は本当に祖母の手作り五平もちをおいしそうに食べている。


 ふうん、食べ方、上品なのね。


「お口に合ってよかったわ」

「はい」

 一空の好青年ぶりな笑顔に紗紀は呆れる。

 いつもの嫌味な口調や態度はどうしたのよ。と言っても、会ったのはまだ三回目だけれど。


 しかし、孫が男と二人っきりでやってきて心配すべきであろうに、一空の見目麗しい容姿と物腰のせいもあってか、祖母はまったく警戒心を抱く様子はなかった。

 それどころか、祖母の心をがっつりと掴んでいる。


 口調も仕草もまるで少女のように、祖母は始終にこにこした顔だ。そして、嬉しそうに笑う祖母を見る祖父の目も穏やかであった。

 これがイケメンの威力か。

 そんなことを考えながら気づけば紗紀は、五本目の五平もちに手を伸ばす。


「本当に五本も食べるんだな」

「だって、おいしいんだもん」

 一空に突っ込まれ、紗紀は開き直って五本目を頬張る。そして、五平もちを食べ終え、お腹も満たされた紗紀は、ようやく本来の目的を思い出し、切り出した。

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