プロローグ
暗闇の中、部屋の隅に髪の長い女が立っている。
まるで、何かを訴えかけるような目で、こちらを見据えながら。
顔も見たことがない、知らない女性であった。
なのに、時折こうしてその女は姿を現しては、もの言いたげな目で見つめるのだ。
また現れたの。
あなたは誰。
どうしてそんな目で私を見るの。
そう女に問いかけようとしたが、声が出なかった。
指一本、動かせない。
金縛りだ。
ゆっくりと、その女はこちらに向かって歩いてくる。
「ひっ!」
喉の奥から引きつった悲鳴が漏れるが、やはり声を出せない。
女は一歩、さらに一歩と、身体を左右に揺らしながら近寄ってくる。
何度現れても、私には何も。
「何もしてあげられないの!」
お腹の底に力を込め、振り絞るように、喉に絡みつく言葉を吐き出した。
そこで金縛りが解け、紗紀はベッドから跳ね起きる。
息が荒い。
心臓がバクバクと鼓動を打っている。
ひたいに滲む汗を手の甲で拭い、息を吸って吐きだした。
恐る恐る、女が立っていた場所に視線をやる。
女の姿は消えていた。
ほっと胸をなでおろすが、再び紗紀は顔を強ばらせる。
「まただ……」
ベッドから降りた紗紀は、女が立っていた場所までいき、それを拾った。
白っぽい石で作られた、梅の花を模した簪。
かなり古いものだと思われるが、その価値は紗紀には分からない。しかし、問題はそこではなく、簪は寝る前にきちんとローボードの上に置いたのだ。
それがこうして床の上に落ちている。
それも今夜だけではなく、決まってあの女が現れた後に落ちているのだ。
「この簪、何かあるのかな」
また怖い思いをするのが嫌で、手にした簪をローボードの引き出しの奥にしまい、ベッドに戻ろうと振り返った紗紀の口から鋭い悲鳴が上がった。