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ruth story  作者: Cy


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2-5「月下の星詠み、翳りゆく盤」


一行は再びあの奇妙なからくり屋敷に挑んでいた。

昨日よりは幾分か動きに慣れが見えるものの、相変わらず予測不能な仕掛けに翻弄されている。

壁から、床から、天井から、唐突に飛び出してくる巨大な拳。

物理的な重さというより、何か特殊な“気”のようなものを纏っており、まともに食らえば冗談ではなく彼方まで吹っ飛ばされる代物だった。


「うわっと! 危ない!」

「こっちからも来るぞ!」


時折、誰かが景気良く吹っ飛ばされる音が響く。

「この拳、全然重くないのに当たると体が勝手に……」

クラリスが受け流しきれずに体勢を崩しながら、優雅な顔に似合わない苦笑いを浮かべている。

彼を取り巻く精霊たちが、事前に拳の出現位置を囁くように教えてくれるのだが、その速度と軌道に対応するのは至難の業だった。


そんな中、ひときわ苦戦を強いられているのがナナミだった。

相変わらず入口付近から先に進めず、同じ場所で何度も拳の餌食になっている。

「……さっきは右から、その前は下から……この床の模様が変わった時は、こう、だから、次はきっと正面から……っつ!」

読み切った、とばかりに身構えた瞬間、パカン、と小気味よい音を立てて、ナナミの真横から飛び出した拳が彼女の脇腹を綺麗に打ち抜いた。


「…………」

壁際まで吹っ飛ばされ、恨めしげな顔で引っ込んでいく拳の残像を睨みつける。

何度やっても学習しない自分にも腹が立っているようだ。


後方で、ロイは手持ち無沙汰に見守るしかなかった。

自分も早く先に進んで仕掛けを解きたいのだが、ナナミがそこで詰まっている限り、進むに進めない。


ふと屋敷の窓から外に目をやると、ミコトの住まう豪奢な屋敷の門前に、村人らしい女性が駆け込んできたところだった。

腕にはぐったりとした幼子を抱えている。

酷い熱に浮かされているのか、子供の顔は赤く呼吸も浅い。

人影に気づいたミコトが縁側に出てくると、事情を察したのか、すぐに厳かな表情で両手を組み、静かに祈りを捧げ始めた。

彼女の周囲から淡い光が放たれ、幼子を包み込むと見る間に子供の顔色が良くなり、ぱちりと目を開けた。安堵した母親が何度も頭を下げ、ミコトはにっこりと笑って元気になった子供の頭を優しく撫でている。

なんとも心温まる光景だった。


だがロイの脳裏には昨夜のナックの言葉が重く響いていた。

――『この国の歴史じゃ巫女が何人も人柱にされてきた』

――『いつ贄にされるかもしれねぇ大事な大事な人身御供』

あんなにも村人から慕われ、慈愛に満ちた行いをする彼女が、いざという時には生贄にされる?

どうしても、二つの事実が結びつかない。

ロイは首を捻るばかりだった。


***


結局、からくり屋敷の完全攻略には至らず、一行は疲労困憊でミコトの屋敷へと引き上げてきた。

夕餉の後でミコトは「さて、仕上げといくかの」と言い出し、一人ずつ順番に「星詠み」をして助言を与えると言い出した。

仲間たちが次々と奥の間へ呼ばれていき、やがてロイの番がやってきた。


通されたのは「月の間」と呼ばれる部屋だった。

壁の一面が巨大な丸窓になっており、そこからは濃紺の夜空と、無数の星々が一望できた。

一枚の絵画のように完成された、息を呑むような美しさだ。

部屋には月明かりだけが静かに差し込み、中央には床に埋め込まれた巨大な円盤、星辰せいしんばんが、青白い神秘的な光を放っている。

ミコトは盤の前に座し、鏡のように磨かれた光る表面にそっと手を翳していた。


「ふむ……。主が集めた駒……いや、仲間たちはどいつもこいつも一筋縄ではいかぬ、煩雑な事情を抱えたもの達ばかりじゃな。まったく、最初にここへ来た時はあまりにギクシャクしておって、どうなることかと思ったわ! なっはっは!」

ミコトが盤から顔を上げずに、からかうように言った。


「!?」

なぜそんなことまで分かるのか。

ロイは驚きを隠せない。


「おやおや、驚いておるな? 甘く見るでないぞ、小僧。ワシは星詠みの巫女じゃ。主らがそれぞれ背負っておるごうや因縁くらい、その身から出でる気配を見ればおおよそは見当がつくわい」

ミコトはようやくロイに向き直り、悪戯っぽく笑う。


「は、はぁ……」

まだ半信半疑のロイにミコトはふっと表情を改め、静かに問いかけた。

「……こわいか」


「!?」

たった一言、ミコトの放った言葉のせいでロイの心臓が跳ねた。


「……主の星には常に『おそれ』の影がつきまとっておる。主は一体、何に怯えておるのじゃ?」

ミコトの瞳が月光を反射して鋭く光る。

全てを見透かすような、深く静かな光だった。

心の奥底まで覗き込まれているような感覚に、ロイは背筋が冷たくなるのを感じた。


――畏れ。

その一言が、どうしようもなく重たくロイの胸に響いた。

『……私のこと、こわい?』

昨夜の湯けむりの中で聞いた、ナナミのか細い声が耳の奥で蘇る。

なぜ今、目の前にいる巫女が同じようなことを問うのか。


「は、ははは……! な、何のことです? 俺が怯えるなんて……そんな、まさか!」

ロイは必死に笑顔を作ろうとするが、頬が引きつり、声がわずかに上擦ってしまうのを止められない。

背中に嫌な汗が流れるのを感じる。

この巫女は、一体どこまで見抜いているんだ……?


こわいよ、確かにこわい。

この世の中はこわいものだらけだ。

ただ勇者として、仲間を率いて魔王討伐の旅をしている自分が、そんな思いを抱えて旅をしているなんて知られたらどうなる。

落胆されて、見放されて、嘲笑われて……そうに決まっている。


「そ、そうだ! 怯えるとか、そういうことじゃなくて! 実は俺たち、旅の道中で結構大変な目に遭って……! それで、ちょっと……まあ、参っているというか、心配事ならあるんです」

ロイはミコトの鋭い視線から逃れるように、少し早口で言葉を継いだ。

そうだこの話なら、今の動揺も不自然ではないはずだ。

具体的な相談にもなるし、何よりあの核心を突くような問いから意識を逸らせる。

「先日、旅の途中ルミーナ王国領付近にマルザフィリアが……現れまして」

そう言って、ぽつりぽつりと話始める。

ゼロのこと、ナナミの魔法がマルザフィリアを射抜くほどの威力だったこと、昇華するしかなかったこと……


ミコトはロイを一瞥すると、「ふむ……」と静かに頷き、再び盤へと視線を戻した。

「やはり、魔王復活の兆しが現れてから、アストリアの均衡は歪み始めておるのじゃな。」


「我がツクヨの国とて、いつ彼奴が現れるとも限らん。」

痛ましい表情で、盤の上に翳した手のひらを握り力を込めるミコト。

続けてまたロイを見つめた。


「……アマテラスの花。それは我が国に群生する花じゃ。いくらでも持っていくがよい。だが、アレは摘んだ瞬間から力が失われ始める。鮮度が命じゃ。枯れてしまっては、もう何の効力も持たぬ」

ミコトは顎に手を当て、少し考え込む仕草を見せた。

「聖殿の裏手、月の光が最も強く差す場所に群生地がある。それを使って薬を作っておこう。呪いを完全に解くことはできぬとも、その進行を遅らせることくらいは叶うじゃろう」


ありがたい情報にロイが礼を述べると、ミコトは再び話題を変えた。

「……ところで、あの小娘のことじゃが……」


「ナナミ……のことですか」

ロイは不意に名前を出されて、少しどきりとした。


「そうじゃ、そうじゃ!あの妙に大人びて、生意気な目をしとる小娘じゃ!……まあ、そう怯えた顔をしてくれるな。ワシとて、そんな状況に置かれたのなら……ゼロとか言ったかのう、その回復術師を、恐らく同じように昇華したであろうよ。あやつはあやつなりに、多くのものを背負い、苦しんだ末にその選択をしたのじゃろうからな」


ミコトの言葉にはナナミへの同情のような響きがあった。

「……ただ一つ、頭の隅にでも入れておいてほしい。よこしまな気持ち、あるいは私怨があっては、魂を天へ正しく送ることなどできぬ。たとえその者がどれほど女神エデルに愛された特別な存在であろうとも、な」


「……そう、ですか」

ミコトの言葉の真意を測りかね、ロイは曖昧に頷くしかなかった。


「さてさて!小難しい話はここまでじゃ!せっかくの夜長、ワシはもっと楽しい話がしたい!そう、恋じゃ!恋バナをしようではないか!」

ミコトが突然、目を輝かせて身を乗り出してきた。


「こ、恋バナ……!?」


「そうじゃ! ワシは見ての通り、生まれてこの方、定められた通りに生き、この聖域に縛り付けられておる哀れな身の上じゃ。若人の活気あふれる色恋沙汰を聞くくらいしか、まともな娯楽はなかろうて!」


「いや、突然そんなことを言われても……俺には特に……」


「何を言うか、この朴念仁めが!主は昨日、コソコソとナックにワシらの関係を嗅ぎ回っておったではないか!自分だけ話さぬというのは、この国ではしヒキョー者というのじゃぞ!さあ!正直に言うてみるがよい!」


「か、嗅ぎ回ったなんて、そんな……!」


「ふむ……。して、主の相手は?あの桃色の髪をした、気の強そうな踊り子か?それとも、あの褐色の髪をした、凛々しき弓の名手か?……はたまた、故郷の国で、主の帰りを健気に待つという、かの王女様か?」

ミコトがニヤニヤしながら、指折り数えるように尋ねる。


「王女様」

その一言を聞いた途端、ロイの胸の奥がチクリと微かな痛みを覚えた。

彼の脳裏にサザリ王女の、期待に満ちた笑顔が脳裏をよぎる。


ロイが見せた僅かな反応を、ミコトは見逃さなかった。

「ほう……。今のところは、王女様が最も濃厚、といったところかの?ふむ……ワシはてっきり茶髪の、小生意気な瞳をした小娘かとも思っとったがな」


「はぁ!?だから、ナナミは仲間だって言ってるじゃないですか!そういう目で見るのは……!」

ロイが思わず声を荒げた、その時だった。


バンッ!

背後の障子が、荒々しく開け放たれた。

そこに立っていたのは、氷のように冷たい表情をしたナナミだった。

鋭い視線は、まっすぐにミコトに向けられている。


「……ミコト。私の番よ」


声は静かだったが、有無を言わせぬ威圧感がこもっていた。

ロイは耳を疑った。彼女は今、この国の最高位の巫女を、「ミコト」と呼び捨てにしたのだ。

いつの間にそんな関係になっていたのだろうか。


「おお、こわいこわい。急かすでないわ。……やれやれ、やはり恐ろしい小娘じゃ」

ミコトは肩をすくめておどけてみせる。


ロイは漸くこの気まずい空気から解放されることに内心安堵しつつ、「じゃ、じゃあ、俺はこれで……」と、そそくさと月の間を後にした。


***


ロイの気配が完全に消えた月の間。

障子がぴしゃりと閉められ、室内には再び静寂が訪れた。

ナナミは敵意すら感じさせる視線で、盤の前に座るミコトを睨みつけている。


「……まったく。人がわざわざ、あの朴念仁にあれこれ世話を焼いてやっておるというのに。よくもまあ、そんな顔を向けられるものじゃな」

ミコトが、やれやれといった口調でため息をつく。


「余計なお世話よ。……そうね、私も余計なお世話ついでに一つ忠告してあげるわ」

ナナミの声はいつもより冷たく、硬質だ。


「ほう?この星詠みの巫女に、忠告とな?主、なかなか面白いことを言う。前代未聞じゃぞ、それは」

ミコトが面白そうに目を細める。


ナナミはゆっくりとミコトに近づき、青白く光る星辰の盤を見下ろした。

そして確信を込めた声で、静かに告げた。

「その盤、もう、永くはないみたいね」


ミコトの表情から、すっと笑みが消えた。

盤に手を翳したまま、無言でナナミを見返す。

「…………」


「分かっているんでしょう?星の声を聴く、偉大な巫女様なら。……輝きが以前とは違うことを」

ナナミの瞳は盤の光を映し、どこか憐れむような色を帯びていた。


「……主は本当に食えぬやつじゃな。どこまで見えておるのやら……。……ならばどうすると言う? 今すぐにでも、この盤を主の手で破壊するか?」

ミコトの声に初めて明確な敵意と、試すような響きが混じった。


ナナミは挑発には乗らず、ふっと視線を窓の外の星空へと移した。独り言のように、それでいてミコトの心に深く染み入るように、ゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。

「……さあ? 役目を終えようとしている道具が、最後にどうなりたいのか……それは道具自身にも分からないのかもしれないわね。」

「……ただ、決められた道をただなぞるだけが、本当に正しいとは限らない。時には……とても強い、誰かの一途な想いが星の巡りさえも変えてしまうことだって、あるのかもしれない……そうは思わない?」


誰に向けられたものなのか、何を意図しているのか、判然としない。

だが、そこには確かに運命への静かな抗議と、誰かの「想い」への微かな期待が込められているように聞こえた。


ミコトはナナミの言葉を聞きながら、再び星辰の盤へと視線を落とした。

青白い光は、以前と変わらず神秘的に輝いているように見える。

だが光の奥底に揺らぎのような、翳りのようなものが見え始めていることにとっくに気がついていた。

星々の囁きも、以前より微かに遠くに聞こえるようになっていた。


(……まだ、大丈夫。……まだ、星の声が聞こえる……)

ミコトは盤に翳す手に、ぐっと力を込めた。

(……もう少しだけ……。せめて、あの朴念仁どもが、己の道をしっかりと見出す……その時までは……)


けれど心の奥底で、小さな不安の芽が、静かに育ち始めているのを、彼女はもう否定できなかった。

ナナミの残した遠回しで意味深な囁きが、未来を暗示する予言のように、いつまでも耳の奥で響いていた。

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