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ruth story  作者: Cy


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9-2 「デストピア」



船底が砂を噛む鈍い音と共に、一行は「最果ての島」へと降り立った。


視界を埋め尽くすのは、色彩を剥奪された灰色の砂漠と、奇形にねじれ枯れ果てた樹木の残骸のみ。

かつて女神が愛し、万の命が謳歌した楽園の面影は微塵もなく、生命の鼓動が完全に断絶した死の世界が広がっていた。


鉛色の空からは、肺を焦がすような硫黄と腐臭を含んだ瘴気が重く垂れ込めている。

常人であれば、ひと呼吸するだけで正気を失いかねない濃密な悪意が、肌にまとわりつく。


「ピッ、ピピィ……」


ピィが怯えたように身を縮め、ロイのマントのフード奥深くへと潜り込んだ。

背中に感じる小さな震えと共に歩を進めると、眼前に巨大な瓦礫の山が立ちはだかる。

かつて楽園への入り口として威容を誇った大理石のアーチ、「天界の門」。

今や見るも無惨に崩落し、砕けた柱や彫刻が巨大な墓標のように道を塞いでいた。


ふわりと、ロイの隣に白銀の粒子が舞う。

誰が名を呼んだわけでもない。

神獣アルルホスが、神々しい姿を現世に現したのだ。

しかし、神秘的な相貌には深い悲哀が刻まれている。


「……嘆かわしい。かつて万の命が咲き誇った約束の地が、ここまで荒れ果て、穢れに堕ちるとは」


アルルホスの言葉が、乾いた風に乗って消えていく。

古代の悲劇を肌で感じるような虚無感。

ただ立っているだけで、魂が削り取られていくような錯覚に陥る。


ズゥゥゥン……

ズゥゥゥン……


突如、大地の底から響く地鳴りが、彼らの思考を暴力的に遮断した。

崩れ落ちた「天界の門」の向こう側、濃縮された闇の中から、小山ほどもある巨大な影が姿を現す。

一つ、足音が鳴るたびに、大気がビリビリと震え、全身の神経が逆撫でされる。


これまでに遭遇した魔獣とは、存在の桁が違う。

生物としての本能が警鐘を鳴らす圧倒的な質量と殺気。

皆、弾かれたように武器を構えた。


やがて、闇の中からヌッと現れたのは、鋼鉄のごとき皮膚を持つ一つ目の巨人だった。

手には大木をそのままへし折って鉄を巻いたような、凶悪な棍棒が握られている。


「我、隻眼の狂戦士『ヴォルグ』。魔王復活を阻害せし羽虫どもを排除する」


腹の底に響く重低音と共に、巨人が棍棒を振り上げた。


「みんなよけろ!!!!!」


ロイの叫びと同時に、全員が左右へ飛び散る。

轟音。

先ほどまで彼らが立っていた地面が、粉々に砕け散り、巨大なクレーターと化した。

直撃すれば、肉片すら残らない威力。


アルバは言っていた。魔王の側近は二人いると。

たった一人だけで、この絶望的な強さ。

奥に控えるもう一人の側近、そして魔王。

非力な人間たちが束になったところで、勝ち目などあるのだろうか。

恐怖で膝が笑い、歯の根が合わないほどの戦慄が全身を駆け巡る。


だが、恐怖に飲まれかけた空気を裂くように、一人の男が前へ飛び出した。


「ここは俺に任せろ!」


ナックだった。

身の丈ほどもある大斧を担ぎ、死地においてなお、少年のように目を煌めかせている。

大きな背中に並ぶように、クロエもまた、短剣を構えて滑り込んだ。


「あー、もう!あんたたち先に行きなさい!ナックとあたしが食い止めるわよ!」


強気な言葉とは裏腹に、足はわずかに震えている。

それでも、桃色の勝気な瞳は決して敵から逸らされていない。


「お前たちだけでなんて!危険すぎる!」

亀裂の入った地面の向こうで、ロイが悲痛な声を張り上げた。


「舐めないで!魔王を倒して、アストリアを救うんでしょ!?あんたはここで立ち止まっているわけには行かないのよ!」

「おうよ!パワーと!」

「スピードなら!」

「負けねえ!」

「負ける気がしないのよ!」


ナックの豪腕が大斧を振り回して敵の注意を引きつけ、生じた隙にクロエが疾風のごとく懐へ飛び込む。

ヴォルグの棍棒を弾き返し、二人は不敵に笑ってみせた。


その刹那。

ナナミが一瞬の機を見計らい、前衛に立つ二人の背へ駆け寄った。

泥と傷にまみれた二人の手を、強く握りしめる。


「閉ざされし光の中の女神よ。

暗闇の中でも耐え抜く盾を、全てを導く矛を、

彼のものたちへ与え守り抜きたまえ」


戦場に、場違いなほど清らかな祈りの声が響く。

ナナミの全身から溢れ出した柔らかな光が、ナックとクロエの体を包み込んだ。

身体能力を底上げし、守護を与える回復士の最上級支援魔法。


呪いが身体中に広がった今、奇跡を行使することはとてつもない負担を強いる。

肉を裂かれ、神経の一本一本に太い針を突き刺されるような激痛が彼女を襲ったはずだ。

けれど、ナナミは祈りを止めない。

心の底からの願いが、女神の奇跡となって二人の四肢に力を宿す。


思い出を語る時間も、名残を惜しむ抱擁もない。

ただ、命懸けの視線が交錯するだけ。


「必ず、生きてまた会いましょう」

「当たり前だ!すぐ追いつくぜ」

「先で待ってるわ」


クロエが涙で潤んだ桃色の瞳で、激痛と不安に揺れるライラックの瞳を射抜いた。

グッと力強く握り返された手は、無数の傷とささくれだらけの戦士の手だった。


「……っナナミ!約束を破ったら、承知しないんだから……」


「……ええ、クロエ。あなたも気をつけて」


離れていく指先。

温もりを残し、ロイとナナミ、そして他の仲間たちは先へと走り出した。

背後から、大気が爆ぜるような激突音が響き渡る。


「さ、大一番だ!さっさと終わらせねえとな!」

「ここから先には行かせないんだから!」


友の叫びを背に受け、彼らは前だけを見据え続けた。


***





息を切らし、堕ちた楽園を駆け抜ける。

重く澱んだ瘴気が肺に絡みつき、走るたびに呼吸が鉛のように重くなる。

瓦礫の山を越え、かつて「春の森」と呼ばれた場所へ踏み入った時だった。


「……?」


ロイは違和感を覚える。

枯れ木が亡霊のように立ち並ぶ森。

走っても、走っても、風景が変わらない。

崩れた噴水の跡、雷に打たれたような焦げた古木。

数分前に通り過ぎたはずの景色が、また目の前に現れた。


「なぁ、この噴水、さっきも見たぞ……」


荒い息を整えながら、一行は足を止めた。

共に駆け抜けてきたアルルホスが鼻を鳴らし、険しい顔で周囲を睨みつける。


「これは!すでに相手の掌の上というわけか……」


ケケケケケッ……!


空間そのものが歪むような、不快な笑い声が全方位から響き渡った。

視界がぐにゃりと油絵のように混ざり合い、平衡感覚が狂わされる。

ねじれた空間から滲み出るように現れたのは、道化の衣装を纏った人型の影。

顔には白と黒で塗り分けられた不気味な仮面、手足は人間ではありえない関節の曲がり方をして浮遊している。


「ようこそ絶望の回廊へ。我が名は幻影の道化師『メディスト』。キミたちの壊れゆく心を見せておくれよ」


「みんな構えて!」


クラリスの声に反応し武器を抜こうとするが、脳が直接揺さぶられ、焦点が定まらない。

視界の端に、嫌な幻覚がちらつき始める。


「やめろ……うわあああ!」


ロイの視界には、燃え盛る故郷の光景。だが、ただ燃えているだけではない。村人たちが皆、腐肉を垂らしたアンデットとなって襲いかかってくる。

「なぜ助けなかった」と、亡者たちが口々に恨み言を叫ぶ。


「お父さん……お母さん……?」


クラリスの前には、死んだはずの両親が青白い顔で立ち尽くし、冷たい手で彼の首を絞めにかかる。

はやくこちらへ来てと言わんばかりに、狂った笑みを浮かべながら。


「みんな……!やめろ!やめろおおお!」


ジークの視界では、氷漬けにされた村人たちが、音を立てて次々に粉々に砕け散っていく。破片の一つ一つが、彼を責める瞳となって睨みつける。


「彼はやってない!こんなことやめて!」


シルリアの視界には、憧れの誇り高き騎士がありもしない罪で処刑台へ立たされている。

その首を彼女に跳ねろと言うのだ。


「…………っ」


ナナミの視界には、かつて共に旅した仲間たちがいた。

かけがえのない仲間たちを、制御が効かなくなった自分が楽しそうに、楽しそうに殺めていく。

一番大切な彼に、愛を誓いあった彼に、剣先を向けられる光景を、声を押し殺して耐えていた。


自身の最も弱い部分、心の柔らかい場所を鋭利な刃物で抉る精巧な悪夢。

精神への直接干渉。

立っていることすら困難な精神の嵐の中で、それでも、三人の影が歯を食いしばり前へ出た。


「……幻影使いの魔族か。ここは私たちが引き受けるよ」


シルリアが自らの頬を思い切り叩き、断固たる意思で弓を構える。

隣には、過去の幻影を振り払うように槍を構えたジークと、撫でるように竪琴に触れるクラリス。


「俺たちが適任だ。ロイ、ナナミ、走れ!」


ジークの低い声が、混乱する意識を現実に引き戻す。


クラリスが竪琴を爪弾くと、清冽な音色が波紋となって広がり、絡みつく幻影を一時的に切り裂いた。

生じた一筋の道。彼についてきた精霊たちが、最後の力を振り絞り貸してくれたようだ。


「お前ら……!?」


「頼むんだよ、勇者様!」


ナナミは不安そうに見上げ、三人の手をまとめてとり、また祈りの言葉を囁いた。


「闇をも晴らす女神エデルよ。

迷い深き霧を晴らし、真実の光を灯したまえ。

揺らがぬ心は金剛の盾となり、

明日を信じる意志は疾風の翼となる。

聖なる風を吹かせ、彼らの魂を守り給え……!」


相変わらず、この死の島に相応しくない、淡く優しい光が彼らを包み込む。

それは肉体の強化だけでなく、精神の核を強固に守り、恐怖に打ち勝つ勇気を湧き上がらせる奇跡。

再び激痛がナナミを襲うが、彼女は冷や汗を浮かべながらも微笑んでみせた。


「みんな、信じているわ。どうか無事で……」


「ありがとう、ナナミ!精霊のご加護がありますように」


「なるべく急ぐ、最低でも食い止める」


「行って!ここは通さない!」


三人の背中から放たれた強力な闘気が、メディストの展開していた結界を内側から食い破る。

背中を押されるように、狭間から二人は弾き出された。


「行こう……!」


「ええ……!」


振り返れば、再び幻影の霧が三人を飲み込もうとしていた。

もう迷わない。

仲間たちが命を削り、切り開き、繋いでくれた道。

ロイとナナミは二人きり。瘴気がより一層濃くなる闇の奥、因縁の地「星降る祭壇」を目指して、枯れた大地を駆け抜けた。

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