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ruth story  作者: Cy


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8-10「決戦の時」


島は、先ほどまでと相貌そうぼうを変えた。


永遠の黄昏が約束された楽園、百花繚乱の色彩と歓喜の歌声が満ちていた場所は、もはや記憶の中にしか存在しない。

暴風が家屋を粉砕し、皆で汗を流して設営した祭りの会場は、無惨な瓦礫の山と化した。

広場を支配するのは、陽気な歌声ではない。耳を塞ぎたくなるような悲鳴と、絶望の淵から漏れる嗚咽だけだ。

黄金色に輝いていた空は、インクをぶち撒けたような漆黒の闇に飲み込まれ、肌を刺す冷気が吹き抜けていく。


なぜ。どうして。

温かな幸福に包まれていた世界が、瞬き一つの間に地獄へと堕ちたのか。

水平線の彼方より現れ、島を深淵なる闇に沈めたあの巨大な影は何なのか。

アストリアで今、何が起きようとしているのか。


ロイは意識のないナナミを背負い、瓦礫の道を疾走した。

目指すはハナレア島の巫女、アルバの屋敷。


「ロイ!無事か!どこにいたんだよ!大変なことに……って、ナナミ?!どうしたんだ!」


「お前ら!生きてて良かった……!アルバはどこだ?!」


駆け寄って来たナックが、仲間たちへ向けてアルバを呼ぶ声を張り上げる。

彼らが身に纏っていた純白の衣装は土埃に汚れ、引き裂かれ、滲んだ鮮血が痛々しい朱を添えている。

なんとか崩壊を免れた建物の陰、急ごしらえの絨毯の上にナナミを横たえると、アルバが息を切らせて駆け寄って来た。


「……魔法を使ったね?」


アルバの第一声は、鋭い刃のように響いた。


「違う!海の向こうに黒い島が現れて、とんでもな魔法が飛んできて……!ナナミは、俺たちを庇ったんだ!」


ロイは喉が張り裂けんばかりに叫ぶ。これは彼女が望んだ災厄ではない。彼女はただ、守ろうとしたのだと。

ナナミの容態を確認し、温厚なアルバが珍しく語気を荒らげた。


「分かっている!彼女が魔法を行使しなければ、今頃この島は消滅していた!彼女はおそらく、禁忌とされる領域に手を伸ばしたんだ……でなければ、これほどの速さで呪いが進行するはずがない」


アルバはナナミの上体を抱き起こし、小瓶の琥珀色の液体を蒼白な唇へ流し込む。意識のないナナミが苦痛に顔を歪め、呻き声を漏らした。


「あの、黒い島は一体……」


ロイの問いに、アルバは闇の中に鎮座する黒い島を睨み据え、沈痛な面持ちで告げた。


「魔王が復活したんだよ……伝説の『最果ての島』と共に」


***


かつて、ハナレア諸島の最果てには小さな島があった。


島の大地は神の祝福を受け、常に薄い光のヴェールを纏っていたという。夜になればマナが星々と共鳴し、島全体が燐光を放つ。

中央には、岩の間から「永劫の泉」が湧き、その清冽な水は万病を祓い、魂の濁りさえ洗い流すとされ、“女神エデルの涙”として崇められてきた。


島の奥深くには、神代より生き永らえる伝説の神獣たちが息づく。金色の不死鳥、白銀の鹿、蒼鱗の蝙蝠、夢見の蝶。

彼らは人前に姿を見せることなく島と共に在り、島の感情と呼応して生きると伝えられていた。


女神エデルが「最も美しいものだけを集めた、世界の宝箱」として創り上げた場所。

人々は敬意を込め、この島をこう呼んだ。


──“女神が最後に残したエデン”。


だが、楽園に過酷な運命が降りかかる。

強大すぎる魔王の肉体を封じるには、同等の力を持つ依代が必要だった。

魔女マリナの命と引き換えに、島そのものを依代として、次元の狭間へ封印したのだ。

かつての楽園は、魔族たちの怨嗟、嫉妬、憎悪に侵され、奈落へと堕ちた。

ユートピアは、デストピアへと変貌を遂げた。


次元の狭間に囚われていた島が限界を迎え、現世に浮上し、牙を剥く。

それは魔王の復活が目前に迫っているどころか、既に玉座へ帰還している事実を示していた。


さらにアルバは震える声で告げる。

魔王と共に封印を選んだ側近の魔族たちも、そこにいると。

彼らは、アストリアに蔓延る魔獣とは次元が違う。

太古より生きる純血の魔族は人の姿を取り、その魔力は現代を生きる人間の想像を絶する。


歴代の勇者たちですら、上陸することなく命を散らした、未知の島。未知の魔族。


***


絶望的な事実に、一行の表情が凍りつく。

状況は最悪だ。魔王の復活を食い止めることは叶わず、決戦の鐘は鳴らされた。


ロイは屋敷の奥の寝台に移されたナナミを見やる。

呪いは広がっていた。

黒く禍々しいアザが、雪のような肌を毒蔦のごとく這い回り、侵食している。

命を、魂を食い荒らす呪い。これが全身を覆い尽くした時、彼女は魔族へと堕ちる。

救済のない、消えゆく魂となる。


そんな結末は、断じて認めない。


ロイの胸中で、熱い塊が弾けた。

無言で立ち上がり、装備を整える。

仲間たちも呼応するように祝祭の白衣を脱ぎ捨て、泥と汗にまみれた、頼もしい戦装束へと身を包む。


「巫女として言わせてもらう。今のナナミを連れて行くことは許可できない。万が一、戦いの最中に魔に堕ちれば、彼女は魔族……いや魔王と同等の脅威となりかねない」


アルバの警告に、ロイは迷いなく頷く。


「ああ!もちろんだ。俺たちだけで行く。だから、ナナミのことを……頼む」


明るい声と笑顔を作って見せる。

だが、笑顔を崩した後のロイの瞳は真剣そのもの。切実な光がアルバを射抜いた。

覚悟を決めたその瞳は、見惚れるほどに澄んだ灰の色を湛えている。


勇者は、横たわる魔女のそばへ歩み寄る。

力の抜け切った冷たい手を、壊れ物を扱うように両手で包み込んだ。


「ナナミ、心配するな!俺たちだけでもやれるってとこ、見せてやる。必ず帰る。……呪いが解けたなら、今度こそ……答えを聞かせてくれ」


答えのない寝顔を目に焼き付け、ロイは立ち上がった。

もう振り返らない。一行はアルバの屋敷を後にした。


「カイエン!彼女を見ていてくれ!」


「任せろ!アルバも気をつけて!」


アルバもまた、勇者一行の後を追う。


***


「ピッ!ピッピ!ピィ〜!」


どこから船を出せば最短で辿り着けるか。

浜辺で方角を探す一行の前で、ピィが声を張り上げた。

ある一点を凝視し、慌ただしく飛び回っては、ロイのマントをくちばしで引く。


「うわ!なんだピィ!落ち着け!」


ピィに導かれ、海岸線を走り、辿り着いたのは入り江の隠れた一角。

そこには、奇跡的に無傷の船が一隻、波に揺られていた。


海流を凝視していたシルリアが、ハッと顔を上げる。


「ねえ、みんな!ここの海流、あの最果ての島と繋がってる」


「よく分かったね、シルリア。しかも驚くべきことに……この場所以外からは、あの島の結界を抜けられないようだ。ウィンリア、間違いないね?」


追いついたアルバが風に問うと、風の精霊たちも同意の旋風を巻いた。ここが唯一、最果ての島へと続く海路。


「古くから伝わる歌の通りだね……」


アルバは黒く輝く島を睨み据える。

船に損傷はない。一行は次々と乗り込んでいく。


「すまないね。私も同行したいところだけど、傷ついた島民たちを癒やさなければならない。せめてもの餞別だ」


アルバは浜辺に跪き、指を組んで祈りを捧げた。


「光の御母みはは、女神エデルよ。

沈みゆく陽のふちより、御名を呼びます。


傷つき倒れし者に、ひとひらの慈しみを。

迷い苦しむ魂に、一度きりの道標を。


わが祈りを聞き届け、いま授けたまえ。

黄昏に咲く聖なる花冠──

未来を照らし、運命を切り開く“奇跡の光”を。


女神エデルよ、願わくば……選ばれし者に、

一度きりの奇跡を咲かせたまえ!」


祈りに呼応し、穏やかなオレンジ色の光が天から降り注ぎ、船上の戦士たちを包み込む。

ハナレアの秘儀、加護「黄昏の花冠」。

極限の時、たった一度だけ奇跡の一撃を放つ力。


「ありがとう、アルバ。……行ってくる!」


「気をつけて……必ず生きて帰っておいで。君たちの無事を祈っている」


ロイたちは、アルバの姿が点になるまで手を振り続けた。

ナナミのいない、最後の決戦が幕を開ける。

船内は張り詰めた空気に満ちていた。


「ゔ……も、限界……吐く……」


「ほんと……しまらねぇなぁ、お前は」


限界を迎えたロイが蒼白な顔で甲板へ崩れ落ちる。

仲間たちは吐息を漏らしながらも、変わらぬその光景に安堵を見出し、船に弱い勇者を見守るのだった。


***


「女神エデルよ……どうか彼らを、お護りください」


船影が闇に溶け、勇者一行が見えなくなるまで手を振っていたのはアルバも同じだった。

祈りの言葉が夜風に溶けていく。

勇者一行の乗った船が闇の向こうへ沈んで見えなくなるまで、アルバは微笑みを絶やさなかった。


けれど柔らかな笑みは、船影が消えた瞬間すっと落ちた。


胸の奥に、冷たい針が落ちるような感覚。

さっきからずっと感じていた、説明のつかない胸騒ぎが、無視できないほどに大きくなっていた。


見送りを終え、アルバは早足で集落の屋敷へと急いだ。

本当ならば陽気な音楽と笑い声が島を支配していたはずなのに、空が闇に染まってからは、鼓膜を圧迫するような静寂が満ちている。

木々のざわめきが重く、闇が“何か”を孕んで息を潜めている気配。


胸がざわつく。

冷たい予感が、心臓の奥底で鎌首をもたげる。


「カイエン?カイエンー!返事をして!」


屋敷に飛び込むと、明かりのない室内に、粘りつくような沈黙が漂っていた。

焦燥が喉を焼く。


返事はない。

空気は凍てついている。


ナナミが寝ていたベッド。毛布が頭まできっちりと掛けられている。

“そこに人がいる”と錯覚させる膨らみ。


心臓が早鐘を打つ。

答え合わせをするかのように、アルバの周囲を漂う光の粒――精霊たちが、騒ぎ出した。

恐怖に慄く子どものように、小刻みに震えながら耳元へしがみついてくる。


微かな囁きが、アルバの背筋を凍らせた。


──まさか。


心臓が縮み上がる。

呼吸が止まる。


「……っ!」


アルバは震える手で、毛布を力任せに跳ね除けた。


そこには――

口を塞がれ、身体を縛られ、巨大なタンコブを作って気絶したカイエン。


あるはずの少女は、消えていた。

ナナミの姿は、影も形もない。


「そんな……!」


視界が明滅する。

心臓を鷲掴みにされたような激痛。


窓が開け放たれ、黒い潮風が部屋を蹂躙し、白いカーテンを鞭のように打ち鳴らす。

“夜が彼女を連れ去った”ような痕跡。


精霊たちは悲鳴のような光を散らし、アルバの肩で震えている。


ナナミは行ってしまった。

瀕死の身体を引きずってでも。

避けられぬ運命と底なしの闇に、たった独りで立ち向かうために。


アルバの膝から力が抜け、床に崩れ落ちる。

胸に去来するのは、やり場のない慟哭。


「どうして……そこまでして……」


身動きさえままならぬほど、呪いは彼女を蝕んでいたはずだ。

何が、そこまで彼女を突き動かすのか。

アルバにも精霊たちにも理解の範疇を超えていた。

返事の代わりに部屋へ吹き込むのは、刃のように冷たい夜風と、少女が残した壮絶な“決意”の匂いだけだった。

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