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ruth story  作者: Cy


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2-4 「ナック・エイジ」



夜が深く沈んでいく。

ツクヨの国の空には薄雲一つなく、星々はまるで夜天の瑠璃に散りばめられた 金剛石ダイヤモンドのように、鋭く無数に瞬いていた。

あまりに多く、あまりに近いため、手を伸ばせば本当に零れ落ちてきそうな錯覚さえ覚える。

澄み切った夜気が霊峰から吹き下ろし、地上を厳かに包み込んでいた。


星月夜の下、聖域である境内の一角でひとり黙々と鍛錬に励む男の影があった。

ナック・エイジ。

彼が振るう大振りの戦斧は、月光を浴びて鈍く輝き、風を切る音だけが静寂に響く。

動きに一才の無駄はなく、一振り一振りに込められた意志が、無骨ながらも迷いのない力強い軌跡を描いていた。

額から流れる汗が顎を伝い、地面にぽたぽたと落ちる。息は激しく肩で上下している。

それでも彼の瞳は揺らぐことなく前を見据え、奥には強い光が宿っていた。


意識の片隅には色褪せた、モノクロームの記憶の欠片が繰り返し浮かんでは消えていた。


遠い昔の光景。

冷たく澄んだ山の空気。

赤、赤、赤ーー燃えるような紅葉の木々だけが、記憶の中で鮮やかな色彩を放っている。無数の落葉が敷き詰められた山道。

訳も分からず集められた、自分と同じ年頃の表情を失くした子供たち。

無慈悲に彼らを見下ろす、老衆たちの厳しい目。

……最後に、試練の終わりに見た、ほんの少しだけ諦めたように、悲しげに笑っていた幼い日の、ミコトの姿。


あの日の彼女の幻影を振り払うかのように、ナックが力強く斧を振り下ろした時。

背後から、聞き慣れた気の抜けた声が届いた。


「おーい、ナック!まだやってるのか?すげぇな、お前は。……しかし、本当に星が降ってきそうなくらい綺麗な夜だなー」


振り返るとロイが立っていた。

月明かりを背にして、どこか所在なさげに気楽そうな顔で手を軽く振っている。


「よう、ロイじゃねーか!どうだ?お前も一緒に一汗流すか!」

斧をどさりと地面に置き、肩を回しながらナックは快活に笑う。


「いや、俺はもう勘弁……って言いたいけど、まあ、少しだけなら」

ロイは苦笑いを浮かべながら近づいてきた。

ナックに絆されるように、彼の足元に転がっていた竹刀を拾い上げ、ぎこちなく素振りを始める。

それを見届けたナックは、再び巨大な戦斧を手に取り、鍛錬を再開した。

静かな夜に、武器が風を切る音だけが響く。


「……なあ、ナック。お前っていつもこんななのか? 前から思ってたけど、もう充分強いじゃんか。そんなに……頑張る必要、あるのか?」

ロイが竹刀を振る手を止め、ぽつりと尋ねた。


ナックは動きを止めずに答える。

「んや、全然足りねぇ。俺はもっともっと、強くならなきゃいけねぇって……今回の旅で改めて思い知らされたよ」

いつもの快活さとは違う切実な響きがこもっていた。


ナックの言葉を聞いて、ロイはふと初めて出会った日のことを思い出していた。


あれは、ルミーナ王国のギルドだったか。

喧騒の中でひときわ大きな体躯の男が、険しい顔つきで依頼書の貼り出された掲示板を睨みつけていた。

それがナックだった。

大きな戦斧を無造作に肩に担ぎ、立ち姿は岩のように揺るぎなく、近寄りがたいほどの威圧感を放っていた。

ロイは勇者としての勅命を受けたばかりで、共に魔王討伐へ向かう仲間を探していた。

数いる冒険者の中で、なぜかロイの目はこの無骨な男に引きつけられたのだ。

『なあ、あんた強いんだろ? 俺と一緒に魔王を倒しに行かないか?頼むよー……』

今思えばあまりに突拍子もない、無謀な誘いだった。


だが、ナックは驚く様子もなくロイを一瞥すると、次の瞬間には太陽のように屈託のない笑顔で、力強く頷いたのだ。

『おう、面白そうだ! 行くぜ!』

と。

単純明快で裏表のない様に、ロイは拍子抜けすると同時に妙に心を掴まれたのを覚えている。

あの時はただひたすらに「強そうな仲間」が欲しかった。

大きな体、巨大な武器、それはそれは頼もしい盾であり強力な矛にもなるだろう、と。

だが、今ならわかる。

自分が彼を誘ったのは、それだけの理由ではなかった。

この男の持つ、どこまでも真っ直ぐな魂と曇りのない強さに無意識のうちに惹かれていたのだ、と。


ロイが感傷に浸っていると、ナックは不意に斧を地面に突き立て、夜空を仰ぎ見た。

堰を切ったように、心の奥底にずっと秘めていたであろう言葉を、ぽつり、ぽつりと零し始めた。


「……ゼロが逝っちまったとき、正直、悔しいって気持ちと同じくらい……ああ、やっぱり駄目だったか、って、どこかで思っちまったんだよな」

静かな告白だった。

ロイは静かに息を飲み、言葉を待った。


「そう思っちまうのも……仕方ねぇのかもしれねぇ。もともとツクヨの国じゃよ、俺達みてぇな奴の命なんざ、あってねぇようなもんなんだ。……いつだって、使い捨ての駒みてーなもんなんだよ」


意外な言葉に、ロイは飲もうとしていた竹筒の水を、ぶっ、と盛大に噴き出してしまった。

いつも快活で真っ直ぐで裏表のない男が、闇深そうな冗談を言うなんて。

いやこれは、冗談などではない。彼の瞳は真剣そのものだった。


「ミコトだって例外じゃねえ。ツクヨの巫女はな、代々、神の力を宿す尊い存在だって言われてる。けどよ、裏じゃ国に何か大きな災厄があったとき……真っ先に人柱にされてきた歴史があるんだ」

神に愛され神に似た力を宿すが故に、その身を捧げることで災いを鎮める。

それがこの国に根付く、忌まわしい因習だった。


「いつ贄にされるかもしれねぇ大事な大事な人身御供を、命懸けで守るのが俺の役目だった。……ミコトの伴侶を決めるっていう、ふざけた試練で最後まで生き残っちまったのが、俺一人だったからな」


ナックの脳裏に、再びあの日の記憶が色鮮やかに残酷に甦る。


冷たい風が吹きすさぶ、紅葉の山奥。

老衆たちが集めた、ミコトと歳の近い子供たち。

皆、感情を押し殺したような無機質な瞳をしていた。


『この中から最も強い者を選び、巫女様の伴侶とする。これは星辰の盤が示した神託である』


ーー老衆の一人が厳かに告げた。

試練という名の、命を賭けた潰し合いの始まりだった。

気がつけば、自分の周りには誰もいなくなっていた。

足元には紅葉の色なのか、それとも……赤黒い染みが広がっていた。

そして、凄惨な光景の先に、一人静かに佇んでいた幼いミコト。

彼女は血に濡れた自分を見て……ほんの少しだけ悲しそうに、諦めたようにふっと笑ったのだ。

これから始まる自身の運命と、目の前の勝者の未来を同時に憐れむかのように。

『ミコト様、このナック・エイジが、盤の決めた試練を越えし唯一の者でございます。これより伴侶となりて、この身が朽ち果てようとも、必ずや御身を守り抜くことを、ここにお誓い申し上げます』

ーー震える声でそう告げた自分に、幼い巫女は静かに言った。

『そうか、主がナックか。良き名じゃ。……ではナック、その務めしかと果たされよ』

と。

凛としていながらも、どこか脆く、か細く震えていて……『助けて』と、そう叫んでいるように聞こえたのだ。


ただの幻聴だったのかもしれない。

けれどあの時、触れれば壊れてしまいそうな儚い笑顔を、自分だけは絶対に守らなければならないと思った。

彼女を縛り付ける運命の呪縛から、いつか必ず解き放ちたいと心の底から願ったのだ。


「……オレ、あの時本気で思ったんだよ。……理不尽だろうがなんだろうが、文句のつけようもねぇくれぇ、ひたすらに強くなれば……誰も、あんなふうにいなくなったり、悲しい顔したりしねぇんじゃねぇかって!」

ナックの声に熱がこもる。

「結局よぉ、どんな綺麗事言ったって、強くなきゃ守れねーんだよ!大事なもんは!」


ロイは何も言えなかった。

快活な笑顔の裏に隠されていた、壮絶な過去と剥き出しの覚悟に、言葉を失っていた。


「ゼロのことも、そうだ。俺がもっと強けりゃ……。それに、ナナミのあの魔法を見ちまったら尚更だ! ……こんな所で立ち止まってる場合じゃねぇ!体を動かしてねーと、なんだか胸の奥が疼いてしょーがねーんだよ!」


「いや、魔法と筋肉じゃ……力の種類が根本的にちがうような……」

ロイが思わずツッコミを入れるが、


「うるせぇ!いつかあんなもん、筋肉で弾き飛ばせるようになってやる!こうしちゃいられねえ!」


ナックは聞く耳を持たず、再び巨大な斧を手に取り、一心不乱に鍛錬を再開した。

背中からは、悲壮なまでの決意が滲み出ていた。


「……無茶はすんなよー。俺はもう、筋肉痛で限界だ……部屋に戻るよ」

ロイはナックの逞しい背中に苦笑いを向けながら手をひらひらと振り、安堵したような表情で鍛錬場を後にした。


ナックの小さな呟きは、彼の耳にはもう届かない。

「もっと、もっとだ。強く、なるんだ。……もう誰の命も、無駄にはしない。……ミコトを、守り抜くために」






***


先ほどのナックとの軽い鍛錬でかいた汗を流そうと、ロイは再び夜の浴場へと向かっていた。

月のときを過ぎれば、浴場は男湯と女湯が入れ替わる。ミコトは確かに言っていた。

先ほどの賑やかさとは違う、夜の静かな温泉もまた格別だろう。


「たしか……こっちが、今の男湯だよな?」

呟きながら、控えめな灯籠の明かりが照らす暖簾をくぐる。

しんと静まり返った脱衣所。

夜風に冷えた肌が、湯気の満ちる空間の暖かさに触れて、じんわりと弛緩していくのを感じた。

着ていたものを脱ぎ捨て、裸のままゆっくりと浴場へと足を進める。


ふと、先ほどのナックとの会話が脳裏をよぎった。

――守りたいものがあると、人はあんなにも強くあれるのか。

ナックの振り下ろす斧には、迷いがなかった。

ミコトを守るという、明確で揺るぎない想いが込められていた。

それほどまでに純粋な意志が、圧倒的な力を生むのだろう。

ロイはその強さに素直に感心し、少しだけ羨ましくもあった。


では自分はどうだ?

守りたいもの、か。

自問しながら、ロイはそっと目を閉じる。

頭に浮かぶのはルミーナ王国のこと、自分を騎士に取り立ててくれた王女サザリのこと、民衆からの期待の声、勇者としての名声……。

けれど、それらの言葉は泡のように浮かんでは消え、どれも心の芯には響かない。


なぜだろう。


「勇者」と呼ばれ、アストリアを救うという大義名分を掲げて旅をしている今も……自分の根底にあるのは、結局のところ、誰かに流されるままに生きてきた、“ただの人間”でしかないような、頼りない感覚だった。


湯けむりが立ちこめる中を、ゆっくりと湯船へと進んでいく。

月光が湯面に反射し、きらきらと揺らめいている。

霧が晴れるように視界が開けたその先で、少し気落ちした気分のまま、湯の中へと身を沈めようとしてロイの足がぴたりと止まった。


そこにいたのは、湯船の縁に静かに腰掛けている一人の女性だった。


月光がスポットライトのように彼女の背中を照らし出している。湯気に濡れた細く白い背中が、暗がりの中に幻想的に浮かび上がっていた。

ロイは息を呑んだ。

滑らかな肌の上に異様な“痣”が、黒い炎か、あるいは不吉な紋様のように、禍々しく浮かび上がっているのを、はっきりと見てしまったのだ。

ただの痣ではない。

見ただけで背筋が凍るような、何か根源的な恐怖を感じさせる呪いの刻印のような……。


背中の主が人の気配に気づいたのか、ゆっくりと振り向いた。

湯気の向こうで、大きなライラック色の瞳とロイの視線が真正面からぶつかる。


「ーーっ!」


ナナミは一瞬、驚きに目を見開いたが、すぐに焦ったように、じゃぽん、と音を立てて慌ててその身を湯の中へと深く沈めた。


「ロ、ロイ……!? なんで……。ここ、女湯よ」

動揺を隠せない声で、彼女が咎めるように言った。


「ご!ごめん!ちが、俺も驚いて……!っていうか、ナナミこそ、知らないのか!? ミコト様が言ってたろ!?月の刻を回ったから、もう湯は入れ替わったんだよ……!だから、今はこっちが男湯で……」


「なっ……!そ、そうなの……?知らなかったわ、ごめんなさい……。ど、どうしましょう……」

ナナミはさらに慌てて、湯の中で身を小さくする。

あたふたとした様子は、普段の彼女からは想像もできないほど普通の少女のものだった。


「だ、だよな!えっ、と……他に誰か入ってくるかもしれないし、とりあえず、出た方がいいよな。わ、分かった、俺一回外に出るから……!」

ロイは咄嗟にそう言って、踵を返そうとした。


すると、ナナミが縋るような静かな声で呼び止めた。

「……待って。……ロイ……あなた、……見た?」


「………え?……何を?」

心臓がどくりと大きく跳ねた。

脳裏には先ほど見たあの禍々しい痣が鮮明に焼き付いている。

だが、ロイはそれを悟られまいと必死に平静を装い、とぼけてみせた。


「……ううん。なんでもないわ。……気にしないで」

ナナミはそう言って、力なく首を横に振った。

その声には諦めにも似た響きがあった。


「そ、そうか?なんだよー、気になるなー」

ロイは努めて明るい声を出しながらも、気まずさからもうナナミの方を向けず、そそくさと脱衣所へと戻り、急いで服を着始めた。

静まり返った浴場には、湯が流れる音と二人のぎこちない呼吸だけが響いていた。


「……なあ、ナナミ。そういえば……大丈夫だったのか? 昼間の滝行とか。からくり屋敷のやつとか……結構きつそうだったけど」

壁越しに何気ないふうを装ってロイは尋ねる。

静かな浴場に彼の声が少しだけ響いた。


壁の向こうからややあって、くぐもった声が「…………大丈夫……」とだけ返ってきた。

いつもの硬さがなくどこか頼りなげに響き、語尾がわずかに揺れているように聞こえた。


「そっ、か。なら、よかった……」


壁の向こうで、また長い沈黙が落ちた。

湯が静かに流れる音だけが、二人の間の気まずい空間を満たしている。

やがて、堰を切ったかのように、ぽつり、ぽつりと、今にも消え入りそうな小さな声が漏れてきた。


「……うそ。……本当は、……大丈夫じゃ、ないわ。……川に流された時、鼻に水が入って痛かったわ。あの、屋敷の変な拳だって、……すごく、すごく、痛かった……」


ロイがこれまで聞いたことのない、弱々しく、少しだけ拗ねた子供のような響きを持った、彼女の初めての弱音だった。

声が震え、彼女がどれだけ我慢していたのかが伝わってくるようだった。


「……!そ、そーだったのか!?やっぱり無理してたんだな!」

ロイは驚きで壁に背を打ち付けそうになった。

あのナナミが、痛い、と。そうはっきり口にするなんて。

心配と同時に、そんな風に自分にだけ本音を話してくれたことが、どうしようもなく嬉しくて、同時に照れくさくて、つい、いつもの調子で口が軽くなる。


「いやー、でもあの強いナナミを吹っ飛ばすパンチって、ある意味すごくないか!?あそこに魔王でも誘い込めれば、案外あっさり勝てたりしてな!」

少しでも彼女の気が紛れれば、笑顔になってくれれば、そんな思いで努めて明るくおどけてみせた。

その軽口が返って彼女を傷つけるとも知らずに。


ロイの言葉の後、ぴたり、と壁の向こうの気配が凍りついた。

先ほどまでの弱々しい雰囲気とは違う、張り詰めたような痛々しいほどの静寂。

夜の静けさの中に震えるような、それでいて逃がさないとばかりに真っ直ぐな響きを持った声が、ぽつりと落とされた。


「……こわい……?」


あまりに小さく、か細かったが、ロイの耳には雷鳴のように響き彼の動きを完全に止めた。


「え、……?」

何のことか、一瞬、理解が追いつかない。何が、怖いというのだろうか。

あの屋敷のパンチのことか? それとも……。


「……私のこと、こわい?」


繰り返された問いは、今度は確信を持ってロイの心の最も柔らかな、ずっと見ないふりをし続けていた部分を冷たく鋭く抉った。

非難でも疑念でもない、純粋に傷ついた子供のような問いかけだったからこそ、重くて痛かった。


ロイは言葉を失った。

壁に背を預けたまま、動けなくなる。


「そんな……こと……」

ないーーそう、すぐに言ってやりたかった。


けれど、嘘はつけなかった。

ゼロを昇華させた時の壊れた笑顔。

マルザフィリアの片翼を一撃で葬った人間離れした力。

今しがた見てしまった、あの禍々しい痣……。

それらが次々と思い起こされ、口がうまく動かない。

肯定も否定もできず、ただもごもごと意味のない音を発するだけだった。


守りたいものさえ、まだ曖昧な自分。

仲間のはずの、こんなにも儚げな一人の少女にさえ、心の底からの安心を与えられない。

情けない。あまりにも情けない、勇者ロイ。

気の利いた言葉の一つさえ、この期に及んで何一つ浮かんできやしないのだ。


「……正直、驚いたのは本当だ。……この前の魔法も、……圧倒的すぎて……」

ようやく絞り出したのは、そんな言葉だった。


「……そう」

壁の向こうから聞こえたのは、ただそれだけの短い返事。

けれど、その一言には拒絶されたような、深く、静かな痛みが滲んでいるように、ロイには感じられた。


ふと、彼女が脱衣所に置いていたのだろう、丁寧に畳まれた衣の上に、古びた一冊の本が置かれているのが目に入った。

昼間の鍛錬中も彼女が片時も離さず、大切そうに抱えていた本だ。

――あれは大切なもの、なのかもしれないな。

そんなことをぼんやりと考えながら、ロイは浴場の戸口へと足を運び、外の冷たい空気に触れながら少しだけ照れくさそうに、どこか償うように声をかけた。


「……あのさ、俺、ここで見張ってるから。誰も来ないように。だから、……その、早く出ろよな」


「…………うん。……ありがとう」

壁の向こうから、か細い、けれど確かな返事が聞こえた。


ロイは戸口に背を預け、星空を見上げる。

浴場の中では月明かりが、湯気に濡れたナナミの肩を、髪を、背中の痣を、静かに鮮やかに照らし続けていた。

彼女の秘密と痛みを、否応なく暴き出そうとしているかのようだった。


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