8-5「光と闇」
祭りの間、島民たちは墓標に向けてフィノアの花を手向けて回るという。
祭壇の飾り付けを終えたロイとアルバは、それぞれ大きな花籠を両手に抱え、墓標までの道標を作るかのように、花籠の中に入った純白の花びらをそっと砂の道に撒いて歩いていた。
時折、道の脇に置かれたキャンドルに火を灯していく。
小さな炎が風に揺らめき、辺りを頼りなく照らした。
空は燃えるような夕焼けのままだった。
夜の帳が下りるべき時間になっても、太陽は決して沈みきることはなく、島全体をノスタルジックなオレンジ色に染め上げながら、薄く水平線上を漂い続ける。
やがて朝の時間が来れば、またゆっくりと昇り始めるのだという。
永遠に続くかのような黄昏時だった。
子供たちのはしゃぐ声も次第に遠くなり、辺りが波の音だけになった頃。アルバがふいに問いかけた。
「君は本当に、魔王を倒すの?」
「え。」
思ってもみなかった、唐突すぎる核心を突く言葉に、ロイは花びらを撒く手を止め、目を丸くした。
アストリアのために魔王を倒せと命じられ、この旅が始まった。
かつて抱いていた、富や名声を手に入れるチャンスだなどという浅ましい考えを抜きにしても、人々の平和のためならば倒すべきだと信じていたのは事実だった。
だがしかし即答できない自分も、また事実であった。
セレスティアの地下深くで目にした、今でも思い出すだけで身の毛のよだつようなおぞましい光景。
魔族へ行われた非道な迫害の痕跡が、瞼の裏に焼き付いて離れない。
一方的に魔族だけが悪だったのだろうか。
イル=シャル国での目覚ましい魔法技術の発展は、かつて人と魔族が協力しあえていた時代の名残だったのかもしれない。
かと言って、果たして魔王が話の通じる相手なのかも確証はなく、友好的に話しかけようものなら、次の瞬間には消し炭にされているやもしれない。
「うーん……」
脳みそで考えすぎて答えに窮して困っていると、それを見たアルバが困ったように優しい笑みを浮かべた。
「迷ってくれてありがとう。君みたいな人が勇者で良かったよ」
アルバの物言いに、ロイはますます混乱した。
自分はこんなにも優柔不断で、勇者らしからぬ考えを抱いているというのに、なぜ。
ロイが首を傾げると、彼女は彼の持っていた花籠から白い花びらを一掴みし、風に乗せるように道端に撒きながら続けた。
「魔王を倒せば全ての魔族は消え、ナナミの呪いをはじめとする多くの苦しみも、きっと消える……詳しいことは、神々の時代まで遡って話さなきゃいけないから今は割愛するけどね」
「……!!」
ロイが息を呑んだのを、アルバは見逃さなかった。
「簡単に言うと、魔王が滅べば『停滞した魂の流れ』が女神エデルの加護のもとに戻り、魔族や呪いもすべて消え去るとされているんだよ。あくまで言い伝えでしかないけれどね」
「それなら……なんで、そんな……」
そんな質問をしたのか?
そんな、倒してほしくなさそうな態度をとるのか?
聞きたい言葉が、うまく口から出てこない。
どんなものを抱えているかは様々だろうが、この島にもナナミと同じように呪いを抱えている人々がいる。
ならば、魔王を倒すことこそが唯一の救いのはずなのに、アルバの瞳には憎しみの色が一切感じられなかった。
「私も愛しているんだ。彼らの、呪いごと」
二人の間をオレンジ色に染まった風が吹き抜けていく。
「愚かで、臆病で、まるで自分を見ているかのような、呪うことでしか抗えない魔族もね。……ねえ、本当に魔族だけが悪かったのかな。跡形もなく滅ぼさなきゃいけない存在だったのかな。人間だって何度も戦争をして、同族を殺し合ったりするのに」
いつもは救いを与える立場である巫女から、言葉を挟む隙も与えられず畳みかけられ、まるで救いを求めるかのような視線を向けられて、ロイは更に戸惑ってしまう。
心が、ぐらぐらと揺らぎそうになる。
そりゃあ、そうだ。
仲良く出来るのであれば、滅ぼしたいだなんて欠片も思わない。
だが同時に、仲間たちの顔が脳裏に浮かんだ。
共に旅をしてきた仲間たちは皆、魔族によって酷い目に遭わされた過去を持つ者たちばかりだ。
大聖堂の地下で何が行われていたかなんて知りもしない。
彼らの前で自分が揺らいでいたら、どう思われるだろう。
何よりも、大切な存在になってしまったナナミの呪いが跡形もなく消え去るというのならば。
どんなに恐ろしい存在であろうとも、魔王と喜んで対峙したい。
それが、今のロイの本心だった。
「……ごめん。灰の瞳をもつというだけで、魔王を倒せだなんて無茶振りまでされた君に、こんなことを聞くのは野暮だったね」
「……ごめん、アルバ。俺もアストリア中を見てきて、思うことはたくさんあるんだ。でも俺の仲間たちを、アストリアの人々を、脅かす存在なら俺は倒さなきゃいけない。たぶん、それが俺の使命だから。灰の瞳を持って生まれただけだけど、それでも、女神エデルに選ばれた勇者だから」
ロイが絞り出した答えに、アルバは静かに頷いた。
「うん、分かっているよ。さっき君が迷ってくれたように……愛を持って選択してくれるのなら。それが彼らにとっても救いになると、勝手だけど信じている」
「魔族に……愛」
愛だの恋だの、最近ようやく淡く柔い気持ちを知ったばかりのロイにとって、理解し難い概念だった。
再び困惑するロイを見て、アルバは苦笑いを浮かべた。
「今はまだ、分からなくてもいいよ」
「……格好つかなくて、すまない」
「ううん」とアルバは首を振り、遠い目をして呟いた。
「昔のように闇と光が、ただそこにあるものとして共存できる未来があれば良かったのに」
正義とは何か、自分の成すべきことは何か。
ロイの心は寄せては返す波のように大きく揺れていた。
黄昏の空の下、波の音だけがやけにうるさく耳に響いていた。
***
「明日はいよいよお祭りねー!」
砂浜の上に急遽用意された、一行のための大きなテント。
床には島民が編んだ伝統模様の絨毯が色とりどりに重ねられ、思いのほかふかふかとして心地よい。
その一角でクロエが小さな鏡台に向かい、艶やかな桃色の髪を梳かしながらウキウキとそんなことを言った。
皆、思い思いに寝る前の時間を過ごしている。
時折テントの中まで吹き抜ける風が外幕を揺らし、隙間から夜だというのにいまだに続く夕焼け空の色が視界に入った。
寝転がって天井を眺めていたロイが、ふと呟いた。
「みんな、魔王を倒したら、その後のこととか考えてるのか?」
「えー、魔王を倒したらぁ?そうねー」
髪を下ろしたクロエが、指を顎に当てながら考える。
「私たちはとりあえずルミーナに帰って、元の日常に戻るんじゃない?」
「ま、そうよねー。報奨金とかちゃんと出るのかしら?私は少しお休みでももらって、ロエベとどこかへ旅行でもしたいけど」
クロエとシルリアの二人は、どこまでも現実的な未来を描いている。
「俺も国に帰って、次の問題を解決しなきゃな。じーちゃんにも顔を見せたいし」
出来立ての果実酒をちびちびと煽りながら、ジークがほろ酔い加減で応える。
故郷で氷の中に閉じ込められたままの、村人たちの問題が残っているからだろう。
「僕は旅を続けようと思うよ。魔獣がいなくなったアストリアなら、国々の行き来も今よりずっと楽になるだろうしね」
元より一つの国に固執していなかったクラリスは、更なる未知の地を求めて旅を続けるようだ。
「ナックは国に帰ったら、ミコちゃんと結婚よね!」
クロエがからかうように言うと、ナックは顔を赤らめた。
「あ、おう。そのつもりだ。散々心配かけたからな、早く安心させてやらねぇと。ま、魔王を倒してアストリアが平和になったとしても、強くなるための修行は永遠だけどな!」
「あー、暑苦しいったらありゃしない」
皆、一様に魔王が滅びた後の輝かしい未来を描いている。
その当たり前の光景が、ロイの胸をチクリと刺した。
ロイは、テントの隅で他人事のように黙って話を聞いている少女に、そっと視線を向けた。
「ナナミは……?」
「え?」
「ナナミは、魔王を倒して、その……呪いも消えたら何がしたいんだ?」
ロイからの不意の質問に、ナナミは少し考える素振りをした後、重々しく口を開いた。
「考えたことも、なかったけれど……。そうね、また……みんな…………」
「みんな……?」
「う、ううん。私は……どうしたいのかしら。ちょっと、難しいわね。……少し考えてみるわ」
そう言って、いつもはちょっとやそっとでは動じないはずのナナミが、どこか慌てたようにテントから出て行ってしまった。
アルバの言葉と、仲間たちの希望。
板挟みになり、ロイの中で本当に魔王を倒すべきなのかという迷いが、再び大きく揺れ始めた。
「ピィ〜」
幸せそうに何かの夢を見ているであろうピィの羽をひと撫でして、ロイはまた横になった。
波の音がやけにうるさく響き渡った。




