8-3「呪いとの共存」
カイエンの弾むような足取りに導かれ、一行は島の活気が凝縮された中枢部へと足を踏み入れた。
辿り着いた場所には生命の喜びに満ちた光景が広がった。
道の両脇には祭りのための屋台の骨組みが陽気に並び、どこからか楽しげな歌声と軽快な弦楽器の音色が風に乗って聞こえてくる。
太陽の光を全身に浴びて健康的な小麦色に焼けた子供たちが、一行の横を真珠の粒のような笑い声を立てながら、青い海へと駆け抜けていった。
人の往来が増えるにつれ、異国の武骨な装いである勇者一行は、否応なしに注目を集めた。
島民たちは色鮮やかな花を編む手を止め、好奇心と親しみに満ちた眼差しを向けてくる。
「おいカイエン、そこん人らはお客人かー?」
日焼けした腕に丸太を担いだ大男が、快活に声をかけてきた。
「そうだよ!アストリアを救うために旅をなすっている、勇者様御一行だ!」
カイエンが胸を張ってそう答えると、周囲から「おおっ」というどよめきが起こった。
「ほーお!勇者様か!こんないい時期にいらっしゃるとは、縁起がいいや!」
ここしばらく、訪れる国々で向けられてきたのは疑念や警戒の視線ばかりだった。
太陽の光のように屈託のない歓迎のムードに、一行は強張っていた肩からふっと力を抜き、安堵に胸を撫で下ろす。
辺りを見渡せば、誰もが穏やかに笑みを浮かべていた。
ここはきっと大きな発展とは縁がなくとも、人々が心満ち足りて暮らすことができる、豊かな島なのだろう。
だが、ふとロイは気づいてしまう。
集まった島民たちの素肌に、ナナミのものと同じ黒い呪いのアザが刻まれていることに。
屈強な男の腕に、歌を口ずさむ女性の首筋に、はしゃぐまだ幼い子供の足首にさえも。
大小様々な形と場所に禍々しいそれを抱えながらも、彼らは皆、さも当たり前のものとして、なんてことない様子で笑っているのだ。
呪いを抱えた人々が、こんなにも大勢……。
ロイだけでなく仲間たちも息を呑み、言葉を失う。
ナナミは自分と同じ呪痕を持つ彼らに気づいてはいるが、ただ苦々しい顔をするばかりだった。
同情でも憐れみでもない。
呪いと共に「生きる」ことを受け入れた彼らの姿が、呪いを「罰」として受け止め、終わりを望む自分とはあまりにも違うからかもしれない。
「ここがハナレアの巫女、アルバのおうちだよ」
カイエンが指差した先には、色とりどりの南国の花々に囲まれた、趣のある茅葺屋根の家があった。庭先には小さな畑が丁寧に耕され、夏野菜が太陽を浴びて艶々と輝いている。
大きな木の木陰にはハンモックが吊るされ、穏やかな風に身を任せていた。
華美ではないが、遠い記憶の中の故郷に帰ってきたかのような、温かい安心感に満ちた家屋だった。
家の扉が、ことりと音を立てて開く。
中から現れた一人の女性の姿に、クラリスが声を弾ませた。
「わっ!本物のアルバ様だ!すごい!まさか生きているうちにお会いできるなんて……!」
クラリスが目を輝かせている隣で、カイエンがむっとした顔で睨みつける。
「むっ、そこの男前君もアルバのことが好きなのか!?」
クラリスはカイエンのことなど目に入らない様子で、興奮気味に隣のジークの肩をがくがくと揺さぶる。
「おい、クラリス。揺らすな、余計に暑くなる……」
間に挟まれたジークが、心底迷惑そうに眉をひそめた。
「騒ぐのはおやめ、カイエン」
柔らかな、心をくすぐるほど優しくて穏やかな声が辺りにふわりと広がる。
「旅のお方たち。あなたたちがここに来るという噂は、風の精霊たちが教えてくれていたよ。よくぞ来てくれたね」
太陽の光を溶かし込んだような輝く金髪に、どこまでも深いサファイアの瞳。
神々しいまでの佇まいに、一行はハッとして一斉に頭を下げた。
「まあ、やめておくれよ。私は巫女だけど、そんなに大層な人間じゃないんだ。さあ、頭を上げて。皆の顔を見せておくれ」
アルバの優しい声に、おずおずとロイが顔を上げる。
皆の前に立つ彼女は一人ひとりの顔を確かめるように、優しい眼差しを向けていった。
青い瞳はただ見ているだけではない。
魂の芯まで見透かすような、不思議な深さがあった。
「ふむ、君が灰の瞳を持つ勇者ロイか。ふむふむ、ふーん」
何かをすべて理解したような、含みのある笑みを浮かべるアルバに、名乗らずとも名前を当てられたロイは目を丸くした。
「ナック、クロエ、シルリア、ジーク、それにクラリス……ああ、君は精霊使いだね。まさかこの島で精霊使いに会えるとは!」
アルバは誰一人間違えることなく、皆の名前を言い当てていく。
どよめく仲間たちの中でも、クラリスは一際嬉しそうに目を輝かせた。
「本当にお会いできて光栄です!おっと、僕と契約している神獣も、ぜひ貴女にご挨拶したいと申しております」
クラリスが「おいで、アルルホス」と呟くと、ふわりと周囲に聖なる光が舞い、久方ぶりに神獣アルルホスが荘厳な姿を現した。
「久しいな、ハナレアの巫女よ」
「おや!本当にアルルホスじゃないか!人間嫌いの君が、まさか契約者を見つけるなんてね。大したものだよ、クラリスは」
アルバは親しげに、何のてらいもなくクラリスの肩を抱く。
そばにいたカイエンが悲鳴に近い声を上げながら二人を引き剥がそうとするのを、彼女は片手でひらりと制した。
「アルバー!だめだよ、近すぎるってば!」
「アルルホスも、祭りを楽しんでおくれよ」
「あいわかった。しばし羽を休ませてもらうとしよう」
ようやく、アルバの視線が一行の後ろで影のように佇んでいたナナミへと向けられた。
「そして君は最後の魔女、ナナミだね」
「……」
ナナミは答えず、ただ警戒する野良猫のようにアルバのことをじっと見つめ返す。
アルバは懐かしむようにふと目を細め笑いかけた。
「本当に……伝説の魔女様とそっくりだ。よくここまで、一人で耐えてきたね」
温かく慈しむような言葉にも、ナナミの心の扉は固く閉ざされたままだった。
居心地悪そうに、彼女はそっと地面に視線を落とす。
「精霊たちが君のことをやけに心配していてね。さあ、こちらへおいで」
アルバは有無を言わせぬ優しさで、ナナミの手を取った。無遠慮に突然腕を掴まれ、ぴくりと肩が揺れてしまう。
「君たち、少しこの子を借りるよ。カイエン、彼らにお茶を出しておくれ。応接間を使っていいから」
「わ、分かったよ、アルバ!」
「……!!ナナミのこと、よろしくお願いします!」
先を行くアルバに向けて、ロイは祈るように深々と頭を下げた。
アルバは一度だけ振り返って穏やかに微笑むと、ナナミを連れて屋敷の奥へと消えていった。
***
部屋の奥まった一室に、ナナミだけが案内された。薄暗い部屋には、貝殻や鳥の羽、磨かれた石で作られたお守りのようなものが壁一面にぶら下がり、差し込む光がそれらを照らして、床に神秘的な影を落としている。
時折吹き込む風はそれらを揺らし、カランカランと耳心地のいい音を立てている。
中央には天然石を組んだ祭壇が鎮座し、古い木の匂いと乾いた薬草のような香りが静かに満ちていた。
教会のような荘厳さはないが、不思議と体は辛くならない。
ここは自然と共に祈りを捧げる聖域なのだろう。
体を蝕む呪いを診てもらうために、ナナミはバツが悪そうにベストとブラウスを脱いだ。
雪のように白い背中から腕にかけて広がる、醜い木の根のような呪痕を見た途端、アルバの表情から笑みが消えた。
「ひどいな、ここまでとは……。精霊たちが心配するのも分かるよ」
「……呪いが解けないことは分かっているわ。魔王を討ち果たすまで、ほんの少しだけでいいの。呪いの進行を抑えることはできない?」
ナナミは努めて冷静に、事務的な口調で問いかけた。
ライラック色の瞳は光差す窓だけを一点に見つめる。
「……君の呪いは、魔法の力を使うごとに魂を蝕むようにできている。契約のとき、祝福ではなく呪いを与えられたね?」
「……ええ。そうよ。」
「それなら魔法を使う限り、呪いの進行は止まることはない。まだ間に合う。寿命を全うするには……魔法を使わないことが一番なんだよ」
アルバは苦しそうに表情を歪め、静かに首を振った。
冷たい背中に触れる手はとても温かい。
よくも臆することなくこの呪いに触れられるものだ。
ジクジクと焼ける痛みが少しだけ和らぐような感覚にそっとナナミは目を伏せる。
期待など、最初からしていない。
可能性があるのであれば、それに縋ってでも目的を達成したいだけ。
「……そう。呪いに詳しいあなたでも、進行を抑えることはできないのね」
けれど、声色には失望の色が滲んでいた。
自分が思っていたよりも呪いの進行が早い。
空っぽの手のひらをグッと手を握る。血が滲みそうなほど爪が食い込み、固い拳を膝の上で戦慄かせる。
あと少しなのに。珍しく焦燥が駆け巡る。
見兼ねたアルバがその拳の上に自分の手をそっと重ねた。
やはり温かい手だと思った。
少しだけ怖い。自分の冷たい手がその体温を奪ってしまうののではないのかだなんて、らしくもなく不安になってしまうのだ。
「よくもまあ、これほど呪いが広がってもなお、聖なる祈りを捧げることができたね。いくら女神エデルからの寵愛が深くとも、呪いの方が奇跡の力を拒んでいるはずだよ。相当辛かったでしょう」
「辛くなんてないわ。これは私が受けるべき罰だから」
「……それほどまでに女神に愛されている君が、罰を受ける身なの?」
アルバの問いに、ナナミは自分がつい口を滑らせて
「……口が滑ってしまったわ。今の言葉は気にしないで」
そう言って、彼女は再び固く唇を閉ざしてしまった。
***
ロイたちが待つ応接間では、気まずい沈黙が流れていた。
太陽の光が遮られた室内は心地よい風が通り抜けるが、誰も口を開こうとしない。
汗をかいたグラスの中でカラン、と氷の溶ける音だけがやけに大きく響き、ロイの焦りを煽っていた。
「待たせたね」
部屋の奥から響いた声に、ロイは弾かれたように立ち上がった。
「アルバ様!あの、ナナミの様子は……!」
少しの間をおいて、アルバは苦々しい顔をした。
その表情だけで、状況が芳しくないことをロイは悟ってしまう。
胸を万力で押し潰されたかのように、ぎりぎりと鋭い痛みが走った。
「言葉を選ばずに言うけれど、思ったよりも酷い状況だね」
「そんな……」
ロイの膝から、力が抜けていく。
「でも、希望もあるよ」
「……!!」
ロイは、息を呑んでアルバの次の言葉を待った。
「これ以上魔法を使わなければ、残りの寿命をこの島の皆のように、呪いと共に生きることができるかもしれない」
「魔法を……使わなければ……!本当にっ……ナナミは、生きられるんですか!」
ナナミが生き続けられる。という事実にロイの目から安堵の涙が堰を切ったように溢れ出た。
この島の住人たちが、皆あの呪痕と共に笑って生きていた。
先ほど見た光景が、アルバの言葉に何よりの説得力を持たせていた。
祭壇の部屋の戸口に、いつの間にかナナミが立っていた。
彼女は子供のように泣きじゃくるロイの姿を、どこか遠いものを見るような、読み解くことのできない複雑な表情で見つめていた。




