8-2「恋の練習」
幾度となく船を乗り換え、ようやく一行の眼前に現れたハナレア諸島は、まるで海の宝石箱をひっくり返したかのような色鮮やかな楽園だった。
長く続いた船旅の終わりを告げる固い大地を踏みしめた瞬間、むわりとした熱気が一行の身体を包み込む。
「あ、暑すぎる……」
照りつける太陽と高い湿度に、北国育ちのジークは早々に音を上げた。
額から滝のように流れる汗を、シルリアが心配そうに近くに生えていた大きな葉をうちわ代わりにして扇いであげる。
「ジークは寒い地域出身だから、暑さに弱いみたいだね」
「そう?カラッとしてるし、風も通るから気持ちいいくらいだけど」
砂漠に囲まれた国出身のクロエは涼しい顔で、気持ちよさそうに伸びをした。
久方ぶりの陸地での会話に、一行の表情は生き生きと輝いている。
「おおっ!ここの島、すげえ甘い匂いがするな!なんだか味まで感じるぞ!」
「ふふふ!ナックは面白い表現をするね。確かに綿菓子を食べているみたいに甘くて優しい香りがするね」
ようやく船旅という名の苦行から解放されたロイも天を仰いで大きく伸びをし、身体に食い込んでいた防具を次々と外していく。
ロイの肩に乗っているピィも、見るものすべてが珍しいのか、嬉しそうに目を輝かせながらぴょんぴょんと跳ね回っていた。
ナックの言う通り、味がしてくるほど甘い香りをたっぷりと含んだ風が、一行の髪を優しく撫でてゆく。
ナナミはそのどこか懐かしい香りに、ふっと目を閉じ、スンと一度空気を吸い込む。
記憶の引き出しの奥底にある、忘れていたはずの風景を呼び覚ますような、そんな香り。
生ぬるい風が、彼女のことも優しく包み込んでゆく。
ここは、この旅で巡る最後の地になるかもしれない。
各国に散らばった魔王の魂が宿ってしまっている依代があるかもしれない。
最後の一つを壊した時アストリアは一体どうなるのだろう。
各々の胸に漠然とした不安と確かな希望を秘め、一行が砂浜から集落へと続く小道へ足を踏み入れようとした矢先だった。
「麗しの君!」
「きゃあ!」
突如として、ヤシの木の影から躍り出た美形の男が、クロエの手を恭しく強引に取った。
驚きにクロエの大きな目が更にまん丸になる。
島の空気と同じくらい開放的で甘いマスク。
形の整った薄い唇からは、溶かした砂糖よりも甘い言葉が次々と紡ぎ出された。
「……太陽が嫉妬している。どうりで空がさっきから眩しすぎるわけだ。まさかこんなところで出会えるとは……太陽の国からやってきたお姫様」
「風が君の美しい髪を攫うたび、アストリアが一瞬、息を呑むのが分かる。そんな奇跡を目の前にして、黙っていられる男なんていやしないさ」
あまりに芝居がかった口説き文句に、クロエはカチカチに固まってしまった。
しかし男は構わず、瞳に星でも宿しているかのようにキラキラさせながら、甘ったるい愛の告白を続ける。
取り残された仲間たちは、皆あんぐりと口を開けてこの突飛な光景を見守るしかない。
ナナミがその一部始終を純粋な好奇心でじっと真剣に見つめているのを、ナックが「お嬢ちゃんにはまだ早い」とでも言うように、大きな手のひらでそっと遮った。
ロイもそれに倣い、隣で不思議そうに首を傾げるピィの視界を両手で優しく覆い隠す。
遮られた視線の中、不服そうにナナミとピィは視線を合わせた。
「ねえ、笑ってくれないか。君の微笑みひとつで、オレはどんな嵐にだって打ち勝てる気がするんだ」
「名前を知らぬままじゃ、この出会いは夢で終わってしまう。せめて君の名を、この胸に刻ませてくれ」
「い……」
「い?なんだい?君の小鳥の囀りのような無邪気な声をもっと聞かせ……」
「いやぁぁぁぁあああっ!痴漢ーーーーっ!!!!!」
ついに硬直から覚醒したクロエの絶叫が、島の穏やかな空気を引き裂いた。
そして、乾いた音を立てて炸裂した強烈なビンタ。耳を劈く衝撃的な音に、じっと成り行きを見守っていた一行は、ついに皆揃ってぎゅっと目を瞑った。
***
「いきなり驚かせてしまって、本当にごめんなさい……」
熱い砂の上で正座をし、クロエ、シルリア、ナナミの三人に囲まれている男は、カイエンと名乗った。
せっかく男前に整った顔をしているのに、頬にはくっきりともみじの跡が刻まれている。
ロイたち男性陣はどこか憐れみのこもった視線を向けるが、女性陣の眼差しは氷のように冷ややかだ。
「実は、オレには想い人がいて……その、告白の練習をさせてもらいたくって……」
聞けば、カイエンには長年想い続けている女性がおり、今年で実に16回目の告白に挑むのだという。16年、という数字にロイは密かに驚いた。
自分だったら、とうの昔に心が折れて諦めてしまうだろう。
思わず同情的な気持ちが湧き上がるが、そんな殊勝な理由を聞いても、女性陣が納得も理解もするはずがなかった。
「れ、練習ですってぇぇぇえ?!」
パァン!と、先ほどよりも鋭い音が響く。
手厳しいビンタが、まだ跡の残る反対側の頬にお見舞いされた。
真っ赤に染まった両頬を押さえ、涙目になるカイエンにクロエたちの更なる説教が降り注ぐ。
「相手に失礼よ!」
「そういう相手の気持ちを考えられないところが、振られる原因なのではないの?」
「初対面でいきなりは良くないよね。もしかしていつもそうなの?」
しかしこの男、非常に諦めが悪かった。
今度はシルリアとナナミに向き直り、キラリと効果音が付きそうな笑顔を向ける。
「もう初対面じゃないよね!だからお願い、告白の練習をさせてくれないかな!?」
「あんた、本当に人の話を聞いてるの?」
「全く反省していないようね」
「これじゃあ、また今年も振られちゃうよ」
三者三様の冷たい言葉に、カイエンは「そんな事言わないでおくれよ〜!今年こそは絶対に成功させたいんだよ〜!」と情けなく泣きついた。
はぁ、と三人の深いため息が綺麗に重なる。
このままでは埒が明かないと判断したロイが、苦笑いを浮かべながら間に割って入った。
「ところでカイエン。俺たちは魔王討伐の使命を受けて旅をしている者なんだ。この島の人だよな?もし良ければ、集落まで案内をお願いできないか?この島の巫女様にもご挨拶をしたいんだ」
ロイの言葉を聞いた瞬間、カイエンの表情がぱあっと輝いた。
「本当!?オレが案内するよ!君たちのおかげでアルバに会う口実ができた!」
先ほどまでのしょげ返った様子はどこへやら。
彼は意気揚々と立ち上がると、一行を集落へと案内し始めたのだった。




