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ruth story  作者: Cy


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7.5-5 「絶たれた退路」





ナナミの無事な姿をその目に焼き付けたロイは、心の底から安堵したように、とびきり幸せそうな笑みを浮かべた。

だがそれも束の間、彼は決然と王女の方へと振り返る。


王女を前にしたロイの表情には先ほどまでの気の抜けたような、だらしない笑みは一片も残っていなかった。

彼の人の好さや、時に優柔不断ささえ感じさせる曖昧な表情は消え失せ、ただ凛とした勇者としてそこに佇んでいた。

ズタボロの姿のまま、ロイはサザリ王女の前へと毅然として進み出る。

これまで仕えてきた主君へ送る、最後の敬意を込めて深く一礼した。


「……王女殿下。これ以上ご無理はなさらないでください。どうか……お達者で、あなたの愛する国へお戻りください」


拒絶の言葉は、怒りの奔流でも悲しみの嘆きでもない。

ただ、静かに流れ決して逆らうことのできない大河のような、穏やかで絶対的なものだった。

サザリは言葉を失い唇をわななかせるばかりで、何も言えずにその場にただ立ち尽くす。

冷たい風が、二人の間を音もなくすり抜けていった。

同じ過去を共有しているはずなのに、サザリの胸には甘く都合の良い思い出が、ロイの胸には痛みと後悔を伴う複雑な思い出が去来する。


サザリはロイの静かな灰色の瞳を覗き込んだ。

かつて、珍しい色の瞳を見て、美しい宝石でも見つけたかのように無邪気にはしゃいだ、遠い幼き日の記憶が胸に甦る。

しかし、彼の瞳にはもはやかつてのような自分への「忠誠」や「憧れ」といった熱を帯びた感情が、塵芥ほども残っていないことを痛いほどに悟った。

自分はきっと“恐怖”にも似た見えざる鎖で、彼の心をただ縛り付けていただけなのかもしれない。


彼女の中で長年夢見てきた「勇敢なる勇者と美しき王女のロマンス」という、甘く、どこまでも子供じみた幻想が、ぱりんと音を立てて砕け散った。


目の前で繰り広げられた、命のやり取り。

己を顧みない自己犠牲。

そして、仲間への絶対的な信頼。

これこそが“本当の旅”の、自分にはあまりに重すぎる真実なのだと、彼女は初めて痛切にその身をもって知るのだった。


ナナミが毒に苦しむ姿、ロイが彼女のために文字通り全てを投げ出す姿を目の当たりにして、生まれて初めて「誰かのために自分を犠牲にする」という、これまで一度も理解できなかった感情の輪郭を、ほんの少しだけ掴み始めたのかもしれない。


どこまでもわがままな王女だった彼女自身の、人間としてのささやかな成長の第一歩となる出来事だった。


サザリはもう何も言わず、何かを固く決意したかのような、これまでとは全く違う引き締まった表情で騎士団と神官を率いると、ルミーナ王国へと踵を返す。

まだ幼さを残すその後ろ姿は、来た時よりもほんの少しだけ小さく、ほんの少しだけ気高く見えた。


「い、行ったか……?」


サザリ一行の姿が地平線の向こうに消え、完全に見えなくなったあと、それまで鋼の意志で身体を支えていたロイの膝が、生まれたての子鹿のようにがくがくと笑い始めた。

それも当然だった。全身の傷は痛み、一晩中全速力で駆け抜け、ナナミを失うかもしれないという魂を削るような恐怖から解放された直後に、あの王女を諭さなければならなかったのだ。

精神的な疲労は、とうに限界を超えていた。


「だはははは!ロイ!震えすぎだろ!」

「よく言った、ナイスガッツだ。ロイ。お前が言わなきゃ、俺が腹話術で言わせていたところだ」

クロエに手当てを受けながら草むらで寝転がっていたナックとジークが、腹を抱えて笑いながらも心からの称賛を送る。


「本当に、どっと疲れたね。あー……温泉に入って骨の髄まで温まりたいよ」

「お財布事情は厳しいけど、今日ばっかりは温泉付きの宿で心ゆくまで寝ても、きっと女神様も許してくれる気がするよ」

「賛成ーっ!ほら、ロイ!そこでガタガタ震えてないでこっちに来なさいよ!今のところ、あんたが一番の重症なんだから!」



仲間たちの温かい声に、ロイはへなへなとその場に座り込んだ。

「あーーー……魔王を倒すよりも、緊張したぁ……」


勇者が吐く弱音に、傍らで様子を見ていたナナミが呆れたように小さく息を吐いた。

「まだ魔王と対峙してもいないでしょう?」


一行は近くの町で宿を取り、まるで申し合わせたかのように、昼間から夜まで泥のように深い眠りについた。




***


翌日。

まだ全身の傷は癒えないながらも、ナナミが調合したポーションを大量に飲み干し、一周回って妙にハイになった一行は、改めて最後の目的地であるハナレア諸島を目指すことを決意する。


死の淵を彷徨っていたはずなのに、たった一日でここまで回復するとは。

ロイは隣を歩くナナミの横顔を、眩しいものを見るように見つめていた。


「肩が痛むのなら、回復の奇跡を使うけれど?」

声の調子も、すっかりいつも通りだ。

当たり前がどうしようもなく嬉しくて、ロイはついカッと顔を赤らめてしまう。


彼はもう気づいてしまったのだ。

ナナミが他の誰よりも大切で、自分にとってかけがえのない特別な存在なのだと。

かつてノルディアの凍えるような洞窟で、か細く灯された小さな恋心の火は、今やもう決して消すことのできない激しい炎として、彼の胸の内を赫々と燃やし続けていた。

絶えず甘い水が心の泉から湧き出すような、ひどく胸が痛むのに、その痛みさえもが心地よい。

そんな、優しくて甘酸っぱい感覚。


もう引き返せない。引き返す気もない。

感情は、昂りを増していくばかりだった。


「い、いいって!ナナミの呪いが完全に解けたら、その時は頼むよ」

「意地をはらなくていいのよ?別に私は平気だと言っているでしょう?」

「意地をはってるのは、ナナミの方だろ?」


憎まれ口を叩き合いながらもどこか楽しげな二人の背中を、クロエは少し後ろから見つめていた。

何かが確実に変わった。

その事実を胸に広がる微かな痛みと共に、静かに受け入れる。

自らの淡く、柔らかく、儚かった初恋に永遠に終止符を打った。


少しだけ晴れやかな、何かを吹っ切れたような顔をしながら。

先日、起き上がったナナミを宝物のようにそっと抱き上げたロイの、あの大きな背中を彼女は思い出していた。





一行は改めてその足並みを揃える。

今度こそハナレア諸島という最後の過酷な運命が待つ地へと、確かな一歩を共に踏み出すのであった。


7.5章 完

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