7.5-1「銀色の暗雲」
セレスティア聖教国での一件は、一行の絆をより強く鋼のように強固たるものに変えた。
呪いの存在がバレてもなお、いつも通りに振る舞う仲間たちに、ナナミは少しむず痒い思いを抱きながらも、自身も今までと変わらぬ態度を心がけていた。
彼らの間に流れる空気は深く、もはや疑念の入り込む隙間もない。
セレスティア聖教国を出てからというもの、ナナミの頬にもようやく血の気が戻り、穏やかな日々が続いていた。
彼女が時折見せる、分かるものにしか分からぬ微かな笑みは、ロイの心を温かな光で満たした。
次なる目的地は遥か南のハナレア諸島。
もしかしたら、ナナミを蝕む呪いを解く鍵が眠るかもしれない地。
アストリアの果ての手前と言われ、女神エデルが造った楽園だなんて逸話もある。
温暖な地方でしか咲かない珍しい花々が咲き乱れる、絶海の孤島。
一行はハナレア諸島行きの船に乗るため、港町を目指す。
新緑の木々が縁取る道中は平穏そのものだった。
時折現れる魔獣の群れも、今の彼らにとって脅威ですらない。
息のあった見事な連携により、瞬きの間に撃破してゆく。
魔獣を倒した後で、小休憩を挟む一行。
焚き火のそばで、ナナミは小さな鍋をかき混ぜていた。
回復の奇跡も魔法の使用も、ロイに固く禁じられて以来、彼女は旅の合間に薬草を摘み、仲間たちのためのポーション作りを自らの役割としていた。
真剣な横顔は古代の錬金術師のようだった。
「ナナミ〜!ポーションできたか?やっぱりお前の作ったポーションはすげーよ!どんな疲れも一瞬にして吹き飛ぶからな!……まあ、味はゲボマズだけど!」
魔獣との小競り合いでついた擦り傷をさすりながら、ナックが豪快に笑う。
「最後の一言は余計よ。でも、そんなに不味い不味いと言うのなら、今度からレモンキャンディーでも入れてみようかしら」
「いやいやいや!ゲボマズ味に爽やかなレモン味が混ざったら、もはや悪夢の二重奏だよ!このままでいいんだって!」
「ピィー!」
「ロイとピィ、あなたたちまで。本当に失礼なことね」
横から茶々を入れるロイとピィに、ナナミは少しだけ呆れたような視線を向けた。
彼女の作るポーションは、そこらで売っているものとは比べものにならないほど絶大な効果があったが、その代償として筆舌に尽くしがたい味を誇っていた。
「ねぇ、クラリス!このペースでいけば、ハナレア行きの船が出る港町まで、あと三日くらいで到着できると思う?」
地図を広げたクロエが、隣で風の囁きに耳を澄ませていたクラリスに尋ねる。
「そうだねぇ。南からの暖かい風の精霊たちが、この先三日は良いお天気が続くと教えてくれているし、なんなら、もう少し早く着いちゃうかもしれないね」
その言葉に、一行の顔がぱっと明るくなった。
「本でしか見たことないけど、ハナレア諸島って、ちょうど今の時期はトワイライト・カーニバルっていうお祭りの最中じゃなかったかな?」
シルリアが、懐かしむように目を細めながら言った。
「なんだ?その、トワイライト・カーニバルってのは」
ジークが無骨な手つきで槍の手入れをしながら、興味深そうに問い返す。
「ジークのいたノルディアでは、太陽が昇らない季節に常夜のお祭りがあったよね?ハナレアではその全く逆で、太陽が沈まない季節が続くんだって。その時期に、トワイライト・カーニバルっていう太陽に感謝を捧げるお祭りをするんだよ。街中が夜でも昼のように明るくて、色とりどりの花と陽気な音楽で溢れるんだって」
「なるほどな。」
「へえ、祭りか!だったら、美味いもんがいっぱいありそうだな!」
「素敵な衣装とか、綺麗な髪飾りとかも、たくさん売ってそうね!」
ナックとクロエが、それぞれの興味で目を輝かせる。
きっとこれが嵐の前の束の間の凪にも似た、最後の静かで穏やかな旅路だったのかもしれない。
しかし、平穏は銀の角笛の音に簡単に破られた。
丘の稜線に現れた一団の威容が、旅路の空気を凍てつかせる。
絹の天蓋付きの豪奢な馬車を守るように、国色である緑の外套を纏った騎士たちが丘のうえに聳え立つ。
「あれって……」
誰からともなく発された一言をきっかけに、蝶が舞い降りるように優雅に現れたのはルミーナ王国の第一王女、サザリ・ルミーナ・アイングレード。
その出で立ちは旅の装いとは程遠く、豪華な観劇へ向かう貴婦人のように華やかだった。
希少な素材をふんだんに使った、オシャレ着のような鎧ドレスを身に纏っている。
鉄の装備でさえ買うのを慮る一行の、欲しくてつい喉がキュッと閉まるような贅沢品。
なんだか意地悪く見せつけられているような気分になる。
彼女は少し楽しげな表情で青ざめている一行の前に立ちはだかる。
「ロイ!わたくしも……あなた方と共に、このアストリアを救うという栄誉ある旅に、ぜひ参りたいのです!ついに覚悟が決まりましたわ!」
突如として、サザリは高らかに旅への同行を希望したのだ。
先頭に立つロイは王女の宣言を聞き、自分の耳がおかしくなってしまったのではないのかと、後ろ手にいる仲間たちを振り返る。
皆、珍妙なものを見つめる目できょとんとしている。
どうやら自分の感覚はおかしくないようだ。
「そ、そんなこと、国王陛下が許すはずが……」
自分らと王女の温度差に戸惑うロイが困惑しながらも断るために食い下がろうとする。
最大限気を遣い、自分の引き出しの中にある数少ない語彙力の中から、失礼のない言葉を存分に選んだ。
しかしサザリは切り札でも見せつけるかのように、従者に命令し国王の印鑑が押された分厚い羊皮紙の書状を彼の目の前に突きつけた。
どうやら国王も、王女自身の純粋で盲目的な「国を思う高潔な心」とやらを、最終的には受け入れ許可してしまったらしい。
それを見たロイたちはナナミを除いて、完璧な作り笑顔を浮かべるしかなかった。
内心では、これから始まるであろう最も厄介な試練に、頬が痙攣しそうなのを必死に抑えていた。
特に王女の無邪気で残酷な気性を誰よりも知るクロエとシルリアの心中は、嵐の前の不気味な静けさに満ちていた。
顔を引き攣らせている一行をよそに、ナナミは王女の登場にも、面倒なことになったと内心で思った程度。
特に興味を示すこともなく、ただ静かに遠くの地平線をライラック色の瞳で眺めているだけだった。
旅はすっかり様相を変えた。
サザリは常にロイの腕に蔦のように絡みつく。
所有物だと示すように、彼の隣を歩くナナミへ挑戦的な視線を送った。
「ロイはわたくしが幼い頃から特別に目をかけてきた、わたくしだけの騎士ですもの。ねえ、ロイ?」
聞こえよがしに、甘ったるい声で彼女は宣言する。
ロイの肩の上が定位置だったピィは、サザリに「まあ、わたくしのロイに付き纏うなんて!鳥でも許しませんことよ!」と錆一つない鎧を纏った手で払われ、心底不満げにナナミの頭の上へ避難場所を移していた。
不服そうではあるが、存外ナナミの頭の上も最近のお気に入りスポットなので、悪くはないようだ。
不機嫌な意思に反して、ご自慢の羽毛をふっくら膨らませている。
王女の横暴な振る舞いを無下にすることもできず、ただただ困り果てた表情で眉を下げるしかない。
サザリは頭の中では「危機に瀕した世界を救う勇敢な勇者と、彼を献身的に支える美しき王女の恋物語」を描いていた。
彼女が口にする「旅」や「冒険」は、吟遊詩人が竪琴を爪弾きながら歌い上げる、どこまでも美化され都合の良い英雄譚。
一行がこれまで経験してきた、泥と汗とおびただしい血にまみれた現実の過酷さとは、絶望的なまでに乖離していた。
彼女にとってこの旅は、自らがヒロインとなる壮大な舞台に過ぎなかったのだ。




