7-10「最後の旅人」
大聖堂での激闘から帰ってきた古びた教会には、嵐の後のような静けさと共に、夕暮れ前のやわらかな光が差し込んでいた。
まろい光は、小さな教会が受けた傷や人々の心の疲弊を優しく労わるように撫でているようだった。
ロイとナナミが、教会の広場へと足を運ぶと万感の想いが交差する、かけがえのない仲間たちの姿があった。
「ロイ!ナナミ!よかった……無事だったんだね……!全く、どれだけ人に心配をさせれば気が済むんだ、君たちは!」
シルリアが厳しい口調を保ちながらも、声には抑えきれぬ安堵を滲ませ二人に駆け寄る。
「もうっ!本当に!勝手に行動するんじゃないわよ!馬鹿みたいに心配させないでよね!この、おたんこなす!」
クロエは瞳を涙でいっぱいに潤ませながら、ロイの胸をぽかぽかと叩き、そのまま隣に立つナナミの肩を、ぎゅっと、壊れそうなほど優しく抱いた。
その一打ごとに、抱きしめる腕の震えごとに、彼女が抑えきれなかった不安と安堵の想いが痛いほどにじみ出ていた。
抱きしめられたナナミは、突然の温もりに少し驚いて、もともと大きな瞳を更に丸くする。
「おおー!二人ともよく戻ったな!腹減ってねぇか?シスターたちがあんたらのために、とびっきりのシチューを作ってくれてるぜ!」
いつも通りの豪快な笑みでナックは二人の無事を心の底から祝福した。
そのいつも通りがなんだか心地良いような、胸の中をくすぐるような照れ臭さも感じてしまう。
「……やれやれ。毎度無茶ばかりしやがって」
ジークがぶっきらぼうながらも、誠実な労いを込めてそう言うと、隣でクラリスは静かに慈愛に満ちた微笑みを浮かべていた。
「おかえり、二人とも。君たちが歪んだ正義の象徴を破壊してくれたって、この地に満ちる精霊たちが心から喜んでくれているよ。お疲れ様。ありがとう!」
仲間たちのそれぞれの形をした、温かくて優しい迎え。
一つ一つの言葉が、二人の胸に深く優しく沁み入ってゆく。
ロイは照れ臭いのを誤魔化すように何度も頭をかき、ナナミはまだどこか戸惑いながらも、春の陽だまりのような柔らかな光をその瞳に宿していた。
喜びに満ちた輪の背後から、数人の男女がおずおずとした足取りで、そっと姿を現した。
大聖堂の残穢に満ちた地下牢で、長らく心を奪われ虚ろな目で祈りを捧げ続けていた、若き神官や聖女たちだった。
彼らはこの教会に預けられていた、子供たちの親でもあった。
ここへ戻ってくる前にロイとナナミは、彼らが隔離されていた病床を見つけ出していたのだ。
先のナナミが起こした祈りの奇跡に心を癒され、正気を取り戻し、訳もわからず呆然としていたところを連れ戻されたのだ。
「冷たくて……暗い場所にいたはずなのに、突然温かい光が……」
「気がつけばベッドの上にいて……このお二人が私たちを救い出してくださったのです……」
言葉にならぬ想いを涙とともに零しながら、彼らはナナミとロイに、深々と何度も頭を下げる。
するとその中から、一人の少女が輪を抜け出し、一直線に駆け出してきた。
「お父さん!お母さん!」
「エナ……!ああ、エナ……こんなに、大きくなって……!」
最初は痩せ細り疲れ切った男女が、自分の親だと気づけなかった子供たちも、涙ながらの声に失われたはずの記憶を呼び覚まされ、やがて堰を切ったように泣きじゃくりながら、自身の親の胸に力いっぱい飛び込んでいった。
何度も、何度も、愛しい名を呼び、互いの温もりを確かめ合う親子の姿。
ナナミは少しだけ離れた場所から、その眩しい光景を、どこか寂しげに見つめていた。
彼女自身には、もう二度と訪れることのない幸福のかたちだったから。
ふと、スカートの裾が、小さく、くいくいと引かれる。
見下ろすと、涙でぐしゃぐしゃになったエナの顔があった。
「お姉ちゃん……ひどいこといっぱい言って、ごめんね。約束守ってくれて、本当にありがとう」
いくつもの感情が混じり合った、純心なな言葉。
ナナミはそれを、呪いで痛む体でしっかりと受け止め、ひどく不器用にぎこちなく笑ってみせた。
「まぁ。私は悪い魔女なのよ?あなたたちが、これから何か悪いことをしようものなら、すぐに夜空を飛んでいって、お鍋に入れてことこと煮込んで食べてしまうんだから。……だから、ちゃんとご両親の言うことをよく聞くのよ」
それは彼女なりの精一杯の優しさ。
不器用で真っ直ぐな慈しみだった。
「ううん、ちがうよ!お姉ちゃんはやさしい魔女だ!」
「だいすき!」
子どもたちはもう彼女を恐れていない。
言葉の裏にある本当の優しさを、幼い心でちゃんと感じ取っていたから。
温かい小さな手が次々とナナミの脚に、ぎゅうっと抱きついてくる。
「……まったく。食べがいのなさそうな子供たちね」
悪態をつきながらもナナミの表情は、ここに来てから一番穏やかで柔らかな光に満ちていた。
今までの苦しみが嘘ではなかったのかと思うほどに、穏やかな時間だった。
そんな微笑ましい光景を眺めながら、ロイはふと、大聖堂の方角に目を向けた。
(ゼロ。おまえもここで祈っていたのか……)
かつて短い期間を共に旅した、もう会うことのできない仲間の面影が、夕暮れ前の陽光にきらりと透けて、浮かび上がったような気がした。
その時、突如賑やかで豪快な声が教会前の広場に響き渡った。
「おお!子供達の親御さんたちまで、無事に戻って来れていたのか!いやあ、よかった!あのお偉方どもを片っ端から牢にぶち込むのは、実に気分が良かったぜ!」
レオンが大聖堂から、大手を振って上機嫌で戻ってきたのだった。
彼の話からミハエラに正式に大聖堂の後継を託されたことを知ったロイは、驚きで子供のように目を大きく見開いた。
「ええっ!? レオンが、最高位神官に!?本当なのか!」
「なんだよ、勇者さんよ。この俺じゃ何か不満でもあるのか?」
「いや、そうじゃないけど……!あ、そうだレオン!ミハエラ様はレオンより年上とか言ってたよな? 嘘だろ。どう見たって、若すぎるって!俺たちと同い年くらいだったぞ!」
あまりに無邪気な勘違いに、呆れたクラリスがくすくすと笑いながら穏やかな声で呟くように解説する。
「ロイ、君は本当に何も知らないんだね。ミハエラ様はもう、五十の歳を超えていらっしゃるんだよ。でも女神エデルから特別に不老の加護を授かっているから、若い頃のお美しい姿のまま、祈りの力を枯らすことなく祈り続けることができるんだ」
更にクラリスはロイの耳元に寄りコソッと
「と、言うのは建前で、なんでもご先祖様にエルフの血が混ざっているとか。」
「な、なんだって……!?それって神々の時代の……!」
その事実にロイはさらに驚きの声を上げた。
仲間たちは目を白黒させる彼の様子に、思わず声を上げて笑った。
「必ず元のような姿に、助けを求める者たちに分け隔てなく、神の施しを分け合えるような場所に、このセレスティア聖教国を正してみせるさ」
「ああ!レオンなら安心だな!でも、タバコも酒もほどほどに控えろよ?」
「あ!おい!ロイ、お前、いまその話は……!」
「レオン神官!まさか、また隠れていらっしゃいましたね!神にその身を捧げる、最高位神官ともなろうお方が!さあ!今すぐに、その懐に隠しているものを全て、お出しなさい!」
タバコ、お酒、というワードを聞きつけた途端に、額に青筋を立てて立ちはだかる、シスター・アガサ。
「わ、悪かった、悪かった!ほんの出来心で、あ、いや!これは、その、婆さんへの弔いもかねてだな、ロ、ロイ!お前からも、何かうまく説明を……!」
「……」
「お待ち!今回ばかりは、決して許しませんからね!」
シスター・アガサと、セレスティア聖教国の新たなる最高位神官との間で、突如として始まった、賑やかな鬼ごっこを、仲間たちはにこやかに眺めるのであった。
***
一行はその夜、教会で久しぶりにゆっくりと身体を休め、次の朝、セレスティア聖教国を後にした。
見送りにはレオンを始め、教会の皆が総出で来てくれていた。
しかしミハエラは、旅立ちに姿を見せることはなかった。
一行が生まれ変わった大聖堂の前を通り過ぎようとした時。
どこまでも清らかで凛とした声が、彼らの脳裏に優しく響いた。
《聖なる審判の加護を、汝らに》
その声と共に、一行の身体に強固な聖なる加護が宿る。
ミハエラの与える加護は、敵の幻影や偽装、あらゆる精神干渉を拒む、神聖なる守りの奇跡だった。
同じ頃、大聖堂の最も高い場所。
美しいステンドグラスの前で、ミハエラは祈るように手を、そっと胸に当てていた。
ゆっくりと地平線の彼方へと遠ざかっていく、一行の頼りないくせに希望を抱かざるをえない、小さな後ろ姿を見つめながら、彼女は静かに切に、呟く。
「女神エデルよ……願わくば、彼らがアストリアを巡る“最後の旅人”でありますように」
そして一行は、新たな希望と、確かな絆を胸に、次なる目的地へと確かな一歩を踏み出すのだった。
ロイは自分の隣を歩くナナミの顔を、つい盗み見てしまう。
国全体が聖域である、セレスティア聖教国から出てからは、彼女の顔色随分と良くなったようだった。
「……なぁに?」
その視線に気づいたナナミが、いつも通り感情をあまり感じさせない、氷のように冷たくて透き通った声色で、そう問いかける。
変わらない姿に、ロイは心の底から、どうしようもなく安心してしまうのだった。
第七章 完




