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ruth story  作者: Cy


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7-8「勇者A」

審判の間に壮大な光の柱が立った。

神官たちが放った裁きの光が、彼女の内に宿る呪いを目がけて解き放たれ、この場にいる全ての者の視界を白く焼き尽くした。


やがて光の柱が役目を終えたかのように静かに収まった時、円形の空間の中央には耐え難い苦痛の中、か細い身体を床に横たえ蹲る、ナナミの姿だけが残されていた。


「おお、見たか!魔女は我らが正義の前に屈したぞ!」

辺りで聞こえる下卑た歓声も、今の彼女の耳には分厚い壁に塞がれたかのように、ただ遠くにぼんやりと聞こえるだけだった。

ぐわんぐわんと視界が歪み、世界が意思を持ったかのように彼女を拒絶している。

最上階で巫女ミハエラが佇む、あの巨大なステンドグラスから差し込む光だけが、痛いぐらいに眩しかった。

ここは全てが狂っている。


「は……」

喜びに包まれる審判の間で、ナナミの乾ききった自嘲するような笑い声など、誰の耳にも届かなかった。



それでいい。

だれも、知る由もない。

だれも、知らなくてもいい。

だれにも、知られたくなんてないのだから。

私の永い旅の本当の理由なんて。



救いなんて、最初から求めてなどいなかった。

だってこれは、私が受けなければならない罰なのだから。

私はかつて、一番大切な人、一人さえ救うことができなかった、ただそれだけのちっぽけな存在なのだから。


「……おねがい」

未だにその身を内側から灼き続ける、激痛に必死に抗いながら、ナナミは痺れて震える手をそっと胸の前で組んだ。

掠れた、ほとんど吐息のような声で、眩しいステンドグラスを見上げながら、最後の力を振り絞って祈りを捧げる。

彼女の祈りはいつだって自分自身のためではない。

自分の傷も痛みも癒せない。

他者を想ってのみ、その小さな祈りに女神エデルが応える。

ただ、さみしいまでに一途な祈りだった。


「女神エデルよ……天に座し、全てをしろしめす、光の泉よ。

慈悲の光で、この穢れし地を照らすというのならば、どうか。

彼の人の痛みに、癒やしの光を与えたまえ。

彼らがこれまで流してきた血に、乾かぬ涙に、どうか終わりなき安らぎを与えたまえ。

我、この身を祈りの器として、ただ願わん。

どうか、……あの、かけがえのない、彼らを……」


パタリ、と。

彼女の瞳から一筋の涙が、冷たい石の床に溢れ落ちるのと、ほぼ同時だった。

大聖堂に仕えるどの聖職者も、一度として見たことがない、優しく、暖かく、どこまでも淡い光に、歪んでしまった審判の間が、いや、大聖堂そのものがふわりと包まれた。


審判の間にいた誰もが、呆気に取られて言葉を失った。

なんて清廉で、なんて高尚な奇跡の祈りなのだろうか、と。

これまで一片たりとも表情を変えなかった巫女ミハエラだったが、この時ばかりは瞳を驚きに、大きく見開いていた。


そんなはずが、ないのだ。

常人にそんなことできるはずが、ないのだ。


あそこまで女神に対して、不敬な言葉を働きながら。

凡人ならば敬虔に、何十年という歳月をかけて祈りを捧げ続けなくては、かの気高き女神エデルは、その手を貸してはくれない。

それなのに、目の前のただの少女を、女神は愛しい愛しい我が子を慈しむかのように、一方的に、こんなにも執拗なまでに、愛してやまないのだ。

常人では決して成し得ない、祈りの真理をこの場にいる者たちは皆、目の当たりにした。


「……な、なんだ!貴様、今、一体何をした!まさか魔法を、使ったというのか!」

神官の一人が、狼狽しながら叫ぶ。

魔法を使った。

そんなはずがないことはこの場にいる全員が分かりきっていた。

ただ、途方もない呪いを背負った少女が、忌まわしき魔女が、あんなにも純潔な聖なる力を使ったと信じたくなかったが故に出てきた言葉だった。


「……さぁ?どう、かしら」


ナナミは息も絶え絶えになりながらも、それでも挑発的な態度を決して止めない。

強大で荒々しい浄化の奇跡の祈りを捧げても、なおも彼女の呪いは消えることがない。彼女の矜持も屈することはない。


彼らが思い描いていた、安易なシナリオ通りに進まない現実に、神官たちの間に焦りの色があからさまに浮かび始めた。


「ええい!魂の天秤を持って参れ!この正体不明の化け物を、今すぐ秤にかけるのだ!」

「ありえぬ!こんなことは、決してありえぬのだ!」


ナナミは異端か、どうなのか。

混乱を極める審判の間で、彼女の処遇を決めるため魂の罪の重さを測るという、ついに神具『魂の天秤』が重々しく運び出されてきた。


銀色に妖しく、鈍く輝く巨大な天秤。


「我らが絶対なる正義の唯一神よ!この者の魂を、聖なる天秤をもって正義を秤り、我らに正しき道を示したまえ!」


詠唱が終わるまでの間、ナナミは揺らぐ視界の中でずっと天秤を見ていた。

一体、この天秤はどちらに傾くというのだろうか。

今までの行いは、罪なのか、それとも。


「ちょっとまったぁぁああああ!!!!!!」


審判の間の高い天井を震わせるほどに、やけに響き渡る大きな声。

誰の声をもかき消し、静寂が再び蘇る。


全員の視線が、声のした入り口へと一斉に注がれる。

白銀の鎧に身を包んだ一人の男が、息を切らしながら一直線にナナミの元へと駆け寄ってきた。

彼は重々しい頭の鎧を、乱暴に脱ぎ捨てた。

現れる、汗に濡れた柔らかな青い蒼い髪。

旅立ちの時よりもいく段と真っ直ぐに輝いている灰色の瞳。


「……ロイ」



白銀の鎧を脱ぎ捨てた勇者は、ただ一人の魔女を救うためだけに舞い降りた。


***






白銀の鎧に身を包み、大聖堂内に侵入したロイとレオンは、地下で驚愕の光景を目の当たりにしていた。

「……これは、なんて、ひどい……」

魔障が濃密な霧のように、ひどく蔓延る牢獄。

神に祈る者でなくとも、ここで一体何が行われていたのか、おぞましい光景をありありと想像することができた。


忌まわしい歴史の痕跡を隠すためだけに、心をすり減らしながら、うつろな目で浄化の祈りをひたすらに、捧げ続ける者たち。

見かねたロイが、一人のまだ少年と言っていい、神官見習いの肩に、そっと手を置いた。


「おい、おい!大丈夫か?気をしっかり持ってくれ。そんな状態で、これ以上祈りを捧げちゃいけない!」


「お、おやめください……。わ、私は、祈りを、捧げ続けなくては……いけない、のです……」


完全に光を失った瞳に、ロイはゾッとするほどの恐怖を感じた。

いくら止めようと、それでも指を組み、ほとんど枯れ果てた心で祈りを捧げている。


こんな状態で祈っても、女神エデルも応えてはくれないのに。


「ここが大聖堂の、最も恥ずべき隠された事実だ」


「なんで、こんなことを……」


「魔族が封印される前はな、人間側も散々やつらを利用したり、こうやって虐めて苦しめてたってこったよ。そりゃあ魔族も怒って、人間を滅ぼしたくもなるわな。……ヤツらは漆黒の鏡みたいなもんなんだからよ」


「漆黒の鏡……?」


「ああ。純粋なまでに黒い鏡だ。深い闇を潜めておきながらも、向けられた感情をそのまま映し返す。だからかつては、人間と共存することも出来ていたんだ。……こんな愚かなことさえ、しなければな。」


レオンが気を失った神官の一人の背中をさすりながら、心底悲しげにそう言った。

ロイもまた、鎧の奥で眉を顰めた。

魔族ばかりが絶対的な悪であると、そう言われ続け、そう信じ続けてきた。

しかし事実として、人間側もこんなにも酷いことを、平然とやってのけていたのだ。


魔王を、倒す。

揺るぎないはずだった使命に、ほんの一石が投じられたような、そんな気分だった。

彼の中でこれまで信じてきた正義そのものが、根底から変えられてしまいそうなほどの惨状だったのだ。



そんな最中、彼らが向かう先の方角で眩い壮大な光の柱が立った。

あまりの眩しさに、思わず目を瞑る。


「なんだ、今の光は……?」

「神官たちが、何か大掛かりな祈りを捧げたのか?」

光の柱が収まったと、そう思った次の瞬間。

今度は優しく、どこまでも淡い光が辺りを包み込むようにふわりと広がった。


「……これ、は」


気配だけで、分かった。

ナナミの祈りだ。ナナミがこの先にいる。

信じられないことに、ナナミのその祈りは永劫の苦しみが続くおぞましい牢獄の中も、祈り続けて自分自身をとうに無くしてしまった神官たちの魂をも全てを優しく包み込んだ。


牢獄に満ちていた邪気は、優しく、温かく、浄化されてゆき、神官たちは優しい光に包まれた瞬間、安堵したかのようにパタリと、皆穏やかな眠りへと入ってしまった。


「なっ、これは一体……!こんなにも神聖で慈悲深い祈り、見たことがないぞ!」


レオンが驚愕の声を上げる。


「ナナミだ!ナナミが祈りを捧げてるんだ!すまないがここは任せた!俺、先に行って様子を見てくる!」

「あ、おい!一人で行くのは危険だ!気をつけろよ!」


もうレオンの制止の声なんて、ロイの耳にはまったく聞こえていなかった。

彼は一心不乱に光が満ちる先へと駆け抜けた。


審判の間にたどり着き、彼が目の当たりにしたのは驚愕の光景だった。

中央に打ちのめされ、倒れ伏すナナミ。

一人ぼっちの少女を下卑た目で見下ろし、ざわめく周りの者たち。




なぜ?

彼女がどうして、こんな目にあっている?

あんなに優しい祈りを捧げられて、悪人も善人も関係なく全てを包み込むような奇跡を起こせる少女が、なぜ虐げられている?


ナナミが、一体何をしたっていうんだ?




暗然とした心の中で、ポツリと、そんな言葉が浮かび上がる。



「魂の天秤を持って参れ!この者を、秤にかける!」

「ありえぬ!こんなことは、決して、ありえぬのだ!」


魂の天秤……?

レオンが言っていた言葉が、脳裏をよぎる。




ーー魂の天秤はどうもおかしい。まるで正義の基準が何もかも、あべこべになっちまったみてぇだ。あそこででかい顔して偉そうにしてる、腐った高位神官どもが裁かれないはずがねえんだーーー




レオンの言っていた言葉の本当の意味を、ロイはこの瞬間にようやく全て理解した。

気づけていなかった事実に、悔しさから血が滲むのではないかと思うほどに、拳をグッと握りしめる。

あそこにいる奴らは安全な場所から、謂れもない者たちを、苦しめ、貶めて、優越感に浸っているだけなのだ。

心底ゾッとする。

目の前が暗くなってゆく感覚だった。

今まで自分が信じてきた正義ですら根底から否定されてしまうまでの、感覚。

それでも。


「我らが絶対なる正義の唯一神よ!この者の魂を、その天秤もって、正義を秤り、我らに正しき道を示したまえ!」


「ちょっと、まったぁぁああああ!!!!!!」


目の前の、優しい少女だけは。

どうしようもなく、自分の中に芽生えてしまった不確かで柔くて淡いこの気持ちだけは。

どうしても、救いたかった。


「ロイ……」

掠れているが、僅かながら安堵の色を浮かべた声が、しんと静まり返った審判の間に響く。


「……ナナミ。やっぱり、一人で行かせるんじゃなかった。止められなくてごめん」


床に這いつくばり、ぐったりとしているナナミの身体を、微かな温もりを確かめるようにそっと抱き上げる。

辺りでは2人を非難する声がやかましく上がっていた。


「何者だ!早くそやつをここから摘み出せ!」


「ん、待て。あの灰色の瞳、もしや新しく神託を受けたという勇者ではないのか?」


「あんな貧相な若造が、勇者だと?笑わせてくれるわ。我らがセレスティアから、かつて灰の瞳の勇者を輩出した時は、屈強なる聖騎士団で身を固めたというのに、それでも女神エデルの元へと還ってしまったのだぞ。あのような見るからに軟弱な若者に、このアストリアの命運がかかっているなどと!」


「……」

好き勝手にぺらぺらと喋る醜い神官たちの顔を、ロイもまたゆっくりと、一人、一人、見回す。

最後に未だ一言も言葉を発さない最上階のミハエラの事を厳しい目つきで、見た。

なんと心の卑しい者たちなのだろうかと思った。

目の前にいるもの達は今まで出会ってきた魔獣よりも、ずっと醜い生き物のように思えた。


「初めまして。セレスティア聖教国の巫女であらせられる、ミハエラ様。俺は神託により、ルミーナ王国から選抜されました、勇者ロイと申します」

「……」


ミハエラはロイをただじっと、見つめるだけでやはり何も言葉を発さない。

それでもロイはミハエラの自分と同じ“灰の瞳”を真っ直ぐに見つめ返す。


「無礼者!貴様もそこにいる魔女のように、魂の天秤にかけられたいのか!」


「もうだめだ!この勇者も魔女に完全に惑わされている!異端者になってしまったのだ!」


「……いい加減に、しろよ!」

思ってもみなかった低い怒りに満ちた返答に、神官たちはどよめいた。

今まで自分たちに真正面から、逆らうものなどただの一人もいなかったからだ。


二人ぼっちの審判の間の中央で、ロイはポツリ、ポツリと、胸の内を言葉にしていく。


「失言を言ったというのなら、申し訳ありません」


「けど俺はナナミが異端かどうか、なんてどうだっていい」


「アストリアを救おうと、必死に戦っていたナナミの姿を俺たちはこの目で何度も見てきた。魂の天秤なんかで、測らなくたって!」

彼の言葉を聞いて、ナナミの瞳にうっすらと光の幕が張る。

旅立った日、どこか頼りなく怯えたばかりのロイの顔が鮮明に脳裏に浮かんでいた。

こんなにも堂々と、臆することなく自分よりもずっと立場の上の者たちに意見を堂々と伝えている。


もう身体を蝕む痛みなんて、忘れてしまうほどに驚きと、どうしようもない淡い喜びが彼女の胸の中を渦巻いていた。


「惑わされていることも気付かず、何を偉そうに!」


「お前たちは一体なんなんだよ!自分たちは安全な場所から、ただ高みの見物をしているだけのくせに!」


「どれだけ傷ついても、どれだけ苦しんでも、ナナミは戦い続けてきたことを……お前たちはなにも……なにも、知らないくせに!」


ロイは誰よりも知っていた。


ナナミがアストリアを救うために、どれほど過酷に祈り続け、その身を蝕むおぞましい呪いに魂を灼かれながら、それでも仲間たちのために、魔法を使い続けてきた壮絶な姿を。


「黙れ!この異端者どもよ!これ以上の無礼は断じて、許さぬ!皆のもの!もう一度詠唱を!」


「ナナミを異端と決めつけるのなら!!本当に壊れているのは、あの天秤の方だ!いや、違う!壊れているのは、おまえたちの方だ!」


ロイは一度ナナミを壁にもたれかけさせた。

なにをするつもりなのかと、動けない体でナナミが引き止めようとするが、掴めるはずもなくその手をすり抜けてゆく。


旅立ちを命令された日よりも、随分と武骨になった手でしっかりと、伝説の剣を握り直す。


自分にはかっこいい技も、派手な技も、聖なる力も、優秀な血筋も、取り柄なんて何もない。

貧しい村で生まれた、大したことのない人間だった。

灰の瞳であればきっと誰でもよかった。

灰の瞳を持っていた使えそうな人間だから、過酷な旅でいなくなっても問題がないから、勇者に選ばれただけであって、立ち行かないことがあれば代わりなんていくらでもいる、ただの勇者Aだから。

しかも便宜上『勇者』という肩書きを使っているだけで、今だって他に相応しい人がいるのならそいつがやればいいだなんて、思ってしまうこともある。


全ての思いをこの剣にのせて大きく、振りかぶった。


それでも、勇者だから。

アストリアを、大切なものを、守りたい気持ちは嘘なんかではないのだから。


全ての元凶はきっとこの天秤に違いない。


『魂の天秤』を一刀のもとに、破壊する。

天秤の片翼が甲高い音を立てて砕け散った。

銀色のかけらが冷たい床に散らばってゆく。

上から眺めるだけだった神官たちは、皆言葉を失う。


ミハエラだけが目の前でおきた劇的な光景に、待ち望んでいた瞬間が、ようやく訪れたとでも言うかのように、ゆっくりと白銀のまつ毛に彩られた灰の瞳を細めたのだった。

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