7-7「トップ・シークレット」
「なぁ、レオンってナナミのことを最初見かけた時、伝説の大魔女にそっくりだって言っていたよな」
「ああ。」
海沿いを歩きながら、ロイの胸の中に突っかかっていた疑問を吐露する。
「この国はあの魔女様は悪いやつだって認識なのか?もしかして、レオンも……そう思っていたのに助けてくれたのか?」
レオンは少し考える素振りをした後で首を振った。
「俺は若い頃旅をしていたし、他の国での魔女様の伝承を聞いていたからな。」
「そうだったのか。この国のみんながみんな、そうじゃないってしって少しホッとしたよ」
「この国はどこまでも清廉潔白でいたいらしい。魔をも受け入れる女神エデルのご意志を無碍にしてでも、魔女という悪役が欲しいようだ。民衆を惑わせるためにな。」
レオンに連れられてやってきたのは、街の喧騒から完全に切り離された断崖絶壁。
そこに立つ、一つの古い墓石の前だった。
打ち付ける波の音が世界の終わりを告げるように、絶えず激しく響き渡る。
潮風に耐えるように、名もなき海辺の草花が健気に咲いていた。
「ここは……」
「カシエラの墓だ。今の巫女様、ミハエラの祖母さんで、もともとあの教会はカシエラが切り盛りしてたんだ。」
遺体の残らないこのアストリアにおいて、墓とは死者のためのものではない。
遺された者たちのための、寄る辺だ。
女神エデルの元へと還った愛する魂が、確かにこの世に存在したという唯一無二の証。
そのような神聖な場所で、神官という立場の男が懐から無造作にタバコを取り出して火をつけ、紫の煙を美味そうに燻らせ始めたのだから、ロイはギョッと目を丸くした。
次いでレオンは、さらに懐から琥珀色の液体の入った小瓶、おそらくはウィスカールを取り出す。
彼は液体の半分を墓石へジャバジャバと惜しげもなくかけた後、残りを自らラッパ飲みする。
「……神官様なのに、禁欲とかは大丈夫なのか?」
ロイは恐る恐る尋ねた。
「ん?ああ、このくらいなんてこたぁねぇよ。酒やタバコに、心が“のまれなきゃ”いいんだ。こんなもん俺にとっちゃ、高尚な欲望のうちにも入りゃしねえ。ばあさんも好きだったしな!」
がっはっは、大口を開け悪びれなく笑う声がこの岬に響き渡る。
いまいち納得できないまま、ロイはとりあえず頷いた。
お金無いって言っていたくせに、こんな高価なものを惜しげもなく……だなんて、言いたいことも飲み込んだ。
レオンは墓石をどこか愛おしむように、遠い目で見つめながら、ぽつりと呟く。
「今の巫女さん。ミハエラ様はよぉ、そりゃあもういい女でな。あんなに強くて、気高くて、どうしようもなく不器用でいい女は、俺ぁ他に見た事ねえんだ。……まあ、俺より年上だけどな?」
「はぁ……」
タバコに酒、女。
随分と俗っぽい神官様だ、とロイは思った。
かと言って、彼のあの教会での働きぶりや、子供たちに向ける優しい眼差しを、間近で見ていたロイからすると、彼が決して悪い人間ではないことも、また確かだった。
「……なんで、こんな事になっちまったのかねえ」
そこからレオンの、昔話が始まった。
彼がまだ若き回復士として、アストリア中をあてどなく旅して回っていた頃のこと。
魔獣に襲われ、顔に一生消えることのないこの傷を負った時、彼を救ってくれたのが、当時まだ大聖堂にはおらず、古びた教会でカシエラと共に、貧しい者も金持ちも分け隔てなく、その手を差し伸べていた若き日のミハエラだったこと。
やがてカシエラが女神の元へと還り、そのタイミングでミハエラが新たな巫女として大聖堂に呼ばれたこと。
彼女のあまりに純粋でまっすぐな魂が、利用されてしまうことを恐れたレオンもまた、神官として彼女を守るため、共に大聖堂の門を潜ったこと。
しかし、彼が大聖堂に蔓延る悪行や、帳簿の不正を告発しようとした矢先、逆に無実の罪を着せられ、神具『魂の天秤』にかけられて、大聖堂を追放されたこと。
その時。
氷のように冷たい、失望しきった目で見下ろしてきたくせに、ミハエラは彼女がこの世で一番大切にしているはずの、古びた教会を自分に託してきたこと。
「やっぱり、酒とタバコなんかを普段からやってるから、天秤にかけられたんじゃ……」
「ちげーよ!」
レオンは罰が悪そうに、大きな頭をガシガシと掻いた。
「嵌められたんだよ、お偉いさん方の汚ねえやり方でな。俺が突きつけた不正の証拠と、奴らの言い分が魂の天秤にかけられた。天秤が『正しい』と示したのは、お偉方の方だったってわけよ」
「もしかして、嘘の証拠で神官達を貶めようと……!」
「んなわけあるか!俺の評価は、お前さんの中でどこまで低いんだよ!……自分で言うのもなんだがな、魂の天秤はどうもおかしい。まるで正義の基準が何もかも、あべこべになっちまったみてぇだ。あそこででかい顔して偉そうにしてる、腐った高位神官どもが裁かれないはずがねえんだ」
「……」
「もし魔王の魂がこの国にある何かに宿ってるんだとしたら、俺は『魂の天秤』だとそう思ってる。……ただあの腐りきった今の大聖堂じゃあ、拝むことすらできやしねえがな」
「だから、だ」
レオンはゴソゴソと、カシエラの墓の横の地面を素手で掘り出した。
なんて罰当たりな!
と、ロイの中でレオンに対する信用が再び地の底を行く勢いで急降下した。
「すまねえな、勇者さんよ。あんたらを少しばかり利用させてもらった。でもなこうでもしなきゃ、あんたらもあの魂の天秤には到底辿り着けなかっただろうからな。悪く思わないでくれよ」
地面から掘り出された汚れた麻袋。
その中には色とりどりの、まばゆいばかりの宝石や値のつきそうな魔法石、帳簿の書き写し、とにかくぎっしりと詰まっていた。
レオンが長年かけて密かに集めていた、神官たちの横領の動かぬ証拠だった。
「宝石は他の聖騎士たちの買収に使えるだろ」
ニヤリと聖職者に似合わない、悪い笑みを浮かべるレオン。
けれど墓に向き直ると、レオンは恭しく手を組み、「ばあさん、悪いな。あんたの形見、少しだけ使わせてもらうぜ」
とそう声をかけた。
「あんたを制したあの聖騎士団員の男はな、腐った大聖堂の中で唯一、まだ良心が残ってる俺の内通者でね。大聖堂のあの醜い恥部を、公衆の面前に晒すために、ずっと前から協力してもらってるわけよ」
正直、自分一人ならいくらでも利用してくれて構わなかった。
だが一番大切な、守ると誓ったはずのナナミを利用されたことに対しては、全くもって腹の虫がおさまらない。
けれど、こうなってしまった今、そんな個人的な感情を優先している暇はどこにもなかった。
あの聡いナナミのことだ。
もしかしたら、ここまで全てを読んでいたのかもしれない。
もしかしたら、彼女は自分一人でもこの状況をどうにかできてしまうのかもしれない。
ただ、そんな役目をナナミ一人に背負わせなくて良いのであれば。
たとえそれが打算ずくの計画であったとしても、一刻も早く彼女をあの孤独な戦いから助け出す手立てがあるのなら、それに乗らないわけにはいかない。
「……正直、腹が立つ。めちゃくちゃ腹が立ってる。けど、ナナミを助けられるっていうなら、俺もあんたを利用させてもらう」
「……ああ。それでこそだ。安心したぜ。ただのいい子ちゃんってだけの、教科書どおりみたいな勇者様じゃなさそうでよ。なかなか、骨がありそうなやつじゃねえか」
「作戦は?」
「ああ。通常ルートでの侵入はまず不可能だ。……変装して、中に潜り込む」
***
一方でナナミは聖騎士団から身柄を高位の神官に引き渡され、大聖堂の冷たく湿った地下へと連行されていた。
階段を降っても降っても、中々その終着点には辿りつかない。
大聖堂に入ってからというもの、まるで鐘を頭の内側からガンガンと打ち鳴らされているかのように酷い頭痛が続いていたが、地下へ行くほどその痛みは耐え難い激痛へと変わっていく。
やがてたどり着いた最下層で、彼女はその理由を目の当たりにした。
憎悪と絶望、断末魔の叫びが何百年という時を経て今もなお、こびりついているかのようなおぞましい牢獄がそこにはあった。
辺りには青白い顔をした、まだ年端もいかないであろう神官見習いや聖女見習いたちが、虚ろな目でただひたすらに浄化の祈りを捧げ続けている。
彼らの魂が、この場所に満ちるあまりに濃密な邪気によって日々少しずつすり減ってしまっているのが、一目で分かった。
「……反吐がでるわね」
誰に言うでもなく、ナナミは心の底からの嫌悪を込めてそう呟いた。
「私語を慎め」
隣を歩く偉そうな神官が、機械のようにそう忠告する。
あの牢獄は、かつて人間たちが捕らえた魔族を拷問するために使っていた跡なのだろう。
鉄格子には今も錆びた血の跡が残り、壁には苦悶に満ちた無数の爪痕が生々しく刻まれている。
牢獄の中にはもう誰もいないのに。
残されたあまりに深い残穢が、彼らの悲痛な叫びとなってナナミの耳にだけはこびりつくように聞こえてくるような、そんな錯覚に陥る。
魔族は悪だと一方的に決めつけて、ここまで惨い仕打ちをやってのけた者たちは正義と言えるのだろうか。
今はそんな疑問を投げかけても、誰も答えてくれなそうだ。
ナナミが連行され、ようやくたどり着いたのは、大聖堂の地下最も深くにある、荘厳で厳粛な「審判の間」だった。
大聖堂の中心に穿たれた巨大な吹き抜けは、地下深くから最上階の天蓋へとまっすぐ伸び、
すべての階層が中央の円形広間を見下ろす劇場型の構造になっていた。
ナナミは中心にただ一人立たされている。
罪人の審問を楽しむかのように、階層ごとにぐるりと連なる観覧席が取り囲んでいた。
座するのは金や銀の神衣をまとった高位の神官、聖騎士、聖女たち。
彼らは誰も武器を持たない。
彼らの力の源は戦いの術ではなく――女神エデルに祈りを捧げて降ろす“奇跡”のみ。
癒しと守護と浄化のためにあり、魔を滅することはできても、争うためには決して使われない。
ゆえに彼らはただ祈り、ただ裁く。
けれど視線は、慈悲とは程遠く残酷だった。
最上階。
女神エデルの姿を描いた巨大なステンドグラスが、数えきれない光の欠片を放ちながらナナミを照らす。
荘厳であるほどに冷たい光。
「触れる価値もない穢れを見下ろす」かのように。
ステンドグラスの前には、巫女ミハエラが影のように佇んでいた。
祈るように胸元で指を組んだまま、微動だにしない。
優美でありながら、処刑の合図を待つ死刑執行人のようでもあった。
どこからともなく低い賛美歌が響き始める。
祝福のための歌のはずなのに、今だけは裁きの鐘のように重く冷たく響く。
ナナミは悟る。
ここには、救う意志も赦す余地も初めから存在しない――
“女神の名のもとに罪を断ずるためだけの間” なのだと。
「ついに現れたな、忌まわしき魔女め」
審判の間に大きく響き渡る。
それを皮切りに、ナナミを責め立てる罵詈雑言がガヤガヤとあたりに反響していった。
「ええ、私が魔女よ。このアストリアにただ一人残された、最後の魔女」
ナナミは挑戦的に辺りをゆっくり見回してゆく。
一人残らず、顔を目に焼き付けるように。
最後に、ステンドグラスの前にいるミハエラをライラック色の瞳で真っ直ぐに睨みつけた。
ナナミの背後から感じる得体の知れない呪痕の気配に、神官たちは顔を歪めた。
「なんと悍ましい!そこまでの呪いを抱えたまま、よくも聖なる我が国に足を踏み入れたものだ!」
「きっと我らに厄災を振り撒きにきたに違いない!」
謂れのない言葉を今、投げかけられても、ナナミの視線はただ一人、ミハエラだけをじっと見つめていた。
だってこの愚か者たちに自分の抱えている身の上を話したところで、理解しようとすらしやしないだろう。
自分の仲間たちにだって、まだ話してすらいない。
話してしまえば、彼らだって離れていってしまうのではないかと怯えているというのに。
「……あなたも、そう思うのかしら?」
問いかけられたミハエラは、白銀のまつ毛に縁取られた美しい目を細めるばかりで何も答えない。
「ああ、そう。あなたは自分の意志なんてこれっぽっちもないのね。ただ、そこの女の代弁しかできない、哀れな伝書鳩でしかないというわけ。ふふ、楽しい?神様ごっこのおつもり?」
とびっきり悪役のような、攻撃的なセリフ。
アストリアの絶対であり唯一の存在であるはずの女神エデルを「そこの女」呼ばわりし、神に最も近しいと言われる尊き巫女を「伝書鳩」呼ばわりしているのだ。
「な、なんということだ……」
ナナミを上から見下ろしている神官たちの一人は、あまりに不敬な言葉に衝撃のあまり卒倒する者まで現れた。
「……」
ただミハエラだけは、彼女が普段全く浴びせられることのない刺激的なな言葉を聞いても、瞳の奥にある深い悲しみを見抜いているようだった。
やはり、一言も声は発さないが。
「もうこやつは魔族化しているのやもしれん!早く、早く、浄化の祈りを捧げるのだ!」
誰かがそう叫んだ。
「はっ!皆、心して詠唱するのだ!」
神官たちの重々しい声が、審判の間に響き渡る。
「おお、聖なる光の母、女神エデルよ。汝が慈悲深き御名において、我らは祈る」
「この穢れし魂に、裁きの鉄槌を。根源に巣食う、深き闇を打ち払いたまえ」
「おお、聖なる炎の御子、女神エデルよ。汝が気高き御名において、我らは願う」
「この禍々しき呪いに、浄化の劫火を。その身を蝕む、深き罪を焼き尽くしたまえ」
高位の神官たちから一斉に、一方的な浄化の祈りが、その聖なる力が、ナナミへと容赦なく放たれる。
「ーーーーー!!」
無理やり浴びせられる聖なる力は、彼女の身体に宿る呪いと激しく、暴力的に反発し合う。全身を内側から灼熱の鉄で焼かれ、神経の一本一本に至るまで針を突き刺され、骨の一本一本を巨大な槌で粉々に砕かれるような、痛み。
地獄のような凄まじい激痛に、声にならないナナミの魂からの絶叫が、歪んでしまった審判の間に虚しく響き渡った。




