7-6「魔女の名乗り」
がしゃん、と、ロイが持っていた陶器の皿が、石の床に落ちて甲高い音を立てた。
朝の光が穏やかに差し込む、温かい湯気に満ちた教会の炊事場。
その入り口にふらりと、陽炎のようにナナミが立っていた。
まだ少し青白い顔、眠っている間に少しだけ乱れたミルクチョコレートの髪。
ロイは一瞬、自分の目の前にいるのが、あまりに彼女に会いたいと願いすぎたせいで見ている、都合の良い幻覚ではないかと本気で疑った。
「……」
ロイは割れていないか、と慌てて拾い上げた皿を見つめて固まっていると、ナナミもまたエプロンを締めて立ち働く彼の姿を、まじまじと不思議そうに見つめている。
同じく幻覚を見ていると思っているのは、どうやら彼女も同じようだった。
「……ここは、てっきり教会かと思ったのだけれど。いつの間に宿屋を始めてしまったのね?」
寝ぼけているのか、珍しくナナミから発せられた冗談めいている言葉に、ロイはやっと我に返った。
「ち、違う違う!ここは正真正銘教会だよ!泊めてもらう代わりに、少しだけ手伝いをしてるんだ!」
「そう。……そうよね。まだ、少し、寝ぼけているのかしら。またみんなに心配をかけてしまったみたいね。ごめんなさい」
彼女はそう言って、申し訳なさそうに頼りなく壁に縋るように手をそわせた。
「……呪いのせいか?体は、もう辛くないのか?」
ロイが核心に触れようとすると、彼女は何でもないことのように顔を取り繕い、決して心配させまいと優しい嘘をついた。
「違うわ。この国の空気があまりに優しくて、安心してつい眠ってしまっただけよ」
「そっか。」
なんとなく、勘が働いた。
ナナミが言っていることは嘘なんじゃないかって。
きっと、自分を安心させようとしてついていてくれている優しい嘘だと。ロイは見抜いていた。
けれど、せっかくの気遣いを無碍にするのが怖くって、どうしても問い詰める事ができずに、騙されるフリをするしかできなかった。
「何か手伝うことはある?」
「寝てていいんだぞ?」
「たくさん寝てしまったから、眠たくないの。」
「……じゃあ、このお皿一緒に拭こう。」
2人並んで皿を拭いていると、外でバタバタと軽い足音が聞こえ、バタンと勢いよく炊事場の扉が開かれた。
「ロイ!みんなが戻ってきて……って、うわ!ナナミ!君、起きたのかい?体はもう大丈夫?」
息を切らして駆け込んできたクラリスがナナミの姿を認めて、ぱっと顔を輝かせる。
「みんな同じことを聞くのね。もう平気よ。心配かけてごめんなさい」
「……良かった!それより、二人とも一緒に来てくれる?みんなが帰ってきたんだよ。ナナミも元気な姿を見せてあげて」
クラリスに呼ばれて、教会の広場へと向かう。
そこには情報収集に行っていたシルリア、クロエ、ジーク、ナックの四人と、彼らが道中で出会ったのであろう、傷ついた数人の旅人たちの姿があった。
レオンが大きな身体を屈めて、最も深手を負った旅人の傷にそっと手をかざしている。
彼の口から紡がれる、古く力強い祈りの言葉に呼応するように、その手から温かい慈悲深い光が溢れ出し、旅人の傷を癒やしていく。
軽傷の者たちは、シスターたちが同じように祈りを捧げ、その痛みを和らげていた。
「おお……助かりました。本当にありがとうございます」
治療を受けた旅人が深々と頭を下げ、なけなしのブロンを震える手で献金箱に入れる。
それに対しレオンは「気にするな」と豪快に笑い飛ばすと、シスターに合図を送り自分たちの食べる分を削ってでも、と硬いパンと温かいスープを分け与えていた。
先ほど大聖堂の前で、あまりに非情な光景を見てきたクロエたちは、これこそが真の教会の、神に仕える者の、あるべき姿だと心の底から安堵し、目の前の光景をただ黙って見つめていた。
「おーい!お前達!よく来てくれたなー!」
ロイが一行に気づき、大きく手を振る。
「ロイ!ナナミも!良かった、さっきよりずっと顔色がよさそうだね」
シルリアが、安堵の微笑みを浮かべる。
しばらくぶりに再会した一行は、互いの無事を喜び合い、この数時間のうちにあったことを、堰を切ったように話し合う。
ロイたちはこの教会に世話になり、宿泊の許可を得たことを。
そしてクロエたちは大聖堂で目の当たりにした、信じがたい腐敗の現実を。
その傍ら広場の片隅では、一羽の小さな生き物が、その命の危機に瀕していた。
「待てー!」「こっちだ!」「捕まえろー!」
ピィが教会の子供たちに、完全に遊び道具としてロックオンされ、必死に逃げ回っていたのだ。
「触らせろ!」という、ごくごく純粋な、けれども彼にとっては恐怖でしかない要求から逃れるため、一縷の望みをかけてナナミの柔らかく光る髪の中へと光の速さで突っ込んだ。
彼女の髪を、はちゃめちゃに、芸術的とさえ言えるほどに掻き乱し、ようやく頭のてっぺんに、安住の地を見つけた。
ゼエゼエと、小さな身体を激しく上下させ息を取り乱しているが、なぜそんなことになっているのか、突然巻き込まれたナナミはよく分かっていない。
ピィを追いかけていた子供たちは、ナナミの目の前で、慌てて急ブレーキをかける。
目の前に、噂の「魔女」が立っている。
その美しいライラック色の瞳で、じっと自分たちを見下ろしている。
「……あまりこの子をいじめないでやってくれるかしら。見ての通りとても繊細な子なの」
ヒヤリと背筋を撫でるような、冷たく透き通るような声に、子供たちの喉がゴクリ、と鳴った。
ロイには、話してみてほしいと言われたものの、どうにも素直になりきれず、一番年かさの少年が恐怖を隠すための、精一杯の虚勢を張って、つい乱暴な言葉を投げかけてしまう。
「……お、おまえ!魔女なんだろ!その小鳥はお前の手下か?勇者のお兄ちゃんをたぶらかして、また何か悪いことを企んでいるのかもしれないけど、俺たちは、もう、騙されないからな!」
「そ、そんな言い方したら、ダメだよう……!」
隣の少女が泣きそうな声で、少年の服の裾を引く。
ナナミは自分の頭の上で、芸術的なオブジェと化した髪の中で、未だにぶるぶると震えているピィと、しばし無言で見つめ合った後で、ふと口元に“例の”下手くそな、ぎこちない笑みを浮かべた。
それだけで子供たちは、絶望した。
自分たちはとんでもない相手に喧嘩を売ってしまったのだと、幼い魂が本能で戦慄した。
「そうよ、私はこわーい魔女よ。言うことを聞かない、元気な子供は私の大好物だわ。とても食べ甲斐がありそうだもの。ふふ、今日のお夕飯は美味しいお鍋にでもしようかしら」
「ぎゃーーーーー!」
「に、逃げろー!本当に食われるぞー!」
「勇者のお兄ちゃんの、うそつきーーー!」
子供たちの阿鼻叫喚の叫び声が、遠くに聞こえなくなるまで、ナナミはその場に立ち尽くしていた。
やがて、彼女は頭の上のピィと再び無言で見つめ合った。
「……そんなに怖い?」
「ピィッ」
めっちゃ怖いです、とでも言いたげにピィは力なく一声鳴いた。
ともかく彼にとっての災難は去った。
ピィはようやく、一息をついていた。
「ナナミ、お前その頭一体どうしたんだ!?」
仲間たちとの話が一段落し、こちらへやって来たロイが彼女のその斬新すぎる髪型を見て、驚きの声を上げる。
彼はひと騒動があったことなど、知る由もなかった。
ロイは仕方ないな、という顔で彼女の髪を優しく整えてやる。
頭のてっぺんでは、居心地のいい場所を見つけたとでも言いたげに、ピィが、誇らしげにふてぶてしくくつろいでいた。
「子供たちと、少し遊んでいただけよ」
「……あいつら、何か失礼なこととか言わなかったか……?」
ロイは心配そうに尋ねる。
「……いいえ?とても喜んでくれたと思うわ?ね、ピィ」
「ピピィ!」
「……?」
首を傾げるロイの横で、ナナミはほんの少しだけ、楽しそうに微笑んだ。
いや、一般的には微笑みとは思わないナナミの表情も、長い時間を共にし微細な変化にも気づくようになったロイには楽しそうだなくらいにしか思わなかった。
そんな、穏やかな広場の空気を無遠慮に切り裂くように、複数の重々しい足音が鳴り響いた。
険しい顔をしたレオンが、立ち上がり皆の先頭に立つ。
白銀の甲冑に身を包んだ、十数人の聖騎士団が教会を取り囲んでいた。
「これはこれは、大聖堂の忠実なるお犬様が、こんなにも大勢で、この寂れた教会に一体何用で?ようやく、我々貧乏人にパンの一つや二つ、あるいは、ゴルドの一枚や二枚をご寄付いただける気になったのか?」
レオンの皮肉と挑発に満ちた声が、響き渡る。
この者達から教会を守る意思がひしと伝わる。
「貴様ら掃き溜めの者たちと、下らない会話をしに来たわけではない。退け」
聖騎士団の先頭に立つ、とびっきり気位の高そうな男がハエでも相手にするかのように冷たく言い放つ。
しかしレオンは、その厳つい顔ににこやかな笑みを浮かべたまま、退く気はないとでも言いたげに、その場に立ちはだかっていた。
「貴様、我々聖騎士団に逆らうとただではおかないぞ!」
「はっはっは!ただにしてもらわねーと、うちの教会じゃあんたらに出せるもんなんて、何一つなくってねぇ」
「……ふざけるのも大概にしろ!神官長様からの直々のご命令が出ている!ここに、忌まわしき魔女を匿っているであろう?」
魔女という言葉に、どきりと胸が高鳴ったロイは、咄嗟にその背中に、ナナミを隠した。
ジリジリと仲間たちも、ナナミを守るように集まってくる。
突如、子供の一人がレオンの大きな身体の横をすり抜け、聖騎士団の元へとちょこちょこと走っていった。
張り詰めた空気の中に投じられた、あまりに無垢で無防備な小さな存在。
「エナ!来てはいけない!戻るんだ、後ろに下がってなさい!」
レオンが普段の彼からは想像もつかないほど、切羽詰まった制止の声を上げるが、好奇心は恐怖に勝ってしまったのかその声は少し遅かった。
「エナ、待ってよ!」
釣られてか他の子供たちも、まるで母親の後を追う雛鳥のように、次々とエナの後を追ってしまったのだ。
「あのね、聖騎士団のお兄ちゃんたち。私のお父さんとお母さんがね、お仕事で大聖堂に行ったきり、もうずーっと、帰ってこないの。どこにいるか知らない?」
エナと呼ばれた少女が、純粋な瞳で切実に質問を投げかける。
「……知るか!貴様ら平民の両親のことなど、我々の知るところではない!御託はいいから、さっさと忌まわしき魔女を我々に引き渡せ!」
聖騎士のリーダー格の男が、虫でも払うかのように冷たく言い放つ。その瞳には、一瞬だけ何かを隠すような、自らの罪を指摘されて苛立つような、複雑な色がよぎったのを、ロイは見逃さなかった。
「だってお兄ちゃんたちは、大聖堂で働いてるんでしょう?だったらお母さんとお父さんが、どこにいるか知ってるはずなんだもん!」
「くどい!子供を連れて、とっとと退け!」
「……」
子供たちが出てきてしまっては、もうどうしようもない。
レオンが彼らを庇うように、大きな身体で抱え仕方なく後ろへ下がろうとした、その時だった。
「役立たず!嘘つき!お前ら大聖堂が父ちゃんと母ちゃんを、どこかに隠してるんだ!」
同じように大聖堂から両親が帰ってこない、もう一人の少年が悔し涙を浮かべながら、小さな手で地べたの砂を掴むと、聖騎士団に向かって力一杯投げつけた。
「……貴様!これ以上の狼藉は許さん!神に逆らう不届き者め!その汚れた子供ごと、切り捨ててやる!」
激昂した聖騎士の一人が、長大な剣を大きく、何の躊躇いもなく、無慈悲に振りかぶった。
その剣の切っ先が、午後の陽光を鈍く反射する。
レオンは咄嗟に、子供たちを守るように大きな背中を丸めた。
誰もが息を呑み、血も凍るような惨劇を覚悟した。
しかし、その剣が振り下ろされることはなかった。
「……これは」
それはナナミの、静かな祈りだった。
剣が振り下ろされる、刹那。
音もなく、絶対的な力をもって、淡く優しく光るバリアが、例えるなら空間そのものが彼女の意志に応えて凝縮したかのように現れ、レオンたちを温かい光で包み込んでいた。
それはいかなる攻撃も通さない、神聖にして不可侵なる、護りの奇跡。
振り下ろされた剣は、その光に触れた瞬間、甲高い音を立てて弾かれるのではなく、まるで柔らかな水に受け止められるように、その全ての勢いを完全に殺された。
思わず一行は、ナナミへと振り向いた。
「ナナミ、ダメだ。それ以上はお前の身体が……」
ロイの悲痛な静止の声も、もう今の彼女には届かなかった。
彼女はロイの手をそっと振り切り、ゆっくりと前に出た。
その背中には悲壮なまでの、揺るぎない覚悟が宿っている。
前に立ったナナミは鋭い視線で、聖騎士団の全てを魂ごと射抜くかのように睨み見る。
「私が、魔女よ。二百年前に魔王を封印した、大魔女マリナ・マチルダの、その血を引く最後の子孫。私の名は、ナナミ・マチルダ」
その名乗りと共に、潮風が妙に強く吹き荒れた。
ナナミの猫の毛のように柔らかい、美しいミルクチョコレート色の髪が、激しく揺れる。
彼女から放たれる、只者ではない圧倒的なオーラに、歴戦の猛者であるはずの聖騎士団の男たちが、思わず身震いした。
彼らもまた神に仕える者である。
だからこそ、痛いほどに分かるのだ。
目の前のか細い少女が、これほどまでに邪悪で、おぞましい呪いをその身に背負いながら、それでもなお、恐ろしいほどに深く、執拗なまでに女神エデルに愛されているという、あまりに矛盾した冒涜的な事実を。
「その、禍々しい呪い……」
「べつに、解いてほしいと願ったことはないのだけれど。この大聖堂には私を蝕む呪いを、解けるほどの腕をたつ者がいるのかしら。アストリア各国の名だたる巫女たちでさえ、匙を投げたというのに」
本当は仲間たちにこんな形でバレたくはなかった。
けれどもう、ここまで言われてしまっては隠しようもない。
ナナミは諦めを顔に浮かべる。
挑発的な言葉に、聖騎士たちの顔色が変わる。
彼らの心臓を見えざる手に、鷲掴みにされるような感覚。
各国の巫女も、自分たちの主である巫女ミハエラですらをも、凌駕するほどの女神エデルの寵愛を受けている、この少女に。
正直な話奇跡の力で、敵う者がいるはずがないのだ。
「……ここは、聖域。そこまでの呪いの状態を、これ以上、放っておくわけにはいかない。直ちに大聖堂まで、ご足労願おう。神官長様が直々にお呼びである」
「……」
ナナミは少しだけ考えた後、こくりと静かに頷いた。
「待て!」
ロイが駆け寄り、ナナミの腕を強く引いた。
どうしても嫌な予感がやまなかった。
「ナナミを連れていくというのなら、俺たちのことも一緒に連れていけ!」
「ならぬ。魔女一人のみの大聖堂への立ち入りを許可する、とのご命令だ」
「あたし達は勇者一行よ!あんたたちの巫女様も、アストリアを救えって神託を出したんでしょう?それなのに立ち入りを禁ずるなんて、どういう理由があるのかはっきり教えなさいよ!」
クロエもナナミの肩を抱き、まるで自分の妹を守るかのように負けじと聖騎士団を睨みつける。
「神聖なる、女神エデルに最も近いとされる祈りの場に素性の知れぬ、一般の者たちをおちおちと立ち入らせるわけにはいかないのだ」
「ナナミはその呪いのせいで、今一番、不安定な状態なんだ。一人で行かせるなんて尚更心配に決まってるだろう。彼女は私たち勇者パーティの、大切な要なんだからね」
シルリアも、その凛とした声で強く抗議する。
彼らが口にする、淀みない言葉。
その一つ一つがナナミの胸に、温かく、少しだけ痛く響いた。
彼らは呪いのことを、今知ったのだろうか。
そして、私を庇うために必死に口裏を合わせてくれているのだろうか。
それとも、もっとずっと前から知っていたのだろうか。
知っていて、それでも何も言わずに、ただそばにいてくれたのだろうか。
「もし僕たちが入っちゃダメだと言うのなら、別にそちらの巫女様や、偉い神官様をこの教会に呼んだって、良いんだよね?」
クラリスが、美しい顔に挑戦的な笑みを浮かべる。
「そもそも旅人一人、まともに癒せないような神官も巫女も、俺たちは全く信用しちゃいねえしな」
「おい、ナナミ。お前またみんなに迷惑をかけるかもしれない、とか馬鹿なことを考えて、こいつらに素直に従おうとしてるのかもしれねーけどよ。こんな力ずくで乱暴な奴らに従う必要なんて、これっぽっちもねーんだぜ?」
ジークとナックも、いつでも戦えるように、背中の武器を、ゆっくりと背負い直しながらナナミを見つめる。
ナナミは自分を守るように、再び分厚い壁となって立ちはだかる仲間たちの、大きな背中を、惚けたような、どうしようもなく愛おしいとでもいうような
、そんな表情で一人、一人、見ていった。
そこでようやく確信できた。
彼らは、知っていたのだ。
ずっと前から、この醜い呪いに気づいていたのだ。
私が自分から話すまで、ただ黙って、何も言わずに守ってくれていたのだ。
これまで、一人で全てを背負ってきたと思っていた、重い、重い荷物を、実は、このかけがえのない仲間たちも、ずっと一緒に、少しかもしれないが背負ってくれていた。
そんな事実に、彼女の固く凍てつかせて封じ込めていた心の氷が、ぱきり、と音を立てて、意図せず溶けていく。
何か言いたそうに、その唇を僅かに開いた後で、やっぱり何も言わない、とでも言うようにぎゅっと、固く、口を噤んだ。
ありがとう、だなんて。
あまりに軽すぎる気がしたから。
「貴様ら、好き勝手言いおって!」
「そっちがその気なら、こっちだって!」
一触触発。
張り詰めた空気が、今にも弾けそうになった、その時。
ナナミがさらりと、仲間たちの壁の中から前に出た。
彼女の周りだけ重力を感じさせないような、ふわりとしなやかに前に立っていた。
「そこまで」
穏やかなのに圧倒的なオーラが、辺りをしんと静まり返らせる。
恐らく彼女が本気を出せば、ここにいる戦う意志のある者たちは、全員一捻りで塵と化すだろう。
だから誰もが息を呑み、少女の次の動向を見守るしかできなかった。
「…………」
「無駄な争いは、もうやめにしましょう。私たちが争う理由なんてどこにもないはずでしょう?」
「けどナナミ!こいつらは!」
「構わないと、言っているの」
有無を言わさない強い声に、ロイはぐっと、言葉を詰らせた。
「私は、私たちは、何も悪いことなんてしていないわ。それなのにどうして?怯えて、隠れていなければならないの?」
そう言うと彼女は自ら聖騎士団の方へと、向かっていってしまう。
去り際に一目だけ、心配そうに自分を見つめる子供たちに優しい目をくれた。
「あなた達のお父さんとお母さんのこと、私が必ず連れて帰ってくるわ。約束よ」
「……!」
子供達は、ハッと息を呑む。
そしてナナミは最後にロイの目を、真っ直ぐに見た。
「……ナナミ」
「なぜ今生の別れみたいな顔をしているの?大丈夫。またすぐに会えるわ」
キラリとロイがかつて彼女に贈った髪飾りが、別れ際の午後のまろい太陽の光を受けて、輝いた。
力なく地面に膝をつくロイ。
グッと拳を握りしめる。
やっぱり、納得できなくて背中を追いかけようとしたところで、二人の聖騎士団員が彼の前に立ちはだかった。
「どうかお納めください、勇者殿。これ以上事を荒立てるのであれば、貴方様もまた魂の天秤にかけなくてはならなくなります」
「魂の、天秤……?」
その謎めいた言葉にロイが眉をひそめていると、レオンと聖騎士団員の男が、一瞬だけ謎めいた視線を交わした後、聖騎士団は何も言わずにナナミを連れて立ち去ってゆく。
本当にナナミは行ってしまった。
「……悪いな、勇者さんよ。少しだけ、俺に付き合ってくれるか?」
レオンがナナミが連れて行かれた方向とは、全くの反対側を大きな親指で指し示した。
途方に暮れたロイはもはや力なく、レオンの広い背中を追ってついて行くしかなかった。




