7-3「救世主」
レオンと名乗る僧侶に案内された教会は、大聖堂へと続く大通りから外れた、まるで忘れ去られたかのような海岸線の近くに、ひっそりと佇んでいた。
潮風に晒され続けた煉瓦は、色を深くし建物の至る所には蔦が、意図して飾られたかのように生命力豊かに生い茂っている。
そこはただの古びた教会ではなかった。
長い年月、この地で多くの人々の祈りと、喜びと尽きることのない悲しみを受け入れ、全てと共にあり続けた「生きた場所」だけが持つ、不思議な温かみに満ちていた。
ロイたちは言葉を失い、懐かしいような歴史ある美術品のような荘厳な佇まいを、ぼーっと眺めていた。
その時だった。
教会の年季の入った木の扉が、ぎぃ、と音を立てて開き、中から何やら賑やかな声が堰を切ったように溢れ出してきた。
「レオンだー!おかえりー!」
「レオンー!腹減ったぞー!今日のご飯はなんだー?」
「こら、お前たち。お客人の前だぞ。はしたない真似をするんじゃない」
「おきゃくじんー?誰だおまえ?」
元気だけは有り余っているといった様子の子供たちが、わらわらと教会から現れる。
突然のことに何も言えずにいるロイとクラリスは、あっという間に、好奇心に満ちた小さな瞳の輪に完全に囲まれてしまった。
「失礼なことを言うなよ!いいか?よく聞け、お前たち。このお客人らはな、あのアストリアを救うために、遥か遠い国から旅をなすってる、本物の勇者様とそのお仲間たちなんだぞ?」
レオンが少しだけ誇らしげにそう紹介すると、子供たちの目の色が一変した。
キラキラと光る目を一斉に2人へと向ける。
「えー!?ゆうしゃさまー!」
「すげえ!本物か!?」
「わあ!その肩に乗ってる、なつっこい小鳥!すっごくかわいい!ねえ触らせてよ!」
マントをぐいぐいと引っ張られたり、足にしがみつかれたりしてロイとクラリスは完全にタジタジだ。
気高きピィは無邪気という名の暴力から逃れるべく、絶対に触られまいとひらりと舞い上がってロイの頭の上に着地し、迷惑そうに小さな嘴を尖らせている。
「ほら、お前たち!シスターのお手伝いはもうすんだのか?昨日まで雨だったから、洗濯物が山のようにたまっていたはずだぞ?それに、飯の時間はまだずっと先だ」
「うげ!そうだった!」
「やべえ!シスター・アガサを怒らせると、三日は口利いてくれねえんだぞ!」
「早く行こ!」
まるで嵐が過ぎ去ったかのように、子供たちは一目散に教会の中へと戻っていく。
再び、穏やかな静けさが戻ってきた。
遠くから聞こえる、寄せては返す波の音だけが、耳に心地よい。
「すまねえな、騒がしくて。あの子らは、この教会で預かっている孤児なんだ」
「いえ、とんでもない。元気そうで、なによりです」
ロイたちは確信していた。
この人は間違いなくいい人なのだろうと。
子供たちの屈託のない笑顔を見ただけで、この古びた教会がどれほど温かい場所に満ちているかすぐに分かったからだ。
「遅くなったが俺はレオン。レオン・マルセリウスだ。よろしくな」
「俺はロイ・シリルです。この小鳥はピィで、それでこの子はナナミ。こちらこそよろしくお願いします」
「僕はクラリス・ブレイクリー。ここは、とても素敵なところだね。癒やしの精霊たちが、こんなにも幸せそうにしている場所は初めて見たよ」
「ほう、お前さんは精霊使いか?そりゃあ頼もしいな」
レオンはにかりと、その厳つい顔に笑顔を浮かべた。
話しながら教会の中へと入る。
中はどこもかしこも非常に古びてはいたが、隅々まで丁寧に掃き清められ、使い込まれて滑らかになった長椅子や祭壇が温かい光沢を放っている。
手入れがとても行き届いている証拠だった。
女神エデルを模した、色褪せたステンドグラスから午後の柔らかなまろい陽光が差し込み、教会の中を優しい神聖な光で照らしていた。
レオンに導かれ教会の一番奥にある、清潔な空き部屋に通された。
質素だが潮風が心地よく吹き抜ける小さな窓があり、手作りの温かいキルトがかかったベッドがぽつんと置かれている。
ようやくナナミをそこに寝かしつけることができて、ロイとクラリス、そしてピィは心の底から安堵のため息をついた。
「いやあ、正直ついて来てくれなかったらどうしようかと思ってたところだよ。……そこの嬢ちゃん、見たところ相当酷い呪いの状態だ」
ロイがナナミの額の汗を拭ってやっていると、レオンが、静かに断定的な口調でそう言った。
その言葉は穏やかだった部屋の空気を、一瞬にして凍りつかせる。
今までクラリスが気づいていないと思っていたロイは、激しく焦った。
「あ、あの、いや、それは……その、長旅の疲れが、出ただけで……」
「やっぱり、この国の聖域にいることが彼女の身体に影響を与えているのかな」
だがロイの必死の取り繕いを遮るように、クラリスは冷静にそう言った。
彼は薄々ナナミの状態が、ただの疲労ではないことに気づいていたのだ。
「ほう。さすがは精霊使いだな。あんたの言う通りだ。この国はそこらの聖域とはわけが違う。国そのものが、女神エデルの強力な神聖力で満たされている。……こんなに濃い呪いをその身に宿したまま、この国にいることは、それこそ身を灼かれるような苦しみだろうよ」
「見ただけで、そこまで分かるんですか……?」
「あんまり俺を見くびってくれるなよ。これでもこの国で神官を何十年もやってるんだぞ?」
レオンはそう言って悪戯っぽく笑った。
「ちなみに……この呪いを解いたりすることは……」
ロイは藁にもすがる思いで尋ねた。
「……すまないが、俺の手に余る。あるいは大聖堂の巫女様なら……。だがなぁ……今は少し難しいかもしれん」
その含みのある言葉に、ロイはがっくりと肩を落とした。
本当にナナミのこの呪いを解く手段は、この世のどこにも存在しないのではないのだろうか。
その深い絶望が、再び彼の心を暗く支配し始める。
レオンはロイの様子を察したかのように、静かに話を続けた。
大聖堂は今や富裕層や要人のためだけの場所となり、かつてのように貧しい人々や旅人を受け入れることはなくなったこと。
その結果、行き場のない人々が古びた教会に追いやられてきていること。
「おかげさまで、この教会は毎日が火の車よ。人手も、金も、何もかもが全く足りなくてなぁ」
そう言って彼は、何もかもがすっかり変わっちまったと、心底残念そうに呟いた。
「……」
「……」
その言葉を聞き、ロイとクラリスは静かに深く、目を見合わせた。
この兆候は、もう何度も経験した嫌な予感がする。
ロイは意を決してレオンに告げた。
これまで廻国した国々での出来事。
自分たちは魔王の魂が宿っているかもしれない、国々にある「大切なもの」を探していること。
調査のために、しばらくこの国に滞在したいこと。
しかし宿がいかんせん、法外なほど高くて泊まることができないという切実な事情を。
「最近様子がおかしい、この国の大切なものとか、何か心当たりは……」
「うーむ、全く心当たりが無いわけではないがな。この国もアストリアの中では歴史のある国だ。それこそ国宝級の代物は山のようにあってなぁ。すまんがこれだ、と即答はできなくて悪いな」
その代わり、とレオンは続けた。
「あんたらの事情はよく分かった。俺で力になれることがあるなら、何でも言ってくれ。セレスティア聖教国にいる間はこの教会に泊まっていくといい」
「ほ、本当ですか!?とても助かります!」
ロイは思わず大きな声を上げた。
「はっはっは!いや、助かるのはこっちの方だ!」
レオンはにやりと、その風貌によく似合う。と言ったような、人の悪い楽しげな笑みを浮かべた。
その言葉を合図に、ロイとクラリスの教会での、怒涛の共同生活が始まりの鐘を鳴らす。
孤児たちの世話、終わりのない洗濯と掃除、幾十人分もの食事の準備。
先ほども聞いた通り、教会はいつも火の車で、明日食べるパンの当てすらない状態だった。
けれどレオンも、教会で働くシスターたちも、子供たちには、せめてお腹いっぱい食べさせてやりたい、という強い気持ちを持っていた。
クラリスがピィと共に、その美しい竪琴の音色で子供たちをあやしている間に、ロイは凄まじい勢いで、溜まっていた家事を次々とこなしていく。
手際の良さはかつて王城で、様々な雑用をこなしてきた経験からくるものだろうか。
自身の今まで培った知識を最大限にフル活用していた。
「野菜のスープにはミルクを足してシチュー風のスープにすれば、味もまろやかになるし、お腹によく溜まるし、栄養も取れる」
「この汚れにはナナ草を擦り付けてから洗うとよく取れるんです。白い衣服も意外と色移りしないんだ!」
「まあ、ロイ様!なんて働き者なのでしょう!まさに天から遣わされた救世主様ですわ!」
年配のシスターたちが声を合わせて、ロイの素晴らしい働きぶりに目を輝かせ、指を組み感謝を述べている。
「はっはっは!違いない!こりゃあ頼もしいもんだな!どうだい?次の就職先は教会ってのは?!」
レオンも手を止めることなく、巨大な寸胴鍋で炊き出し用のスープを豪快に仕込みつつ、干されていた洗濯物を次々に取り込んでいた。
「……それって喜んでいいのか〜?!」
神官という、本来であれば尊敬されるべき立場でありながら、どんな雑用でも文句の一つも言わずに、キリキリと真摯に働くレオンの姿に、ロイは真の「神に仕える者」の、気高い魂を垣間見た気がした。
ロイは教会の天井を見上げ、同じ空の下にいる仲間たちへと心の中で叫んだ。
(みんな悪いけどできるだけ早くこっちに来て、手伝ってくれ〜!)
ここでの手伝いは非常に大変だという、正直な愚痴でありながら、温かくも少しだけ騒がしい場所で、仲間たちと落ち合って少しでも早く一緒に過ごしたいという彼の本心でもあった。




