7-1「聖域」
イル=シャル国の熱砂を後にしてから、幾日が流れただろうか。
一行が次なる目的地「セレスティア聖教国」へと向かう旅路は、これまでとは少しだけ様相を変えていた。
魔獣の咆哮が砂漠の静寂を破るたび、ロイは誰よりも先にその剣を抜き、先陣を切って飛び出していく。
「うらぁぁぁぁぁあ!!」
「ロイ!右からもくる!」
「こんのおおおおお!」
「やるじゃねーか!こっちは任せろ!」
「はぁっ…はぁっ……」
次々に襲いくる魔獣を悉く倒してゆくが、その背中には焦りにも似た悲壮なまでの決意が漲っていた。
全てはナナミにこれ以上、魔法も奇跡も使わせたくないから。
彼女が細い指が魔法を使うたびに彼女の魂が、生命そのものが削り取られていく。
奇跡の祈りを捧げれば捧げるほどに、彼女の精神がすり減らされている。
イル=シャル国で知ってしまった残酷な真実の数々が、ロイを強迫観念のように突き動かしていた。
多少の切り傷を負ったとしても、決して彼女に奇跡の祈りを捧げさせはしない。
旅の始まりのようにダメージを負ったならば苦いポーションを飲み干し、精霊たちの力を借りて痛みを紛らわす。
如何にナナミの奇跡の力に頼りきっていたのだろうか。痛いほどに身に染みた。
無茶で無謀な彼の決意を仲間たちもよく、理解していた。
ナックは屈強な身体を文字通りの盾とし、ジークはより的確な指示を飛ばし被害を最小限に抑え、シルリアとクロエは息の合った連携で、ロイが決して孤立しないよう左右を固める。
クラリスの奏でる癒やしの旋律が傷ついた仲間たちの痛みを、僅かながら和らげていた。
魔法も奇跡も使わせてもらえない状況に、ナナミは、後方でただ仲間たちの戦いを見守りながら、戸惑いを隠せないでいた。
自分の存在価値が、この一行の中から消えてしまったかのような微かな寂しさと焦り。
同時に自分に頼らなくても、これほどまでに強くなった仲間たちの背中を、誇らしい気持ちで見つめている自分もいた。
複雑な感情を彼女は誰にも打ち明けることなく、ただ胸の奥に仕舞い込んだ。
険しい旅路の末、ようやく一行の目の前に白亜の都がその姿を現した。
国全体が聖域とされ、アストリアで最も女神エデルの領域に近いと謂れる、セレスティア聖教国。
アストリア一小さな国と言われながら、その中心には天を突くかのような、アストリア一大きな大聖堂が、絶対的な存在感を放って聳え立っている。
国の民の大半が聖職者であり、街には神に仕える者特有の清廉でどこか近寄りがたい空気が流れていた。
白い鳩が祝福するように空へと羽ばたき、大聖堂から鳴り響く荘厳な大鐘の音が、一行の到着を歓迎しているかのようだった。
ゴォーンと国中に響き渡るほど澄んでいる荘厳な音にも関わらず、どこか空虚に響き渡る。
街は塵一つないと錯覚するほど綺麗に舗装され、白銀の甲冑に身を包んだ聖騎士団が、厳格な面持ちで警邏にあたっている。
頼もしそうな姿とは裏腹に、彼らの眼差しは行き交う民ではなく、常に大聖堂の方ばかりを向いていた。
この国はかつて多くの旅人たちが、最後の希望を求めて訪れた場所。
装備品を扱う店も、アストリアで最も充実していると聞いていた。
なるべく節約を心がけたいが、ないものは調達せねば始まらない。
一行はまず、長旅で消耗した装備を整えるべく、街一番と評判の店へと向かった。
立派な店構えとは裏腹に、店の中は嵐が過ぎ去った後のように、がらんとしていた。
商品棚は寂しく、所々がすっからかんだ。
心許ないながらも、なんとか必要なものをいくつか買い足し、要らなくなった装備を売り払った後で、ナックが店の主人に屈託のない声で話しかけた。
「なあ親父さん。セレスティアって、旅人がたくさん寄るから、こういう店はいつ来たって品物が充実してるって聞いてたんだが、何かあったのか?もしかして、俺たちの前にとんでもねえ金持ちの旅人軍団でも来たのかよ?」
店の主人はナックの大きな身体と、その脇に立つ、いかにも訳ありな一行の姿を値踏みするように見た後、やがてロイの灰色の瞳に気づくと、はっとしたように態度を少しだけ和らげた。
「おお……あんたさんの、その珍しい灰色の瞳。もしかしてルミーナから出てこられたっていう、勇者様御一行かい?こりゃあ、とんだご無礼を。……すまねえな。勇者様がこんなに早く来なさるって分かってりゃあ、もう少し棚を整えておいたんだが。なにせ最近は旅人がセレスティアに寄る機会も、めっきり減っちまってね。商売あがったりってやつなんだよ」
店主は心底残念そうにそう言うと、窓から見える陽の光を浴びて煌々と輝くセレスティア大聖堂を、苦々しげに見上げた。
セレスティア大聖堂。
アストリア全教会の総本山。
昇華の奇跡や復活の奇跡さえも行使できるという、アストリア中の巫女代表や高位の神官たちが、日々世界平和のために祈りを捧げている聖なる場所。
大きな戦争や災害があった際には、国境を越え腕の立つ神官や聖女が、救いの手を差し伸べるために派遣される。
その門は来る者は誰も拒まない。
だからこそ、死と隣り合わせの旅をする者たちは、必ずこのセレスティア聖教国に立ち寄るものだった。
旅の途中亡くなってしまった仲間がいれば、その魂を安らかに天へと導く、昇華の儀式が必要になる。
運良く巫女様に会えれば、復活の奇跡だって叶うかもしれない。
回復士がいない旅路であれば、深刻な怪我や病気、厄介な呪いを受けた際には最後の砦となる、必要不可欠な場所のはずだった。
「何か変わったことでもあったのか……?」
ロイが尋ねると店主は急に声を潜め、辺りを気にするようにキョロキョロと見回した。
「……最近の大聖堂は少しおかしいんだ。昔はどんな貧しい旅人でも、怪我人でも、分け隔てなく受け入れてくださったんだがね。どうも今は様子が違げえんだ。いや、もちろん巫女様がお悪いわけじゃねえと俺は思ってる。あのお方はもう即位されて30年以上。いきなり大聖堂の方針を変更なさるお方じゃねえ。」
「へー」
ロイはミハエラをかつて出会ったアウリナ熟練の巫女のように想像する。
巫女のリーダーとなる人は、よほど貫禄があるんだろうなと。
うんうんと納得するように店主の話に相槌を打った。
「……問題は周りにいる肥え太った神官たちさ。あいつらが全部牛耳って、大聖動を自分たちの懐を肥やすための場所に変えちまったんだ」
「……」
「今じゃ大聖堂の門を潜れるのは、たんまりお布施を寄付できる金持ちか、どこぞの国の偉いさんだけさ。俺たちみてえな貧乏人や、みすぼらしい格好の旅人は門前払いよ」
店主はそこまで一気に話すと、はっと我に返ったように慌てて口を噤んだ。
「……と、まあ、そういうわけだ。すまねえな、勇者様。大した品揃えもできなくて」
「んやぁ、我々下々の者には大聖堂様が一体何を考えとんのか、さっぱり分からんでよお」
そう言って彼は、もうこれ以上は何も話さない、というように固く口を結んでしまった。
どうにも煮え切らない。
ただこの国の異常性を知るには十分すぎる返事をもらったまま、一行は装備屋を後にする。
歩いている間に、ナナミの顔色がまた青白くなっていく。
奇跡も魔法も使わせていないのに、よほど呪いの状態が深刻なのだろうと思い知る。
一刻も早く彼女を休ませてやらなければ。
ロイの焦りとは裏腹に、一行はこの国のもう一つの異常性に直面することになる。
「一泊、一部屋で1ゴルドです」
なんてことのない、ごく普通の外観の宿屋。
その主人が悪びれる様子もなく、法外な値段を提示してきた。
「い、一泊一部屋、1ゴルドですって!?」
金銭感覚に比較的疎い、財布の紐も非常に緩い、クロエですら分かるほどの、異常な価格設定に素っ頓狂な声を上げた。
今までの国々であれば、豪華な食事を付けてもせいぜい30ブロン、ふかふかのベッドにプールのある高級な宿屋でも50ブロンが妥当な金額だ。
ちなみに1ゴルドあれば、一般庶民が一月もの間、贅沢三昧好き放題やって、悠々自適に過ごせるほどの価値がある。
「あんた、あたしたちの足元見てるんでしょう!ぼったくりにも程があるわよ!第一、一泊一部屋1ゴルドなんて一体どんな部屋よ!ぜーんぶ金箔塗りだとしてもおかしい金額なんだけど?」
「おやおや、お嬢ちゃん。お言葉が過ぎるようだねぇ。これが今の相場ってもんさ。お気に召さないなら他を当たってくだすって結構だよ」
宿屋の主人はにやにやと、意地の悪い笑みを浮かべるだけだった。
何軒かの宿屋を回ってみたが、どこも示し合わせたかのように同じような値段だった。
とてもじゃないが泊まれない。
一行は街の外れで野宿することも考え始めた。
しかし、それすらもこの国では聖騎士団によって厳しく禁じられているという。
進むも地獄、退くも地獄。
神に一番近いと言われる国で、一行は完全に途方に暮れてしまっていた。




