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ruth story  作者: Cy


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6-10 「誰もおいていかない」



薄暗い地下室。

乾ききったこの国の中でここだけがじっとりと湿り、黴と腐臭、濃厚な血の匂いが混じり合った陰湿で邪悪な空気が淀んでいた。

壁を伝う水の雫が不規則なリズムで床を打ち、静寂を際立たせる。

ゆらめく蝋燭の炎が黒装束に身を包んだロゼム教団員たちの、狂信的な光に満ちた瞳を不気味に照らし出していた。


彼らの視線の先、冷たい石の祭壇の上にはナナミが気を失ったまま横たえられていた。

両腕にはあらゆる魔力を封じるという、魔封石の枷が重々しくはめられている。

使徒たちは、これから始まる神聖な儀式の生贄をまるで極上のご馳走でも眺めるかのように、歪んだ欲望に満ちた目で見下ろしていた。


床にはおびただしい量の魔獣の血が撒かれ、その赤黒い液体で、ナナミが眠る祭壇を取り囲むように複雑で禍々しい古代呪文の魔法陣が描かれていく。

祭壇の先には空間そのものを切り取ったかのような、真っ黒に塗りつぶされた巨大な鏡が鎮座していた。

この世ならざる世界と繋がるためのゲートか、あるいは生贄の魂を映し出し、染め上げるための呪具なのか。

鏡に向かい使徒たちが人の声とは思えない、低く、不協和な響きを持つ古代呪文を、永遠と唱え続ける。

その呪文が最高潮に達した時、ピシッ、とガラスにひびが入るような乾いた音が響いた。

ゆっくりとナナミの瞼が開かれる。

その瞳孔は美しいライラック色ではなく、燃えるような鮮血の赤に染まっていた。


***


「だめだ!どこにも気配がない!」

「なぁ、このまま闇雲に探し回ってたんじゃ埒があかねぇ!一度王宮に戻って女王に助けを求めるしかねえ!」

「精霊達も街を満たす邪悪な気に怯えきって、何も話してくれないんだ……」


街中を駆けずり回った仲間たちの声には焦燥と、どうしようもない無力感が滲んでいた。

本当にもう手立てはないのか。

全力で疾走したせいで、ドクンドクンと激しく脈打つ心臓の音が、耳元で警鐘を鳴らしているかのようにうるさく響いてくる。


ナナミは強いから大丈夫だ。

きっと、どんな苦しみにも耐え抜いてくれるはずだ。

自分が贈ったすごい髪飾りだってある。

アリアもとんでもない加護があると言っていた。

絶対に、死にはしない。

万が一のことがあっても、どんな手を使ってでも生き返らせる。

大丈夫。

絶対、大丈夫だ。

ロイは必死に自分に言い聞かせた。


でも脳裏に、ルミーナの港で見た彼女の朗らかな笑顔が浮かんでしまう。

強いとはいえ、攫われて怖いにきまっているんだ。

どんなに耐え抜いてくれたとしても、酷いことをされれば痛いに、苦しいに決まっているんだ。

生き返らせることができるとしても、死んで欲しくなんて、絶対にない。


ぐっ、と熱い思いが込み上げて、目頭から溢れ出しそうになる。

それを仲間に悟られたくなくて、ロイは再び目的もなく走り出した。


「おい、あいつ、あんな体力あったのかよ……」

呆れるナックの声を背に、仲間たちもまた負けじと手分けをして、どんな些細な情報でもいいからと、絶望的な街を駆け抜けて行く。


「くそっ!」

行き止まりの路地で、ロイは石壁を思い切り殴りつけた。ごつごつとした石の感触が、皮膚を裂き、拳から血が滲む。

「ピィ……」

不安そうにピィがロイを見上げる。

この程度の痛みでは、心を焼く焦燥感は少しも和らぎはしなかった。

こうしている間にも、ナナミにどれほどの危害が及んでいるかもしれないのに、自分は何も出来ない。そんな事実が彼をもどかしさで狂わせそうだった。


「そんなになるまで探しちゃって。あの子のこと、そんなに大切なの?」

いつの間にか、彼の側にロエベが音もなく腰掛けていた。

その問いかけは、とても無邪気でひどく残酷だった。

「……姉ちゃんのが、100億倍可愛いのに」

ぽつりと、本心とも冗談ともつかない言葉が口から漏れる。


「……大切だよ。すごく大切なんだ。あいつは強いのに、本当はすごく弱いやつなんだ。人のためになら自分のことなんて、いくらでも後回しにする。ほっといたら、いつか簡単に壊れちゃいそうで……怖いんだ……。」

ロイの言葉は途切れ途切れで、ひどく弱々しかった。


「ふぅん。じゃあさ、アストリアを救うために旅してる勇者様に聞くけど。もしあの子がアストリアの敵になったとしても、それでも君はあの子を救うの?」

ロエベの瞳が試すようにロイを射抜く。

それは彼が姉であるクロエにも問いかけた、この世界の根源的な問いだった。


ロイは血の滲む拳を石壁から下ろし、ぎゅっと目を閉じたまま、しばらく何も言わなかった。

彼の呼吸が苦しげに震えていた。

あの呪いの存在が即決を許してはくれない。

仲間たち、アストリアの平和、そして、ナナミ。彼の心の中で、天秤が激しく揺れ動く。

やがて彼は震える息を整え、静かに言葉を紡いだ。


「……アストリアが滅んでもいいなんて、全く思わない。誰も犠牲になんかさせたくない。……だけど」


彼は、ゆっくりと目を開けた。そして、まっすぐにロエベの瞳を見返す。その美しい灰色の瞳の奥には、もう、一片の迷いもなかった。


「“ナナミを捨てて守ったこの世”に、俺の居場所なんて、どこにもないんだ。

どれだけ綺麗で立派な正義を掲げたって、そのためにあいつを泣かせるなら、それは絶対に間違ってる。

だから俺はナナミの味方でいる。たとえこの世界の全てが、あいつの敵に回ったとしても。

それが俺の選んだ、アストリアの救い方だって信じてるから」


ふっと、乾いた風が吹いたような感覚がロエベの胸を撫でた。

意地悪な問いを投げかけたはずの自分でも知らないうちに、その口元が微かに緩んでいた。

揺らいでいた心が、覚悟を決めたかのように高鳴る。


「……やっぱり、バカだな。大バカやろうだ。出来るかも分からないのに、理想論ばっかりで。姉ちゃんと同じだよ、まったく。……もっと嫌なやつならすっぱり吹っ切れたのにさ」

ロエベはわざと大きな溜め息をつき、自分の桃色の髪をくしゃくしゃと掻き回した。

「バカに囲まれてると、自分も夢を見たくなっちゃうじゃんか」


ロイの真っ直ぐに輝く瞳を、どうしても見返すことができない。


「ロエベ……何か、知っているのか?」

「はぁ。……みんなを集めて。ロゼム教団の根城をぶっ叩くから」






***


ロエベの情報を元に、一行はカルト教団のアジトへと乗り込んだ。

地下へと続く入り口は、むせ返るような悪臭を放っている。

健常な人間であれば、数分と留まるだけで気が狂ってしまいそうな程の陰鬱とした邪悪な空気が、一行の行く手を拒むようにまとわりついていた。


地下深く、魔獣の血に沈んだ儀式の間。

そこではナナミを新たな魔力の「器」とする儀式が、まさに最終段階を迎えようとしていた。

魔封石で魔法を封じられ、冷たい石の祭壇に横たわるナナミ。

やがて使徒たちの呪文がぴたりと止み、ナナミがぎこちない動きでゆっくりと起き上がる。

その瞳孔が不気味なほど鮮やかな、赤色に染まっていた。



起き上がったナナミは、自らの腕にはめられた魔封石の枷を紙でも引きちぎるかのように、容易く破壊した。


「なっ!?お、お目覚めになられたのか!?」

使徒の一人が、驚愕と歓喜の声を上げる。

「…………」

ナナミは何も答えない。

その美しい顔には、深い、深い悲しみの色が浮かぶ。

けれど瞳の奥では赤い炎が激しく燃え盛っていた。彼女は無慈悲に近くにいた使徒たちの胸ぐらを掴み、圧倒的な力で壁へと叩きつけていく。


そこにロイたちが駆けつけた。

「ナナミ!」

ロイと目が合った瞬間、使徒の胸ぐらを片手で持ち上げていたナナミは、ハッとして、その美しい目を見開いたまま、ぴたりと動きを止める。


ロイは彼女を奪い取るように、その細い身体をきつく、抱きしめた。


「戻れ、戻れ、戻れ……!帰ってきてくれ、ナナミ!」

まるで呪文のように、その言葉を繰り返した。

彼の中では謎の儀式の供物にされ暴走してしまった彼女の「呪い」を鎮めるための、魂からの祈りだった。

やがてナナミの瞳から燃えるような赤色がすうっと引き、元の優しいライラック色へと戻っていく。


「ロイ?……何を、言っているの?」

彼女は何が起こったのか分からないといった様子で、珍しく困惑しつつ不思議そうに彼を見上げた。


そのタイミングを見計らったかのように、ロエベが手配したイル=シャル石の屈強な衛兵たちがなだれ込み、呆然としていた教団員たちを次々と取り押さえていった。


「あーー、やっと一網打尽にできた。ご協力どーもー。魔法少女ちゃん。君みたいに美味しそーで、上質な魔力を持ったご馳走なら、教団の連中が総出で儀式をしてくれると思ったんだよね〜」


ロエベは肩をコキコキと鳴らしながら、全く反省の色も見せずに、にこやかに礼を言った。

ナナミはそんな彼を、氷のように鋭い視線で睨みつけた。

「よくも人を散々利用してくれたわね。本気で引っ叩くわよ。そこになおりなさい」

「ひえー、こわいこわい。ねえー勇者くん、この子、ぜんぜんか弱そうに見えないんだけど」


軽口を叩くロエベを無視して、ロイはただナナミの顔をじっと見つめていた。

「ナナミ?おまえ、もう、本当に大丈夫なのか……?」

「大丈夫もなにも、奇跡の力を使いすぎて寝てしまっただけよ。心配をかけてごめんなさい」

「……謝るのは、俺らの方だよ。無茶をさせてごめん。」


思うことは山ほどある。

彼女の力の正体、彼女が隠していること。

他にも聞きたいことはたくさんある。

けど、今はただ彼女が無事であったこと、いつもの彼女が自分の腕の中に戻ってきてくれたこと。

ロイはその温もりを、ただひたすらに噛み締めるのであった。

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