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ruth story  作者: Cy


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6-4「再会」


謁見の間でロイは何も出来ず、ただ固い床に膝をついていた。

彼の灰色の瞳には深い絶望と、燃え盛る怒りが渦巻いている。

だがその怒りの矛先は、目の前の退廃した女王にではない。

もっと大きくて抗いようのない、この世の理不尽そのものに向けられていた。


そんな中、クロエの桃色の瞳と寝台に横たわるアミーラの桃色の瞳が、濃密な香の煙越しにふと交わった。


***

「みてみて!ねーちゃん!第一王女さまだよ!」

「しっ、ロエベ!アミーラさまはおいそがしいのよ!あたしたち末端とはちがうんだから!あっ……」

幼き頃のアミーラと瞳があったかと思われたあの瞬間が、クロエの頭の中で鮮明に蘇る。

「いまねーちゃん、第一王女さまと目があった?」

「バカなこといわないの。そんなわけないじゃない」


自らも王族の血を引いているにもかかわらず。

幼い弟の手を引き、王宮の長い廊下をまるでドブネズミのようにこそこそと這いずり回った記憶。


目立ってはならない。


それがこの美しくも残酷な牢獄で生き抜くための、幼い彼女らが編み出した知恵だった。

ここでは出る杭は容赦なく引きちぎられるのだから。


何人もの兄弟がいた。

ずば抜けて頭の良い兄。

誰よりも力の強い姉。

人形のように器量の良い妹。

みないとも容易く、その命を奪われていった。

ある者は食事に盛られた毒で。

ある者は自室で首を吊った姿で。

ある者は生きたまま業火に焼かれて。

そんな権力争いの小さな世界の中で、クロエとロエベはただ息を潜めて必死に生きてきた。


絶対的な存在、第一王女アミーラ。

彼女こそが王族の権力争いの渦中にいるはずだったが、その存在は常に例外だった。

王に一番近しい血筋でありながら、彼女は国を担う巫女でもあったからだ。

巫女に手をかける行為は、女神エデルへの叛逆に等しい。

神への冒涜はこのアストリアでは許されざる重罪。だからアミーラは誰にも揺るがすことのできない、絶対的で圧倒的な存在だった。

誰も逆らえない。誰も超えられない。


だからこそクロエは憧れたのだ。

まだ国が傾く前の、若き日のアミーラは勤勉で誰よりも真摯な巫女だったから。

国の行く末を憂い、民のために祈りを捧げるその姿は神々しくさえあった。

あの日、遠くから見つめていた彼女と瞳があった時にクロエは確かに感じたのだ。

僅かながらでもあの人と同じ高貴な血が、自分にも流れているのだと。

そう思うと幼い心は誇らしさに躍った。

王族にのみ引き継がれる、美しい花の色を映したかのような桃色の髪と瞳。

それは孤独な彼女にとって唯一の絆のようにも感じられた。



***



桃色の長い髪をふわりと揺らし、クロエは舞を踊る。

弟のロエベもおぼつかない足取りで姉の真似をして共に踊っていた。


「クロエ様はお母様にお顔だけでなく、その優雅に踊る姿もそっくりでらっしゃること」


たった一人、クロエとロエベにだけ付けられた気の知れた優しい侍女が、にこやかに拍手をした。

誇らしげな顔をするクロエ。

その横で踊っている最中に転んだロエベが、不満げな顔をしていた。


「ねえ、お母様のお話をもっと聞かせて!」

「ええ、もちろんですとも。クロエ様とロエベ様のお母様は、それはもう、イル=シャル国一の踊り子でございました……いいえ、アストリア一と言っても過言ではございません!その月光の下で舞うお姿に、国王陛下が一目惚れされて……」


もう二度と会えない母の話。

美しく、気丈で、気高く、素晴らしい踊り子だったという母。

クロエ自身の記憶にはその面影は朧げにしか残っていない。

だから侍女が語ってくれる母の優しい思い出の話で、その空白を必死に満たしてゆく。


「僕もかーさまにあいたい」

母に会った記憶のないロエベはぷくりと頬を膨らませ口を尖らせ、侍女にもたれかかる。

「まぁ!甘えたさんですこと。坊ちゃん、坊ちゃんもこの国のために大成を成せば、きっと天にいらっしゃるお母様にお会いできますよ」

「うん!!」

素直なロエベはその言葉を信じ、再び舞の練習へと戻ってゆく。

王族の暮らしとしてはあまりに慎ましくも穏やかな日々。

けれどそんな日々が決して長くは続かないことを、クロエは幼い心で知ることになる。


***


「アーディル様が、お亡くなりになったって……」

「まだあんなにお若いのに……お可哀想に……」

城の片隅で交わされる召使たちのひそやかな会話。


死というものが、まだ漠然としか分からない年頃に、兄弟姉妹が勢いを増して次々と暗殺されていった。

毒殺、自殺に見せかけた他殺、不慮の事故に見せかけた謀殺。

ある日を境に、忽然と行方が分からなくなった者もいた。


「……」

「ねーちゃん、どうしたの?」

「なんでもない。ロエベ、お姉ちゃんからはなれるんじゃないわよ」

「……?」


やがてその毒牙はクロエにも容赦なく襲いかかった。

ロエベと共に眠っていた寝室に音もなく忍び寄る影。

その濃密な殺気に気づいたクロエは考えるより先に、舞った。

舞うように迫り来る凶刃を避け、舞うように枕元に置いてあった護身用の短剣を手に取り、相手の胸を突いた。

生ぬるい液体が、彼女の小さな手にべったりと染み付く感触。




赤い。ひどく、赤い。




「ねーちゃん……?」

物音に気づき、側で眠っていたロエベが寝ぼけ眼を擦りながら身を起こす。

自分よりもあの母にそっくりな顔の子。

愛しい、たった一人の同じ腹から生まれた弟のはずなのに。


『クロエ、私の可愛い子』


不意に、美しく微笑みかけてくれる母の顔がロエベの顔と重なった。


『私と、一緒に死んでくれるわね?』


心を病んだ母に、その細い首を絞められ殺されそうになった記憶が、何故、今更。

違う、こんなの違う。

自分のの知っている母ではない。

母は優しくて、気丈で、アストリア一の踊り子のはずなのに。

侍女が話してくれた、あの優しい記憶で心の空白は埋め尽くしたはずなのに。



なんで……


『なんて醜い子。美しくないのなら、生きている意味なんてないじゃない!』


美しい鳥のように自由に舞う母にとって、この煌びやかな王宮は息苦しいだけの狭い鳥籠のようなものだったのかも知れない。


「いやぁぁぁぁぁぁあああ!!!!!」


耳を劈くような、己のものとは思えない甲高い悲鳴が血と鉄の匂いが立ち込める寝室に響き渡った。震える手から滑り落ちた短剣が、カラン、と乾いた音を立てる。

目の前には胸から血を流して倒れる男の姿。

その手には自分に向けられていたはずの毒塗りの刃が、鈍い光を放っていた。

生ぬるい液体が指の隙間を伝い落ちる感覚。

赤い。

視界の端で自分の手がひどく赤く染まっているのが見えた。


「ねーちゃん……?」


物音に気づき、側で眠っていたロエベが寝ぼけ眼を擦りながら身を起こす。

その無垢な瞳が目の前の惨状を捉え、ゆっくりと恐怖に見開かれていく。


その瞬間、扉が蹴破られ侍女と数名の衛兵が部屋へと駆け込んできた。


「クロエ様!ご無事ですか!」


侍女が血相を変えて駆け寄ってくる。

安堵が一瞬だけクロエの心をよぎった。

もう大丈夫だ、助かったのだと。

無事保護されると思った、その矢先。

駆けつけた衛兵の一人が死んだ暗殺者の亡骸を一瞥すると、何の躊躇いもなく、その剣先をクロエに向けたのだ。


「ちっ、仕損じたか。だが、ここで終わりだ、姫君」

「貴様、裏切ったのか!」


味方であるはずの別の衛兵が叫び、裏切り者に斬りかかる。

部屋は一瞬にして戦場と化した。

剣戟の甲高い音、怒号、そして新たな悲鳴が狭い室内に木霊する。


この地獄絵図の中であの優しい侍女は全てを悟った。


彼女は血を吐くような顔でクロエの手を強く引き、叫んだ。

「クロエ様、こちらへ!もはや、これまでです!」

侍女はこの日のために用意していたのであろう隠し通路の扉を開き、クロエをそこへ押し込もうとする。


「待って!ロエベが……!ロエベを置いてはいけない!」

クロエは泣き叫び、混乱して立ち尽くす弟の腕を掴んで離さない。

ロエベもまた「ねーちゃん、どこ行くの?怖いよ!」と泣きそうな顔で姉の服にすがりつく。

侍女は涙を堪え、震える声でクロエに告げた。

「お聞きください、クロエ様!今、狙われているのはあなた様お一人です!二人で逃げれば、その目立つ桃色の髪ですぐに見つかり、捕まってしまいます!」

「でも!」

「坊ちゃんはこの私が必ずやお守りいたします!まだ幼い坊ちゃんなら、この混乱の中、いくらでも隠し通すことができます!ですがあなた様は違う!ですからクロエ様、どうか……どうか、生きて……!」


侍女は祈るようにそう言うと、クロエの手をロエベから無理やり引き剥がした。


そしてあらかじめ手配していたのであろう隊商の屈強な男に、宝石が詰まった重い袋と共にクロエの身柄を引き渡した。


馬車の埃っぽく黴臭い荷物の中に、まるで物のように荒々しく押し込まれる。


弟を呼ぶ最後の叫びは無情にも分厚い扉に遮られ、闇の中に吸い込まれていった。

イル=シャル国から、独り逃げ出すクロエ。

ガタガタと激しく揺れる荷台の隙間から、必死に外を覗く。


遠ざかっていく王宮の慣れ親しんだ窓の一つに、ふと人影が見えた。

松明の赤い光が、その影の正体を不気味に照らし出す。

冷たく、何の感情も浮かべずに、ただこの一部始終を逃げ出す自分を見下ろすアミーラの姿。


助けてくれるでもなく、悲しむでもなく、まるで路傍の石でも眺めるかのように彼女はただそこに立っていた。

全身の毛が、総毛立つ感覚。

憧れだったはずの姉の姿が、この瞬間、クロエの心の中で得体の知れない怪物へと変わった。


見捨てられたのだ。

この美しくも残酷な鳥籠から自分だけが放り出されたのだと、彼女は悟った。


***


ハッとして、クロエは顔を覆っていた布を強く抑えた。

あの時自分を冷ややかに見下ろしていた瞳と、今、目の前で虚ろに揺らめく瞳は全く同じ色をしていた。

心臓が嫌な音を立てて、大きく、脈打った。

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