6-3 「虚無の玉座」
ようやく辿り着いたイル=シャルの首都は、旅人たちの胸に抱いていた微かな希望さえ、砂塵と共に容赦なく打ち砕く凄惨な光景を映し出していた。
かつて砂漠の宝石と謳われ、隊商たちが目指したであろう壮麗な建造物群は、今やその大半が流砂に飲み込まれ見る影もない。
青いタイルで彩られていたはずの神殿のドームは、砂と埃に汚れて鈍い灰色と化し、往時の賑わいを偲ばせるものは何一つなく、市場だった広場には乾いた風が虚しく吹き抜けるばかり。
その風は砂の匂いに混じって、病と微かな死の匂いを運んでくる。
道端に力なく蹲る人々の顔には生きる気力すらも涸れ果てたような、深い絶望の色が泥のようにこびりついていた。
虚ろな瞳は目の前を通り過ぎる一行の姿を捉えることさえしない。
淀んだ砂塵の混じる空気が街全体を重苦しく覆い尽くし、呼吸をするたびに喉がひりつくようだ。
骨と皮ばかりに痩せ細り、立つことも叶わぬ幼子が母親の乾いた乳房にすがりつき、恥も外聞も捨てて物乞いをする老人たちの掠れた声が時折風に乗って耳に届く。
「……言葉もないな」
シルリアは唇を噛み締めながらそう呟いた。
彼女の脳裏に浮かぶのは故郷ルミーナ王国の緑豊かな大地と、市場に満ちる活気、人々の穏やかな笑顔だった。
彼の地はこれほどまでに荒廃してはいなかった。
貧富の差こそあれ、民の瞳から希望の光や生きる意志そのものが、消え失せるようなことは断じてなかった。
このまま魔王が復活するかもしれないという状況を放置すれば、いつか自らの愛する国でさえもこのような惨状に陥るのではないか。
その想像は灼熱の空気の中にあっても、腹の底から冷たい泡を生じさせた。
彼女の隣で深くチャドルを被ったクロエは俯き、ただ固く拳を握りしめている。
元この国の王族である彼女の胸には、他の誰にも窺い知ることのできない、灼けるような痛みが渦巻いているに違いなかった。
ロイたちはアリアから託された書簡を握りしめ、かろうじてその威容を保っている城門を守る衛兵に事情を説明した。
しかし彼らの反応は氷のように冷たく、ひたすらに事務的だった。
この終わりなき絶望の中で、彼らもまた人間らしい感情をすり減らしてしまったのだろうか。
瞳は乾いた砂漠のように何も映してはいなかった。
「陛下はご多忙である。いつお会いできるかは確約できぬ。そこらで待っていろ」
書簡を受け取った後でロイたちの顔も見ず、壁の一点を見つめたまま、衛兵はそう吐き捨てるように告げた。
無機質な声には何の抑揚もなかった。
一行は砂埃の絶え間なく舞う城門の前で、ただひたすらに待つことを強いられた。
***
都に辛うじて残っていた一軒の宿に身を寄せ、ほんの束の間の休息を得る。
宿と呼ぶのも憚られるような砂っぽく薄暗い部屋だったが、吹きさらしの砂漠に比べれば天国にも思えた。
ナナミは未だに深い眠りから覚めない。
ロイは時折、彼女の熱い額に浮かぶ玉のような汗を、祈るような手つきでそっと拭ってやる。
時折肌に触れる指先に伝わる熱が、彼女の命が今もなお、懸命に戦い続けている証のように感じられた。
彼は自分の無力さを呪いながら、ただ彼女が目覚めることだけを願い続けた。
陽が中天から傾き、空が燃えるような茜色に染まる頃、ようやく一人の侍従が姿を現し、彼らを巫女にして女王であるアミーラの許へと案内した。
通された王城の内部はかつての壮麗さを物語る痕跡を随所に留めていた。
しかし今や、壁を飾っていたはずの精緻な彫刻は厚い埃に覆われ、祝祭の様子を描いたであろう美しいタペストリーは色褪せ、所々が破れている。
天井から吊るされた巨大なシャンデリアには蜘蛛の巣が張り、あたかもこの国の緩やかな滅びを象徴するかのように物寂しく揺れていた。
けれどもアミーラが待つという、謁見の間だけはまるで別世界であった。
床には異国情緒あふれる豪奢な絨毯が何枚も重ねて敷き詰められ、部屋には心を鎮静させる効果があるという高価な香木が惜しげもなく焚かれている。
甘く濃厚な香りは、外の荒廃と腐臭をかき消すための必死の足掻きのようにも感じられた。
部屋の中央には天蓋付きの壮麗な寝台が鎮座し、その上で一人の女性が気怠げに身体を横たえていた。
豊かな桃色の髪は絹のシーツの上に惜しげもなく広がり、日に焼けたしなやかな肌が透けるほど薄い衣の間から悩ましげに覗いている。
彼女こそこのイル=シャル国を統べる巫女であり、女王であるアミーラだった。
「……ようやく来たか余所者ども。妾の安らかな眠りを妨げるとはなかなか良い度胸をしている」
アミーラは一行に視線を合わせることもなく、手にした柘榴の赤い実を指先で弄びながら、眠気を誘うような声音でそう呟いた。
美しい瞳には世界のすべてを諦観したかのような深い虚無の色が揺らめいていた。
ロイは背負っていたナナミをそっと床に降ろし、流砂の書庫の閲覧の許可と魔王の魂が封じられているやもしれぬこの国の「大切なもの」の破壊許可を、言葉を選びながらも切実に求めた。
彼はこの女王に現実を直視させようと、見てきた光景をありのままに語った。
アミーラはようやく億劫そうに重い瞼をわずかに持ち上げ、一行とナナミの姿を一瞥した。
「……ふん、好きにするがよい。どうせこの国は魔王の魂などという厄介事がなくとも、間もなく滅びる運命よ。どうなろうと妾の関知するところではないわ」
無責任で投げやりな言葉に、一行は言葉を失う。
シルリアは憤りを隠せず拳を握りしめ、クロエは唇から血が滲むほどに噛み締めている。
他の仲間たちも、ただ呆然と女王を見つめるばかりだった。
アミーラは再びナナミへと視線を移した。
虚ろだった瞳がほんの僅かに、観察するような、あるいは値踏みするような光を帯びて細められる。
「ほう……そこの瀕死の娘、貧相な体の割になかなか上質な魔力を宿している。だが代償もまた、大きいと見える」
アミーラから発された、たった一言でロイの心臓が警鐘のように大きく打ち鳴らされた。
「分かるんですか!? どうかナナミを救う方法をお教えください! お願いします!」
ロイはたまらず床に両膝をつき、深く頭を垂れた。彼の声は切迫し、懇願に満ちていた。
アミーラはそんなロイの必死な姿を、珍しい芝居でも鑑賞するかのように冷たい無感動さで見下ろした。
彼女の唇に歪んだ美しい笑みが浮かぶ。
「妾では治せぬ。それにしても不思議なものよな。そこまで事が進んでおっても、そなたらはまだ、『本当のこと』に気づかぬのか?」
全てを見透かし試すような底知れぬ残酷さを秘めた声。
その言葉の真意を測りかね、仲間たちが戸惑いの表情を浮かべる中、一人、ロイだけがその言葉に隠された恐ろしい意味を悟り始めていた。
まだ憶測にはすぎない。
けれどひとつの残酷な答えを形作っていく。
ロイは手のひらに爪が食い込み、血が滲むほどに強く拳を握りしめた。
彼の灰色の瞳の奥深くで静かな決して消えることのない蒼き怒りの炎が、激しく確かに燃え上がっていた。
それは理不尽な運命を強いた世界そのものに向けられた、彼の魂の咆哮だった。
ピィもロイの心の叫びを聞いているのか、悲しそうに見つめるだけだった。




