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ruth story  作者: Cy


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閑話「夜空の向こう側」



意識の浮上と共に、ダイヤモンドダストを散りばめた満天の星々が、紺碧のキャンバスに無限の奥行きをもって広がっていた。

足許には、星影を映してきらめくガラスの回廊が迷宮のごとく幾筋も伸びている。

その薄氷を踏むような回廊の、さらに下。

吸い込まれそうな漆黒の虚無が、底知れぬ口を開けていた。

一歩でも踏み迷えば、この身は永遠の闇へ。

冷たい戦慄が背筋を駆け上る。

ふと天を仰げば、星空へ続くかのような一条の階段が白く細く伸びていた。

闇の恐怖から逃れたい一心で、果てしないと思えるその階を夢中で駆け登る。

息を切らしてたどり着いた最上段には、荘厳なアーチ型の門。

門の向こうには、先ほどより一層深く、吸い込まれそうな星々の海が揺らめいていた。

星々の囁きに誘われるように手を伸ばし、一歩踏み出す。

そこにあったのは、煌めく夜空ではなかった。

逃れたはずの、あの暗黒の奈落。

何の疑念も抱かず、ロイは夜空へ身を投じるように闇へと吸い込まれていった。


次に意識が輪郭を取り戻した時、乳白色の深い霧に抱かれた音のない海辺に佇んでいた。

なぜ此処にいるのか、何を求めていたのか、記憶の糸はぷつりと途切れ何も思い出せない。

ただ目の前に広がる瑠璃色の海原と、寄せては返す白い波の泡沫だけを、時の経つのも忘れ見つめていた。

不意に、霧の帳の向こうから、ロイを射抜くような咎める色を湛えた瞳を持つ人魚の少女が姿を現した。

彼女は何も語らず、ただ細く白い手をロイへと差し伸べる。

その意図を測りかね、差し出された手を取ろうとすると、彼女は何かを拒むように小さく首を横に振った。

以後、人魚はただ虚ろに海を眺めるロイの傍らを影のように寄り添い、静かに見守り続けていた。

彼女の深淵のような瞳の奥に、忘れかけた遠い日の記憶を呼び覚ます不思議な懐かしさが揺らめいていた。


どれほどの時が流れたのか、ロイの胸の内に、この霧の海辺を後にしなければならないという漠然とした焦燥感が芽生え始める。

この儚げな少女を独り残していくことなど到底できなかった。

「一緒に行こう」と手を引こうとするが、彼女は頑なに首を左右に振るばかり。

「もしかして、声が出せないのか?」

問いかけると、人魚は悲しげに自身の細い喉を指さし再びかぶりを振った。

「じゃあ、君の声を探しに行こう」

そう提案すると、彼女の瞳が一瞬潤み、けれどやはり力なく首を振るのだった。


不意に、人魚の手を握っていなかった方のロイの掌を、人魚がツンツンとつついた。

何かを握っている感触がして、そっと開くと、露に濡れた小さな花飾りが自身の指にしっかりと握られていた。

「……これが欲しいのか?」

問いかけると、人魚は小さく頷いた。

その花飾りは、海の精のような彼女の清らかな佇まいに驚くほどよく映えるだろうと思われた。

花飾りを差し出そうと、ロイが手を伸ばしたまさにその刹那。


足元の地面が轟音と共に砕け散り、眼下には再びあの吸い込まれるような奈落が黒々と口を開いていた。

人魚は慌ててロイの手を握り引き上げようとしている。


「手を離せ!君まで巻き添えになってしまう!」

ロイの叫びに、人魚は一層痛ましげに眉を寄せた。

声を発することができなかったはずの彼女が、掠れながらも凛とした声ではっきりと告げた。



「あなたが私を忘れても、私はきっと、また見つけるから」


繋がれた指先が、無情にも引き裂かれる。

ロイの身体は抗いようもなく暗黒の深淵へと引きずり込まれていく。

一雫、また一雫と、人魚の熱い涙が頬を濡らし共に奈落へと落ちていく。

その温もりだけが確かな感触として残った。

「忘れない……絶対に!」

魂の叫びが闇に溶ける。

遠ざかる人魚の顔は、涙に濡れながらも微かに微笑んでいたように見えた。


無限に続くかと思われた落下感がふっと途絶え、身体の重みが戻ってくる。

ゆっくりと目蓋を開けば、そこは現実の世界。

全ては夜の帳が見せた幻だった。

「ロイ、また魘されていたみたいだけど、大丈夫?」

揺れる焚き火の炎に照らされたナナミの心配そうな顔がすぐ傍にあった。

どうやら夜番を務めてくれていたらしい。

彼女の優しい眼差しが、先程の夢で見た人魚の面影と不思議なほど重なって見えた。

「……人魚……」

掠れた声で呟くと、ナナミは怪訝そうに片眉を上げた。

「人魚?失礼ね。私はその人魚から美しい声を奪い取る、海の魔女の方よ。」

ツンと木の棒で焚き火をつつくナナミの姿。

それでもあの切ない声が、耳の奥でいつまでも木霊していた。

「あなたが私を忘れても、私はきっと、また見つけるから」

そして掌には、あの濡れた花飾りの柔らかな感触が、夢の欠片のようにまだ生々しく残っている気がした。

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