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ruth story  作者: Cy


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5-5 「囁く潮騒の中で」



夕暮れの最後の光がアリアの生き生きとした横顔を、まるで熟した果実のような濃いオレンジ色に染め上げていた。

長く豊かな赤毛がきらきらと輝き、細く長い睫毛の影がほんのりと赤らんだ頬に、儚げな模様を描き出す。

もうすぐ紺色の夜の帳がこの港町をすっぽりと覆い隠すだろう。

静かで厳かな宣告のように、あれほど賑やかだった港町の喧騒も、次第に潮が引くように遠のいていくのが感じられた。


「……デートなんて、してる暇、本当はないんだけどな……」

ロイはどうにも落ち着かない気持ちで自分の頬をポリポリと掻きながら、目の前で期待に満ちた瞳を向けてくるアリアから不意な誘いを、やんわりと誠実に断ろうとした。

世界の危機がすぐそこまで音もなく迫ってきているという状況で、そんな個人的な浮かれたようなことで貴重な時間を使ってもいいものだろうか。

いや、いいはずがない。


「うーん、でも平和のためにも、ここは一発あたしとしとくべきだと思うけどなぁ〜?」

アリアはそんなロイの葛藤などまるで気にも留めない様子で、悪戯っぽく蠱惑的にニッと笑い、可愛らしく小首を傾げて見せた。

仕草一つ一つが計算されたものではない、彼女の持つ天性の魅力なのだろう。


「あ〜あ、残念だなぁ。せっかくロイ君と二人きりでデート出来たら、このルミーナのどこが一番怪しいか、何か大切なことをふと思い出せるような気がするのにな〜、ちぇっ」


果たして本気で言っているのか、それともただ単に自分をからかっているだけなのか、今のロイには到底判断がつかない。

ただ海の青さを映したかのような美しい瞳が、隠しようもない純粋な期待に満ちてキラキラと輝いているのを見ると、ロイはどうしても視線から目を逸らすことができなかった。


困り果てたロイが助けを求める迷子の子犬のような目で、背後にいる仲間たちを見やると、それぞれが実に三者三様の彼らの性格を実によく表した反応を見せた。

ナックとジークはもう隠す気もないとばかりに、ニヤニヤとその悪戯っぽい口元を歪め、「行ってこいよ、勇者様!」「たまにはそういうのも、いいんじゃねえか!」と、面白そうにどこか羨ましそうに囃し立てる。

純情な弟の初めての恋路を全力で応援する兄のような、それでいてからかいの色を隠しきれていない、何とも言えないものだった。

クロエはどこか顔が引き攣ったような、ひどく曖昧な笑顔を浮かべたまま、ロイとは決して視線を合わせようとせず、ただ小さくこくりと頷くだけだった。

伏せられた長い睫毛の奥で、一体どんな感情が渦巻いているのか、今のロイには到底窺い知ることはできない。

クラリスは「わぁ、素敵だね!もしデートに行くなら、どんなお話をしたのか、後でこっそり僕にも聞かせてね!」と、瞳を無邪気にキラキラと輝かせ、なぜかこの緊迫感の欠片もない状況を心の底から楽しんでいるようだ。

シルリアに至っては、顔にぐるぐると巻かれた白い布が彼女の表情というものを完全に覆い隠しており、何を考えているのか全く、これっぽっちも読み取れない。

微動だにしない佇まいからは、どこか張り詰めたような、確かな緊張感がピリピリと伝わってくるようだった。

そしてナナミは。……やはり、いつものように完璧な無表情で、ただじっと、感情の色を一切映さないライラック色の瞳で、ロイとアリアの顔を、値踏みでもするかのように交互に見つめているだけだった。

静かな瞳は嵐の前の、不気味なほどに凪いだ湖面のようだ。


「ぴ、ピィ、お前は……どう思う……?」


最後の唯一の頼みの綱とばかりに、いつも自分の肩に乗っている小さな相棒に、ロイはすがるような思いで問いかける。

ピィはそのクリクリとした愛らしい瞳でロイの顔をじっと見上げると、全てを悟ったかのように誇らしげに一声鳴いた。

「ピピピッ!」(案ずるな。これもまた、勇者としての試練の一つであろうぞ。存分に楽しんで来い!)

小さな体から発せられた声と、自信に満ちた表情はまるで「何をためらっているのだ、この若造めが。たまにはそういう浮いた話の一つや二つ、経験してくるのもよかろう。後の土産話、期待しているぞ」とでも言いたげで、ロイは最後の頼みの綱であったはずの砦を、あっけなく無情にも失ってしまったかのような深い絶望感に襲われた。


「……はぁ……分かったよ、アリア。付き合う。付き合えばいいんだろ」

もはや観念したかのように、深いため息を一つつき、照れくささと諦めがないまぜになった複雑な表情でぷいとそっぽを向いた。

「で、でもな!ぜ、ぜぜ、絶対に期待なんかするなよ!俺、そういうの、その、デートとか、今まで一回も行ったことないんだからな!だからなにをどうすればいいかなんて、全然、これっぽっちも分かんねーかんな!」

初心で、可愛げのある捨てゼリフに、精神年齢がおそらく幼い男子レベルで止まっているであろうナックとジークは、再び「きゃーきゃー!」「ひゅーひゅー!」と、甲高い歓声を上げて腹を抱えながら囃し立てる。

「おー!ロイも隅に置けねえな!ついにモテ期到来か!?」

「頑張れよっ、勇者!俺たちがしっかり応援してっからよ!」

「お、お前らなぁ……面白がってんじゃねーぞ……!」

ロイは顔をリンゴのように真っ赤にしながらも恨めしそうに、無邪気な笑顔を向ける二人を睨みつける。

「もー、みんなったら、そんなに揶揄わないであげてよ〜!男の子と女の子が二人きりでちょっとお出かけするくらい、なーんにも特別なことなんて無いんだから〜。ねぇロイ君?」

アリアは困ったわ、とでも言うように可愛らしく自分の頬にそっと手を当てて、そう言いながらもその口元には満更でもなさそうな、柔らかな笑みがはっきりと浮かんでいた。

アリアの様子を、隠しようもない不満げな表情を浮かべたクロエがじろりと横目で見つめ、顔に布を巻いたシルリアは布の奥で微かに眉を寄せ、大丈夫だろうかロイは本当に大丈夫なのだろうか、と本気で心配しているような、そんな気配を漂わせる。

ナナミは……やはり何を考えているのか、完璧な無表情からは何一つとして読み取ることはできなかった。

ただ水平線の向こうに沈みゆく、燃えるような夕暮れの最後の光が、彼女の美しい輪郭を、どこか物悲しく静かに照らし出していた。


***




翌日アリアから指定された待ち合わせ場所ーー

港町を一望できる小高い丘の広場、中央に設えられた古びた噴水の前で、ロイはどうにもこうにも落ち着かない様子で、そわそわとアリアの到着を待っていた。

時折肌を優しく撫でていく潮風が、ほんのりと海の香りと、どこか甘い花の香りを運んでくる。

空は雲一つない快晴だった。

やがて石畳を軽やかにステップするような、楽しげな足音と共に待ち人であるアリアが姿を現した。

彼女は普段の活動的で快活な海女姿や、簡素なワンピース姿とは少し違い、淡いピンク色の可憐なリボンで丁寧に結い上げた赤い髪に、首元と袖口に白いレースがふんだんにあしらわれた、見るからに上質で可愛らしい小花柄のワンピースを身に纏い、明らかに、今日のこの日のために精一杯オシャレをしてきたことが窺えた。

ロイの姿を認めたアリアは、一瞬、くりくりした瞳をきょとんと丸くし、それから次の瞬間には、もう堪えきれないといった様子で、ぷっと小さく笑い出した。


「?」


ロイは自分の格好に何かおかしなところでもあったのだろうかと、思わずきょろきょろと自身の服装を見下ろす。

「ふふふっ、ロイ君ったら昨日と全く同じ格好じゃない!もしかして、寝間着もそれなの?」

アリアに悪戯っぽくどこか楽しそうにそう指摘され、ロイはきょとんとした、何を言われているのか分からないといった表情をする。

たとえ自国であるルミーナ王国に戻ってきたとはいえ、彼の服装はこれまでの長い旅の道中と何ら変わり映えはしなかった。

頭には、いついかなる時も手放せない愛用のゴーグル、少しばかり色褪せたカーキ色の丈夫なマントを肩から羽織り、動きやすさを重視したシンプルなシャツとズボンに、長年の使用で程よく足に馴染んだ革のブーツ。

そして今では相棒でもある伝説の剣を、片時も離さずに差している。

それが今のロイにとっての正装であり、日常だった。


「まるでこれから戦いにでも行くみたいじゃない!勇者様は、デートの時もそんな感じなの?」

アリアはくすくすと、鈴を転がすように楽しげに笑いながら尋ねる。


「お、おう!いつ、どこで戦闘になってもいいように、準備だけは常に万端にしてるんだ!」

ロイは何を言われているのかよく分からないまま、しかしとりあえず胸を張ってそう答えるが、アリアは呆れたように、けれどどこまでも楽しそうに小さく首を振った。

「もー、今日だけは物騒な戦いはお休みにしましょ!ほら、ぐずぐずしてないで行こっ!」

「あ、お、おい!アリア!」

そう言うとアリアは何の躊躇もなくロイの腕を、その小さな手でぐいっと力強く掴み、太陽のような笑顔を向けて勢いよく駆け出した。

不意を突かれたロイは彼女の見た目によらない、意外なほどの力強さに引かれるまま、朝日にきらめく石畳の道を少しばかりぎこちなく駆け出すしかなかった。


どこまでも青く澄み渡った空と、寄せては返す絶え間なく耳に心地よく響く潮騒の音。


活気に満ち溢れた港町を二人は、昔からの知り合いのように、あるいはこれから恋が始まるかもしれない若い男女のように肩を並べてゆっくりと歩いた。

新鮮な海鮮料理が自慢だという地元で人気の賑やかな食堂で、少し遅めの昼食をとり、午後は異国の珍しい品々が所狭しと並ぶ、見ているだけでも楽しいアンティーク雑貨の店を覗いたり、甘い香りに誘われて焼きたてのパンを頬張ったり。

この年頃の男女なら、きっと誰でも一度は経験していそうな、ごくありふれた他愛のない時間の過ごし方。

しかしロイにとっては、一つ一つが初めて経験することばかりで、平常心を意識すればするほどどうにもこうにも動きがぎこちなくなり、初めて剣を握った日のようにひどく畏まってしまうのだった。


太陽がゆっくりと西の空へと傾き始め、空の色がオレンジ色から紫色へと移り変わろうとする頃、どこまでも続く紺碧の海がパノラマのように見晴らせる、街外れの静かな高台にぽつんと設えられた古い木のベンチに、アリアが「はぁーっ!」と、満足そうに息をつきながら、どさりと勢いよく腰を下ろした。

白く美しい額にはうっすらと玉のような汗が滲んでいる。

「悪い、アリア!俺、全然気づかなくて……。もっと早く、休憩しようって言えばよかったな」

普段何日もぶっ通しで歩き詰めても平気な顔をしている、クロエやシルリアといった、ある意味人間離れした体力を持つ女性陣と行動を共にすることにすっかり慣れてしまっていたせいで、普通の女の子であるアリアの体力を、全くと言っていいほど考慮していなかった自分自身にロイは内心で激しく舌打ちする。

無意識のうちに彼女に無理をさせてしまっていたのかもしれない。


「ううん、全然平気だよ!あたしの方こそロイ君を一日中あちこち付き合わせちゃってごめんね。でも、すっごく楽しかった!」

アリアは少しも嫌な顔一つせず、聖母のようなどこまでも柔らかな微笑みをロイに向ける。

屈託のない心からの優しさに触れるたび、ロイは胸の奥深くがじんわりと温かくなるのをはっきりと感じていた。

きっと、こんな優しくて明るい子と一緒になれたら、どんな苦労があっても一生笑って幸せに暮らしていけるんだろうな。

柄にもなく、本当に柄にもなく、そんなことをふと考えてしまうほど、彼女はとても魅力的で優しい人だった。

不意にアリアがそれまでの楽しげな雰囲気とは少し違う、吸い込まれそうなほど真剣な深い眼差しでロイの瞳をじっと見つめた。


「……あとさロイ君て今、好きな子とか気になる子がいるでしょ?」

「どへっ!?え!?な、な、なんで、いきなりそんなこと聞くんだよ!?」


予想外の核心を突いた言葉に、ロイは素っ頓狂な、カエルが潰れたような声を上げる。

心臓が破裂しそうなくらい大きく跳ね上がり、顔にカッと、まるで火がついたように血が上るのが自分でもはっきりと分かった。


「あれー?その感じだと、自分でもまだ気づいていないんだー!?うっそー、鈍感すぎー!」


アリアはロイの狼狽ぶりを、面白い玩具でも見つけた子供のように、あっけらかんとした楽しそうな態度で、悪戯っぽく大きな瞳を細める。

心当たりが、ないわけではない。

いやむしろありすぎるくらいだ。

ただ、まだ臆病で不器用な自分の心が、どうしようもなく厄介な事実に、気づきたくなかっただけなのかもしれない。

胸の奥深くで、いつの間にか静かに密やかに育ちつつある、危ういまでに柔く、どうしようもなく切ない感情に。

アリアはそんなロイの内心を見透かしたかのように、ふっと優しい表情になり、そっと視線を水平線の彼方へと移し、穏やかなどこか諭すような声で続けた。


「……あのね、でもね。あたしが今日ロイ君を無理やりデートに誘ったのは、どうしても一日だけでも、君に戦いのことを忘れて、少しでも心から休んで欲しかったからなんだ」

「へ?お、俺のために……?」

「うん。たぶん、ロイ君、自分では気づいていないかもしれないけど、すごく疲れているんじゃないかなって、思ってたから。勝手に勇者にさせられちゃって、アストリアの平和を守るっていう、とんでもなく重たい役目を無理やり背負わされて……」

そうだ、そうだった。

旅を始めたばかりの頃は、確かにそう思っていた。

自分にはこんな大役、あまりにも荷が重すぎる。

こんな、いつ死ぬか分からないような危険な役目、誰が好きでやるものか

――(絶対に無理だろ、俺なんかにできるわけない……)。

あんなにも、ひねくれて、やさぐれて、後ろ向きなことばかりを考えていたはずなのに。

一体、いつからだったのだろうか。

このどうしようもない世界を、そこに生きる人々を、守りたい、救いたいという熱い思いが、自分の心の奥底から、泉が湧き出るように芽生え始めていたのは。

広い、広すぎるアストリアの世界を、仲間たちと少しずつ旅していくうちに、出会ってきた数えきれないほど多くの人々の顔が、次々と脳裏をよぎる。

理不尽な魔獣からの攻撃にただ黙って苦しみ、耐え忍ぶしかない人々の、切実な助けを求めるような瞳。

それでも懸命に生きようとする人々の、ささやかな日常の中に、奇跡のように健気に咲くたくさんの笑顔。

そして想像を絶するほどの困難を、仲間たちと共に乗り越えた先で、向けられる「ありがとう」という、何物にも代えがたい温かい感謝の言葉。

それら全てがかつては劣等感と無力感の塊でしかなかった、ちっぽけなロイの心を確実に、静かに、大きく変えていっていたのだ。

「いや……今は、そんなに大変だとか辛いとかは、あまり思っていないんだ……。むしろ、みんなと一緒だから……」

ロイはぽつりぽつりと、自分自身に言い聞かせるように、胸の内にあった正直な気持ちを語り始めた。

かけがえのない仲間たちとの旅が、今では彼にとってどれほど楽しく、そして生きがいになっているかということ。

かつては目を背け、ただ嘆くだけだった自分の弱さや不甲斐なささえも、ほんの少しずつではあるけれど、正面から受け入れられるようになってきているということ。

なんでこんな風に変われたんだっけ。

誰のせい、なんて、そんな風に他人のことばかりを責めていた、卑屈な時期も確かにあった。

でも、今は違う。

誰のおかげなんだっけ。

支えてくれる大切な仲間たちの顔が、次々と心に浮かんでくる。

なぜかこんな時にも、いつもは無表情で何を考えているのかさっぱり分からないはずの、あのナナミの顔ばかりが、他の誰よりも鮮明に強く心に浮かんでくるのだろうか。

まだ言葉にはできない、誰にも明かしたことのない秘めた想いを、ロイはそっと胸の奥深くにしまい込んだまま、夕焼けに染まる空を見上げ、静かに確かな決意を込めて言葉を紡いだ。


「……俺なんかに、出来るのかどうかは分からないけど……もし出来るならこの世界を救いたいって、今は本気でそう思ってるよ」


「もう、ロイ君ったら、『俺なんか』なんて絶対に言わないで!」


「君だって、女神エデルに愛されているのに、どうしてそんなに自信がなさそうなの?」


「どうしても、ナナミちゃんに目がいっちゃうけどね、ロイ君だって普通じゃない愛を得ているんだよ?」


それまでただ黙って優しい瞳でロイの言葉に耳を傾けてくれていたアリアが、不意に強い口調でロイの手を温かく柔らかな小さな手でぎゅっと握りしめ、五月雨式に捲し立てる。

小さくて滑らかな手は驚くほど温かく、力強く、ロイの心をまるで陽だまりのように優しく包み込んでくれるようだった。

「ロイ君の魂はね、すごく優しくて、温かい色をしてるんだよ。だからきっと、こんなにも素敵な仲間たちが自然と君の周りに集まってきたんだね」

アリアはロイの大きな手を、自分の小さな両手でそっと包み込み、どこまでも澄んだ海の色の瞳で、まっすぐにロイの灰色の瞳を見つめる。

真摯で、全てを見透かすかのような眼差しにロイは言葉を失い、ただ彼女の瞳を見つめ返すことしかできなかった。

側から見れば美しい夕陽に照らされた若い二人はそれはそれは睦まじく、ロマンティックな良い雰囲気に包まれていた。

どこまでも穏やかで甘酸っぱい空気を、鋭利な刃物で切り裂くかのように、突然、氷のように冷たく威圧的な声がすぐ背後から降ってきた。


「これはこれは、アストリアを救う勇者様と、我がルミーナの誇り高き巫女様が、こんな寂しい場所で、一体、何を内緒で語り合っていらっしゃるのかな?」


声の主は、王城でシルリアを厳しく詰問していた、彼女の父であり、ルミーナ王国が誇る第一近衛兵団の騎士団長、シルヴィウスだった。

両脇にはまるで主人の影のように、物々しい雰囲気を纏った屈強な部下を二人従え、威圧感は周囲の空気を一瞬にして凍てつかせるほどだった。

ロイの背中にヒヤリとした嫌な悪寒が走った。


「世界の危機がすぐそこまで迫っているというこの非常時に、随分と悠長なことをしていらっしゃるご様子ですな。感心、感心」


シルヴィウスは口元こそ僅かに皮肉な笑みを浮かべているが、鋭い瞳は全く微塵も笑っていない。

痛烈なまでの皮肉を真正面から言われても、ロイはあまりの威圧感と、シルリアの父であるという負い目からか、相変わらず何も言い返すことができない。

ただ隣に座るアリアだけが、ムスッとした、明らかに不快感を露わにした顔で、シルヴィウスを真っ直ぐに睨みつけた。

「我が娘が、いつまで経っても屋敷に帰って来ませんので、少々心配になり、こうして探しに来たのですよ。あなた方のような、先の見えぬ、いわば道楽のような旅に、いつまでもあの子を付き合わせている暇など、ユイリーシャ家の娘にはないのだよ」

父親としての娘への心配というよりも、むしろ家の体面や伝統を重んじる、冷徹な支配者としての顔が、色濃く滲み出ていた。

「シルリアを……」

ロイがようやく何かを言いかける前に、シルヴィウスは既に決定された事項を、ただ淡々と告げるかのように、冷ややかに続けた。

「近々、良家の子息との見合いをさせようと思っている。お遊びのような魔王討伐の旅には、代わりに別の腕の立つ者を補完させましょう。それがあなた方にとっても、あの子にとっても、我が家にとっても、最善の道だ」

あまりにも一方的な宣言。

有無を言わせぬ、絶対的な威圧。

もしこれが旅に出る前の頃のロイであれば、きっと、ただただ縮こまり、何も言い返せずに黙り込むだけだっただろう。

しかしこれまでの数々の過酷な旅で得た経験と、かけがえのない仲間たちへの深い想いが、彼の口から思わぬ、自分でも驚くほどの言葉を漏れさせた。

「……シルリアは本当に納得しているんですか?彼女自身の意志は、そこにはないのですか?」

彼の中から純粋に、自然に湧き出てきた疑問だった。

いや、本当は誇り高いシルリアが、そんな理不尽なことを、やすやすと受け入れるはずがないと、心のどこかではっきりと分かりきっているのに、それでもつい、言葉が口をついて出てしまったのだ。

シルヴィウスの長年の苦労を物語るかのように深く刻まれた顔の皺が、不機嫌そうにさらに一層深くなるのが分かった。

「あの子の意志などこの際、関係ない。ユイリーシャ家に生まれたからには、ユイリーシャ家の決定に黙って従ってもらう。それがこの家の伝統であり、掟なのだからな」

どこまでも冷たく非情な言葉を聞いて、ロイはほんの少しだけほっとしてしまっていた。

シルリアが決して本心からそれを望んだわけではない、ということがはっきりと分かったからだ。


「やだ〜、騎士団長サマったら昔から相変わらず頭が堅っ苦しいんだから!そんなんじゃいつまで経っても子離れできないし、大切なシルちゃんに本気で嫌われちゃうゾ!」

それまで黙って二人のやり取りを聞いていたアリアが、空気を読まない子供のようにわざと明るく茶化すような声でそう言った。

明るい声の裏にはシルヴィウスに対する、明確で痛烈な非難の色がはっきりと込められている。


「……巫女様こそ、女神エデルに仕えるご身分であることを、くれぐれもお忘れなきよう。市井の者とお付き合いになるのは結構ですが、“友”というのは選ばねばなりませんぞ。お立場というものをよくお考えいただきたい」

シルヴィウスはアリアの挑発的な言葉にも少しも動じず、ただ冷ややかに一瞥しそう言い放った。

ばちばちと、目に見えない激しい火花が二人の間で激しく飛び散るような息詰まる睨み合い。

やがてシルヴィウスはふんと鼻を鳴らし、それ以上話す価値もないとでも言うかのように踵を返し、物々しい雰囲気の部下と共に夕闇の中へと去っていった。



「もうっ!シルのパパって、本当に昔っからあんな感じなんだから!超絶嫌味〜な性格してるよね!ぷんぷん!」

シルヴィウスの姿が見えなくなると、アリアはわざとらしく肩を怒らせて可愛らしく頬を膨らませて見せたが、瞳にはまだ怒りの色がちろちろと小さな炎のように残っていた。

「ん、あはは……まあ、そう怒るなって。でも、こりゃまずいことになったな……。シルリアが心配だ……」

ロイはどこか乾いた笑いを漏らしつつも、残された仲間の身を心の底から案じる。


「……そろそろ本当に帰ろっか。今日は色々と付き合ってくれて本当にありがとうね、ロイ君」

夕闇がすっかりと港町を覆い尽くそうとする中、アリアが名残惜しそうに少し寂しげにそう告げた。

すぐ近くの崖下からは、満ち始めた潮が岩に打ち寄せる力強い波の音が、辺りには大きくどこか物悲しく旋律を奏でながら響き渡っている。

「……あのね、ロイ君。ルミーナの、あたしたち巫女が守ってきた『大切なもの』の正体なんだけどね……それはこの海の、ずっとずっと深い底にあるの」

アリアはふと立ち止まり、ぽつりと誰に言うでもなくそう呟いた。

いつもの太陽のような快活さとは程遠く、どこまでも重く深く沈んでいる。


「昔からこのルミーナの海域の全てを守って来てくれていた、『潮汐の真珠ちょうせきのしんじゅ』っていう、それはそれは大きくて美しい真珠なの。海の様子がおかしくなって、魔獣がやたらとこの近海に寄って来たり、漁師さんたちが困るくらい魚が獲れなくなったりしてたから、もしかしたらとは思ってたんだけど……」

まさか、それを壊さなきゃいけないなんて……。

絞り出すような深いため息と共に吐き出されたアリアの言葉の一つ一つが、ロイの胸に鉛のように重く冷たく突き刺さる。

ロイは黒く、不気味なほどに荒れ始めた夜の海をじっと見つめながら、そんなアリアの痛切な想いをどう受け止めればいいのか分からず、ただ声をかけることしかできない。


「……ごめん……アリア」


たった一言に、彼は一体どんな意味を込めたのだろうか。

巫女である彼女にあまりにも辛い決断をさせることへの心からの謝罪か、それともこれから自分たちがこの美しい海で為さねばならない、あまりにも過酷な行いへの静かな覚悟か。

「……ううん、謝らないで。誰も悪くなんてないよ」

アリアは静かに力なく首を振り、一呼吸おいてから、ゆっくりと言葉を続けた。

夕闇に濡れた横顔はもはやただの明るい港町の娘ではなく、このルミーナの海と民を守る巫女としての悲壮なまでの決意を宿しているように見えた。


「本当はね、随分と前からあの真珠の輝きが少しずつおかしくなっていることには、うすうす気づいていたの。あたしもこの国の皆も、きっと目を逸らしていたんだと思う……。それがこんなにも大きな災いを招くことになるなんて考えたくもなかったから。だからきっと、あなたたちにすごく辛い役目をさせてしまうことになると思うの」

彼女もまたロイと同じように、夕闇に不気味に染まるどこまでも続く水平線と、次第にその勢いを増していく荒々しい波間を、ただ黙って見つめながらそう呟く。

すぐそばで轟く波の音に掻き消されてしまいそうなほど、か細く悲しげな声だった。

「……どうかあなた達が壊してくれる?ルミーナの民が大切にしてきた、美しかったはずの……あの真珠を」


まるで砕け散るガラスのような、重く悲痛な響きを伴って、夜の闇が支配し始めた港に静かに吸い込まれていった。

ロイは、アリアの大きな瞳の奥に映る深い悲しみと、自分たちにこの国の未来を託そうとする強い意志を感じ取り、ただ黙って、力強く頷くことしかできなかった。

夜の帳が、世界の終わりを告げるかのように、静かに、優しく二人を包み込もうとしていた。


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