4-3「試練の洞窟」
あの黒い果実と、この集落で相次ぐ「旅立ち」。
不気味な関連性を無視できず、ロイたちは本格的な調査を開始することを決めた。
手始めに村人たちへ聞き込みを行う。しかし彼らの反応は芳しくない。
多くはどこか上の空で、黒い実について尋ねると、一様に口を閉ざすか、あるいは「女神エデル様の新たな恵みだ」と虚ろな目で繰り返すばかりだった。
それでも粘り強く話を聞くうちに、いくつかの共通点が浮かび上がってきた。
「旅立った」人々は皆、死の間際にありながら、まるで苦痛など微塵も感じていないかのように、不自然なほど穏やかで、幸福そうな表情を浮かべていたという。
また共通して、例の黒い実を口にしてから一時的に驚くほど元気になるものの、すぐに活力は失われ、再び実を渇望し……ほどなくして「旅立って」いったケースが多いことも判明した。
それはまるで、甘美な毒にゆっくりと蝕まれていく過程そのものだった。
「黒い実が原因と見て間違いないだろう」
ジークが眉間に皺を寄せ、重々しく呟く。
これ以上この村の異様な風習を見過ごすわけにはいかない。
一行がより踏み込んだ調査の必要性を話し合っていた、その時だった。
ポトリ。
熟しきった果実が自重に耐えかねて落ちるように、一行の足元にあの黒い実が一つ、音もなく転がり落ちてきた。
先ほど若者が語っていたように、甘くむせ返るような妖しい香りを漂わせている。
ロイが思わず手を伸ばそうとした瞬間、ナナミが鋭い声と共に素早く動いた。
彼女の翳した手のひらから放たれた小さな炎が、黒い実を一瞬にして焼き尽くす。
嫌な煙が立ち上り、すぐに消えた。
「分かっていると思うけど、黒い実には絶対に手を出さないこと。興味本位で口にしたら……おそらく、終わりよ」
ナナミの有無を言わせぬ強い口調に、誰もが息を呑んだ。
***
聞き込みに行き詰まりを感じていたクラリスは、気分転換も兼ねて、一人森へと分け入った。
精霊たちの声に耳を澄ませば、何か手がかりが得られるかもしれない。
そんな期待を胸に歩を進めていると、木漏れ日の差す開けた場所で、小さな人影を見つけた。
ルーだ。
彼女は大きな切り株にちょこんと腰掛け、何かぶつぶつと呟きながら、足元の草花を揺らしていた。
「やぁ、幼い巫女様。こんなところで、何をして遊んでいるんだい?」
クラリスが声をかけると、ルーはぱっと顔を上げた。
「んー?いまはね、この森と、はなとおはなししてた!」
「奇遇だね。僕も、自然とお話しするのが大好きなんだ」
そう言ってクラリスも近くの切り株に腰を下ろし、背負っていた竪琴を静かに爪弾いた。
ポロン、と優しく澄んだ音色が森に響く。
木々の囁きや鳥のさえずりと調和し、心地よい旋律を紡ぎ出す。
ルーは音色に引き込まれるように目を輝かせ、やがて自然と小さな口を開き、即興の歌を口ずさみ始めた。
言葉にならないハミングに近いものだったが、彼女の楽しげな心が伝わってくるような、明るく軽やかな歌だった。
「きゃはは!おまえ、なかなかいいやつだな!そのねいろをきけばわかるぞ!」
一曲弾き終えると、ルーは満面の笑みでクラリスを見た。
「それはそれは、光栄なお言葉です。巫女様」
ナンバルの巫女を称え、クラリスは優雅にお辞儀をしてみせる。
「でも、なんか……ふわふわしてる」
「ルー?それはどういう意味だい?」
「んー、よくわかんないけど、そんなかんじ!」
気を良くしたのかルーは「とっておきのばしょにあんないしてやる!」とクラリスの手を引いた。
「なー、おまえ、なまえ、なんだっけ?くらり……?」
「僕の名はクラリスだよ、ルー」
「くらりす?なんか……おんなみたいななまえだな!」
「ああ、よく言われるよ。でも、僕は気に入っているんだ。なんだか、時代を先取りしているみたいだろう?」
クラリスは悪戯っぽくウィンクする。
「おまえ、ほんもののおんなか?ルーはおんなだぞ!」
ルーは自分の胸をぽんと叩く。
「はは、僕は正真正銘男性だけどね。でも、名前の響きが美しいのは、性別を超える魅力があると思わないかい?」
「なんかへんなやつだな、クラリスは!」
ルーはけらけらと笑った。
ルーに案内されたのは森の奥深く、木々に囲まれた静かな泉だった。
驚くほど多くの精霊たちが集い、光の粒子が舞い踊るように飛び交っている、聖域のような場所だった。
「この、泉は……なんと美しい……」
クラリスは息を呑む。
「ルーのおきにいりのひみつのばしょなんだ!」
ルーはそう言うと、草原にごろんと寝転がり、気持ちよさそうに手足を伸ばした。
彼女の周りを色とりどりの精霊たちが嬉しそうに飛び回る。
「こんにちは、小さな友人たち。少しお邪魔させてもらうよ」
クラリスが泉に近づくと、精霊たちはくすくす笑うような音を立て、彼の周りにも集まってきた。
『ミエル!ミエル!ネェネェワカルノ?ニンゲン!』
『コノヒト、キレイナオトダス!』
「ああ、君たちの声、ちゃんと聞こえているよ。僕はクラリス。精霊使いだからね」
「ん?だれとはなしてるんだ、クラリス?」
ルーが不思議そうに顔を上げる。
「ここにいる、たくさんの精霊たちだよ」
『ネェネェ、ルーニツタエテ!イツモアリガト!』
『ルー、ダイスキ!ダイスキ!アソボ!』
「はいはい、分かったよ。ルー、精霊たちが君のこと、いつもありがとう、大好きだってさ」
「え!ほんとうに、クラリスはせいれいのこえがきこえるのか!?」
ルーは目を丸くする。
「うん、本当だよ。この前君が泉のそばに供えてくれたお花で作ったお茶が、すごく美味しかったってみんな言ってる」
「おおお!よかったー!」
「それから……ここで、あまりお腹を出して寝ていると、お腹を冷やしてしまうから気をつけたほうがいい、とも言っているね」
「ええっ!?そんなことまでバレてるのか!?」
ルーは慌ててお腹を隠した。
精霊たちは相変わらず楽しそうに2人の周りを飛び回り、やがてルーは精霊たちと追いかけっこを始めてしまった。
微笑ましい光景を眺めながら、クラリスは周囲の少し年嵩に見える精霊たちに、そっと声をかけた。
命の樹について尋ねると先ほどまでの陽気な雰囲気は一変し、精霊たちは皆怯えたように身を寄せ合い、小さな声で囁き始めた。
『クロイミ……コワイ……カナシイ……タベタラ、ミンナ、ナクナル……』
『アレ、ダメ……ゼッタイ、タベル、ダメ……』
『命ノ樹サマ……ナイテル……コワイヘビ、イル……クルシイ……』
断片的なしかし切実な言葉。
クラリスの胸に、言いようのない嫌な予感が暗雲のように広がっていくのを感じた。
***
クラリスが、精霊たちから得た不吉な情報を胸に、ルーと共に集落へ戻ると、ちょうどロイたちが集まって今後の相談をしているところだった。
ルーの姿を見つけたアウリナが、静かに、厳かな口調で声をかけた。
「ルー。それに勇者様一行。良い機会やもしれませぬ。我がナンバル=ムウに古くから伝わる『試練の洞窟』へお行きなさい。ルーよ、お前はそこで真実の目を開き、巫女としての覚悟を固めなさい。そして勇者様方……試練を乗り越えられれば、魔王を討ち滅ぼすその御身に、女神エデル様のご加護が、より一層強く宿りましょう」
拒否を許さない響きを持っていた。
一行はルーを先頭に、精霊たちが守護すると言われる「試練の洞窟」へと向かった。
洞窟の入り口は山肌にぽっかりと口を開けた、厳かに石を積んだだけのような、古びた祠の奥にあった。
この世ならざる空気が漂い、神聖な気配に満ちている。
アウリナの指示通り一行はそれぞれが身に着けていた衣服を脱ぎ、用意された簡素な白い貫頭衣に身を包んだ。
武器や防具も入り口の脇にある石棚に置くよう指示される。
丸腰で己の内面と向き合うための試練なのだろう。
洞窟の内部は無数の入り口とも出口ともつかない穴が、蜂の巣のように壁一面に開いていた。
どこも薄暗く、奥からは冷たい風が吹き付けてくる。
「ねえ、ここ、落盤とか……大丈夫なんでしょうね……?」
クロエがロイの背後から不安そうに囁いた。
「たまーに、ここにはいって、でてこられないやつもいるけどな!」
ルーが無邪気に、しかしどこか寂しそうな声でそう告げた。
ロイとクロエの顔が、サッと青ざめる。
「でも……それはきっと、あたらしいせかいへ、じょうずにたびだっただけだから……」
そう続けたルーの瞳が、ほんの少し涙で滲んでいるのを、クラリスは見逃さなかった。
この試練は、決して生易しいものではないらしい。
試練の洞窟はもともとナンバル=ムウの巫女たちが霊力を高め、さらに神の御心を感じ取るために身を投じた、厳しい修行の場であったという。
ルールは至ってシンプル。
それぞれが異なる入り口から入り、己の力で出口に辿り着くこと。それだけだ。
ロイは意を決して一つの穴へと足を踏み入れた。
中はひんやりと湿っており、自分の足音と時折石ころが転がる音だけが響く。
小さな音ですらロイの肩をびくりと揺らし、思わず悲鳴をあげそうになるのを必死でこらえた。
しばらく進むと、洞窟がどんどんと開けていくような感覚に襲われた。
いや、違う。
ロイの身体が……縮んでいる?ふと自分の手を見ると、それは小さな子供の手になっていた。
目の前に鞭を持った大柄な男たちが数人現れる。
鋭い目が、こちらを睨めつけている。
――ああ、これは……。
幼い頃、ひどい空腹に耐えかねてパン屋の隅に転がっていた、泥のついたジャガイモを一つくすねた時の記憶だ。
見つかり、罰として広場で鞭打ちにされた。
たった二回。
しかし、子供の身体にはあまりに過酷な痛みで、数日は身動きも取れなかった。
精神まで子供に戻ってしまったのか、ロイは恐怖でガタガタと震え、その場にうずくまってしまう。
場面が変わる。
次は、近衛隊に入隊したばかりの頃の上官だ。
理不尽な理由で、何度も何度も殴られた。
血の味が口の中に広がり、意識が遠のく感覚。
民衆の失望に満ちた目。
自分を嘲笑う声。
圧倒的な力で襲い来る魔獣の影。
次から次へと、ロイの心の奥底にしまい込んでいたトラウマが、容赦なく抉り出されていく。
息が上がり、うまく呼吸ができない。指先の感覚がなくなっていく。
それなのに、体は恐怖で震え続け、今すぐにでもこの場から逃げ出してしまいたい衝動に駆られた。
「ロイ!」
暗闇の中から聞き慣れた声がした。
ナナミだ。
彼女が見たこともないほど優しい笑顔で、こちらに手を差し伸べている。
ナナミの笑顔にロイの心はなぜかふっと救われたような気がした。
「ナナミ……!」
彼女の方へ駆け寄ろうとした、その瞬間だった。
黒い影がどこからともなく現れ、彼女の身体を鋭い爪で無慈悲に切り裂いたのだ。
「ーーーっ!!」
鮮血が舞い、ナナミは苦悶の表情を浮かべてロイを見つめる。
「ああ、ロイ……。……どうして……たすけて……くれなかったのぉ……?」
彼女のいつもの凛とした声は、おぞましく歪み、ドロドロと溶けるようにその姿が消えてゆく。
残った黒い影が、ロイに嘲るように告げた。
「イマノママ……オマエデハ……ダイジナモノナド……マモレヌ」
それだけを告げると、影もまた霧のように霧散した。
跡には、大きな岩がゴロリと落ちていた。
「は、はは……。なんだ……そうだ、よな。今のぜんぶ、幻覚だよ、な……?」
ロイは乾いた笑いを漏らす。
岩の傍らに、白く風化した頭蓋骨が転がっているのが目に入った。
よく見れば辺りには無数の骨が散らばっているではないか。
「はっ!どうせこれも、また幻覚……に決まってる……!」
カラ元気を振り絞り、ロイは足元に落ちていた白骨を恐る恐るつんと指でつついた。
カツン、という確かな硬い感触が、指先に残る。
もう一度、ゆっくりと白骨を見る。
それは、紛れもない本物の骨だった。
『たまーに、ここにはいって、でてこられないやつもいるけどな!』
ルーの無邪気な声が、頭の中で木霊する。
恐怖と絶望が限界を超えついにロイは白目を剥き、口から細く泡を吹きながら、その場に崩れ落ちた。
意識が遠のく間際洞窟の暗闇の奥で微かにナナミが放つあの夜空みたいな炎の魔法が見えたような気がしたが……
それは、果たして本物だったのだろうか。




