4-2「命の樹」
ルーに導かれるまま、一行は「ミルラの根」と呼ばれる集落へと足を踏み入れた。
天を突く巨木「命の樹」と呼ばれるその大樹の、生きているかのように脈打つ巨大な根が、家々を優しく包み込むように広がっている場所だった。
家々は根の窪みや枝分かれした部分に巧みに建てられており、自然と人工物とが見事に調和している。
しかし、壮大さとは裏腹にどこか静謐で物悲しい空気が漂っているのをロイは感じ取っていた。
集落の広場のような場所に出ると、ルーはくるりと振り返り、改めて一行に向き直った。
「なぁ!おまえらなにものだ?」
そう言うと、一人一人、興味深そうに顔を覗き込みながら、自己紹介を促す。
ロイ、ジーク、ナック、クロエ、シルリア、そしてクラリスとナナミ。
それぞれが名を告げるたび、ルーは「ふむふむ」と頷き、何かを確かめるようにじっと見つめる。
「ばばさまはナンバル=ムウの巫女なんだけど、いまはちょっとからだのぐあいがわるいんだ。だから、ルーがかわりをしている。トトとは、ルーがものごころついたときから、ずっといっしょの、だいじなおともだちなんだぞ!」
大きなドラゴンのことを語るルーの瞳は、誇らしげに輝いていた。
彼女の小さな瞳は、一行を一人ずつまるで品定めでもするかのように見つめていく。
クラリスの番になるとルーは「わあ!」と小さく声を上げ、目をきらきらさせた。
「おまえのまわり、キラキラしたちいさいのがいっぱいとんでる!せいれいと、とってもなかがいいんだな!」
クラリスは驚いたように目を見張り、そして嬉しそうに微笑んだ。
「ああ、彼らは僕の大切な友達なんだ」
次にナナミを見ると、ルーは小首を傾げ、不思議そうな顔をする。
「おまえ……なんだか、よるのそらみたいに、すごくきれいでしずかだけど……でも、なんか、じんじんってする……」
よく分からない評価に、ナナミはただ静かに肩をすくめてみせた。
ナナミの反応がルーには興味深かったのか、しばらくナナミの顔をじっと見つめていた。
最後にロイの前に立つと、ルーはあからさまに眉をひそめた。
「うーん……おまえは……なんか、よわっちそうだなぁ!めしつかいかなにかか?」
無邪気すぎる言葉の刃が、ロイの心にグサリと突き刺さる。
勇者一行のリーダーが、まさかの下僕扱い。
ロイは脱力しへたり込みそうになるのを、ジークがそっと肩を支えた。
「これっ!ルー!無礼なことを申すでない!」
集落の中でもひときわ大きな根に寄り添うように建てられた家の中から、どこか弱々しい老婆の声が響いた。
「このお方の瞳を、よく見なさい。美しい灰の瞳を……!このお方こそが、神託を召された世界を救う勇者様に相違あるまい!」
声に促され、ルーはロイの顔をぐいっと両手で挟み込むと、至近距離からその灰色の瞳をじぃーっと覗き込んだ。
あまりの近さに、ロイは息を止める。
「えぇ〜……なんかだめなかんじがする……」
「これ!ルー!いい加減になさい!お待ち!」
アウリナの制止も聞かず、ルーはあっかんべーをすると、小鹿のように身軽にその場を飛び出し、家々の間へと駆け去ってしまった。
「……勇者様、そして皆様。孫娘の無礼、このアウリナなんとお詫びを申したらよいか……」
家の奥から、ゆっくりと老婆が姿を現した。
年の頃は七十をとうに超えているだろうか。
深く刻まれた皺、瞳の奥には未だ熟練の巫女としての強い光が宿っている。
彼女こそがこの国の本来の巫女、アウリナだった。
「いえいえ!お気になさらないでください、アウリナ様。子供は元気が一番ですから」
ロイは慌てて立ち上がり、アウリナが起き上がろうとするのを制した。
アウリナは力なく微笑むと、静かに語り始めた。
「もともとこの国の巫女は、ルーの母が勤めておりました。聡明で、心優しい娘でございましたが……数年前、あの子もまた、“新しい世界”へと先に逝かれてしまって。それからは、このアウリナめが老体に鞭打って巫女の勤めを果たしておりましたが……ご覧の通り、もう祭壇に立って祈りを捧げることもままなりません。ルーは……まだまだ未熟者ではございますが、浄化の力に関しましては、不思議とこの老婆よりも遥かに強いものを秘めております。私も、間もなくお迎えが参りましょう……そうなれば、あの子が巫女を継ぐことになります」
諦観と、孫娘への深い愛情。どちらも滲んでいる言葉だった。
「……そんな事情がおありだったのですね。でも、アウリナ様、そんなことをおっしゃらずどうか長生きしてください!」
ロイが心からの言葉をかけると、アウリナはほほほ、と乾いた笑みを漏らした。
「面白いことをおっしゃる。勇者様。この苦界で永らえることこそ、真の地獄にございます。老婆めは、一日も早う女神エデル様のおわす“新しい世界”へと旅立ちたいと願っております。……けれど、あの子が独り立ちできるまでは……この命、繋がねばなりませぬ」
“新しい世界”――。
アウリナの言葉の端々に出てくるその言葉。まるで、死後の世界こそが真の救いであるかのような、そんな価値観。
ロイはナンバル=ムウの常識が、自分たちのそれとはあまりにもかけ離れていることに、ただただ困惑するしかなかった。
笑っていいのか、真剣な顔をすればいいのか、感情の置き所が見つからない。
「あの……アウリナ様。その、“新しい世界に逝く”というのは……つまり……お亡くなりになる、ということで、間違いないのでしょうか?」
シルリアが慎重に言葉を選びながら尋ねた。
アウリナは穏やかに頷く。
「さようにございます。ですが、亡くなる、死ぬ、という表現はあまり使いませぬ。我らはただ、我らを育んでくださった大いなる女神エデル様の元へ還るだけなのですから。それは悲しむべきことではなく、むしろ喜ばしい魂の旅立ちなのでございます」
瞳も言葉も、淀みなく確信に満ちていた。
***
一行はルーに代わって現れた村の若者によって、宿屋へと案内されることになった。
集落の中心部遥か遠くの方には、天に向かって雄大に枝を広げる「命の樹」が聳え立っていた。
かつては大陸全土にその生命力を分け与え、あらゆる生命の源であったと伝えられる伝説の巨木。
しかし、今の姿は見る影もなく弱々しかった。
葉は色褪せ、生気を失ったように力なく垂れ下がり、太い幹には病魔に侵されたかのように、不気味な黒い染みが広がっている。
クラリスは他の誰よりも強く、命の樹が発する苦痛の波動を感じ取っていた。
彼は宿屋へ向かう一行から離れ、ふらふらと樹に引き寄せられるように近づいていく。
「この樹……苦しんでいる……」
呻くように呟き、樹皮にそっと手を触れ、対話を試みようとした。
だが、どこからともなくルーが駆け寄ってきて、クラリスの腕を掴んだ。
「いまはダメ!命の樹さまは、おやすみちゅうなの!ルーでも、いまはぜったいに幹までちかづいちゃダメだって、ばばさまにいわれてるんだからな!」
先ほどの無邪気さとは打って変わって、どこか怯え深い悲しみを湛えた顔をしていた。
***
一行は宿屋へ向かう道すがら「命の樹」の枝に、無数の黒い果実が実っているのを見た。
熟れた果実特有の甘い香りを微かに漂わせていたが、見た目はどこか禍々しく、表面はぬらりとした光沢を帯びている。
宿まで案内してくれた若者が、ふと足を止め、その黒い実を見上げながら口を開いた。
顔はひどくやつれ、目の下には深い隈が刻まれているにも関わらず、実を見つめる瞳だけが異様に爛々と輝いている。
「あれは元々は『命の赤い雫』と呼ばれ、我々の祖先を幾度も飢饉から救ってくださった、聖なる果実だったのです。数年前から、徐々に色が黒く変質してしまっているんですが……ふふ、すごいんですよ、あれは」
若者はまるで秘密の宝物でも見せるかのように声を潜め、抑えきれない興奮を滲ませながら続けた。
不気味な表情はロイに言いようのない薄気味悪さを感じさせる。
「黒い実を食べると、不思議と身体中から力が湧いてきて、万能感が得られるんです。どんな病も、どんな苦しみも、嘘みたいに消え去って……。命の樹様は、あの赤い雫だけでなく、この黒い実をもってしても、我々に大いなる幸福をもたらしてくださっているのですよ!」
その言葉はまるで熱に浮かされた者のように熱っぽく、説得力とは程遠い狂信的な響きを帯びていた。
彼は恍惚とした表情で黒い実を見上げたまま、うっとりと続ける。
「ただ……実の甘い香りは、人間だけでなく森の魔獣をも引き寄せてしまうので、そこだけは注意が必要ですが……。ですが、それも些細なこと。最近では実を口にして真理に目覚め“新しい世界”へと旅立ってゆく者も多いのです。いやぁ……素晴らしい。私も、一日も早く、女神エデルの待つ至福の世界へ逝きたいものですよ……」
そう言って虚ろな目で遠くを見つめた。
手は微かに震えているように見える。完全に「黒い実」の虜になっている者の姿だった。
最後に思い出したようにロイたちに向き直り、にやり、と不気味な笑みを浮かべた。
「勇者様たちの分も、後ほどお部屋にお届けいたします。ほんの少し口にするだけで、旅のお疲れなど、きっと綺麗に吹き飛びますとも……ふふふ」
親切心から出たものとは到底思えなかった。むしろ、甘美な罠へと誘う悪魔の囁きのようだ。
ロイはその黒い果実の放つ甘ったるい香りと、この集落に深く根付いた独特の死生観、目の前の若者の異常な様に、強烈な危機感を覚えずにはいられなかった。
「ミルラの根」は、想像以上に根深い問題を抱えているのかもしれない。




