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ruth story  作者: Cy


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4-1「新しい旅立ち」


凍えるようなノルディアの雪原と厳しい山々を後にした一行を乗せた船は、次なる目的地緑豊かなナンバル=ムウを目指し、穏やかな紺碧の海を滑るように進んでいた。

船縁に立ち、遠ざかるノルディアの山々を見送る者、次なる地への期待に胸を膨らませる者、あるいは静かに武器の手入れをする者。

それぞれの想いが交錯する中、ただ一人、世界の危機的状況や仲間たちの緊張感とは全く異なる次元で苦悶している男がいた。


(う……ぐ……ぎぼちわりぃ……船ってやつは、どうしてこうも……揺れるんだ……)


勇者ロイ、彼は致命的なまでに船に弱かった。

青白い顔で船縁にへたり込み、今にも大海原に己の魂ごと吐き出してしまいそうな彼のか細い背中を、ナナミが呆れたような、それでいてどこか放っておけないといった複雑な表情で見守っている。その手には、小さな小瓶。


「ロイ、これを飲んで。少しは楽になるはずよ」

差し出されたのは、淡い翠色の液体が揺れるポーションだった。

しかしロイはその瓶を見た瞬間、さらに顔色を悪くする。


「ごめっ……! 今、ポーションの類は……見ただけで……おえええぇぇぇぇぇっ!」


言葉と共に、ロイの胃の内容物が綺麗な放物線を描いて海へと吸い込まれていく。奇妙な音がカモメの鳴き声とハーモニーを奏でた。

ナナミはやれやれと肩をすくめると、ロイが荒波に身を投げ出してしまわぬよう、襟首をそっと掴むのだった。





***






ところ変わって、月の光が神秘的に満ちる国、ツクヨの国。

国の中心でもある、月の間にてミコトは眉間に深い皺を寄せ、目の前に置かれた拳大の魔法石ーー通信石ーーとにらめっこをしていた。石はうんともすんとも言わず、ただ静かに月光を反射している。


「うーむ、これほど繋がらんとは……。最近、どうも星々の巡りも悪いからのう」


ミコトはまるで言うことを聞かない子供を宥めるように、通信石の表面をトントンと軽く叩いた。

指先には、微かな焦燥感が滲む。

やがて、ジジ……という微弱なノイズが石から漏れ始め、ミコトの黒翡翠の瞳がわずかに見開かれた。


「おお!繋がったか!聞こえるか、アストリアの巫女たちよ!皆のもの、元気にしとったか〜?」


ミコトが呼びかけると、ノイズの向こうから、か細い声が返ってくる。

『……み……こ……さま……き……はげんき……かね……?』

「ん?なんじゃと?声が遠いぞ!」

ミコトは通信石に耳をぐっと近づける。


『あーーーあーーーっ!こっちの声、きこえてるかー?ルーだよー!』


途端に、鼓膜を突き破らんばかりの大音量が石から迸り、ミコトは思わず顔をしかめて石から耳を離した。キーン、という耳鳴りが残る。

やれやれ、あやつは相変わらず元気だけは有り余っておるな、とミコトは苦笑する。


『ルー、そんなに大きな声を出してはいけません。他の皆に聞こえづらくなりますよ』


清らかで清廉とした声がルーの声を制する。

アストリアの巫女の代表格であるセレスティア聖教国巫女の声だ。



『んんん?だぁれー?かおがみえないからわかんない!』


通信石の向こうの賑やかさに、ミコトはふと表情を和らげる。遠く離れた家族と話しているような、そんな温かい感覚が胸に広がる。


『アウリナ様のお加減はどうかしら?あ、あたしはアリアよ!ルミーナの!』

快活な、太陽のような明るい声が続く。

『おー!アリアー!ばばさまはねー、まだねてる。はやくげんきになるといいんだけど……』

先ほどまでの溌剌としたルーの声が、しゅん、と萎むのが手に取るように分かった。ミコトもまた、ナンバル=ムウの老巫女アウリナの容態を案じ、眉を曇らせる。


『そう……お早いご回復を、心よりお祈り申し上げるわ』

アリアの声にも、心配の色が滲む。


『では、そのあたりで。定刻となりました。これより、アストリアの巫女による定例会議を始めます』

セレスティアの巫女が、場を引き締めるように厳かに宣言した。

ミコトもまたすっと背筋を伸ばし、表情を巫女としてのそれに戻す。

月の間の空気も心なしか張り詰めたように感じられた。


「うむ。ツクヨの国はおるぞ。いつでも良い」

ミコトが応じる。

『ノルディアも、問題ありません』

『ナンバル=ムウも!ルーがいるぞっ!』

『はーい、ルミーナもいまーす!』

『……き……聞こ……て…………ま………ハナ…ア……で…………』

途切れ途切れの声は、常夏の島の巫女だろうか。ミコトは、あの島特有の潮の香りを思い浮かべた。

『ハナレアは、少し電波の調子が悪そうね!無理はしないでねー!』


「して、一つ尋ねるが……今回の通信石での会議を提案した、イル=シャルの巫女は、やはり今回も欠席か?」

ミコトの問いに、しばしの沈黙が落ちる。通信石の微かなノイズだけが、月の間に響いた。


『……いたしかたないでしょう。あの国は、魔族の侵攻がアストリアの中でも最も深刻です。我々がこうして話している間にも……。あまり時間もありません。手短に、そして有意義に終わらせましょう』

セレスティアの巫女が、重い口調で答えた。

ミコトもまた、胸が締め付けられるのを感じる。

かの地の同胞の苦難を思えば、安穏と月を眺めていることすら罪悪感を覚えるほどだった。


『では、まず議題の一つ目!例の、灰の瞳の勇者様とその一行について!どうだったー?もう会った人いるー?』

アリアが、努めて明るい声で議題を切り出した。ミコトは、あの若き勇者の顔を思い浮かべる。

「ツクヨには来たぞ。……ふむ、中々骨のある奴かもしれん。少なくとも、口先だけの輩ではなさそうじゃ」

『ノルディアにも。彼らには……とても助けられたよ』

『きゃー!やっぱりー!?今度こそは、本当に世界を救ってくれる希望の光なのかなー?』

ルミーナの巫女の、どこか夢見るような声が響く。

「なきにしもあらんだろう。なにより……あやつのそばには、ちと“とんでもないもの”がついておるからのう」

ミコトが意味ありげに言うと、通信石の向こうがざわついた。

『ミコトも、そう思う?奇遇だな。同じことを思っていたよ』

ノルディアの巫女が、静かに同意する。

「ああ。あれは……なかなかに興味深い」


『えっ!なになに?超気になるじゃーん!教えてよミコちゃーんー!』

アリアが食いつく。

ミコトは、くつくつと喉の奥で笑った。

「いずれ会えるさ。嫌でもな」

『ルーもはやくあいたいー!ゆうしゃさまー!』

ルーの元気な声に、ミコトは再び笑みを漏らした。


『では次に、アストリア内の近況について、情報共有をお願いします』

セレスティアの巫女が促す。

ミコトは表情を改め、声を低くした。

「ああ!それもワシから報告させてもらう!実は……我がツクヨの国の至宝、星辰の盤が……砕けちったのじゃ!ちと、魔王の魂が宿ってしまっておっての!」

通信石の向こうから、息をのむ音が幾重にも重なって聞こえた。

『ええ!?あの星辰の盤が!?』

『ノルディアからも、憂慮すべき事態を報告するよ。我が国の力の源泉、万年氷の種火が……消えた』

『えええええ!?そんな……!』

ミコトは、他の巫女たちの動揺を感じ取りながら、厳しい口調で続ける。


「皆のもの、ゆめゆめ油断召されるな。古より伝わる言伝……あれは、真であるぞ。七つの国へと散らばったかの災厄は、その地に根付いた歴史あるものに宿っているやもしれぬ」

『その地に根付いた、歴史あるものに……まさか魔王の魂が……』

セレスティアの巫女が、静かに確信を込めて言った。


「我らが欲するままに受けてきた恩恵は、今まさに、一つずつ破壊しなくてはならないのかもしれない。……怠惰にその恩恵を享受するだけであった我らへの戒めかのようにな」

ミコトの言葉に通信石の向こうで一同がゴクリと唾を飲み込む音が、やけに生々しく響いた。

月の間の空気は先ほどよりもさらに重く冷たく感じられた。







***


翌朝、朝靄がゆっくりと晴れていくと、船の行く手に見渡す限りの緑が広がってきた。

天を突くかのような巨大な滝が幾筋も流れ落ち、その飛沫が太陽の光を浴びて虹色の光を放っている。

空には、見たこともないほど色鮮やかな鳥たちが、優雅な歌声を響かせながら舞っていた。

クラリスは甲板の先端に立ち、両手を大きく広げていた。

表情は恍惚としており、全身でこの地に満ちる濃密な生命の息吹を感じ取っているようだった。


「すごい……!こんなにも濃密な生命の気配は、初めてだ……!精霊たちも歌い踊っているかのようだ!」


吟遊詩人であり、精霊使いでもある彼の瞳は、少年のようにキラキラと輝いていた。

船酔いからようやく解放されたロイも、目の前に広がる壮大な光景にしばし言葉を失い、ただ圧倒されていた。


上陸し、人里へ向かうべく一行が鬱蒼とした森の中の小道を進んでいた、その時だった。

突如として頭上に巨大な影が差し木々がざわざわと揺れる。

見上げると陽光を遮るほどの巨躯を持つ、緑の鱗に覆われたドラゴンが一行の目の前に舞い降りたのだ。

一本しかない腕の鋭い爪は大地を抉り、黄金色の瞳は明確な敵意をたたえ、低く唸り声を上げている。



「じ、じいちゃんのホラ話に出てきたやつじゃねぇか!?人喰いドラゴンって、本当にいたのかよぉぉぉっ!?」

ジークが、普段の冷静さをかなぐり捨てて絶叫する。


ドラゴンはあたかもその声に応えるかのように、天に向かって咆哮した。

衝撃波だけで、周囲の木々がなぎ倒されそうになる。

ドラゴンは獲物をどれにしようかと一行を見渡し、ついにこいつにしようと決めたのか、視線はまっすぐにロイへと向けられた。

絶体絶命。

ロイは腰の剣に手をかけるが強大な威圧感に足がすくみ、剣を持つ手が震える。


その時だった。



「こらーっ!トト!あたらしいともだちを、いきなりたべようとしちゃダメって、いつもルーがいってるだろ!」

森の奥から子供の声が響いた。

声と同時に、木々の間から小さな影が飛び出してくる。

頭には可愛らしい花冠を載せ褐色の肌をした、まだ幼い少女だった。

彼女は巨大なドラゴンの前に臆することなく立ちはだかると大きな鼻先を、ぺしん、と優しく叩いた。

するとどうだろう。

あれほど凶暴だった巨竜が、叱られた大きな子犬のように、しゅん…と勢いを失い、ゴロゴロと猫のように喉を鳴らし始めたではないか。


「みんな大丈夫か。このこはトトカラム。トトはな、とっても狩りがじょーずなんだ。


ドラゴン使いか?と正直問いたくなるほどに、彼女は自分の体よりずっと大きなドラゴンを撫で回している。

ドラゴンの彼女へ向ける目は優しいもので、冷や汗をかいていたロイたち一行はようやく長いため息をはぁぁ。とはいた。


「それに、ちょっとおなかがへってただけなんだよ。ひとはとってもおいしいけど、おともだちになったらもっともっと楽しいって、ルーがいつもおしえてるんだ! おまえは、この島でゆいいつのドラゴンのまつえいなんだから、みんなときょーぞんしなきゃダメなんだぞ、トト!」


少女はドラゴンに言い聞かせると、くるりと一行に向き直り、ぺこり、と愛らしくお辞儀をした。

「びっくりさせてわるかったな!ルーはルーだ。このもりと、命の樹さまを、ばばさまとまもっている!ばばさまには、まだはんにんまえだって、いっつもおこられてるけど、この国の巫女なんだぞ!」


小さな身体から放たれる、堂々とした言葉。


「こ、このちっこいのが……巫女様ー!?」

ナックが素っ頓狂な声を上げる。

「おい!ちっこいっていうなー!」

ルーは頬をぷくりと膨らませて抗議した。





***


ルーと名乗る少女に案内され、一行は村へと向かう。


途中、村のはずれで何かの集まりに遭遇した。

人々は輪になり、静かに目を伏せている。

悲嘆にくれる様子はなく、むしろどこか穏やかな表情で、中央に横たわる人に祈りを捧げているようだった。

独特の旋律の歌が流れ、ゆったりとした踊りが舞われている。

神聖な儀式か神への捧げものをしているかのような光景だった。

一行は静かで厳粛な雰囲気に、言いようのない違和感を覚えた。


「なぁ、ルー?あれって……もしかして、葬儀かなにかなのか?」

ロイが、戸惑いながら尋ねる。


ルーはきょとんとした顔でロイを見上げると、首をこてんと傾けた。

「んん?そうぎってなんだ?あれはな、あたらしいせかいへの“たびだち”をおいわいしてるんだぞ?とってもしあわせなことなんだろ?」

説明するルーの横顔は、言葉とは裏腹になんだか寂しげな影を宿しているように見えた。


一行は「新しい旅立ち」という言葉と、ルーの表情のちぐはぐさに、もやもやとした拭いきれない疑念を抱き始めたのだった。

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