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ruth story  作者: Cy


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3-6「万年氷の種氷」



このノルディア雪原国は、ドワーフたちだけでなく、かつては人間たちもまた、他の地の人々より幾分か長生きであったという。

厳しい自然環境の中で、少ないながらも確かに命を繋いできた彼らが、古の時代より大切に受け継いできた聖遺物『万年氷の種火』と呼ばれる神秘的な存在のおかげであった。


ネイシュカが一人静かに守り続ける、氷結の塔の最上階。


外界の吹雪の音すら届かない、しんと静まり返った神聖な空間だった。

中央に、それは安置されていた。

青白い光を放つ、人の背丈ほどもある巨大な氷塊。

中心には凍てついた星のように、決して消えることのない力強い蒼炎が揺らめいていた。

あれこそが『万年氷の種火』。

ネイシュカの「凍てつく時間コールドスリープ」の奇跡の源であり、彼女がこの地に住まう者たちに与える微かな加護の力も、すべてこの聖遺物から発せられていた。


しかし聖なる輝きの裏には、あまりにも重く忌まわしい秘密が隠されていた。

この『万年氷の種火』には、遥か昔、伝説の大魔女が身を賭して封じたはずの魔王の魂の一片が、解くことのできない呪いのように、禍々しく宿ってしまっていたのだ。

その邪悪な魂の欠片こそが、周囲の環境を静かに歪め、このノルディアの地を異常なまでの極寒に変え、さらには心の闇に引き寄せられるかのように凶暴な魔獣たちを呼び寄せている、全ての元凶の一つであった。


ネイシュカは瞳を閉じれば今でも鮮明に思い出せる。

あの日、あの悲劇の日、それは突然にして起こった。

村人達は皆、常夜のお祭りの準備に勤しんでいた。

皆幸せそうな顔をし、村は暖かくて優しい光に包まれていた。

ただ皆の幸せを願い、ただ皆の笑顔を見守る。

小さな国の小さな幸せが彼女にとっての全てだった。

それが一瞬で崩れ去った夜。

魂喰のアルバスーー

名前を口にすることすら忌々しい、あの魔族が現れた夜。

アルバスに見初められ生きたまま魂を抜かれようとするもの、魂が気に入らずただ殺されそうになっていたもの。

村人たちを死の淵から救うため、一心不乱に種火の清浄なる力を引き出し、「凍てつく時間コールドスリープ」という禁忌にも近い業を初めて成した。

切迫した状況下で、彼女は自身の魂を種火の深淵と繋ぎ、膨大なエネルギーを操ろうとした。

その瞬間、彼女は気づいてしまったのだ。

いや、気づかされてしまった、という方が正しい。

種火の清らかな流れの最も奥底に、底なしの沼のように澱み蠢く、おぞましいまでの異質な存在ーー

魔王の魂の断片の、冷たく邪悪な意思に。

彼女の魂に直接触れ、凍えるような恐怖と共に存在を焼き付けた。


それ以来、ネイシュカの役目は一変した。

種火の力を振るい人々を守護する巫女であると同時に、種火の内部で絶えず世界への再臨を目論む魔王の魂を、自身の精神力と種火の聖なる力で抑え込み、完全に解き放たれることのないよう、来る日も来る日も孤独に監視し続けるという、過酷な運命を背負うことになったのだ。

魔王の魂は彼女の精神を内側から侵食しようとするかのように、囁きかけ、誘惑し、時には脅しつけてくる。

そのたびに、彼女は身を削るような思いでそれを押しとどめてきた。

(この種火がある限り、魔王の魂もまた存在し続ける……。いつか私の力が尽きた時、いや、この魂の欠片がさらに力を増した時、この地は、アストリアは、再びあの悪夢に……)

だからこそ、ネイシュカは心の奥底で、『万年氷の種火』そのものを破壊したいという強い衝動に駆られていた。

この呪われた連鎖を断ち切るには、それしかないのではないかと。


しかし、願いはあまりにも非情な現実の前に打ち砕かれる。

塔の最上階の、聖遺物が安置された部屋のさらに奥。

そこには、巨大な氷の壁画に埋め込まれるように人々が様々な姿のまま凍らされて眠っていた。

ある者は未来への希望を胸に抱いたままのような安らかな顔で、ある者は恐怖に歪んだ苦悶の表情を浮かべたまま……。

彼らは、ネイシュカが種火の力でかろうじて繋ぎ止めた命だった。

もし種火を破壊すれば、彼らは二度と目覚めることなく、永遠に氷の墓標の中で眠り続けることになるかもしれない。

この地の人々が長年享受してきた長寿の恩恵もまた、聖なる力と共に失われ、人々は他の地と同じように、儚い命を生きることになるだろう。


「破壊」か、「維持」か。


どちらを選んでも待っているのはきっと絶望。

二つの間で、彼女の心は千千に乱れ、出口のない深い葛藤をずっと抱え続けていたのだ。

重すぎる苦悩は、彼女の美しい顔から表情を奪い、心を凍てつかせていった。


『万年氷の種火』を破壊するには、冷たく強大な炎を完全に中和し、魔王の魂諸共消滅させるほどの、膨大な「人の温もり」すなわち、数えきれないほどの清浄な命の熱が必要とされた。

人がいなくなった荒れ果てたこの地で、誰が手を差し伸べてくれようか。

あまりにも皮肉で、残酷すぎる条件だった。


「……あと何人分の…命の温もりがあれば、この種火は、ようやく…静かに消えてくれるというのだろうね……」

ネイシュカは誰に聞かせるともなく、自嘲するように、魂の底からの深い絶望と疲労を込めて、ぽつりと呟いた。

氷のかけらが床に落ちて砕ける音のように、虚しく淋しく響いた。


ネイシュカの憂鬱な呟きを、背後で息を潜めていた者が聞き咎めた。ジークだ。

彼の耳には、ネイシュカの言葉の奥にある葛藤や絶望など届くはずもなかった。

ただ、冷酷な巫女がさらなる犠牲を求めているかのような、身勝手な嘆きにしか聞こえなかった。

いや、もはや彼の心は、ネイシュカの言葉の真意を正確に理解しようとすることを放棄し、自身のトラウマと憎悪によって塗り固められた最悪の形で解釈してしまっていたのだ。

「やっぱり……お前は……!そうやってまた誰かを犠牲にするつもりなのか!お前はあと何人の命を、弄んで奪えば気が済むんだ……ッ!!」


怒りに全身の血が沸騰するような感覚と共に、ジークの握る槍が、獣の咆哮にも似た鋭い風切り音を伴ってネイシュカへと襲いかかる。

しかし、ネイシュカは氷の彫像のように身じろぎもせず、彼女の周囲に見えざる力で展開された半透明の氷の加護が、ジークの渾身の一撃をバチッと青白い火花を散らせながら完璧に弾き返した。


二人の間に、再び殺意にも似た激しい敵意が迸る。

それに呼応するかのように、塔の最上階で静かに揺らめいていた『万年氷の種火』の蒼炎が、ゴウッと音を立てて一際大きく不気味に揺らめき始めた。

闘争を煽り、魂の饗宴を待ち望むかのように。


濃密なまでの不穏な空気は、塔の堅牢な壁を透過し、遠くドワーフの里にまで伝播したのだろうか。

もしくは、塔内部で増幅された憎悪の感情と種火に宿る魔王の魂の欠片が、邪悪な共鳴を引き起こしたのか。

人の強い感情の匂いに誘われたかのように、漆黒の闇の中から、例の悲劇の夜を引き起こした忌まわしき魂喰のゲルバスが、猛吹雪にその異形の姿を巧みに紛らせながら、ぬらりと姿を現した。


赤く爛々と輝く複数の瞳は、氷結の塔の最上階で、先程よりもさらに禍々しく輝きを増す『万年氷の種火』を、長年探し求めた至高の獲物を見つけた捕食者のように、じっとりと執拗に睨みつけていた。

あの力を喰らい、取り込み、より強大な、より邪悪な存在へと進化しようとしているのが、全身から発するおぞましいオーラから明らかだった。




***



ドワーフの里では、グランパルがようやくロイの剣を打ち終え、額に滲む玉の汗を使い古した手拭いで満足げに拭っていた。

炉の火を落とし、ふと彼が何気なく工房の窓の外に目をやると、遠く雪原に聳える氷結の塔が、いつもとは違う、警告を発するかのような、不吉なまでに濃い青い光を激しく明滅させているのが見えた。

「おお……いかん、いかんぞ。またあの二人は、つまらん喧嘩でも始めおったのかのぅ。やれやれ、困ったもんじゃわい」

グランパルは、やれやれと首を振りながらも、口元にはどこか仕方ない孫たちを見守るような、苦笑にも似た穏やかな笑みが浮かんでいた。


しかし脳裏に、ふと、遠い昔の、色褪せた古い絵画のような、セピア色に染まった光景が蘇る。


ーー凍えるような嵐の夜だった。

降りしきる雨と雪が混じり、世界は灰色に閉ざされていた。

そんな中、グランパルの鍛冶場に息も絶え絶えに駆け込んできた者がいた。

「グランパル! 頼む!この子を……この子だけは、どうか……守ってくれ!」


いつも冷静沈着なネイシュカだった。

その時の彼女は、髪は乱れ、纏う純白の衣は泥と血に汚れ、顔は恐怖と絶望で歪んでいた。

腕には、ぐったりとした小さな子供が抱きかかえられていた。子供はボロボロに傷つき、おびただしい量の血を流していた。

「ネイシュカ!いったい何があったんじゃ!?その子は……まさか!」

グランパルは息を呑んだ。

ボロボロになった子供の顔には見覚えがあった。

人間たちの里で親しくしていた友の、息子だった……。

あの時のネイシュカの悲痛な叫びと、腕の中の子供の命の儚さが、今もグランパルの胸を締め付ける。


***


ガキン、ガキン!バチィィン!!

氷結の塔の最上階では、ネイシュカとジークの激しく、悲しい攻防が続いていた。

静寂に包まれたはずの神聖な空間に、硬質な氷と鋭利な槍が激しくぶつかり合う甲高い音が、まるで悲鳴のように耳障りに響き渡る。

砕けた氷の破片が、きらきらと光を反射しながら宙を舞った。


「言えよ!やっぱりお前が、俺の村を……!ドワーフ達には上手いこと言って、自分の罪を誤魔化したつもりか!?」

ジークの槍が彼の心の叫びのように、怒りの咆哮と共に繰り出される。

一撃一撃には、失われた家族への想い、拭いきれない絶望、ネイシュカへのやり場のない憎しみが込められていた。


「……なんとでも思ってくれて構わない。それが、君の中では揺るぎない真実なのだろうから」

ネイシュカは嵐のような猛攻を、舞を舞うかのように冷静に捌きながら、感情の抑揚を一切感じさせない平坦な声で答える。

彼女のガラスのような瞳は、ジークの怒りを受け止めながらも、どこか遠く、この世の理を超えた何かを見つめているかのようだった。

「いつもいつも!そうやって、全てを悟ったような口を聞きやがって!」

ガキィィン!

ついに、ジークの執念の一撃が、ネイシュカの展開していた氷の壁の一角を粉々に砕き、鋭利な穂先が彼女の青白い頬を僅かに掠めた。

スッと、一筋の鮮やかな赤い線が白い雪の上に落とされた血のように、彼女の肌に走る。

「しめたッ!」


ジークの顔に、一瞬、勝利を確信したかのような獰猛な笑みが浮かんだ。

長年求め続けた復讐の、ほんの小さな一歩かもしれないが、確かに手応えを感じたのだ。

対するネイシュカは、頬を伝う血の温かさを感じながらも、なおも無表情のまま。

瞳の奥に、一瞬だけ、深い悲しみのようなものが揺らめいたのを、彼は見逃さなかった。

しかし、それはほんの一瞬。

ジークがこの好機を逃すまいと、とどめを刺さんと槍を大きく振りかぶった、その時だった。


「ハァ……ハァ……こらぁ!お前達……ハァッ、ハァッ……いい加減に、物騒な喧嘩は、やめんか……ハァ……うぅっ……!」

息も絶え絶えな、紛れもなく聞き慣れた、今だけは聞きたくなかった声が、二人の間に割って入った。

グランパルだった。


「じいちゃん!」「グランパル!」


ジークとネイシュカの声が、図らずも重なり、二人は驚愕に目を見開き、互いを睨み合う。

グランパルは鍛冶場から、まさかこの塔の最上階まで、老体に鞭打って、文字通り命を削るようにして駆けつけてきたのだろう。

顔は蒼白で、肩で大きく息をしており、今にも倒れそうだ。

壁に弱々しく手をつき、荒い呼吸を繰り返しながらも、それでもゆっくり、ゆっくりと、孫同然の二人を止めようと、一歩ずつ近づこうとする!

「じいちゃん、こっちに来るな!危ねえ!大体、どうやってここまで来たんだよ……!」

ジークが悲鳴に近い声で叫ぶ。

今のこの状況で、グランパルがここにいること自体が、あまりにも危険すぎた。


ゆらり、と。

グランパルの今にも崩れ落ちそうな弱々しい背後に、空間の歪みから音もなく滲み出たかのように、漆黒のおぞましいまでの邪気を放つ影が揺らめいた。


ジークがおぞましい存在を認識し、警告を発しようとした直後、黒い影は人間には到底不可能な速度で音もなく動き、鋭く歪んだ凶刃を何の抵抗もできない無防備なグランパルへと、容赦なく振り下ろした。


「じいちゃ……逃げろじいちゃんッ!!!!」

ジークの絶叫が、塔の中に木霊する。

「……ジーク……ネイシュカ……どうか、仲良う……」

全てが氷に覆われた世界に、鮮血が飛び散った。


「コレハ、オイタタマシイ、イラナイソンザイ」

魂喰のゲルバスがまるで壊れた機械のように、抑揚のない声で呟く。

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!!」

怒りに我を忘れ、血走った目でジークの槍が魂喰のゲルバスへと飛びかかった。

しかし、ゲルバスは陽炎のように姿を揺らめかせ、次の瞬間にはフッと幻影のように消え失せていた。

ただ、不気味な残響だけを残して。


残酷な光景に、ネイシュカは言葉を失い、震える手で口を覆った。

ジークは槍を握りしめたまま、肩で大きく息をつき、目の前で起きた現実を受け入れきれず、茫然と立ち尽くすしかなかった。

グランパルの温もりが、徐々にこの氷の塔に吸い込まれていく感覚が。

2人の生きた心地さえ奪い去っていった。


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