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ruth story  作者: Cy


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3-5「そこにあなたはいない」



氷結の塔から戻った一行は、ドワーフの里の温かな灯りに迎えられた。

ジークの心に深く刻まれた傷と、ネイシュカの謎めいた言葉は、重く暗い影を一行の上に落としていた。

ジークは誰とも言葉を交わすことなく、ドワーフたちが用意してくれた寝床に一人閉じこもってしまった。

残された仲間たちは、広間の大きな暖炉を囲み、ドワーフたちが振る舞ってくれた、滋味深い熱々のスープを啜りながら、束の間の休息を取っていた。

猪の骨と香味野菜をじっくり煮込んだスープは、冷え切った体に染み渡り、強張った心をわずかに解きほぐしてくれる。

しかし温かさとは裏腹に、会話は重苦しいものにならざるを得なかった。


「……ジークは、一体何があったのかみんな知っているのかい……」

クラリスが心配そうに眉を寄せ、静かに口を開いた。彼の穏やかな声が、緊張した空気をわずかに和らげる。

案内役を買って出てくれたドワーフの一人が、大きなため息とともに答えた。

「ジークの奴はよぉ……あの事件で家族もダチもみんな失っちまったからな。俺たちもあいつがどれだけ辛い思いをしてきたか、全部は分かってやれねえが……」


別のドワーフが悔しそうに言葉を継ぐ。

「オレたちも詳しいことはよう知らねえんだ。ただ、ある日突然、山向こうの人里の村の人間が、みーんな、氷の中に閉じ込められちまったって話でよ……」


「おい、馬鹿! だから氷漬けじゃねえって、何度言やあ分かるんだ!」

最初に話したドワーフが、仲間を諌めるように怒鳴った。

「あれは、ネイシュカの巫女さんが起こした奇跡なんだよ!コールドスリープ!時を止めて、命を繋ぎ止めてるんだ!」

「コールドスリープ……?」

ロイが、聞き慣れない言葉に眉をひそめる。

「ああ。死んじゃいねえ。生きたまま、そのまんまの姿で時間を止めるっていう、大層な業らしい。だがな……皮肉なもんで、生きたままあの氷から抜け出させる術も、今のところ誰にも見つかっちゃいねえんだ。巫女さん自身にも、どうすることもできねえらしい」

「……」

誰もが言葉を失った。

生きているのに、会えない。触れられない。

それは死よりもまた残酷な現実なのかもしれない。

ジークの絶望の深さが、改めて胸に迫ってきた。


重苦しい沈黙が辺りに沈み、誰もが口を噤む。

途端に静寂を割くように、里の奥の方から硬い鉄と何かが激しくぶつかり合うような、けたたましい金属音が響き渡ってきた。

ガァン! キィィン! ガァァン!!ーーー

普通の鍛冶の音とは明らかに違う、狂気を孕んだような激しさだった。

「な、なんだ!?」

「何の音だ!?」

一行は驚いて顔を見合わせ、スープの椀を置くと音のする方へと駆け出した。


音の源はグランパルが休んでいたはずの、里の奥まった場所にある古びた鍛冶場だった。

そこに信じられない光景が広がっていた。

先程まで寝たきりに近かったはずのグランパルが、何かに取り憑かれたかのように、燃え盛る炉の前に立ち、ロイが預けたあのオーロラ色の剣を、巨大な金槌で狂ったように打ち叩いていたのだ。

瞳には普段の混濁した光はなく、代わりに鍛冶師としての鋭い炎が燃え盛っている。

老いた体躯からは想像もつかない力で金槌が振り下ろされ、火花が滝のように飛び散り、剣は甲高い悲鳴のような音を上げていた。


「じ、じいさん!?急にどうしたんだよ!」

「グランパル様!お体に障りますぞ!」

ドワーフたちが慌てて声をかけるが、グランパルの耳には届いていないようだ。

彼は一心不乱に剣を打ち続けている。


「だ、大丈夫なのか……?」

ロイが不安そうに呟くと、ドワーフの長老の一人が、腕を組みながらもどこか誇らしげに言った。


「ふむ……グランパルの奴、あの剣を見ちまって、昔の血が騒ぎ出したのかもしれんな。昔はアストリア中で知らぬ者はいないほどの、名うての鍛冶師だったんじゃ。腕は確かだ、そこは心配いらん。……体の方が、ちいと心配だがな。まあ、今は好きにさせてやるしかあるめえ」

一行は顔を見合わせ、ひとまずはグランパルの狂気じみた情熱に任せようと、静かにその場を離れることにした。

激しい鍛冶の音は里全体を揺るがすように、いつまでも響き続けていた。


激しい金属音は、寝床にいたジークの耳にも届いていた。


いつの間にか鍛冶場にやってきて、壁に寄りかかり、腕を組んでグランパルの作業を静かに見つめていた。表情は硬く、何を考えているのか読み取れない。


「……休めよ、じーちゃん。そんなに無理したら体に響くぞ」

ややあって、ジークが低い声でグランパルに声をかけた。心配と、もうこうなっては止められないと言う諦めに似た響きがあった。


「ふんっ!このままじゃ、この剣が泣いちまうだろうが!こいつは、もっと輝けるはずだ!わしが、こいつの魂を叩き起こしてやらねえと!」


グランパルは汗だくになりながらも、手を止める気配はない。


「……突っ立ってねーで、ほれ、そこにあるカナヅチでも取って、こっちを手伝えや!昔みたいにな!」

「……」

ジークは一瞬ためらったが、やがて無言で、壁に立てかけてあった手頃な大きさのカナヅチを手に取った。

グランパルの隣に立ち、言われるがままに熱せられた剣の特定の箇所を打ち始めた。

鍛治を手伝う手つきは慣れないながらも、どこか昔を思い起こさせるものがあった。


***





幼い頃、悪戯をしては、この大きなゴツゴツした手で、げんこつを食らわされた。





熱を出して寝込んだ時は、同じ手で、不器用ながらも冷たい手拭いを額に乗せ、一晩中そばにいてくれた。




厳しく、時には理不尽に思えるほどだったが、雪山で生き抜くための知恵と勇気を、この人は全身全霊で教えてくれた。



全てが、今の自分を作っている。



***




カァン、コォン、と、二人の打つ槌音が、不揃いながらも重なり合う。

「じいちゃん、もう……続きは、明日にでもしようぜ」

ジークが息を切らせ始めたグランパルを気遣って言う。


「なーにを甘ったれたこと言ってやがる!まだまだこれからじゃ!……お前、もし寂しーんなら、ほれ、あっちで他の子らとでも遊んでこい!確か、一番面倒見のいいこは……あぁ、そうだ、ネイシュカだ。ネイシュカと遊んでこい!」


グランパルは悪気なく言い放つ。

しかしジークにとっては残酷な言葉が心の奥底に突き刺さった。

「……ッ!!」


自分の大切な思い出の中にも、あの忌まわしい巫女の名前が、巣食うように存在している。

その事実に過去のトラウマが一気に蘇り、ジークの精神は限界を超えた。

彼はカナヅチを床に叩きつけ、耐えきれないといった表情で鍛冶場を飛び出し、狂ったように危険な雪原へと駆け出してしまった。

コールドスリープされた村人たちを、見つけ出し、あの巫女から引き離すために。


「ジーク!?おい!待て!」

ロイはジークの尋常でない様子に、考えるよりも先に後を追いかけた。

ナナミも、ジークの無謀な行動に眉をひそめつつも、心配を隠しきれない表情で、黙って二人の男たちの後を追う。


しかし、ジークの雪原を駆ける足は獣のように速く迷いがなかった。

吹き荒れる白い闇が再び彼らの視界を容赦なく奪い始め、あっという間にその背中は猛吹雪の彼方へと消えてしまった。

「ジーク!どこだー!」

ロイの叫びも、虚しく風に攫われる。


刹那、ゴゴゴゴ……という、腹の底に響く不気味な地鳴りが足元から突き上げてきた。

山が、怒っているかのように。


「まずい!雪崩だ!」

ロイの鋭い声と同時に、山肌が轟音と共に崩れ落ち、巨大な白い舌となって彼らに襲いかかってきた。

天地がひっくり返るような衝撃と、雪煙が全てを飲み込み、ロイとナナミはなすすべもなく、他の仲間たちと無慈悲に分断されてしまった。


息もできないほどの雪煙が晴れた時、そこに仲間の姿はどこにもなかった。

ただ、見渡す限り、白、白、白。

肌を突き刺すような寒気と、耳を塞ぎたくなるほどの風の唸りだけが、二人を支配していた。


「くそっ!みんなは!?」

ロイは叫んだが、返事はない。


飛び出してきた二人は、このような過酷な雪山に対応できるような装備をほとんど整えていなかった。


薄手の外套は瞬く間に湿り、立っているだけで体温を容赦なく奪っていく。

手足の指先はとうに感覚を失い、ただジンジンとした痛みが神経を苛む。

まさに、生と死の境界線上に立たされているような、極限の状況だった。





「はぁ……はぁ……もう……ダメだ……一歩も、動けねえ……」

ロイの体は鉛のように重く、意思とは裏腹に膝が雪の中に沈み込んでいく。視界が霞み、意識が遠のき始めた。


「あそこ……見て、洞穴があるわ。あそこまで頑張って」

朦朧とするロイの耳に、ナナミの芯のある声が届いた。

彼女が指差す先、雪に半分埋もれた岩肌にわずかな闇が口を開けているのが見える。

最後の力を振り絞り、ナナミに肩を貸され、半ば引きずられるようにして、二人はなんとかその小さな洞穴へと転がり込んだ。

雪風はかろうじて遮られたものの、洞内は依然として、骨の髄まで凍てつかせるような極寒の場所だった。

岩肌からは絶えず冷気が染み出し、吹き込む風が雪の結晶を運び込んでくる。

ガクガクと全身が震え、歯の根が合わない。

これからどうすればいいのか、この先、生きのこるすべはあるのか。

凍える頭では、何も有効な考えは浮かばなかった。

少しずつ時間だけが過ぎていく。奇妙なことに、あれほど感じていた寒さが、ある時から急にふっと和らいだような気がした。

いや、むしろ、じんわりと温かくなってきたような……。

ああそうだ、このまま、この温かさに身を委ねて、少しだけ眠ってしまっても……きっと、大丈夫だろう……。

ロイの頭が、コクン、コクンと、壊れた人形のように船を漕ぎ出す。見かねたナナミが、血の気の引いた顔で叫んだ。


「ーー寝たら死ぬわよッ!!」

鋭く必死な叫び声と共に、バチィィン!!と強烈な衝撃がロイの左頬を襲った。

続いて右頬にも、もう一発。

ナナミの渾身の往復ビンタだった。

脳天まで突き抜けるような痛みと、星が飛び散るような衝撃で、遠のきかけていた意識が一気に引き戻される。

「……あ、ありがとう……でも、いたぁい……! な、ナナミさん、次、もし万が一、また俺が寝そうになってたら、もうちょっとこう、肩を揺するとか、なんか、もうちょい優しめのやつでお願いできませんかね……?」

燃えるように熱く、ジンジンと痛む頬を押さえながら、涙目で訴えるロイ。

「ご、ごめんなさい……つい、力が入りすぎたみたい……大丈夫?」

普段のクールな彼女からは想像もつかないほど狼狽し、青ざめた顔で謝るナナミ。


赤く腫れ上がったロイの頬に、彼女の氷のように冷たい手がそっと触れた。

血の気の通っていなさそうな、細く繊細な指先から伝わるひんやりとした温度が、火照った頬には不思議と心地よくて、ロイは照れ臭いのを忘れ、しばしその感触に身を任せてしまう。


「眠らないために……何か、話をしよう!」

ロイがまだ少し呂律の回らない口調で提案する。

ナナミは少し落ち着きを取り戻したのか、小さく頷き、腕を組んで洞穴の壁に背を預けた。

彼女の横顔は、やはり寒さで青白い。

「体は……辛くないか?」

ロイが尋ねる。

「ええ、平気よ」

彼女は短く答えたが、その声はわずかに震え、強がっているのが見て取れた。

「寒くはないか……なんて、聞くまでもない、よな」

「ええ、とても寒いわ」

正直な答えが、か細く返ってきた。

ロイは少しでも暖を取ろうと、本能的にナナミの方へわずかに身を寄せようとした。

しかし、ナナミはその気配を察したのか、すっと身をかわし、二人の間に微妙な距離が生まれる。

「……寄らなくていいわ」

「いや、でも、俺も寒いんだよ……!こういう時は、お互いの体温で暖め合うのが、一番だって……!」

もしかして…これは…!

昔、吟遊詩人が語っていた、雪山で遭難した王子と聖女が一糸纏わぬ姿で互いの肌を重ねて暖を取り、一夜を明かすという、ロマンチックでちょっとアレなイベントがついに俺にも発生してしまうのか…!?

し、しょうがないよな、これは生存戦略だもんな、うん、不可抗力だ。

と思いつつ、正直なところ下心が無いと言えば嘘になる。

あーでもまって!若い男女がいきなりそんな……まだ心の準備が全然できていない!

ロイが一人でそんな壮大な葛藤と淡い期待を脳内で繰り広げているのを尻目に、ナナミは冷静そのものだった。

彼女は懐から、ドワーフたちの鉱山で拾った親指の先ほどの小さな魔法石のかけらを取り出した。そして、その石に自身の魔力を集中させると、石は淡い光を放ち始めた。

「ーー灯りなさい」

囁くような呪文と共に、ナナミがその光る石を洞穴の隅に落ちていた枯れ木にかざすと、ポン、と小さな音を立てて、枯れ木は鮮やかな魔法の炎を灯した。


「これで、少しは寒さも和らいだかしら」

「あ、ウン。……その、ありがとう、ナナミ」


邪な気持ちは、清らかで美しい魔法の炎が灯された瞬間に、あっという間に霧散した。

ロイは少しばかり気まずそうに、心からの感謝を込めて礼を言う。

炎は普通の焚き火の赤やオレンジとは違い、夜空に散らばる星々のかけらを集めてきたかのように、深い青や、神秘的な紫、時折混じる銀色の火花が、洞穴の壁に幻想的な影を踊らせていた。

パチパチと静かに燃える音と、不思議な色合いの光が、極限状態にあった二人の心をほんの少しだけ温めてくれる。


幻想的な炎を見つめながら、ロイはふと口を開いた。


「ナナミの……夢って、なんだ?」

「夢……?」


ナナミが炎から視線を移し、不思議そうにロイの顔を見る。

ライラック色の瞳が、魔法の光を映してきらめいた。


「いや、ほら、なんでこの旅をしてるのかなーって思ってさ。みんな何か目的があったり、何かを求めて旅立ってるみたいだったから。クロエとかシルリアは騎士としての使命があるみたいだし、ジークは……まあ、色々あるんだろうし。ナナミは、どうなのかなって」


「……そういえば、あなたにはまだちゃんと言ってなかったわね。なんでかしらね。私にもまだよく分からないの。ただ、ここにいてはいけない、どこかへ行かなければならない、そんな気がしただけ」


まるで風に吹かれる枯葉のように呟く。どこまでも儚く、掴みどころがなかった。


「そっか。じゃあ、理由も旅をしながら探し中ってことか」

ロイは自分でも意外なほど優しい声が出たことに気づく。

「見つかるのかどうかも、分からないけれど。……そういうロイの夢は? 」

今度はナナミが静かに問い返してきた。


「俺かぁ。俺もなぁ……実はこれといって、なんにもないんだよな、それが」


ロイの灰色の瞳が、魔法の炎の揺らめきを映す。

瞳の奥に彼自身もまだ気づいていない、深い空虚さと、少しの寂しさが影を落とした。


「てっきり、どこぞの美しい王女様と結婚して、国の半分を手に入れるとか、そういう浅はかな夢でも持っているのかと思っていたけれど、意外ね」

ナナミがいつものクールな口調に戻る。

どこか面白がるように、少し意地悪な笑みを浮かべて言う。

「浅はかって……!そんなのは俺にとっちゃ、とんでもなく壮大で素晴らしい、まさにビッグドリームだよ……!不相応なほどにさ……。思ったことがないと言えば嘘になるけど……」

ロイは本気で落ち込んだようで、若干ムキになって呟く。

反応が可笑しかったのか、目を伏せナナミはつい口元を手で隠してしまう。


ふと、ナナミが真剣な眼差しでロイの瞳をじっと見つめた。


焚き火の魔法の光が、彼女の顔を美しく照らし出している。

そのせいか、それとも何か別の理由があるのか、普段は感情をあまり表に出さない彼女のライラック色の美しい瞳が、薄く涙の膜を張ったように潤んで見えた。

ノルディアの巫女ネイシュカのガラス玉のような瞳とどこか似ているようでいて、もっとずっと人間的な、深い悲しみと何かを必死に訴えかけるような、切ない光を宿していた。






「あなたの夢が、どんな夢であっても、たとえそれが、誰かにとっては浅はかで、馬鹿げたものに思えたとしても……私はずっと、応援しているわ」






「……え?」






時が止まったかのように感じた。

数秒間、二人はただ、言葉もなく見つめ合ってしまった。

思ってもみない、あまりにも真っ直ぐな言葉に、ただ驚いてしまっただけだーー

ロイは必死に自分にそう言い聞かせようとした。

けれど、どうしようもなく、胸の奥が、ズキン、と甘く痛んだ。

今まで感じたことのない、温かくて、どうしようもなく切ない痛みだった。

凍てついていた心の奥底に、小さな魔法の炎が灯されたような感覚。






「おーい!ロイの坊ちゃんにナナミの嬢ちゃーん!無事かーい!いるなら返事をしておくれー!ここから上へ上がれるぞー!」





見つめあっていた2人の視線を裂くように、洞穴の外から、聞き慣れたドワーフの野太くも頼もしい声が響き渡り、二人の間の張り詰めていたような、しかしどこか心地よかった微妙な空気を破った。


探しに来てくれたドワーフに導かれ、二人は疲労困憊ながらも無事に救出された。

仲間たちの元へ戻れるという安堵感は大きかった。


安堵感の中にも、あの不思議な色をした小さな炎が灯ったまま。





外は再び猛烈な吹雪が猛威を振るっており、視界は数メートル先すら見通せない。

この状況では、ジークを捜索しに行くことは不可能だった。

ロイとナナミは、吹雪の向こうに消えた友の身を案じながらも、今はただ、この非情な天候が回復することを、もどかしい思いを抱えながら待つしかなかった。

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