3-4「氷結の塔」
ドワーフの里での束の間の休息と、グランパルとの邂逅、ロイの剣に託された新たな希望。
それらを胸に、巫女がいるという氷結の塔へ向かった。
ドワーフの屈強な案内人たちは、里から少し離れた場所まで、魔獣の目を避けるための薄暗い地下ルートを使い、一行を安全に導いてくれた。
「この先は、俺たちも滅多に近寄らねえ氷の荒れ地だ。氷結の塔までは、そう遠くはねえはずだが……くれぐれも気をつけな」
地上へと続く洞窟の出口で、ドワーフの一人が心配そうに告げる。
彼らと別れ、再び踏み出したノルディアの地は、里の周辺とはまるで様相が異なっていた。
厳しい寒さと、常にどこからか感じられる魔獣の禍々しい気配によって、かつては人々が暮らしていたであろう集落の痕跡も、今は雪と氷に閉ざされ、見る影もない。
荒涼とした、命の温もりがほとんど感じられない大地が広がっていた。
氷の荒野の果て、世界から拒絶されたかのように天を突く巨大な氷の柱が見えた。
あれが巫女ネイシュカの住処、氷結の塔。
近づくにつれて、異様な姿が明らかになる。
塔は巨大な氷塊をそのまま削り出したかのように、不自然なまでに滑らかに冷たく輝いていた。
周囲には凍てついた木々が墓標のように立ち並び、風が吹き抜けるたびに、氷の枝が擦れ合う甲高い音が、悲鳴のように響き渡る。
氷結の塔の麓に、ポツンと一つの人影があった。
雪と氷に閉ざされたような場所に、一人佇む姿は、遠目にも信じられないほど美しく、同時に触れたら砕けてしまいそうなほど儚げで、この世の者とは思えない人間離れした雰囲気を漂わせている。
純白の衣を纏い、長くプラチナブロンドに輝く髪が、凍てつく風に静かになびいていた。
「まるで……氷の女王ね」
クロエが思わずといった風に白い息を吐きながら、ポツリと呟いた。
畏怖と、警戒の色が混じりあった声だった。
き
「うおお……あんな薄着で、毛皮もなしに、この寒さを……! あの服の下には、きっととんでもねえ筋肉が埋まってるに違いねえな……!」
ナックが、いつものように場の空気を読まない感嘆の声を上げる。
クロエの容赦ないげんこつが、ゴツン、と鈍い音を立ててナックの頭に炸裂した。
「いってぇ! 何すんだよ、クロエ!」
「あんたは少し黙ってなさい!」
小さな騒ぎに気づいたのか、ノルディア雪原国の巫女、ネイシュカがゆっくりとこちらに視線を向け、そして静かに近づいてきた。
歩みは、雪の上を滑るかのように音もなく、優雅だった。
「やぁ……君たちが、噂の魔王討伐の一行、かな? 遠路はるばる、よく来てくれたね。……すまないね。今のノルディアは、こんな有様で客人をもてなす余裕もなくて」
見た目の冷たさとは裏腹に、寂しさと深い疲労を滲ませていた。
彼女から、この国の人々が日に日に増す厳しい寒さと、凶暴化する魔獣の脅威に耐えきれず、希望を失い、次々と国を捨てて南へと去ってしまっているという、痛ましい現状が語られた。
ネイシュカが話をし終えた、瞬間だった。
それまで感情を押し殺し、硬い表情で黙り込んでいたジークが堰を切ったように激昂したのだ。
「お前がッ!!お前が……!お前が村の人たちを……俺の家族を、みんなを氷漬けにしたからだッ!!みんな……みんな、お前のせいで……ッ!今すぐ、みんなを元に戻せェッ!!」
怒りと悲しみで震える声、アイスブルーの鋭い目が憎悪に燃えていた。ネイシュカに掴みかからんばかりの勢いで詰め寄り、凍てついた大地に突き刺さるようにジークの叫びが響き渡っていく。
***
彼の脳裏には、あの日の光景が悪夢のように鮮やかに蘇る。
まだ幼かった頃の、穏やかで幸せな記憶。
優しい父さんと母さん、悪戯好きの妹。
村では、年に一度の常夜のお祭りの準備が進められ、家々の窓には温かな灯りが灯り、子供たちの楽しげな声が響いていた。
ジークも、小さな手に飾り付けを持ち、大人たちの手伝いをしていた。
それが突然、終わった。
パチン、と音がしたかのように、村中の灯りが一斉に消えた。
何が起きたのか分からなかった。
次に意識が戻った時、ジークは冷たい地面に倒れており、体のあちこちがジンジンと酷く痛んだ。
腕から流れる血の生温かい感触だけが、妙にリアルだった。
朦朧とした視界の中、ジークが見たものは信じられない光景だった。
さっきまで笑い合っていた村の人々が、父さんが、母さんが、妹が、時が止まったかのように、様々なポーズのまま、美しい氷の彫像と化していた。
氷漬けにされた村人たちの傍らには、ただ一人、あの女、ネイシュカが何の感情も浮かべない顔で静かに佇んでいた。
絶望が、幼い心を叩き潰した。
理解を超えた現実に、ただ、喉が張り裂けんばかりに絶叫することしかできなかった。
***
過去の悪夢から引き戻されたジークは、荒い息をつきながらも、ネイシュカにそれ以上何も語らず、逃げるようにその場を立ち去った。
残されたのは、無表情なままのネイシュカと、どうしていいか分からず立ち尽くす、めちゃくちゃ気まずい雰囲気の勇者一行だった。
「い、いやぁ、すみません、ネイシュカ様。ジークの奴、ちょっと虫の居所が悪かったみたいで……」ロイが、冷や汗をかきながら、必死にフォローの言葉を探す。
ネイシュカは、静かに首を横に振った。
「……構わないよ。彼の怒りは、きっと妥当なものだから」
傍らにある塔の内部で小さく揺らめいているように見える、万年氷の種火へと視線を向ける。
彼女の瞳には深い悲しみとも諦めともつかない、複雑な色が浮かんでいるように見えた。
「きっと……何か、理由があるのでしょう?村の人たちのこと……」
クラリスが、穏やかながらも真実を求めるように問いかける。
「……彼の言った通りだよ。私が、そうした」
ネイシュカは、それ以上何も語ろうとはせず、また音もなく雪の上を進み、ついには氷結の塔へ閉じこもってしまった。
氷の扉が閉まる音が、ズズンと重たく響き渡る。
「あんなにいつも冷静なジークが、あれほど取り乱してるなんて……よっぽどの因縁があるみたいだね」
シルリアが心配そうに、ジークが去っていった方向を見つめながら呟く。
「一体、何があったんだろうな……」
ナックも、いつもの軽口を叩く気力もないといった様子で、神妙な顔つきだった。
一行はネイシュカのいる塔へ一礼し、深く雪に覆われた道端で一人佇むジークの元へと急いだ。
追いつくと、ジークは肩を震わせ顔を伏せていた。
やがて、ぽつり、ぽつりと、途切れ途切れに、あの日の出来事を語り始めた。
「……祭りの準備の、真っ最中だったんだ。みんな、笑ってた。……次に目が覚めたら、村の奴らはみんな……みんな、氷の中にいた。ネイシュカが……あいつがそこに立ってた」
押し殺した嗚咽で、意図なく声が震えていた。
「あとでじいちゃんに聞いたから……分かってるんだ。魔獣になにかされて……このままじゃ、みんな死んじまうって時に、あいつが……氷漬けにして、死なせなかった……ってことは。でもな……!」
ジークはようやく顔を上げる。
苦痛に歪む目で、ロイを見た。
「俺にとっちゃ、あんなのは……死んだも同じなんだよ!目の前で、あんな……あんな姿にされて、俺だけが何もできずに生き残って……!あいつのやったことが、正しいことだったのかもしれねえって、頭のどこかで分かってても……俺はあいつを許せねえんだよ! 八つ当たりなのかもしれねえ……それでも、この怒りを、どこにぶつければいいのか……」
大切な人々が目の前で時を止められ、自分だけが何もできずにのうのうと生き残ったことへのどうしようもない無力感と、ネイシュカへの止められない怒り、そしてそれが正当なものではないかもしれないという自覚。
全てが、彼の心を苛んでいた。
「村人たちを助ける手がかりを、一緒に探してみよう、ジーク」
ロイがジークの肩に手を置き、力強く言った。
「探したんだよ!俺なりに、ずっと……!でも、手がかりなんて、どこにもなかった。今んとこ、俺に分かるのは……魔王を倒す以外に方法が思いつかねえってことだけだ。魔王を倒したところで、みんなが元に戻る保証なんて、どこにもねえけどな……そもそも倒せるかだって!」
「倒すさ!お、俺たちが……俺たちが、倒すんだろ?」
悲しい過去の出来事を話してくれたジークを励まそうとするが、放った言葉にはどこか不安が漂う。
「ロイ……」
ジークの脳裏には、また別の記憶が蘇った。
ロイたちと出会った日のことだ。
***
ドワーフの里を出て、あてのない旅を続けていた頃だった。
酒場で一人、エールを呷っていると、妙に馴れ馴れしい連中が声をかけてきたのだ。
「みろ! あの腕の傷! あれはきっと、幾多の戦場を潜り抜けてきた、歴戦の戦士の証だ!」
「なぁ! 魔王討伐に興味ないか?!」
青髪の、頼りなげだが灰色の目の輝きだけは妙に強い男ーー
ロイが興奮した様子で捲し立てる。
「魔王討伐?もしかしてあんたら勇者かなんかなのか?」
ジークは面倒くさそうに答えた。
「そうそう!その通り!お前も歴史に名を残す、語り継がれる男に憧れるだろ?憧れるよな?!なあ!」
「いや、悪いけど、そういうのには全く興味ないね」
「そう言わずにさぁ……!頼むよぉ……!お前みたいな強そうでちゃんと常識がありそうな奴が、俺たちの仲間には絶対に必要なん……あっ、いや、その、とにかく!人助けだと思ってさ……!な!頼むって……!」
ロイは、ほとんど泣きつかんばかりの勢いで頭を下げてきた。
ジークは、彼の必死な姿に、少しばかり呆れながらも、ふと、ある考えが頭をよぎった。
「……じゃあ、俺の願いを、一個だけ聞いてくれるんなら、考えてやってもいいかな」
「……!ほ、ほんとか!?よっしゃあ!……で、でも、で、できるだけ、叶えられるやつで頼むな?な?な?!」
「そんなに難しい、大それた願いじゃないよ」
そう言って静かに笑った。
***
「頼むよ、ロイ」
ジークは現在のロイに向き直り、瞳に懇願の色を浮かべて言った。
「俺の村を……俺の家族をこんなにしたネイシュカを……この地を苦しめる魔獣を……お前の手で葬ってくれよ」
先程までの怒りとは違う、静かだが心の底からの叫びだった。
「そ、それは……」
ロイは言葉に詰まった。
勇者として、魔王や魔獣を倒すという使命は理解できる。
しかし、一個人の復讐に手を貸すということは……。
ジークは、ロイの戸惑いを察したのか、自嘲するようにフッと息を吐いた。
「……悪い。叶えられる願いしかダメだったんだよな。分かってる。……俺、ちょっと頭冷やしてくるわ」
そう言うとジークは再び一人、雪の降る荒野へと走り出した。
「ジーク!」
彼の背中に声をかけたが立ち止まることはなかった。




