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ruth story  作者: Cy


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2-6「星割れの日」



ツクヨの国での厳しい鍛錬にも、一行は少しずつ慣れてきていた。

からくり屋敷での動きも洗練され、ミコトの課す修行の成果が着実に表れているのを誰もが実感し始めていた。

今日もまた日が傾きかけるまで続いた厳しい稽古が終わり、それぞれが心地よい疲労感と共に一息ついているところだった。

ジークは大きなあくびを一つ漏らし、クラリスは木陰にもたれて、そばに集まる精霊たちと静かに言葉を交わしている。

肩に止まる精霊とそっと目を合わせると、目尻を下げて何か囁いた。風が葉を揺らし、彼の言葉に応じるかのように淡い光が舞った。


少し離れた場所では今日も盛大なたんこぶを額にこさえたナナミを、見かねたクロエが濡れた手ぬぐいで優しく冷やしてやっていた。

シルリアは弓の手入れに余念がなく、ナックはいつものように黙々と素振りを続けている。

穏やかな夕暮れ前のひととき。


しかし、静寂は唐突に破られた。

一番星が空に瞬き始めた、まさにその時。

どこからともなく、ガァ、ガァ、と黒い鳥の耳障りで険しい鳴き声が響き渡ったのだ。

不吉な警告のように、澄んだ夕暮れの空気を切り裂く。

マルザフィリアのような魔獣が現れた時と似た、肌が粟立つような異様な空気感。

ここ数日の鍛錬で精神が研ぎ澄まされていた仲間たちは、弾かれたように顔を上げ、一斉に辺りを警戒した。


次の瞬間、空が黒く染まった。

無数の異形の影。

鳥とも獣ともつかない、禍々しい姿の魔獣たちが聖域の結界を突き破り、空から雪崩れ込むように襲いかかってきたのだ!


「魔獣……!」

「上だ!」


すぐさま一行は武器を手に取り、迎撃態勢に入る。

だが、魔獣の数はあまりに多い。

斬っても、焼いても、打ち払っても、後から後から、まるで湧いて出るように現れ、聖域は瞬く間に混乱に包まれた。

悲鳴を上げながら、麓の街から聖域へと逃げ込んでくる住民たちの姿も見える。


「くそっ、キリがない!」

「麓の街にも被害が出始めてる!」

「!!」


その声を聞いた瞬間、ナナミが弾かれたように駆け出した。

向かう先は麓の街だ。


「ナナミ!おい、待て!」

ロイは咄嗟に彼女の後を追う。

一人で行かせるわけにはいかない。


「ロイ!ナナミ!無茶はするな!」

ジークが叫ぶが二人の足は止まらない。

追いかけようにも敵の数が多く、残された者たちは防戦一方だった。

「麓は2人に任せてここは俺たちで守ろう!」

ナックが斧を構え、クラリス、クロエ、シルリアも頷き、聖域に残ったメンバーは押し寄せる魔獣から住民たちを守るべく、それぞれの持ち場へと散っていった。


***



聖域での激しい戦闘の喧騒。

ミコトは屋敷の縁側から険しい表情で見つめていた。

だが彼女の視線は空の魔獣ではなく、どこか別の、もっと根源的な異変に向けられているようだった。

不意に何かに気づいたようにハッとし、彼女は踵を返して屋敷の奥「月の間」へと急ぎ足で向かった。


ただならぬ様子に、魔獣を薙ぎ払いながらもミコトの動向を気にしていたナックが気づく。

「ミコト!?」

彼はすぐさま他の仲間に後を託し、ミコトの後を追って月の間へと駆け込んだ。


月の間の中央、星辰の盤はいつもと明らかに違う禍々しいほどの強い光を放ち、ぶるぶると微かに震えていた。

盤の表面には黒い靄のようなものがまとわりついている。


「……やはり、そうか」

ミコトは盤を見つめ、絶望的な表情で呟いた。

「言伝えは真であったか……。二百年前、魔王が封印された際、魂は七つに分かたれ各国の聖域に飛んだと……。欠片の一つがよりにもよって、この星辰の盤に宿ってしまっていたとは……!」

盤の異常な光と振動、空から際限なく湧き出る魔獣。全ての元凶はここにあったのだ。

全てはこの盤に引き寄せられてしまっていたのだ。

魔王の魂の一つが、今ここで目覚めようとしている。

盤の周囲には見えざる力の軌跡が縒れていた。

星が割れようとしている。


「だったら壊すしかねぇ!」

ナックは即座に斧を構える。


「ナック!いつの間に……待て!早まるでない!」

ミコトが鋭く制止した。

深い苦悩と恐怖の色をうつした表情で、ナックの腕を強く握る。


「これは……この盤は、古くから我が国の星詠みの巫女へと受け継がれてきた聖なる遺産……。この国の未来を導く、なくてはならないものなのじゃ……!」

壊したくない。

しかし、このまま放置すれば魔王の魂はさらに力を増し、国そのものが滅びかねない。

いや、もはやアストリア全土すらも危ういかもしれない。


盤を守り、魔王の魂の封印を強める方法が一つだけあることをミコトは知っていた。

その方法は星詠みの巫女自身の命を、盤に捧げることーー。


「……ワシの命をもって封印を強めれば……この盤を壊さずとも災いは防げる。……星がずっと前から、そう告げていた」

ミコトは諦めたように静かに告げた。


「ふざけるな!なんで巫女が、なんでお前が犠牲にならなきゃならねぇんだ!」

そんなことは許さないとナックが吠える。


「……きっとそれが、盤が決めたワシの役割なのじゃろう。それにワシがいなくなったとて、すぐにまた新たな星詠みの巫女が立てられる。ただそれだけのことじゃ」

ミコトはどこか遠い目をして呟く。




「……いくらでも代わりなんている。“ワタシ”も……お前たちのような魔王討伐をする者もな」





ミコトの脳裏に苦悶の表情のまま、国の為に命を散らしていった歴代の巫女たちの姿が浮かぶ。

重なるように、希望に満ちた顔で魔王討伐に旅立ち、二度と帰らなかった幾多の勇者たちの姿も……。

ロイたちよりも前に「灰の瞳の勇者」と呼ばれ称えられ、無念の内に命を落としていった、何組もの先発隊を彼女はこの月の間から見送ってきたのだ。

諦めにも似た深い悲しみを湛えた表情で、ミコトはゆっくりと震える手を星辰の盤の上へと伸ばした。


***




一方その頃、麓の街へと駆けつけたナナミは次々と強力な魔法を放ち、家々を襲う魔獣を薙ぎ払っていた。

黒い影が彼女の放つ純粋な魔力の光に触れると、断末魔の叫びと共に塵となって消えていく。


「ひっ、ひぃぃ!」

物陰から怯えた住民が顔を出す。

「早く聖域へ逃げなさい。魔獣の餌になりたいの」

ナナミは鋭く言い放ちながら、住民たちを安全な場所へと誘導する。


敵は消しても消しても、空から次々と湧いてくる。

まるで底なしの悪夢のようだ。

空に蔓延る魔獣の群れを、大規模な魔法で一掃した後、ナナミはふと自分の手のひらを見つめ、ぐっぱ、ぐっぱ、と握り開いて感触を確かめていた。

「……やっぱり。聖域あそこにいると、……調子が出ない」

意味深に呟いた彼女の背後から、一体の巨大な魔獣が音もなく忍び寄り、鋭い牙を剥いて襲いかかった!


「危ない!」

ジャキン!

金属が擦れる鋭い音と共に、魔獣の牙がナナミに届く寸前で、横から飛び込んできた剣がそれを弾き飛ばした。ロイだった。


「ロイ……!」

「ははっ……!油断大敵!背中がガラ空きだったぞ、ナナミ!」

ロイは息を切らせながらも、強気に笑ってみせる。

急いで駆けつけた足が恐怖でガクガクと震えていることに、ナナミは気づいていた。


「……あなたは聖域にいた方がいい。ここは危ないわ」

ナナミが静かに言う。

彼の実力ではこの数の魔獣相手は荷が重すぎる。


辺りを見回せば、すでに二人は新たな魔獣の群れに取り囲まれていた。

もはや退路はない。ロイは震える足を叱咤し、剣を構え直すとナナミの隣に並び立った。

二人は自然と背中合わせの陣形をとる。


「……そんなのはナナミも同じだろ。俺、正直言ってあんまり役に立たないかもしれないけど。それでもナナミの“背中”を守るくらいならできる、から……!」

ザシュッ!言い終わるか終わらないかのうちに、すぐさま向かってきた一体を切り伏せ、ロイは叫ぶように言った。


「……!」

ナナミの肩がピクリと小さく震えた。

横顔にほんの一瞬、驚きと、微かな嬉しさが浮かんだのを、ロイは見逃さなかった。

急にカッコつけたセリフを口走ったことが恥ずかしくなり、照れ隠しに鼻の下をこする。


「……そう。じゃあ私の“背中”お任せするわね。……勇者様」

いつもの冷たさとは違う、少しだけ柔らかな響きがあった。

ロイは迫りくる魔獣たちを睨みつけながら、無理やりに、ニィッと口角を上げて笑って見せた。恐怖も、劣等感も、今は全てこの背中合わせの温もりの中に押し込めて。


***




月の間。


ミコトが星辰の盤にその手を触れさせようとした、その瞬間。

「そんなことさせるかっ!!」

背後から伸びてきたナックの大きな手が、ミコトの細い手首を強い力で掴んだ。

あまりに強い力に、ミコトは「いっ…!」と顔を歪める。


ハッとしたナックは慌てて力を緩め、今度は壊れ物を扱うかのように、そっと優しくその手を握り直した。

強さばかりを求め続けてきた彼には、大切なものをどう扱えば傷つけずに済むのか、力加減がまだよく分からなかったのだ。

大事に、大事にしなければ、すぐに壊れてしまうというのに。

たった今ようやく少しだけ分かったのかもしれない。彼は一度だけ、確かめるようにミコトの手をぎゅっと握りしめると、名残惜しそうに自分の武骨な手とは違う、白くて滑らかな手を離した。


やがて切実に願うように、心の底からの叫びを迸らせる。

「定められた運命……?そんなもんクソ喰らえだ!俺がいくらでも紡いでやる!俺がお前の道を切り開いてやる!俺自身が!お前の、ミコトの運命になってやるんだよ!」


「ナック!やめろ!盤に手を出すでない!」

ミコトの制止の声も聞かず、ナックは雄叫びを上げ、星辰の盤に渾身の力を込めて斧を振り下ろした!


ガギィィンッ!!

凄まじい金属音と共に、激しい衝撃がナックの腕を襲う。

だが、星辰の盤には傷一つついていない。

逆に、斧を握る彼の手が痺れ、皮膚が裂けて血が滲み始めていた。


それでもナックは止まらない。

何度も、何度も、狂ったように斧を盤に叩きつける。

一撃ごとに手が砕けるような痛みが走るが、彼は歯を食いしばり、攻撃を止めない。

その姿を、ミコトは唖然として見つめていた。


攻撃する手を止めぬまま、ナックは血走った目でミコトへと向き直る。

「俺は負けねぇんだ…!誰にも俺の代わりなんざ、務めさせてたまるか…!俺が…!俺が!俺が守る!代わりなんて、どこにもいねぇ!お前を!ミコトを!守らせてくれよ……」


盤への攻撃でボロボロになった、血と汗にまみれた手で、ナックはそっとミコトの頬に触れた。

手は震えていたが、まだ確かな温もりがあった。


手が頬に触れた瞬間、ミコトの脳裏に遠い昔の記憶が流れてくる。


試練の後、無機質な顔をしていた少年が初めて自分だけに向けた、屈託のない笑顔。

血濡れのくせに、相手を怖がらせまいと馬鹿者なりに考えた愚策。

それが、あの時見えてしまった。

モノクロだった自分の世界が一瞬にして鮮やかな色彩に満ちたことを、彼女ははっきりと思い出したのだ。


ーー『瞳の奥に全てを諦めきった深い色を宿しておるにも関わらず、それでも必死に足掻こうとする、どうしようもない馬鹿者』ーー


(……まったく、どこまでも……バカな男じゃ……)

ミコトの瞳から熱い涙が止めどなく溢れ出した。

それは諦めの涙ではない。

ナックの愚直なまでの真っ直ぐな想いと覚悟が、彼女の心を揺り動かしたのだ。

この男ならば、本当に星の巡りさえも変えてしまうかもしれない。


ミコトは涙をぐいと拭うと、ナックの血と汗にまみれながらも自分を見つめる真っ直ぐな瞳を、強く、強く見返した。

瞳の奥に宿る揺るぎない決意と自分への深い愛情を、全身で受け止める。

もう迷いはない。

彼に、全てを託す。


彼女はナックからそっと視線を外し、砕け散る寸前の、しかし未だ禍々しい光を放ち続ける星辰の盤へと再び向き直った。

ゆっくりと両の手を胸の前で清浄に組み、静かに目を閉じる。

唇から、いにしえの時代よりこのツクヨの地に生きる星詠みの巫女だけが知る、聖なる女神エデルへの祈りが、厳かに、魂を震わせるように力強く紡がれ始めた。


星影ほしかげより生まれ出でし、慈愛と勇気の御女神おんめがみエデルよ。星辰せいしんの盤に縛られし、古き運命のことわり、今ここに、一人のおのこが、全てを賭して抗わんとしております。彼の折れぬ魂に星をも砕く力を。彼の穢れなき願いに、未来を照らす一筋の光明をーー!」


祈りがクライマックスに近づくにつれて、ミコトの身体から、彼女が手をかざす星辰の盤の最後の残光からも、これまでとは比較にならないほど力強い、純粋な霊気が溢れ出し始めた。

夜空に輝く全ての星々が一斉に共鳴し、彼女へとその力を貸し与えているかのようだ。

集まった光はミコトの組まれた手のひらで眩いばかりに凝縮され、やがて一条の天を衝くような神々しい閃光となって、背後のナックへと向けて放たれた!


「彼の手に星の祝福を!その一撃に我が魂の全てを乗せて!!」


光はナックの全身を包み込み、彼の傷つき、血に濡れた体に、溶けた黄金のように流れ込んでいく。

とても温かいのに荒れ狂う奔流のような、圧倒的な力強いエネルギーだった。

彼の筋肉が軋むほどに膨れ上がり、疲弊しきっていたはずの身体の奥底から、新たな力が灼熱のマグマのように、止めどなく湧き上がってくるのをナックは感じた。

視界が白く染まり、全ての痛みが消え去り、ただミコトの想いだけが全身に満ちていく。


ミコトは組んでいた手を解き、力強く目を見開いた。

彼女は全ての想いを込めて、叫んだ。

「……行け、ナック!」

もはや巫女としてではなく、ナック・エイジという一人の男を信じ、愛する男の背中を力強く押す、魂からのエールだった。


ナックはミコトの想いと、女神の祝福を全身で受け止め、大きく力強く頷くと、全身全霊、魂の全てを込めて最後の一撃を振り下ろした!


ミコトの加護を得た一撃は、これまでの攻撃とは比較にならないほどの凄まじい光と衝撃を伴い、星辰の盤の中心を捉える。


――パリンッ!!


まるでガラスが砕けるような、甲高くて澄んだ音が響き渡った。

次の瞬間、星辰の盤は眩いほどの光を放ちながら、粉々に砕け散った。

盤を構成していた無数の星屑のような破片が、光の粒子となって宙を舞いながらゆっくりと力を失い、消えていく。


同時に、部屋の窓から見える美しい夜空を、一筋のひときわ大きな流れ星が、盤の破壊に呼応するかのように割れてゆく。

長く、長く尾を引きながら静かに横切っていった。

砕け散った盤の破片が流星の軌道を描くように、きらめきながら闇へと消えていく。


ツクヨの国の空の下、聖域で戦う者も、麓の街で戦う者も、祈りを捧げる者も、誰もが圧倒的な光の奔流と、夜空を駆け抜ける流星をただ息を飲んで見上げていた。

盤が砕けた瞬間から、あれほど湧き出ていた魔獣の気配が嘘のように消え失せていることに、まだ誰も気づいてはいなかった。


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