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episode72 ムーンウォーク

 


 月面着陸という大偉業を果たし、俺とシャーリーは今、船外活動に向けた準備を行っていた。



「よし、各部点検完了。再与圧も問題無さそうね」


「ああ。今もこうしてヘルメット外せてるし大丈夫だろ」



 着陸時は万が一に備えてヘルメットを着用していたが、今は外して作業をしている。


 重力があるのに物が思ったよりも軽くて、それが俺達が月面にいることを認識させる。


 ふと窓の外を見る。


 そこには荒涼とした灰色の地面……月面が広がっている。


 そして地面は明るいのに空は真っ暗という状況が、異星に来たのだと改めて実感させられた。



「ホント……異様な光景ね。明るいのに空が暗いなんて」


「ああ、俺も思ってた」



 シャーリーも同じように外を見たのだろう。


 俺とおんなじ感想を持ったようだった。



「船外活動はいつ頃始めるの?」


「地上の準備が整ってからだ。皆今頃は近くの広場に集まってるんじゃないか?」


「そっか。たしか広場に大型スクリーンを置いてるんだったわね」



 月面に降りる様子は中継されることになっているが、TVなんて普及してないし、もっと言うなら俺達や政府機関くらいでしか使っていない。


 だからパブリックビューイング形式にして見てもらうことになっている。


 各国国王や教皇猊下はミッションコントロールセンターにいるから最悪、国王達には降り立つ場面を見せることはできるだろう。



「エリオット達は通信関係を確認してるんじゃないか? ティアのいるレジリエンス経由で映像を送るから」


「となると私達は結構暇ね。この時間」



 前世のアポロ計画ではこうはいかなかっただろう。


 船外活動は船外活動服という装備を着用するが、これを着るのに二人がかりで二時間くらいはかかってしまう。


 理由は単純に重いし、着にくいから。


 与圧服という打ち上げの際に着る装備に生命維持装置や通信用のキャップ、冷却下着に回す水を送るパイプの接続などなど色々やらなきゃならなかった。


 しかし今世ではスライム製インナーと防汚を付与したパンツ、そこにTシャツを着て、ドラゴンスーツという前世のSFアニメに出てきそうな宇宙服を着る。


 これは与圧服であり船外活動服だから、俺達に残された仕事はヘルメットをかぶって船内の空気を抜いて降りるだけだ。


「にしてもこのスーツって結構熱がこもるわね。暑いわ」



 シャーリーがスーツ全面のファスナーを開けて、Tシャツの首元をパタパタと扇ぐ。



「宇宙服は人型の宇宙船みたいなもんだからな。空気を逃さないってことは熱も逃さないってことだ」


「なるほどね。だからスライムインナーが必須って訳ね」



 シャーリーのTシャツの隙間からチラリと見える半透明のスライムインナー。


 半透明だから隠してるのか隠してないのかわからんそれはほんのりと肌色を透過させている。


 ……うむ。なんというかエッ――



「なんか今邪なこと考えなかった?」


「いいえ」



 女性はそういう視線に敏感である……とは聞いていたが本当のようだ。


 ……もしかして、ここまでの道程でシャーリーとティアの服の隙間をチラチラ見てたの知ってたりするのか?


 ……聞かないでおこう。










 ◆










 地上の準備が整ったということで、ヘルメットをかぶり船内の空気を抜く。


 その作業も滞りなく終えて、シャーリーが足元にあるハッチを開けようとしゃがみ込んでノブに手をかけていた。



「じゃあ、開けるわよ」


「おう」


「んっ!」



 小さく気合を入れて、シャーリーがハッチを開けた。



「「……」」



 二人してハッチの外を見た後、顔を見合わせる。


 窓越しではなく、ヘルメットのバイザー越しで見るとこんなに印象が変わるのか。


 前世で船外活動をしたことがある宇宙飛行士が、船外活動で見る地球は別格と言っていた意味が今だとわかる。


 これは確かに別格だ。



「ほら」


「お、おう……」



 うつ伏せになって足からハッチの外へと出していく。


 今世の宇宙服はスマートだから出やすくてありがたい。


 ……前世の宇宙服では出にくかったらしい。


 どれくらいかは全くわからないけど。前世の宇宙服を着たことないから。


 足が着陸脚のハシゴ部分まで届いた。


 ここでステップ部分にあるレバーを引き、着陸船下部の側面部分を展開させる。


 その中にカメラが搭載されていて、展開を終えると映像を地上へと送る仕組みになっている。



『アーサー様、あなたの降りる姿が見えています』


「オーケー、マティルデ」



 ちゃんと映っていることをマティルデが報告してくれる。


 カメラが正常に稼働してくれているようで何よりだ。


 さて、ハシゴの最後……着陸脚の一番下辺りまできた。


 着陸時に衝撃を逃すように設計した都合上、ハシゴを地面まで伸ばすことができなかったから、最後は飛び降りる形になる。


 とは言っても数十cmくらいなもんだけど。


 ということで、ジャンプ。


 着陸脚のお椀状の足部分に降りた。



「今、着陸脚の足部分にいる。足は数cmだけ沈み込んでいるくらいだ」



 足元を見渡してみる。


 月の砂……レゴリスは非常にきめ細かく、良質な砂浜のような砂だ。


 鳥取砂丘とかの砂がこんな感じだったはず。


 なるほど、だからあそこで月面車とかの走行テストしてたのか。納得。



「……今、着陸船から降りる」



 もう目の前。


 たった一歩足を踏み出すのになんでこんなに緊張するのか。


 別に足を踏み入れた瞬間、身体が焼かれる訳じゃない。


 ただの地面……それなのにすごく緊張する。



 ゆっくりと足を上げ、着陸脚の上から月の地面の上へ。


 そして、またゆっくりと足を降ろす。


 足に硬い感触が伝わった。


 俺は今、月面に足を踏み入れた。



「……」



 感無量……それ以上の表現が見つからない。


 踏み出した左足の次は右足。


 その足も月面に接したことで、俺は完全に月面に降り立った。



「……海とかを冒険できたらそれでよかったのに――」



 視線を地面から遠くへ。


 白く小高い丘と黒い空。


 エンデバーの窓よりは視点が低い景色。


 何回見ても異世界っぽい。


 ……アルカイムも俺から見たら異世界だけども。



「――ずいぶんと遠くまで来てしまったな」



 ここまで来る為に、たくさんの人達の力を借りた。


 俺一人じゃ絶対に成し得なかった。


 ちくしょう……涙が出てくる……



「ねぇ! 私も出ていい?」



 感謝が胸に溢れている時だった。


 気の抜けた声がヘルメットのスピーカー越しに響いた。


 出ようとしてた涙が引っ込んだぞ。



「おう! 出ていいぞ!」


「オッケー!」



 ハッチからシャーリーの体が出てくる。


 一応、何事もないように見守っているけど、この宇宙服結構丈夫だから数mの高さから落ちてもなんてことないんだよなぁ。


 さすが竜の革。


 足元を確かめながらゆっくりと降りてくるシャーリー。


 それを眺めながら、ふと思った。


 今は落ち着いているが、月面に立った時のあの感情の昂り……あんな状況でアームストロング船長はあんな名言残したのか。


 ――一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍である。


 これ、事前に用意していたものでもなく、言わされたものでもなくアームストロング船長があの場で思いついた言葉だったそうだ。


 その後の12号のピート・コンラット船長はイエーイって叫んでから「ニールにとっちゃ小さな一歩だったかもしれないが、俺にとっちゃ大きな一歩だぜ!」って言って月着陸船の周りをぴょこぴょこ歩き回ってたんだよな。


 なんというかベクトルは違うかもしれないけど、二人ともすごい精神性だ。



「よっ、ほっ! ほぁ……」



 着陸脚の足部分に辿り着いたシャーリーが周りを見渡して声を漏らす。



「すごいだろ?」


「ええ……本当に別世界……」



 周りを見ながら足を踏み出したからか、シャーリーは着陸脚に躓き、バランスを崩した。



「きゃあ!?」


「シャーリー!?」



 急いで駆け寄って体を支える。


 もしこれで転けてしまってバイザーが破損したら大変だ。


 そんなに柔なものではないけど、気をつけるに越したことはない。



「気をつけろ? ここ月なんだからな?」


「う、うん……ごめんなさい……」


「怪我はないか? 足を挫いたとか」


「うん大丈夫。なんともないわ」



 抱きしめる形になっていたが、シャーリーはゆっくり離れる。


 よしよし、慌てて離れてまた転けそうになるみたいな事態にはならなかったな。



『アーサー様、中継中です』


「おっといけねぇ……っ!?」



 未だ中継中であることをマティルデに言われて、いざ仕事をって思ってカメラの方を見る。


 するとカメラは真正面にあった。


 まぁ当たり前なんだけど、問題はそこじゃない。


 さっき、シャーリーを抱きしめるところをカメラはバッチリ収めたってことだ。


 要するに……抱きしめている姿を全世界に見られたってことになる。



「〜っ……」



 そばにいたシャーリーを見ると顔を真っ赤にしていた。


 どうやらシャーリーも、俺と同じことを考えていたらしい。










 ◆










 ――ミッションコントロールセンター



 全世界へ向けた月面着陸の様子や、簡単な採掘や実験などを映像で届け、中継は終了した。


 そして、いよいよ本番がやってきた。



「よし……記録班、記録ディスク切り替え」



 エリオットの命を受け、記録を取っていた魔道具にセットされている記録メディアが新しいものに交換された。


 切り替え完了の合図がされ、それを見たエリオットはマティルデへ交信を促す。



「CAPCOM、エンデバーと通信を。準備完了と伝えてくれ」


「エンデバー、こちらコントロール。準備完了です」


『了解。カメラを起動させる』



 アーサーの声がコントロールセンターに響く。


 そして三枚ある大型モニターの一番右に映像が映り出した。


 上下分割された上がアーサー、下がシャーリーのヘルメットに付いている小型カメラの映像である。



『映像届いてるか?』


『私のも大丈夫?』


「はい。問題なく映っています」



 アーサー達の確認にマティルデが答える。


 それを聞いたエリオットがコントロールセンター後方に視線を移した。


 そこには各国国王と教皇猊下が座っており、エリオットの視線を感じた教皇猊下が静かに頷いた。



「……始めよう」



 静かに、エリオットが任務開始を宣言する。


 海底から引き上げられた魔石の示した地点への調査が今、始まった。










 ◆











『エンデバー、調査開始です』


「……了解」



 中継も終わっていざ、本番。


 俺は調査開始の通信を受け取るとスーツの足にあるポケットから例の魔石を取り出す。


 すると淡く光ったあと、一筋の光が伸びていった。



「よかった……月面でも光ってくれた」



 光らなかったらどうしようかと思ってた。


 一応座標は控えてきたから行けるといえば行けるが、観測精度に難ありだったから心配だったんだよな。


 これで光の指す方向へ行くことができる。



「いやぁ、よかったよかった」


「……アーサー」



 シャーリーが腕に手を添えてクイクイと引っ張ってきた。


 どうしたんだ? まぁいいか。


 あっ、そうだ。



「一応、地上で控えてきた観測地点と比べてみるか……おっ? すごいぞ! シャーリー!! ドンピシャだっ!! 観測精度に難ありって思ってたけどそうでもなかっ――」


「アーサーっ!!」



 今度は腕に抱きついて無理やり俺を動かそうとしてきた。


 どうしたんだホントに。



『アーサー様、右っ! 右ですっ!!』


「いい加減気づきなさいよ、このバカ!!」


「右? ――うぉ!?」



 通信からはマティルデの声……ではなくてティアからだった。


 そっか、ティアもレジリエンスにある液晶モニターで映像見れるんだ。


 中継点だもんな。


 にしても必死だな。


 そしてシャーリーからも若干の涙声で罵声を受けて俺は顔を右に向けた――



 ――ら、そこに黒い3mくらいの高さの板が2m先くらいのところに立っていた。

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