episode71 月面着陸
――飛行五日目。
いよいよ本日着陸を実施する。
とうの昔にLOI-2を終えて、今俺達は遠月点近月点ともに111kmの円軌道に入っていた。
月到着から二日間、一体なにをしていたんですか? と聞かれたらひたすら確認してましたと答える。
月着陸船の機能確認、着陸地点の確認、持っていく装備品の確認と機能確認などなど。
なにせ一発勝負だ。準備は過剰にするくらいがいい。
月着陸船は月面での役目を終えるとエンジンを噴かしてまた飛んでいく……わけじゃない。
月着陸船の上段部分だけが飛んでいって司令船と再ドッキングする仕組みなのだ。
そんな構造だから着陸を中止した場合は下段部分を切り離して上段部分だけで司令船レジリエンスに戻るから再チャレンジすることはできない。
足が無くなるからな。
なに、月は逃げないのだから準備は入念にしてバチは当たらない。
こういうのはいくら時間かけてもいいですからね。
「アーサー、LGCの初期設定終わったわよ」
「ありがとう」
着陸船へと繋がるトンネルからひょこっと頭を出してきたシャーリーに礼を言う。
LGCは着陸船に搭載された誘導コンピューターのことで、俺達が主に過ごしていた司令船に積まれているものと側は全く同じだ。
しかし中身……プログラムが全く違う。
なにせ着陸船は着陸しなきゃならないからだ。
この初期設定が終わったことで、あとは俺とシャーリーが乗り込んでハッチを閉めれば分離準備が完了する。
「水は十分に積まれましたか? 月面で足りなくなると困りますよ?」
「大丈夫。満タンだよ」
荷物を着陸船に送っている俺に、司令船の操縦席に座っているティアが話しかけてきた。
「オレンジジュースはいかがですか? 出発前に一口どうぞ」
「催すとあれだからいいや、ありがとう」
「あっ! ビーフシチューの缶詰! 私のお気に入りなんです! 月へいかがですか? 美味しいですよ! あとは――」
「ティア」
見上げた先、矢継ぎ早に話しかけてくるティアの場所へ少し上がって肩に手を乗せる。
するとみるみるうちにティアの目尻に涙が溜まってきた。
「なに? どうしたの?」
リズムよくきていた荷物が来なくなったからか、着陸船にいたシャーリーが司令船へ帰ってきた。
そのタイミングで、ティアが詰まりながら口を開く。
「私……地上で、訓練したんです。……二人が帰還できない場合の……月軌道離脱の訓練を……」
「……」
あらゆる場面を想定し、訓練を行うのが宇宙ミッションだ。
そのあらゆる場面には、「月面にて活動後、トラブルで月軌道への噴射ができない場合」に備えての訓練もある。
そしてそれは司令船パイロット……ティア一人だけでアルカイムに帰還することを意味する。
「訓練だってわかってたんです。でも! 苦しくて苦しくて何回も失敗してしまいました! できるようにはなりましたが、あんな想い……したくありません」
生きているのに……すぐ近くにいるのに助けられない。
そんな中でただ一人故郷へと帰るというのは心苦しいという表現だけじゃ足りない。
そんな想いを抱えて月の周りを飛んでいなきゃならない司令船パイロットは、もしかしたら月着陸計画においてもっとも過酷なポジションかもしれない。
迂闊だった……司令船パイロットはただ月周回軌道を一人で孤独にぐるぐる回って観測する役目とだけ思ってしまっていた。
精神的に重い任務を、か弱い少女に背負わせてしまっている自分に腹が立つ。
しかし、もう予定変更はできない。
そんな俺にできることはひとつだけだった。
「ティア」
「っ!? アーサー様っ!?」
抱きしめてあげること。
そうすることでしか安心感を与えられないと思った。
抱きしめ、あやすように背中をポンポンと優しく叩く。
「大丈夫、絶対にティアの元へ帰ってくるよ。だから待っててくれ」
「アーサー様……」
空に浮いていたティアの手が、俺の背中に回る。
お互いにギュッと抱きしめ合ったあと、下にいるシャーリーに話しかけた。
「ほら、シャーリーも」
「うん」
トンネル内にいたシャーリーと入れ替わる。
「シャーリー……」
「大丈夫、なにがあるか見てくるよ。帰ってきたら月の石、一緒に見よ?」
「うん……待ってる」
「うん、待ってて」
ハグが終わり、最後の荷物を着陸船へと移したあと、着陸船と司令船のハッチクローズ作業を始める。
ドッキングアダプタ類は司令船側にあるから、ティアが先に閉める形になる。
「……」
「……ティア、そんな顔すんなよ」
「ですが……」
ハッチを手に、悲しそうな、しかし寂しそうな表情を浮かべるティアに向かって、俺は指で自身の口角を上げて見せた。
「笑顔で送ってくれ。ティアが笑顔をくれたら、俺、頑張れるから」
俺がそういうと、一瞬驚いた表情を見せ、そのあと顔を振った。
多分、気持ちを切り替えようとしているんだろう。
「――はい! いってらっしゃいませ!!」
「いってきます」
とびきりの笑顔で挨拶を交わし、ティアはドッキングアダプタを閉じてくれた。
こっちも月着陸船のハッチを閉める。
あとは空気が抜ければ切り離し準備完了だ。
ということで気圧が0になるのを待っていたら、視線を感じたので宇宙船前方を向く。
そこにはジト目をしたシャーリーがこっちを見ていた。
「なんだよ?」
「あなたって誰にでもそうなの?」
「えっ?」
「なんでもないわ。ほら、早く準備準備」
「お、おお」
なんかため息吐かれたんですけど?
◆
ミッションコントロールセンター内が緊張に包まれる。
これから月着陸船の切り離しと降下、そして着陸が始まる。
緊張するなという方が難しい状況であった。
『コントロール、こちらエンデバー。搭乗完了した』
「了解」
アーサーからの通信を受け取り、マティルデがエリオットへ目配せをする。
それを受け取ったエリオットは小さく頷くと、各管制官への通信回線を開いた。
「これよりアンドッキングGO/NoGO判断を行う。各セクション、コールを……FIDO」
「GO」
「GUIDANCE」
「GOです」
「BOOSTER」
「GO!」
「TELMU」
「GO」
「GNC」
「GO」
「EECOM」
「GOですフライト」
「SURGEON 」
「GOだ」
燃料、誘導、ブースター、遠隔、航法、環境、医療の順で確認作業を行う。
ちなみにGUIDANCEに座っているのはカレン、BOOSTERにはエレナが座っている。
「よし、アンドッキングを許可する」
「こちらコントロール、アンドッキングを許可します」
『了解、コントロール』
エリオットの許可を受け、マティルデが司令船レジリエンスのパイロットであるユースティアナへそれを伝えた。
返答を返したユースティアナはエンデバーへドッキング解除を行うことを伝える。
「アーサー様、ドッキング解除許可が出ました。これからリリース操作を行います」
『了解。頼む』
ユースティアナは自身の座る左側の座席から見て右上のドッキングプローブ伸展スイッチの保護カバーを上げ、スイッチを上げる。
そのあと、DSKY左下の着陸船切り離しスイッチの透明カバーを外した。
「行きますよ……リリース」
スイッチを押下し、ガコンという音と共に着陸船が離れていく。
着陸船はプローブのバネの力で押し出され、完全に独立した宇宙船となった。
『コントロール、エンデバー切り離し成功。動作チェックに入る』
コントロールへの通信を終えると、月着陸船「エンデバー」はレジリエンスの前で縦にクルリと一回転をする。
ユースティアナがそれを見て、着陸船の着陸脚やエンジンに異常はないか確認しているのだ。
「大丈夫。とても綺麗ですよ」
『了解した。ありがとう、ティア』
返事を聞き、笑みが溢れるティア。
分離から約二十五分後、レジリエンスはエンデバーから離れる為の噴射を行う。
事故を防ぐ為の措置である。
そして打ち上げから102時間28分。
いよいよPDI……動力降下のGO/NoGO判断の時間がやってきた。
「よし、PDI GO/NoGO判断を行う。TELMU」
「GO」
「GUIDANCE」
「GOです! 行けます!!」
「了解。FIDO」
「GO!」
「EECOM」
「GO!」
「GNC」
「GO」
「SURGEON」
「GO」
「CAPCOM、動力降下を許可する」
「エンデバー、動力降下を許可します」
『了解コントロール』
GO/NoGO判断の結果はGO。
月への降下が可能であるとエリオットは判断した。
返答を返したシャーリーは、続いて、降下前チェックリストを進める為、アーサーと会話を始める。
「じゃあ、チェックリスト始めるわよ。スタビライザーとコントロールサーキットブレーカー、DECAジンバルACクローズ」
「よし……DECAジンバルAC、クローズ」
「コマンドオーバーライド、オフ」
「コマンドオーバーライド、オフ」
「ジンバル有効」
「ジンバル、有効」
「レートスケール25」
「スケール25……と」
「スラストトランスレート、4ジェット」
「4ジェットよし」
「バランスカップルオン」
「バランスカップル、オン」
「TCAスロットル最小」
「スロットル最小」
シャーリーの読み上げるチェックリストに従って、アーサーはスイッチを入れたり数字を変えたりと操作をしていく。
そして最終肯定までやってきた。
「アボートステージリセット」
「アボートリセット」
「チェックリストコンプリート」
「ありがとう……よし、行くか!」
「ええ! 点火7秒前」
「続行」
シャーリーがDSKYを操作する。
それによってパネル上部のイベントタイマーに噴射開始のカウントダウンが映し出された。
「4、3、2、1――点火」
シャーリーのコールと共にエンジンに火がついた。
「噴射、10%推進。中止誘導と主航法誘導も正常」
「着陸制御システム良好。DPSエンジンもばっちり動いてるな」
「全システム良好。問題ないわね!」
微妙にフラグが立っていそうな台詞をシャーリーが言う。
このあとにそれが響かないかアーサーは少し頭によぎったが、気にしないことにした。
「高度45,000ft。回頭開始」
45,000ft……13.7km上空あたりから、エンデバーの前面を上に向けるように船体を回転させて、月面を背にするようにする。
これは着陸地点を見る為の回頭である。
もし回転させずに船体を傾けると進行方向後ろ側を見る形になってしまって、着陸地点を確認できない。
船体を垂直にした状態で回すより、地面に平行な状態で回転させる方がやりやすいから、このタイミングで回すのだ。
「高度39,000ft」
「ランディングレーダーロックオン。対地高度更新頼む」
「了解。予測高度からレーダー高度へ切り替え。高度更新、現在高度37,620ft、高度差1400」
「了解、ピッチオーバー完了」
先ほどまでの高度じゃなくて、レーダーによって観測された高度をここから使っていく。
高度差は1400ft……大体426m差。
問題ない高度差であることにアーサーもシャーリーもホッと息を吐く。
そしてここでアーサーはもう一つ胸を撫で下ろすことがあった。
というのもアポロ11号ではあの有名なエラーコード「1202」がここで出たのだ。
意味はデータオーバーフロー……入力されたデータ量が多くて処理しきれず、優先順位付けをした上で処理を一つ一つ実行する旨を表すエラーコードで、ぶっちゃけこれが出ても着陸できたから問題ないように思えるが、ない方がいいのは確かである。
「アプローチングフェーズへ移行」
「了解」
シャーリーのコールにアーサーが返答する。
窓の外は月面と真っ黒な空……月の地平線がよく見えるようになってきた。
「P64始動」
「了解」
高度7000ft時点でP64……プログラムナンバー64が開始され、着陸態勢に移る。
「高度5000ft、手動操縦へ切り替え」
「確認。……よし、操作性に問題はないな」
「わかったわ。自動操縦へ切り替え」
そして高度5000ftで改めて手動操縦での操作性を確認し、また自動操縦へと戻す。
そしてここでミッションコントロールセンターでの着陸に対するGO/No GO判断が始まった。
「着陸GO/No GO判断。GUIDANCE」
「GOです!」
「RETRO」
「GO!」
「BOOSTER」
「GOです、フライト!」
「TELMU」
「GO!」
「EECOM」
「GO!」
「GNC」
「GO!」
「SURGEON」
「GO!」
「CAPCOM、着陸を許可する!!」
「エンデバー、着陸を許可します!!」
『了解、コントロール』
いよいよ最終段階。
コントロールセンターの各セクション担当者の声に力が入る。
普段寡黙なマティルデですら、その言葉に熱が籠っていた。
それを受け取ったアーサーは、より一層の気合を入れる。
「高度3000ft……シャーリー、LPD値は?」
「今は47よ」
LPD……着陸地点指定は、コンピューターが割り出した着陸地点の場所を示す。
47という数字は、アーサーの前にある二重窓の外と内にそれぞれ目盛りの書かれた線が印字されており、内と外の目盛りの47の部分が重なるように窓を覗き込み、その目盛りの指す地点が着陸地点である。
この数字はエンデバーが傾くにつれて変わっていく。
「高度700ft……そろそろ最終プログラムよ」
「ここまで来たんだ。問題ないのなら行くしかないだろ?」
「そうね。行きましょ!」
そして高度500ftまで来ると最終プログラム「P66」が開始される。
ここからは船長による手動操縦……つまりはアーサーの腕にかかっている。
「LPD30……行けそう?」
「問題ない。綺麗なとこだよ」
アーサーの視線の先にある月面には岩などはなく、平坦な場所であった。
これなら着陸できると判断したアーサーは操縦桿を握り直した。
「高度150ft、水平速度ゼロ」
「よしよし……いい感じ」
大体45mくらいの高さまでくると、前に進む力は無くして、垂直に降りていく。
そして――
「月面接触!」
「エンジン停止!!」
ランディングギアに取り付けられているセンサーマストが月面に接触し折れることで接触を検知。
そこでエンジンを停止させ、エンデバーは月に降り立った。
軽い衝撃を感じたあと、アーサーとシャーリーは最終確認を行なっていく。
「姿勢制御から降下エンジンスロットル解除」
「降下エンジンスロットル解除、オート」
「モードコントロール、オート」
「オート」
「降下エンジンオーバーライド、オフ」
「オーバーライド、オフ」
「エンジンアーム、オフ」
「エンジンアームオフ!!」
最後にエンジンのジンバルを元に戻す操作を行ったところでアーサーの語尾が上がる。
それもそのはず、その操作は着陸直後のチェックリストの最後だからだ。
そうつまり――
「〜っ!、こちらエンデバー!! 着陸完了ぉ!!」
着陸完了を伝えた瞬間、コントロールセンターは興奮の坩堝と化した。
――互いに抱き合い、喜びを分かち合う者。
――笑顔で横にいる仲間と握手を交わして静かに成功を讃え合う者。
――涙を流して喜ぶ者。
様々な形で、成功を祝っていた。
「……了解、エンデバー。おめでとうございます」
『ありがとうマティルデ』
鼻を啜りながら交信をするマティルデに感謝を述べる。
「アーサーっ!!」
「シャーリーっ!!」
「「やったー!!」」
そして月面ではテンションの上がった二人が抱き合って軽くぴょんぴょんと飛びながら喜びを分かち合っていた。
「来たぞ! 月!!」
「来たわよ! 月!!」
「「〜っ!!」」
顔を見合わせ、言葉を交わしたあと、また抱き合う。
そうしていると、通信が入ってきた。
月面を回るティアからである。
『おめでとうございます、アーサー様。見事な着陸でした』
「ありがとう! ティア」
『シャーリーも。おめでとう』
「ありがとう!! ティアもエンデバーのテレメトリーデータ送信ありがとう!」
『どういたしまして』
お互い讃え合い、労を労う。
こうしてアルカイム初の月面着陸は成功を収めた。
56年前の今日、7月20日は月面着陸が成功した日ですので投稿します。(日本時間だと明日の早朝だけど)




