episode69 ドッキング
TLIが終了して数十分。
左側の操縦席をティアに開け渡し、いよいよS-ⅣB切り離しと月着陸船とのドッキングが始まる。
船体全部に太陽の光が当たるように姿勢を変更して、あとは切り離しボタンを押すだけになった。
「すぅ……はぁ……」
胸に手を当てて深呼吸をするティア。
なかなか緊張しているようだ。
それもそのはずだ。このドッキングができなければ月へ降りられない。
その場合は脱出プログラムを起動させてアルカイムに帰るだけ……無念の帰還になる。
緊張して当たり前だ。
俺はティアの肩に手を置いた。
「大丈夫、あんだけ訓練したんだ。きっとできるよ」
「そうよ。できなかったらそれはこの船のせいよ」
「……」
それってつまり俺のせいになるってことじゃない?
やべぇ、そう言われたらその通りだ。
俺も緊張してきた。
「そうさ……大丈夫……大丈夫……」
「今度はあんたが緊張してどうすんのよっ!?」
「……ふふっ」
シャーリーのツッコミでティアに笑顔が戻った。
調子を取り戻したのか、ティアは咳払いをすると雰囲気を一変させた。
「――行きます」
姿勢指示器右下のボタンの中、セパレートスイッチの透明カバーを開けて押す。
ガコンという音が船内に響いた。
今、この船とS-ⅣBが切り離された。
事前に設定した数値に従って、船が縦に180°周り始める。
ゆっくり時間をかけて回り終えると、真正面にS-ⅣBとアダプターに付いている月着陸の上部部分が見えた。
ここから先がティアによる手動操縦になる。
窓の上にある標準器を下ろして、月着陸船に取り付けられているターゲットマーカーに合わせ始めた。
「ターゲットマーカーがズレているので少しロールします」
右手操縦桿……回転系のジョイスティックを使って船体を回し始める。
これもゆっくり……早く動かしてしまうと、その分の勢いを止めるために燃料を消費してしまう。
だから宇宙船は基本ゆっくりと動かすのが常識だ。
「ターゲットインサイト。漸近します」
今度は左手の操縦桿である並進系のレバーを動かす。
これは上下左右、そして前後の動きを操作できる。
にしても真ん中の席から見える窓は見づらいな。
まぁ、正面を向いている窓じゃないからなぁ。
「どう? そろそろ?」
「そうね、あとちょっと」
右側の席に座り、記録用のカメラを構えるシャーリーが外の様子を伝えてくれた。
チラリとティアを見る。
すごいな……瞬き一切してない……
とんでもない集中力だ。
訓練の時もその集中力は発揮されていたが、ここまでじゃなかった。
これがティアの本気なんだな。
なんて感心しているとギギギと何かが擦れるような音が響き――
「――捕獲」
船がぐらりと揺れ、ティアからドッキング完了の報告が上がった。
といっても今はまだソフトドッキング状態……仮接続した状況だ。
上にあるドッキング状態を示す表示がガチャリとストライプ柄に変わったのを確認して、ティアはドッキングプローブを伸縮させる為のスイッチを下げた。
シリンダーの動く音が響いた後、ガチャン、ガチャンという音が響く。
「よし! コントロール、こちらヘリオス5。計12点固定完了。ドッキング成功」
『了解しました。回避機動PADの準備はできています読み上げますか?』
「了解、コントロール。どうぞ」
『回避機動、SPS G&N 28794、プラス0.95、マイナス0.20。GETI 4時間40分1秒、プラス0005.1、プラスオール0、プラス0019.0。ロールは任意。ピッチング、213、357。Noun 44はNA。デルタV Tは0019.7、0:03、0015.2。PADの残りはNA。アレージなし。LM重量、33290』
「了解、コントロール。回避機動、SPS G&N、28794、プラス0.95、マイナス0.20。4時間40分1秒、プラス0005.1、プラス全てゼロ、プラス0019.0、ロール、クルーオプション、213、357、該当なし、0019.7、0:03、0015.2、アレージなし、着陸船重量、33290。以上」
『復唱正解。着陸船の与圧が完了するまで待機してください』
マティルデが読み上げてくれたこの数字を宇宙船に取り付けられている操作パネル「DSKY」で入力していく。
さっきのはS-ⅣBから離れる為のもので、俺達が今乗っているこの宇宙船の後ろに付いているロケットエンジン「SPS」を使ってS-ⅣBとの距離を取る。
それと同時にSPSエンジンのテストもできるってわけだ。
そして月着陸船の与圧も終わり、迎えた4時間40分。
自動で回避行動を始めたヘリオス宇宙船は、ようやく月へと向かう形をとれた。
全ての動作を終えて、あとは細々とした仕事をしながら月へと向かうことになる。
ということでホッと一息つける状態になった。
「お疲れ様、ティア。さすがの腕前だった」
「うんうん! お疲れ様! ティア!」
労いの言葉をかけるとティアは両目を抑えた。
なんだ? なんか目に入ったのか?
と心配していると――
「なんだか目がしぱしぱします……なんでぇ?」
「「……」」
まぁ……君、瞬きしてなかったからな。気付いてなかったのか。
◆
ドッキング終了から大体三分後。
S-ⅣBから月着陸船を引き離し、いよいよ本格的に月への旅が始まった。
司令船と月着陸船の状態になって最初の仕事は宇宙船を回転させること……PTCを行うことだ。
PTCとはPassiveThermalControlの事で、これを行わないと宇宙船にダメージが出る。
宇宙では太陽に当たる面は200℃ほどにまで温度が上がり、影の面ではマイナス100℃にもなってしまう。
これだけ極端だと温度差で金属も悲鳴を上げるし、大気圏再突入の際には温度差で耐熱シールドが割れる可能性も高くなる。
ということで、それを防ぐために宇宙船を回して温度を一定にしようというのがこのPTCの目的だ。
で、このPTCの俗称が――
「バーベキューロールの操作、終わりました」
「ありがとう」
ティアから操作完了の報告を受ける。
そう、PTCは俗称「バーベキューロール」と呼ばれている。
あのモンスターを一狩りするゲームでよくやる上手に焼けましたなアレに似ているからだ。
というより、この世界にバーベキューがあることが驚きだったけど。
さてと、大体落ち着いてきたしそろそろご飯にしようか。
「じゃあご飯にしようか。スーツ脱いだら各々準備していいぞ」
「やった! じゃあ月着陸船のハッチ開けないとね」
「そうね。シャーリーお願いできる?」
「もちろんよ」
……ん? なんで月着陸船に通じるハッチを開ける必要があるんだ?
「なんで今? あとでもいいだろ?」
「えっ? 着替えるんでしょ?」
「ああ」
「じゃあ開けないと」
「……?」
「?」
ハッチ内部に空気を入れる作業をするシャーリーと一緒に首を傾げる。
なんか噛み合わないな。
「えっと……アーサー様には着替えてる間、月着陸船に行って欲しいなと考えているんです」
「えっ? ここにいちゃダメなの?」
ティアが察してくれたのか、ハッチを開ける理由を教えてくれた。
それを聞いても腑に落ちない。
ここで着替えればいいじゃないか。
「アーサー……この下、下着なんだけど?」
「……存じてますが?」
シャーリーから当たり前のことを聞かされた。
だって俺もそうだもの。
で、俺がそう返したらほんのり顔を赤くしてシャーリーから詰め寄られた。
「下着姿を見られたくないのっ! 察してよっ!!」
「嘘だろっ!? 宇宙船だぞっ、ここっ!」
狭い宇宙船内で着替えを見られたくないとか今更なんだよ!?
「あと、着替え終わった後、お花摘みもしたいのよ……その……その訓練だけは無重力訓練でできなかったし、無重力環境で見えないようにできるか確認したいし……」
「それは……そうだな……」
X-15を飛ばす為に建造したB-52を使って無重力訓練はしたが、どちらかというとそれは無重力環境で宇宙服の着脱ができるようになる訓練だ。
そのカリキュラムには用を足す訓練は含まれていない。
無重力状態はたったの数分間しかないからだ。
俺も二人も、このヘリオス宇宙船での用の足し方はもちろん知っているし、体験もしているが無重力環境では初めてだ。
花摘みの最中にふよふよとパーテーションが浮いてチラ見せしてしまうことも十分ありえる。
……なるほど。
「ティアも同意見か?」
「ええ。女同士ですからどのように見えるかお互いに確認できますし」
「それもそうだな……わかった。俺はその間、月着陸船にいるよ」
「すみません。アーサー様」
今後のことを考えると二人の言い分は理に適っている。
もしこのまま同じ空間に居て、花摘みしている時にチラ見えしてしまったらそのあと気まずくなること請け合いだ。
月着陸船と繋がるハッチの与圧が完了して、安全に開閉できる状態になり、ハッチのロックを外す。
焦げた肉のような匂いが鼻腔をくすぐった。
これが宇宙の匂いか……
月着陸船とヘリオス宇宙船の間はさっきまで宇宙空間だった場所。今嗅いだのはその宇宙空間の……空気? が閉じ込められていたのだから、この匂いは宇宙の匂いと言って差し支えない。
ん〜、肉の焦げた匂いに近いけど、ほのかに絶縁体が焦げたような匂いもする。
微妙な匂いだな……
あっ、そうだ。
「なぁ、シャーリー?」
「ん〜?」
宇宙船の真ん中にあるドッキングポートに半身入れながら、進行方向右側に座るシャーリーに話しかける。
「出すのって小さい方? それいかんによって俺は月着陸船での過ごし方を考え――」
思いっきりぶん殴られた。
――
――
――
「アーサー様……あれはないです」
「そうだね。今俺はなんであんなことを言ったのかと後悔してるよ」
左頰にもみじマークができている。
平手だったのはシャーリーの温情だろう。
拳で来られてもおかしくない状況だった。
「ホント信じらんないっ! デリカシーなさすぎよっ!!」
「ぐうの音も出ないっす」
プリプリと怒りながら、PWDで、フリーズドライ食品にお湯を入れるシャーリーからの言葉を甘んじて受ける。
月着陸船の確認作業ができればってことで聞いたんだけど、聞き方ってものがあった。
アーサー、反省。
「ですがお花摘みの感覚が掴めました。ありがとうございます、アーサー様」
「ごめんよ二人とも」
「いえいえ」
「……反省してくれてたら、いいわよ」
お湯を入れ終わり、中まで浸透させる為に袋を揉みながらシャーリーは謝罪を受け入れてくれた。
「はい、軌道修正終了。ではアーサー様? 頰の治療をしますね」
「えっ? あぁ、ありがとう。じゃあお願いしようかな」
PTCによる歳差運動の修正を終えて、ティアが治療を申し出てくれた。
戒めの為に自然に任せようと思ってたから治療なんて考えてなかった。
「……あら?」
「……ん?」
治癒魔法をかけてくれるティアから声が漏れる。
そしてそれは俺も同様だ。
なんか違和感……というよりいつもと違う。
というのも、地上より治りが早いように感じる……というか治りが実際早い。
ほんの数秒も経たないうちに頰の腫れが引いた。
「すごいな……宇宙じゃ魔法の効果が高くなるのか?」
「さぁ……でもそう思いたくなる気持ちわかります」
「力が漲る的な感じある?」
「いえ、そんな感覚はありません」
自覚はなし、でも事実効果は高くなっていると。
ふぅむ、不思議だ。
でもまぁ、今はいいか。
魔法の効果が高くなってラッキーくらいに思っておこう。
「これなら風邪引いても問題なさそうだな」
「……」
「……」
俺がそう言ったら二人からキョトンとされた。
……ん? なに?
「なんだ? どうした?」
「あの……アーサー?」
「なに? シャーリー?」
その次にかけられた言葉に、今度は俺がキョトンとしてしまう。
それは――
「かぜって……なに?」




