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キラキラネームの侍たち①~尼子十勇士編~

 先日、駅前に行くと近所の子供たちが描いた絵が並んで飾ってありました。


 自分は、そういう絵を見るのが好きなので一枚一枚、クレヨンで描かれた可愛らしい絵を見ていると、一枚の絵が目に止まりました。

 絵自体は、他の子供達が描いたものとあまり変わらないのですが、絵の下の部分に絵を描いた子供の名前が書いてあって、その絵の名前の箇所には“田中空”と書いてあり、字面だけ見るとそんなに珍しくないのですが、名前の“空”の上に“すかい”というふりがなが書いてありました。いや、もちろん仮名ですけど、似たような名前でした。それにしてもこれは一見で読むことは難しいでしょう。

 自分は本当にこんな名前をつける親が身近にいるのかと少し驚きました。この子は将来苦労するかもしれません。でも読み仮名だけなら、比較的簡単に変更ができるので、将来本人の意思で変えるかもしれません。


 命名研究家の牧野恭仁雄氏と精神科医春日武彦氏によれば、キラキラネームというとDQNネームとも言われていて、(親の)安っぽく甘ったるい自己顕示と無教養な当て字に特徴があり、キラキラネームを与えるような親はおしなべて言語能力にとぼしく、それゆえにかえって「個性的」な名前を付けようと暴発気味の名前を捻り出してしまうのかもしれないという可能性を示している。また親たちの欠乏感や無力感の代償行為が、暴走族の威嚇行為と同じレベルで発露したものとしてキラキラネームを理解しているのだそうです。これには春日氏も同意をしているようです。

 要約しましたが、なかなか辛辣な言葉ですね。


 話が少しそれますが“四天王”とか“御三家”とか“ビッグ3”とかいう言葉がありますね。どうやら人間は何かに数字を当てて象徴づけることが時々あります。


 アメリカの認知心理学者ジョージ・ミラーによれば(1956)、人が短期記憶で扱える情報のカタマリ(チャンク)はおよそ7±2らしいです。これがいわゆるマジカルナンバー7で、人間の構造や容量と密接に関係していると思われるのだそうです。7不思議、7つの大罪、7賢人、7変化など、7に関連する言葉が多いことに結びつけられて了解されがちな概念だということです。

 しかし同じくアメリカのネルソン・コーワンによれば(2001)、マジカルナンバーは4±1であるらしいです。その根拠として電話番号や郵便番号が3桁ないし4桁で区切られることで単なる数字の羅列ではなく扱いやすい対象として挙げられたりするとのことです。

 なるほど記憶という意味では4がマジカルナンバーで、ある程度複雑なことを考える場合には、7が分類上の区切りとして便利なマジカルナンバーなのではないか、とのことです。


 数字や数学は、完全な抽象概念なのでそこに何らかの意味やイメージを付与するということは便利で理にかなっているように思えます。


 例えば、「産医師異国に向う産後厄無く産婦御社(みやしろ)に虫散々闇に鳴く後礼(ごれい)には()よ行くな…」と書くと一見なんのことやらわかりませんが、この文章を数字に変換すると

「3.141592653589793238462643383279502884197…」となります。これは円周率を覚えるための語呂合わせです。


 話が横にそれ過ぎました。

 日本でもフィクションの世界に『頼光四天王(ちなみにこの四天王の中に幼名を金太郎として有名な坂田金時がいます。“銀魂”の銀さんの名前の元ネタです)』、『真田十勇士』、『里見八犬士』、『白浪五人男』、『七人の侍』、『三匹が斬る』などがいます。三国志だと『五虎大将軍』、水滸伝では『五虎将軍』、他に外国だと『三銃士』あたりが有名でしょうか。


 現実では『戦国三梟雄』、『織田四天王』、『織田五大将』、『賤ヶ岳七本槍』、『羽柴四天王』、『豊臣方四天王』、『徳川四天王』、『武田四名臣』、『武田三弾正』、『上杉四天王』、『毛利四人衆』、『伊達三傑』、『龍造寺四天王』、『三好三人衆』、『西美濃三人衆』、『黒田八虎』、『武田二十四将』多くなりましたがこんなところですかね。個人的な印象では戦国時代の物が多い気がします。他には『新撰組四天王』、『維新三傑』とかありますね。


 そんな中で少しマイナーな『尼子十勇士』と呼ばれる侍達がいました。


 元々戦国時代に尼子家という戦国大名があったのですが、その敵対勢力である、毛利家に滅ぼされてしまいます。


 そこで、浪々の身となった『尼子三傑』の一人、山中(やまなか)鹿之助(しかのすけ)は主家尼子家再興のために、どのような艱難辛苦をも厭わないという思いを込めて「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に向かって祈念したそうです。

 まず、この人の名前からして少し変ですよね。山の中の鹿って。


 ですが、その山中鹿之助を含めた尼子十勇士の名前はこんな物ではありません。


 “秋宅(あたか)庵之助(いおりのすけ)”、“川岸(かわぎし)柳之助(やなぎのすけ)”、“植田(うえだ)早苗之介(さなえのすけ)”、“早川(はやかわ)鮎之助(あゆのすけ)”、“深田(ふかだ)泥之助(どろのすけ)”、“横道(よこじ)兵庫之助(ひょうごのすけ)”、“籔中(やぶなか)茨之助(いばらのすけ)”、“(もっとも)道理之助(どうりのすけ)”、“小倉(こくら)鼠之助(ねずみのすけ)”、“荒波(あらなみ)碇之助(いかりのすけ)”、“大谷(おおたに)古猪之助(ふるいのすけ)”、“破骨(やぶれぼね)障子之助(しょうじのすけ)”、“阿波(あわ)鳴門之介(なるとのすけ)”、“寺元(てらもと)生死之助(せいしのすけ)”、“穴内(あなうち)狐狸之介(こりのすけ)”、(他にもいますが)と、まあ……駄洒落ですね。と言うか十勇士のはずなのに十人以上いますね。


 何だか本当に実在したのか疑問に思いますけど、一応『常山紀談』、『後太平記』、『雲陽軍実記』などに名前が出ているようです。でもそれらの資料を照らし合わせてみると、この資料には誰々が出てない、こっちの資料には誰々は出てるけど逆に他の資料には誰々が出てないなどと、何だか存在が曖昧です。


 山中鹿之助達が起こした“尼子再興運動”は第三次まで続きました。


 そんな中で尼子十勇士の活躍と言えば、元亀元年(1570年)1月、多久和城の戦いで城の守護を命じられた尤道理之助が眼前の敵毛利軍に対して戦わずして城から脱出して逃げ出し、敵味方双方から嘲笑されたと『雲陽軍実記』に記述されているそうです。


 2月。布部山の戦いで尼子軍と毛利軍の主力が直接対決。この時点で毛利軍は尼子軍に2倍の戦力差があり、尼子軍は敗北します。


 そこで手傷を負った横道兵庫之助は裏切り者の手にかかり討ち死に。あまり人望がなかったのかな? と邪推してしまいます。


 5月。合戦前夜、秋宅庵之助が山中鹿之助を訪ねると「父上にきつく命じられたが故、やむなく毛利方に付き申す。まことに申し訳ござらぬが、暇乞(いとまご)いに参った次第」と事ここにいたって堂々と寝返りを宣言します。まあ布部山の戦いで実質的に勝負はついていて尼子方は、ジリ貧だったのですが、ここでの寝返りは逆にスゴいです。しかもその理由(言い訳?)が「父親からきつく言われたから」という何だか子供じみたものです。


 6月。勝間城の戦いで植田早苗之助討ち死に。


 翌元亀二年。毛利家当主毛利元就が病没(老衰?)。しかし山中鹿之助は元就の次男吉川元春に捕らえられてしまいます。


 末吉城の牢に捕らえられた山中鹿之助は、赤痢を患ったふりをして、一晩に170回も厠へ行き、見張りが油断したのを見計らい厠の窓から脱出することに成功します。いや、この話は個人的には眉唾物だと思います。


 その後、7年にも渡り山中鹿之助は戦い続けますが、結局主君尼子勝久は毛利方に追い詰められて切腹。これによって山中鹿之助も降伏しますが護送中に兵士によって謀殺されてしまいます。どうやら山中鹿之助は吉川元春と対面して討ち果たすために降伏したらしく、それを毛利家家臣に見破られたそうです。


 それにしても尼子十勇士は、ほとんどとても“勇士”と呼べる活躍をしていません。


 かつて三日月に七難八苦を望んだ山中鹿之助も、まさか十勇士という足手まといみたいなのが付いてくるとは思わなかったでしょう。


 七難八苦十勇士。


 まあ、『尼子十勇士』という呼称がいつついたのかは、わからないんですけどね。ちなみにWikipediaによると「十勇士すべての名が史料に出てくるのは、享保2年(1717年)に刊行された『和漢音釈 書言字考節用集』である。」とあります。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 尼子十勇士面白い!ギャグ漫画みたいな人たちですね。 尤道理之助が一番好きな名前だなと思って読み進めてたら、道理之助まさかの敵前逃亡に笑いました。電車の中で吹くところでした。 [気になる点]…
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