鋼メンタルの錬金術師たち
ドラゴンクエストというゲーム内の通貨をゴールドっていう設定にしてますけど、人間は昔から金が好きですね。
金が産出される国では基本的に、金に一定の高い価値つけて通貨にしたり物々交換の際に使用したりしてます。
現在では、カードやスマホで決済することも多いですが、紙幣というのは、元々兌換制によって成立していた物です。これは各国が 国が保有する金量と同量の「兌換紙幣」を発行し、兌換紙幣はいつでも金と交換できる事を政府が保証します。 つまり、金の価値によって紙幣の信用が保証されていたわけです。等価交換というやつです。
そう言えば『こち亀』の両さんが日本銀行券について高説を述べていました。
それにしても、金というのは不思議な物体です。技術さえあれば、どんな形にも変えられることができるし、その美しさは半永久的な物らしいです。例えば江戸時代に輸出された小判が外国で十字架になっていたりするかもしれないです。
ちなみに銀は手入れをしなかったり保管状況が悪かったりすると腐ります。
そう言えば、金閣寺、銀閣寺は有名ですが、実は銅閣寺もあると知ったときには驚きました。
話がそれてしまいましたがドラゴンクエスト8で、錬金というシステムが登場します。これは錬金釜に2~3のアイテムを入れて新たなアイテムを錬金するというものです。本来の意味での錬金術とはズレていますね。
18世紀の疑似科学的錬金術の主要な目的は、卑金属から金銀を製造する方法を発見して、その目的が達成された後は、「不老不死の霊薬」を作り出すことでした。
実はリンゴが落ちたのを見て、重力を発見したとされるニュートンも錬金術をかじっていたそうです(実際はニュートンが重力を発見したわけでなくて重力そのものは当時の科学界で確認されていたらしいです)。
閑話休題。まあ、当然ながらそんな物は作れるわけがないんですけどね。そんなわけで錬金術も不老不死も不可能なのは当たり前ですけど、錬金術師たちの中には不死身という最終目標は達成できなかったけれども、金や銀を作り出すことには成功したと主張する者が多かったみたいです。
この主張は迷信深い人たちに受け入れられやすかったみたいで、錬金術師たちの中には王家や貴族をスポンサーにして贅沢な暮らしをしていた者もいて、時には諸侯や群小国の王たちが破産するほどに、錬金術の研究やその維持のための費用を騙しとっていたそうです。これはある意味錬金術ですね。
錬金術といえば、ついて回るアイテムが“賢者の石”です。
錬金術師たちは、物質の組成の謎を明確にするという、“賢者の石”を求めました。また実際に“賢者の石”を所持しているから、更なる時間をかければ莫大な富を生み出せると言う者も多数いたそうです。SSR級以上の超激レアアイテムであるはずの“賢者の石”がどれだけあるんだろう? となりますが、まあいいでしょう(いいのかな?)。ゲームのアトリエシリーズでも“賢者の石”を調合するのには苦労しました。
1772年のパリの王立アカデミーでM・ジョーフレー兄が語ったところによると、最も多かったのが金属を溶かす容器に二重底のるつぼを使う方法でした。底面は鉄か銅でできていますが、その上に蝋でできたもう一つの底があり、それは底の金属に合わせた色に上手く塗ってあり、錬金術師は二重底の間に粉末状の金や銀を入れておいて鉛や水銀などの卑金属をるつぼに満たして、火にかけると、るつぼの中は高温となり二重底の表面を覆っていた蝋が溶けます。その後冷却されたるつぼの中から貴金属を取り出して将来のスポンサーとなる可能性のある者に見せて驚かせました。
もう一つのよく使われた方法は、溶けた金属を掻き回す棒に仕掛けを施すというものです。
棒の中は空洞になっていて、熱っした卑金属の中に入れる方の先端は蝋がバターで固めてあり、卑金属を掻き回すと熱によって棒の先端が溶けて開き、中から貴金属が出てくるというものでした。
また、鉛の塊にドリルで穴を開けてから、溶かした金を流し込んで、再び鉛で穴を塞ぐという手法も用いられました。
そんなこんなで、時代が上がるにつれ、錬金術師たちはある問題に悩まされることになりました。
それは「自分で金を作り出せるならスポンサーとか必要ないんじゃない?」という意見が出始めたからです。
そんなわけで錬金術師たちは金が作れれば、作れると言うほどに報酬を求め難くなりました。
元々歴史の途中から疑似科学者的な色合いを帯びてきていた錬金術師たちはその数を減らしていきました。
それでも、しぶとく生き残っていた錬金術師もいます。
20世紀に入り1920年代に最も成功を収めた錬金術師の一人タウンゼント・フランツは、ドイツで自らの錬金術がほぼ成功したと主張しました。フランツは1925年にミュンヘンで、奇跡としか思えないような錬金術を披露すると宣言し、多くの裕福な市民に対して数回の実演ショーを開き、錬金術を完全に完成させて本格派に金を製造するために、10万ドルの出資者を募りました。フランツのパフォーマンスは成功し、第一次世界大戦の英雄エーリッヒ・フォン・ンルーデンドルフ将軍すらも出資しました。
1925年のドイツというと、第一次世界大戦後にヨーロッパ諸国から大量の賠償金が要求されていて、苦しい状況に置かれた中で、そんな夢見たいな話にとびつきたかったのかもしれません。実際当時のドイツはインフレ状態だったみたいですからね。フランツも出資に対してドルを要求したのもその辺の理由からですかね。
フランツは自身の錬金術に不正やごまかしがないことを、保証するために必要とされる器具装置、材料などを出資しようかと考えている人たちが調達するようにしました。
沸騰した調合液と鉛が混合したあと、フランツは鉛の中からわずかな金のかけらを抽出することに成功し、その結果裕福な市民や大戦の英雄から10万ドルの出資を得ることができました。
フランツは更に「今に1日20キロ近くのの金を製造できるようになる」と言いました。個人で1日20キロの金を製造できるなら、もしもそれを国営化できればその価値は図り知れません。そうなれば先の大戦の敗北で大きな打撃を被った祖国の再建も賠償金の支払いも不可能でもない、と夢のある話ですね。
しかし、その後のフランツは毎回微量の金を作り続けるだけで出資に見合うだけの量を作り出すことができず1929年に出資者らによって詐欺罪で投獄されました。
ちなみにルーデンドルフ将軍は投資の約1年後に持ち株を売り抜けて、利益を得ることができました。さすが大戦の英雄、機を見るに敏い軍人の鑑というべきか、ですがこれによって他の被害者たちからは少なからず反感を買うことになりました。それはそうですよね社会的信頼の厚いと思われている人が出資してるから自分もそれに乗っかったっていう人もいたでしょうに。
タウンゼントは投獄されてもなお、自分は本物の錬金術師であると主張し続け、パヴァリア国の貨幣鋳造所で10人余りの役人の監視下で実験を再現しようと申し出ました。
フランツは到着時に注意深く身体を改められ、装置も鋳造所で用意され、実験が開始されるとフランツは2時間ほどで混合物の中から少量の金を作り出して見せました。
翌日も同様の実験が実施されましたが、フランツは実験の途中で助手に煙草をもらいました。実は煙草の中に金粉が仕込まれていて、タウンゼントは役人が背を向けた隙に煙草の灰と一緒に金粉を混合物の中に落としていました。
この行為をみとがめらて、フランツの錬金術のカラクリが露見し、結局44ヶ月の禁固刑を言い渡されました。
これが本当の金固刑……すみません。
その後のフランツは、様々な詐偽に手を出していたようですが、1938年に再び刑務所に入れられ、翌年に獄死しました。
それにしても金を自在に作り出すことができたら、金の希少性は激減してしまい、それによって金の価値は下落して、いわば金のインフレ化現象のような物が発生してしまうと誰も思わなかったのしょうか?
実際に、それまで金と銀の交換比率は世界的に金1に対して銀5だったのが1970年代にメキシコで巨大な銀鉱山が発見されて銀の価値は急落して金1に対して銀15にまでなってます。ちなみに現在の交換比率は金1に対して銀80以上だそうです。
等価交換も難しいですね。