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キラキラネームの侍たち②~シグルイ?編~

この無駄は、『キラキラネームの侍達あとシグルイ?』の後半部分的を分割して、再投稿したものです。

前作を読んだ方は、無視することをオススメします。

 先日、山口貴由作のマンガ『劇光仮面』の4巻を読んでいたのですが、それまで静かな物語だったのが4巻で主人公が本当の意味で“変身”したシーンを見てあまりのカッコよさにテンションが跳ね上がりました。

 自分は同作者(原作 南條範夫)のマンガ『シグルイ』が大好きなんですよ。

 Amazonの1巻の本の概要から煽り文句を引用すると「江戸時代初頭、天下の法に反して駿河城内で挙行された真剣御前試合で対峙したのは、片腕の若武者と盲目の天才剣士だった!! 残酷無惨時代劇!!」もうこれだけでご飯三杯はいけそうです。


 ファンや一部内では「21世紀マンガの最高傑作」とか呼ばれているみたいです。確かに個人的に21世紀に出版されたマンガの中では一番好きかもしれません。


 シグルイのタイトルの元ネタは『葉隠』という書物の“「武士道は死に狂ひなり。一人の殺害を数十人して仕かぬるもの。」と直茂公仰せられ候。本気にては大業ならず。気違ひになりて死に狂ひするまでなり。”です。


 そんなわけで“残酷無惨時代劇?”の話をします。


 豊臣秀吉が天下統一を成し遂げようとしていた時代。常陸国(ひたちのくに)(茨城県)の江戸崎という所で、由緒正しい香取神道流の流れを汲む一羽流開祖、諸岡一羽常成もろおかいちはつねなりという剣豪が重い病を患い病臥しながら死を待つ身となっていました。この諸岡一羽常成は健康であった時はその強さで有名で、全盛期には門弟の数も多かったのですが、病に倒れてからは門弟の数も減り、わずか三人の弟子のみが残ることになりました。その三人、人呼んで“常陸三天狗”……嘘です。隙あらばシグルイネタを入れそうになるので気を付けることにします。


 それぞれの名前は根岸(ねぎし)兎角(とかく)岩間(いわま)小熊(おぐま)土子(ひじこ)泥之助(どろのすけ)と、兎に小熊に泥で何だかイマイチ緊張感に欠ける名前のような気がします。根岸兎角なんて芸名だったら“兎に角明るい根岸”とかつけそうですし、岩間小熊は“岩の間の小熊”みたいですし、土子泥之助はなんか“土の上で泥遊びしている子供”みたいなイメージが湧きます。


 この三人で師匠を看取るための看病をしていたのですが、三人ともに腕に自信があり、実際に強いのですが天下の大勢は既に定まりつつあり、天下泰平の世となった暁にはいくら腕に覚えがあれども手柄を立てての立身出世の道が難しくなってしましまいます。


 そんな時流の中で根岸兎角はある日「薬を買ってくる」などと言ってでかけたまま行方をくらましました。


 その4年後、兎角は江戸に道場を開いていました。兎角は「自分は毎晩天狗に修行をつけてもらっている」などと鞍馬天狗のような設定を喧伝しました。これが功を奏したのか続々と入門希望者が兎角の道場の門を叩きました。中には徳川家康の旗本で門弟になった者もいたそうです。


 そんな将来安泰かと思われた兎角のもとに訪れたのが岩間小熊です。「師匠を蔑ろにして江戸で安穏としているとは許せぬ」とか「天狗に剣を習ったなど虚言を申すな」などと小熊は兎角に詰め寄ったそうです。


 そんなわけで兎角と小熊は、直接対決をすることになりました。その頃、泥之助は何をしていたかと言うと、小熊の必勝を祈願して鹿取神宮に籠っていました。今度は鹿が出てきましたけどこれは関係ないですね。その時、泥之助が納めた願文の内容が「もしも岩間小熊が敗れた時は、自分が根岸兎角と立ち合い仇を討つ。自分まで敗れた時は境内で腹を切り、その臓物と血を撒き散らして鹿取神宮を貶める」といったようなものでした。

 いやー、シグルってますね。ここまで来ると怒りを通り越して怨念めいたものまで感じそうです。


 兎角と小熊は橋の上で戦い(常盤橋の決闘)、勝負は岩間小熊の圧勝に終わり、根岸兎角を橋から川へ投げ落としたことで決着しました。やっぱり兎は熊にはかなわなかったのでしょう。


 兎角はそのまま例によって姿をくらました。小熊は兎角の道場に赴き自らが新しい道場主であることを宣言して、道場を乗っ取りました。


 これで納得がいかなかったのが兎角の弟子達でしたが、何しろ相手は師匠兎角に勝つほどの実力の持ち主、まともに戦っても勝ち目がないのは火を見るより明らかです。


 そこで弟子達は一計を案じ、小熊に湯浴みをすることを勧め、小熊がこれに応じて浴室に入った時に、焚き火を勢いよく焚かして小熊が熱で朦朧となった所を討ち取りました。


 それを知った泥之助は怒り心頭で道場へ乗り込むと、門弟達を次々に木刀で殴り殺したらしいです。


 その後、兎角は泥之助の追跡を断ち切り、黒田藩に仕えて再び道場を開いたそうです。


 師匠の仇を討つために弟子達が岩間小熊を討ったりしたことから根岸兎角は意外と人望があって、黒田藩に仕えられたことから処世術にも長けていたのかもしれませんね。


 もしかしたら道場主、諸岡一羽常成が病に倒れてから門弟達が道場を去って行ったのは、岩間小熊と土子泥之助の性格が難しい物だったのかもしれません。上に書いた成り行きを読み直すとその可能性もあります。そうであれば根岸兎角が脱兎のごとく逃げ出したのも無理はなかったのかもしれませんね。

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